分身
次の日、維月が独り庭を歩いていると、滝の前に紫月が立っているのが見えた。
維月は昨日の今日だったが、思い切って紫月に歩み寄った。
「紫月。」
紫月は振り返って、それが母だとわかると、立ち去ろうとして足を別の方向へ向けたが、思いとどまったように振り返った。
「…お母様。」
維月は紫月に歩み寄った。紫月は下を向いて黙っている。維月は息を付いて言った。
「紫月…十六夜から聞いたわ。」
紫月はびくっと肩を震わせたが、顔を上げて言った。
「…どうして、皆お母様なの?私はお母様は瓜二つって言われるぐらい似ているのに。小さい時から私が好きな人はみんな、みんなお母様を見ているのよ。お父様も、お兄様も、十六夜も、義心も。」維月は驚いた。義心も好きだったのか。知らなかった。「私…わからないわ。蒼はお母様がとても強いからだというけれど、その強さがなんなのかもわからない。本当に、どうすればいいのかわからないの…。」
維月は紫月の肩を抱いた。
「私にだってわからないわよ。私があなたの年の時はまだ人だったけど、恋愛自体に興味が無くて。何しろ私は、手の届かない月を恋していたから。人の男なんてみんなどうでもいいと思っていたのよね。だから、好きでもない男と付き合ったりしてね。」とその頃を思い出して眉をしかめた。「褒められたもんじゃないわよね。人としては、そんな感じで私はまったく幸せではなかったわ…男の人に関してだけど。」
紫月は顔を上げた。
「そんな、お母様は、昔からこんな風だったのではないの?」
維月は首を振った。
「なんだかわからないけどモテ始めたのは、一度死んで月になってからよ。私は普通に生きてるのに、回りの神達がなんでだが寄って来るし…それに神って強引なのよ。しかもワガママで。何度いきなり口づけられたか。まさか維心様まで本気で私を妃にって思っていらっしゃるなんて、思いもしなくて…最初は世継ぎを生んで欲しいと言われただけだったから。」
紫月はそれを、初めて聞いた。
「お母様、それを受けられたの?十六夜はいいってどうして言ったの?」
維月は肩をすくめた。
「維心様はとても不幸な生い立ちでいらして、しかもご自分の楽しみは全く求めていらっしゃって居なかったから…十六夜もね、そんな友人が、これを最後にと頼んだ維月に世継ぎを生ませたいってことを、断れなかったのでしょうね。」そしてため息をついた。「でも…維心様と一緒に居るうちに、私は維心様も愛してしまって。十六夜は、私との絆は月でつながっているし切れることはないからと、龍の宮へ私を預けてくれたのよ。ほら、十六夜って月でしょう?最初は一緒に暮らしていても、愛してるならいいって感じで、何もしなかったのよ?十六夜はね、体の繋がりとか重視しないの。これが私の属する社会の愛情表現だからって、無理に学んで私の為にしてるようなものね。別に私も、心がつながってるなら体のつながりなんていいんだけど。」
紫月は昨日のことを思い出した。
「…でも、十六夜もしたそうだったけど。」
母は苦笑した。
「ふふふ、そうね。なぜかしらね。たまに人っぽくなるのよね…月のくせに。」と紫月を見た。「ねぇ紫月、憧れるのはわかるわ。誰かに愛されるってとても幸せな事だもの。でも、あまりに自分から追い求め過ぎてはだめよ。追い掛けると逃げるのが心理じゃない?」
紫月はかなしげに母を見た。
「…そうね。十六夜にも言われたわ。維月は誰にも自分から寄って行った奴はいないって。」
維月はため息をついた。
「まあ、そうなんだけど。私が好きだったのは月だから。寄って行きたくても、行けなかったのが実情よね。他は別にどうでもよかったし。あとは…月になってからだから。私は十六夜さえ居たらよかったから落ち着いていたし、自分から誰かに寄って行かないじゃない?それだけのことよ。」
紫月は尚も言った。
「でも、お母様と私で生い立ちが違うのはわかったけど、何が違うのかしら。私が求めるものが間違っているのかしら。」
維月は、うーんと考えるそぶりをした。
「…ねぇ、じゃあ二人で試してみない?」と維月は目を瞑った。「私も姿は変えられてよ。」
維月は見る見る姿を変えた。気が付くと、髪は紫月と同じように長くなり、体も少し小さくなり、肌も滑らかに若くなり、開いた目は、維心と同じ、深い青色だった。
「どう?これで私たちの区別がつかないでしょう?」
紫月は口を手で押さえてそれを見た。間違いなく自分の姿だ。
「でもお母様…気が決定的に違いますもの。きっと分かると思いますの。」
