留学
十六夜は、蒼の居間へ入って来た。
「おい、ちょっと匿ってくれ。」
蒼は気配がなかったのでびっくりした。
「何だよ十六夜?びっくりするじゃないか。なんで気配まで消してるんだ?」
「いいから!」
十六夜は、居間のソファの天蓋の布をめくると、その向こうへ入った。蒼がさらに問い詰めようとすると、誰かが入って来る気配がした。
「ああ、蒼。十六夜を見なかった?」
紫月がそこに立っていた。蒼は慌てて、首を振った。
「十六夜?いや、ここには来てないな。月に戻ってるんじゃないのか?」
紫月は首を振った。
「気配がないの。月には居ないわ。出掛けたのかしら。」
紫月は居間を出て行った。蒼はその気配が遠くなるのを伺ってから、十六夜に小声で言った。
「おい、十六夜。もう行ったぞ。」
十六夜は布の下から這い出して来た。
「…すまねぇな。もう四六時中まとわりつかれて、さすがにオレでもやってられねぇのよ。」
蒼は呆れて言った。
「だったら月に戻ってればいいじゃないか。実体化してるから追い回されるんだよ。」
十六夜は首を振った。
「いいや。月にオレの気配があれば、あいつは一晩中でも呼びやがる。もうノイローゼになっちまわぁな。」と空を見た。「オレ、龍の宮へ行って来ようか。」
蒼はため息をついた。
「あんまり酷いなら、行って来たらどうだ?」
十六夜は居間の戸を開けると、気を伺った。
「じゃあ、オレは戻る。維月でも迎えに行くかな、明日辺り。」
そう言い残して、十六夜は出て行った。蒼はその後ろ姿を、肩を落として見送った。
最初は、蒼の話を聞いて考えた紫月が、どこかの宮へ留学したがっている、と維心から相談があった。しかし、あまり知らない宮は心配だという維心に、じゃあ、ここに来ればと軽く話したのが始まりだった。維心も月の宮ならと承知し、紫月はここにやって来た。
本人の希望で人の世の事を学び、真面目に勉強しているが、到着した日から、十六夜にベッタリと付きまとって離れなくなった。
十六夜も最初は相手をしていたが、生来の気まぐれさで、段々面倒になって来た。何しろ、四六時中十六夜を探しているのだ。あれはいくらなんでも面倒だろう。
維心様から将維で、次は十六夜か。
蒼はため息を漏らして、考え込んだ。
十六夜は、龍の宮へ念を飛ばして、明日維月を迎えに行くと維心に伝えた。維心は少し渋ったが、それはいつもの事だった。どうせ二、三日ほどで追い掛けて来るんだろうし、構わねぇじゃないか。十六夜は、自分と維月の部屋で空を眺めていた。
月に戻ろうかと思って立ち上がった時、紫月が入って来た。十六夜は見つかった、と思ったが、やっぱりきっちり話をしようと思い直して紫月と向き合った。
「紫月。」
紫月は十六夜に微笑んだ。
「十六夜…部屋に帰っていたの?」
十六夜は頷いた。紫月は嬉しそうに十六夜の胸に抱きつく。十六夜はその肩を優しく持って、自分からその身を離した。
「紫月、もう大きくなったんだ。簡単にオレに抱きついてちゃいけねぇ。」
紫月は眉を寄せて、訴えるように言った。
「そうよ、大きくなったわ。十六夜は、私と親戚でも何でもないでしょ?なぜダメなの?」
十六夜はため息をついた。
「紫月、オレは維月を愛してる。お前は娘だと思ってるんだ。小さい頃から言ってただろうが。」
紫月は下を向いた。
「…私が、お父様の娘だから?お母様を独り占めしてる、あのお父様の。」
十六夜は険しい表情で首を振った。
「違う。維心はオレの友人だ。あのな紫月、オレらにはオレらの考えがあってこうしてるんだよ。お前の生まれる前からな。お前が口出しすることじゃねぇ。」
紫月は尚も食い下がった。
「なぜお母様なの?皆が皆、そうなのよ。お父様もお兄様も、十六夜も義心だって…」と言葉を詰まらせた。「お母様と私の何が違うの?目の色が青いから?教えてくれなきゃわからないわ!」
十六夜はため息をついて紫月から手を離した。
「見た目なんか関係ねぇよ。確かにお前は維月そっくりだが、維月とは別の命だ。」
紫月は十六夜を見た。
「私は十六夜が好きなの。」
十六夜はかぶりを振った。
「いや、違う。お前のは父親や兄貴に向ける愛情だ。心はまだ子供なんだよ、紫月。」
紫月は泣きながら十六夜に抱き付いた。十六夜は困った…泣かれるとどうすればいいのかわからない。維月が滅多に泣かない女だったからだ。
「紫月…、」紫月は十六夜に唇を寄せて来た。十六夜は、眉をグッと寄せると、スッと紫月を押した。「…それはダメだ。紫月、お前と維月、何が違うか聞いたな。維月は自分から媚びないんだ。誰にも自分から寄って行ったヤツなんて居ねぇ。いつも毅然としてやがる…あれは昔っからそうよ。だからかな、維心もオレも、あいつを追いかけ回さなきゃいられねぇ。放って置いたら、誰かが持って行きそうで心配でならねぇ。」
十六夜は、紫月に背を向けた。
「誤解すんなよ、嫌いな訳じゃねぇ。ただ娘のように思ってるんだ。」と月を見上げた。「明日は維月をここへ連れて帰って来る。それまでに気持ちを切り替えろ、紫月。」
十六夜は光になって、月へ帰って行った。
紫月はそれを、キッと口を結んで見送った。
翌日、十六夜は朝早くに龍の宮へ来た。維月が居間へ出て来て十六夜を出迎えた。
「十六夜!久しぶりね。」
十六夜は微笑んで維月を抱き寄せた。
「維月、なんだかしばらく見ない間にきれいになったんじゃねぇか?…まさか、維心の他に男が出来たんじゃないだろうな。」
維月はムッとしたように言った。
「そんなはずないじゃないの。私はそこまで器用じゃないわ。」
十六夜は笑った。
「わかってるって。お前はそこまで軽かねぇ。」と口づけようとして、維心を見た。「おっと、また機嫌が悪くなっちまうな。後でにするか。」
維心は既に機嫌が悪かった。が、言った。
「…維月とも話していたんだが、紫月が主に迷惑を掛けているのではないか。」
十六夜は目を逸らした。
「…お前の気持ちがよくわかったって言えばわかるか?」
維心は同情したように頷いた。
「すまないな。まさかそうなるとは…」
十六夜は視線を下に向けた。
「…困るのは、オレがあいつと血がつながってないってことなんでぇ。お前達にはここまでではなかったと思うぞ。オレは相手にしないが、あれでは良くない。性格が曲がっちまうんじゃねぇか?維月との関係も悪くなるように思うし。」
維心は眉を寄せた。
「それはまた…困ったことだな。」と維月を見た。「我がまたそっちへ行って…、」
十六夜はフフンと笑った。
「そいつはそうはいかねぇぞ。まあ、一週間ぐらいしたら来いよ。それならいいさ。」と維月を抱き上げた。「さ、行こうぜ、維月。」
維月は落とされないように、十六夜の首に腕を回した。
「では、行って参りますわね。」
維心は渋々うなずいた。
「我もしばらくしたら参るゆえな。」
十六夜は呆れたように言った。
「維心、我慢出来たら我慢しろよな。」と飛び上がった。「じゃあ、またな。」
十六夜は見る見る小さくなって行った。
維心はもう、寂しくて仕方がなかった。そして、そんな自分にため息をついた。
月の宮へ戻ると、蒼の長女である瑞姫が走って出て来た。
「まあ、おばあ様!お久しぶりですこと。」
瑞姫は蒼の娘なので、瑤姫にも似ているが維月にもとても似ていて、とても美しかった。見た目は紫月とあまり変わらない外見であるが、ほんの数年瑞姫の方が年上だった。
「まあ瑞姫!元気そうで何よりだわ。」
瑞姫は嬉しそうに維月の手を取った。
「おばあ様、お話したいことがたくさんございますの。私のお部屋へ参りませんか?」
蒼が慌てて言った。
「ちょっと待つんだ瑞姫。今帰ったばかりなのだから、少し休ませなければなるまい。十六夜も積もる話があるのだ。今日はお前は遠慮するといいだろう。」
蒼に言われて、瑞姫は腕を退いた。
「…はい、お父様。」
維月はかわいそうになって、瑞姫の頬に触れると言った。
「あとで時間を空けて行くので、待っていてね。」
瑞姫はうれしそうに微笑んだ。
「はい、おばあ様。」
十六夜はホッとしたように維月の手を取った。
「…ああびっくりした。お前のことだから、瑞姫についてっちまうんじゃねぇかとハラハラしたぞ。」
維月は笑った。
「私もそこまで薄情ではないわよ、十六夜ったら。」
蒼もホッとして言った。
「まあゆっくりしてってくれ、母さん。どうせ維心様もそのうち来るんだろ?」
維月は困ったように笑った。
「さあ…今回は我慢できるだけ我慢する約束で来たけれどね。」
「来る気満々だったじゃねぇか」十六夜がうっとうしそうに言った。「もって二、三日だろ。じゃあな、オレは急いでるんだ。」
蒼は苦笑した。
「はいはい、十六夜も連れて帰って来たんだから、そんなに慌てるなよ。」
十六夜はフンと横を向いて、維月を連れて自分達の対の方へ歩き出した。
「…紫月は居ないのね。」
十六夜はぴくっと反応した。
「…昨日なあ、ちょっときつく突き放しちまったんでな。」
維月は顔をしかめた。
「あなたが子どもにキツく言うなんてよっぽどね。」
十六夜は険しい顔をした。
「もう子供じゃねぇ。神の世界ではまだ子供だろうが、体は20くらいまで育ってるだろうが。」
維月は苦笑した。
「正確には、十代後半ぐらいよね。」