維月はその姿のまままた眉を寄せて考え込んだ。
「ああ!」維月は手を打った。「いい考えがあるわ!来なさい、紫月。人に会いに行きましょう。」
維月は紫月の手を取って飛び上がった。
紫月はなんのことやらわからないまま、それについて飛んでいた。
少し集落から離れた所に、一軒の家が建っていた。
何かが調理されているのか、いい匂いがして湯気が窓から漏れている。
「ここだと思うんだけど。」
維月はそこの戸を叩いた。
しばらくして、戸が開いた。
「はい。」と二人を見て仰天した顔をした。「どちら様でしょう?」
維月は姿を戻してにっこりと笑った。
「私よ、領黄。いきなり来てごめんなさい。」
相手はなおのこと仰天して膝をついた。
「なぜに龍の王妃がこのような所へ」と辺りを伺った。「龍王が見ればどのように…。」
領黄の心配はもっともだった。維月は慌てて言った。
「大丈夫よ。ここは月の宮だし、王は遠く龍の宮だし、私は一人ではないわ。」と紫月を振り返った。「娘の紫月よ。」
領黄は頭を下げた。
「…確かにその目の色は、龍王にそっくりでございます。」
維月は頷いて、言った。
「いきなり訪ねて来てごめんなさい。教えて欲しいことがあって来たの…いいかしら?」
領黄は何事かという顔をしていたが、道を開けて家の中を指した。
「どうぞ、散らかしておりますが…。」
「ありがとう。」
維月が入って行くので、紫月もついて入った。
そこは、小綺麗に片付けられた部屋だった。維月は、領黄がいれてくれたお茶を口にしながら、紫月に言った。
「領黄は鳥の宮の皇子の息子で、半神で人の世で長く暮らしていたの。でも、いろいろあって維心様が半神を切り離して、人にされたのよ。今は月の宮で、こうして暮らしているけど、仙人に仙術を習ったから、仙術の事はとても良く知っているのよ。」
紫月はびっくりした。神だったのに、仙術を習ったなんて。しかも、自分が今習っている人の世に居たなんて。
維月は領黄を見た。
「教えて欲しいのは、仙術の中で、気を隠す膜の事なの…あれはどうやれば良いの?」
領黄は頷いた。
「やり方はご説明出来ますが、私はもう人なのでやって見せる事は出来ません。では、私の言うように念じてみてください。」
領黄は説明し始めた。
紫月は維月の意図を悟って、自分も真剣に聞いた。
宮に戻った時には、もう夕方になっていた。結局1日近く掛かってしまった…ついお喋りも花が咲いてしまい、長居してしまったのだ。
部屋へ戻ると、十六夜が怒ったように言った。
「こら維月、オレに何も言わないでどこへ…」
十六夜は詰まった。そこに立っていたのは、維月と紫月ではなく、紫月が二人だったのだ。しかも二人とも、薄い黄色い膜に覆われていて、気が読み取れない。きっとどちらかが維月だが、黙って立っている二人は、どちらがどちらなのか、十六夜には判断つかなかった。
「…おい、どういうことだ?」
右の紫月が微笑んだ。
「十六夜に、どちらが維月なのか、当てて欲しいの。」
左の紫月も微笑んだ。
「見た目じゃないと言っていたから。わかる?十六夜。」
十六夜は困った。確かにそうだが、もっと喋らないとわからない。十六夜は慎重に両方を見た。
「…維月。オレを試してるのか?」
二人は顔を見合わせて笑った。
「そうよ。」
答えたその声は、ユニゾンだった。十六夜は頭を抱えた。
「黙って立ってたら人形みたいなもんだ。判断つくはずねぇじゃねぇか。」
二人はお互いに額をつけあって、ごにょごにょ何か話した。片方がこちらを向いた。
「ちょっと待っててね。」
二人は戸を出ると、しばらくしてまた入って来た。今度は二人とも、維月だった。
「これでどうかしら?」と右の維月。
「こっちの方が見慣れてるでしょ?」と左の維月。
十六夜は諦めたように寝台に腰掛けた。
「無理だ。」と天上に目を向け、「まったく、維心がもうここへ来たってのによ。まあ、これなら一人ずつ分けたらいいから便利かもしれねぇが。」
「え、もう?!」
左の維月が叫んだ。口を押さえる。十六夜はフフンと笑った。
「…そっちが維月だな。」と腕をぐいと引っ張った。そして、驚いたように身を引いた。「…違う、これは紫月だ。」
その維月は驚いたような顔をした。十六夜は右の維月を引っ張った。
「…こっちだ。維月、お前な、オレを騙せると思ったのか。」
と、迷いもなくその維月に口づけた。膜が弾ける。紛れもなく維月の気が溢れた。
「…なぜわかったの?」
十六夜は眉を寄せた。
「最初はわからなかったが、触れたらわかる。どれだけお前に触れたと思ってる?」
維月はふて腐れたように膨れた。
「いい考えだと思ったのに。」
十六夜は笑った。
「そうだ、お前もう一度膜を作れ。維心のヤツも試してやろう。あいつは昼に来てから維月維月と探し回ってたぞ。まあ、お前は膜の中だから、気が読めなかったんだがな。」
維月がもう一度膜を作ると、十六夜は上機嫌で二人を連れて維心の対へ歩いた。
そこでは、維心がイライラしながら座っていた。維月の気が読めない。いったいどこへ行ったのだ。
十六夜の気配がした。
「十六夜、いったい維月は…」と振り返った維心は詰まった。十六夜の両脇には、気の読めない維月が二人立っている。「…どういうことだ?」
十六夜はニッと笑った。
「こいつらオレを試しやがった。お前はどっちの維月がいい?」
十六夜は不適に笑っている。維心はふんと鼻を鳴らした。
「当てたら今夜は維月は我の傍へ置くぞ。良いな。」
十六夜は不機嫌に頷いた。
「いいだろう。だが、触れるのは無しだ。そのまま当てたらだ。」
二人はじっと黙っている。維心は一人一人をじっと見ていたが、ふいに片方を指した。
「そちらだ。」とその維月に手を差し出した。「こちらへ来い。」
二人の維月は驚いたように顔を見合わせた。別の維月が言った。
「お父様、どうしてわかったの?」
二人の膜は弾け、紫月の姿は元に戻った。維心が、選んだ維月を引き寄せて言った。
「父がなぜに妻と娘がわからぬと思うたのか?すぐにわかったわ。だから、十六夜にあのように言うたのよ。時間を取ったのは、良く見て確認しただけよ。」
十六夜が面白くなさそうに横を向いた。
「なんでぇ、どんな手を使いやがった。」
維心はフフンと笑った。
「さては主、見ただけでは当てられなかったな?」と維月を見た。「目よ。我を見る目が違うのだ。こちらはまごうことなく、維月の視線だ。だてに維月ばかり見ておるのではないわ。」
十六夜は手を振った。
「あーあ、お前にゃ敵わねぇよ。ほんとに細かいとこまで良く見てるんだからな。」
維心は心外だと言う顔をした。
「あのな十六夜。我は戦場をいくつも経験しておるのよ。敵が姿を変えて来るなどしょっちゅうのこと。一瞬で相手を見極められねば、命がもたぬからな。なのでこんなことは慣れておるのだ。それが維月であるなら尚のこと。」と維月を愛おしそうに見た。「わからぬ訳はあるまいて。」
十六夜は意外にも納得したように頷いた。
「そうか、お前は修羅場をくぐってるもんな。オレは経験不足という訳か」と維月を見た。「残念だが今回はオレの負けだ。今夜は譲ってやるよ、維心。だが、ここは月の宮だ。明日からはこうは行かねぇぞ。」
維心は真顔で頷いた。
「元より分かっておる。ここへ来るのは反則であろう。我だって少しばかり遠慮はしておるのだぞ。」
紫月が言った。
「…お父様ったら、私がここへ来ていても少しも見に来ないのに、お母様だと一日で来られるのですわね。」
維心は、きまり悪そうに言った。
「いや…そんなつもりはなかったのだが」と維月を見た。「維月にも言われたのだがな、我はどうしても、気になってしもうて。」
維月は苦笑した。
「ほら、だから言いましたのに、維心様ったら。」
十六夜は笑って紫月を見た。
「許してやれよ。オレだって諦めてるんだ。こいつは何度言っても維月を追い掛けて来るからよ。」
維心は拗ねたように横を向いた。
「なんだ、皆で。良いわ、なんと言われても我は維月から離れておるのはつらいのだから、仕方ない。」
紫月は笑った。なんだか吹っ切れたようだ。
「では、私も部屋へ帰りますわ。それでは、お父様、お母様。」と十六夜を見た。「それではね、十六夜。」
あまりにあっさりと出て行ったので、十六夜は拍子抜けした。
「なんだよ、つい昨日までは大変だったのに。」
維月はフフッと笑った。
「女心と秋の空って言うでしょ?コロッと変わるのよ、きっかけさえあればね。」
維心が顔色を変えた。
「…なんだって?主、まさか…」
維月は眉を寄せた。
「何を考えていらっしゃるの?私はそんなにコロコロあっちこっち変わりません。」
十六夜が堪えきれずに笑った。
「おいおい維心、お前心配し過ぎだろうが。」と自分も戸口へ足を向けた。「じゃあな、オレも月に戻る。明日は朝早くにここへ来るから、いつまでも寝てるんじゃねぇぞ、維心。」
維心は頷いた。
「わかっておる。」
十六夜は、窓から空へと帰って行った。