「同じだよ」十六夜は言った。「オレとお前はお前が高校生の時に結婚の約束をしたろうが。それぐらいの見た目になってるんだよ。」
維月は十六夜を見た。
「それはそうだけど…十六夜、紫月に興味があるの?」
十六夜は首を振った。
「興味があったら困らねぇだろうが。嫁にもらえば済むことだ。無いから困ってるんだろうが。」
十六夜は憮然としている。維月は困って聞いた。
「別に、慕ってるだけではないの?」
「それならいいんだが」十六夜は本当に困っているようだ。「あのな維月、ほんとは言わずにおこうと思ったんだが、お前には隠せねぇ。あいつはオレが好きだと言って、口づけようとして来たんだ。」
維月は部屋の入口で立ち止まった。
「ええ?!それって…ヤバいじゃないの!」
「そうなんだよ。」十六夜は戸を開けながら言った。「オレはあいつにそんな感情を持ったことはねぇ。正確にはお前以外にそんな感情を感じたことがねぇ。お前もたいがい美人だが、これまでにだってそりゃあびっくりするぐらい綺麗な月の力の継承者も居たんだ。それでもオレはそんな感情知らなかった。なのに、ただ一人お前を好きになった。そんな特殊な気持ちが、そんな簡単にその娘に移ると思うか?有りえねぇ。だから困ってるんだよ。あいつはほんとに娘みたいに思ってるんだ。お前の娘だからな。」
二人で部屋に入りながら、維月は考え込んだ。恐れていたことだ。十六夜は血がつながっていないから、もしかして…と思っていたけど…。
維月が黙り込んでいると、十六夜がフッと笑った。
「いや、このことは後でいい。せっかく帰って来たんじゃないか…蒼も気を利かせてくれたんだ。」と維月の顎を持ち上げた。「オレだって、お前が帰って来るのを待ってたんだ。お前を愛してる、維月。」
維月は肩でため息をついたが、頷いた。
「そうね。後で一緒に考えましょう。」と微笑んだ。「愛してるわ、十六夜。」
十六夜は維月に口付けた。そのまま寝台へ押して倒れ込もうとした時、何かの気配がして、十六夜は振り返った。
そこには、紫月が立っていた。
「紫月…、」
維月が言ってそちらへ行こうとするのを、十六夜は止めた。
「何をしてるんだ。ここはオレ達の部屋だ。お前は自分の部屋へ帰ってな。」
紫月は首を振った。
「でも…私はもう一度話したくて。」
維月が何かを言い掛けたが、十六夜が畳みかけるように言った。
「話すことなんてねぇよ。維月に話があるなら後にしな。今はオレが維月に用があるんでぇ。」
十六夜は維月をぐいっと引っ張ると、寝台へ放り込んだ。維月がびっくりしていると、自分も寝台に乗って維月に口づけ、紫月を振り返った。
「…なんだよ。見ててもいいが、お前にはそんな趣味があるのか?」
維月がたまらず叫んだ。
「十六夜!そんなこと…」と、紫月が駆け出して行く。「紫月!」
維月が紫月を追おうとするのを、十六夜が止めた。
「どうして止めるのよ!あの子…、」
「中途半端じゃダメなんだ!」と十六夜がぴしゃりと言った。「オレにはそんな気はねぇとわからせねぇと。あいつの為にならねぇ!それとも、お前はオレに、あいつを娶れとか言うんじゃねぇだろうな。言っとくがオレだって、誰でもいいわけじゃねぇ!」
維月は言葉に詰まった。そんなことは思っていない。でも、あんなにきつく言ったのでは紫月がどれほど傷つくか。でも…確かに十六夜の言う通り、中途半端では駄目なのかもしれない…。こんな所に忍んで待っているぐらいだから…。
十六夜は維月を押さえつけた。
「愛してる。」十六夜は言った。「お前以外の為に、なんでここへ実体化してまで女を抱かなきゃならねぇんだ。オレは元々、そんな生まれじゃねぇ!お前が嫌なら、月へ帰っててやる!」
十六夜の目が金色に光っている。怒っているのか、悲しいのか…。維月は首を振った。
「私だって愛してるわ。紫月を娶ってほしいなんて思ってもないわ。それに十六夜が嫌なんて思ってもない。ただ…娘が心配だっただけなのよ。」
十六夜は維月を抱きしめた。
「…わかってる。すまない、オレは…維月さえ居れば、いいのによ。ほんとは優しくもなんともねぇんだ…お前以外は、面倒だしうっとうしいだけで。自分勝手なんだよ。わかってるから、優しいふりはするけどよ。だから、心無いことをしたかもしれねぇ。お前の娘に。許してくれ。」
維月は十六夜を優しく撫でた。
「十六夜…いいのよ。あなたはあなたのままで。思う通りにしていれば…私がフォローするわ。安心して。」
十六夜は維月に口付けた。
「維月…でもそれは、あとにしてくれ。」
十六夜は維月の胸元に顔をうずめた。




