囮
その日の夜遅く、義心は戻って来た。
寝間着姿の維心は、それを居間で迎え、報告を受けた。
「…そうか。では、共通項はそれということであるな。」
義心は頷いた。
「はい。それしか考えられませぬ。」
維心は頷いて、侍女に言った。
「蒼を呼んで来い。」
侍女は頷いて、出て行った。気配に振り返ると、維月が奥の間の入り口の所で、同じように寝間着姿でこちらを覗いていた。維心は慌てて駆け寄ると、義心から隠すように奥へ押した。
「何をしておる。義心がおるのに、そのような格好で出て来てはならぬ。」
維月は不満げに言った。
「ですが維心様、私もお話が聞きとうございます。」
維心はため息をつくと、合図をした。侍女が入って来る。
「お呼びでございますか。」
維心は頷いた。
「着替えさせよ。」
維月はえー!と思ったが、維心はそんなことで話を聞いてくれる神ではない。仕方なく、侍女に手伝ってもらって、袿に着替えた。
しばらく後、着替えた維月を連れて維心が居間へ戻ると、蒼と十六夜が待っていた。
「なんだよ維心、呼んどいて待たせるとはどういうことだ。」
十六夜は眉を寄せて言う。明らかに寝ていたらしく、髪が少し寝癖になっている。一方蒼は、まだ昨日の着物のままだった。
「何か、新しいことがわかったのですか?」
維心は維月を座らせながら、言った。
「あの、共通項だ。義心に調べさせて、わかったことがある。」
十六夜も身を乗り出した。
「なんだったんだ。」
「花だ」維心は言った。「大輪の薄青色の見たこともないような花であるらしい。失踪した者の侍女達が一様に申すのは、皆この花の美しさに吸い寄せられるかのようだったと。瑤姫の侍女もそのように言っておったの。」
蒼は興奮したように頷いた。
「確かに、瑤姫も花が好きで、そういった花を見たら傍へ行かずにいられなかったと思います。では、その花を通して何かの力が働いていたと…?」
維心は蒼を見た。
「おそらくな。」
蒼は考え込んだ。地は囮を立てるように言った。囮って女でなければならないし、龍の宮にには美しい女は多いが、皆そんなに強い神ではない。でも、その囮に十六夜の言う目印を付けて、皆が捕まっているだろうところへ行ってもらわなければ…。
維心は、十六夜を見た。
「十六夜、主は姿を女に出来ぬのか?」
十六夜は頷いて、手を振った。途端に長い髪で鋭い目の、美しい女の姿になった。
「ご覧の通り、女にはなれるが、姿だけだ。品が良いかって言うとそこまでは無理なんだよ。品格ならお前だろうが。お前もやってみたらどうだ。」
とても綺麗な女性から十六夜の声が出て蒼は複雑だった。維心は手を振って姿を変えた。
そこには黒髪の、やっぱり目の力の強い女性が立っていた。確かに美しい顔立ちだ。
「…こんな感じだ。我は気の強い印象しか与えぬと思う。我が男の目で己を見ても、これはちょっとなと思うしの。」
二人は女の姿のまま、頷き合っている。
「やっぱり我らは、さらわれることはないの。仕方ない、宮の女でも見繕って…。」
維心がそう言ったのを聞いた維月が、立ち上がった。
「私が行くわ!着飾ればきっとごまかしきくと思うの。」
維心が叫んだ。
「許さぬ!」だがまだ姿は女のままだ。「主がわざわざ行かんでも、いくらでも女は居る!」
「なんてこと言うの、維心様。他の龍を守らなければならない立場のかたが、そのようなことをおっしゃってはいけませぬ。私は月だし。大丈夫、命までは…。」
十六夜が叫んだ。こっちも女のままだ。
「命より何より、別のことをされるんでないかと心配してるんじゃねぇか!お前は駄目だ、ここに居ろ!」
維月はそっちも見た。
「あのね十六夜、命さえあれば、人間なんとかなるのよ。私の月の力は神とは違うし。何とかなると思うわ。早くしなきゃ、瑤姫がどんな目に合わされるか。」
蒼は立ち上がった。
「お願いです、母さんに行ってもらうのは心配だけど、それしかもう…。他の女じゃ、命の保証も…。」
維心と十六夜は顔を見合わせた。そして、お互い男の姿に戻った。
「…覚悟がいる。しばし待て、蒼。」と、ハッとしたように顔を上げた。そして考えるように黙った。「我が結界に、掛かったヤツがおる。今通したが、あれは廉耀よ。こんな時間に来るとは、何かあったようだな。」
蒼は思い出していた。それは…何十年前かに皆で温泉旅行へ行った時、小さな滝で維心様に挨拶していたあの若い神か?
「…では、オレはこれで失礼した方がいいですね。」
維心は手を振って止めた。
「いや、居っても良い。何やら慌てているようだ。本当に何かあったようだな。」
維心の目は虚空を見ている。結界内なら、集中すれば見えるのだと言うが、きっとその目は気を感じ取って、それで脳裏に姿を描いているのだろう。
維心は義心を見た。
「迎えに参れ。南よ。」
義心は頭を下げた。
「はは!」
そしてサッとそこを出て行った。
そして、連れて来たのは、ふらふらになって酒の臭いのする廉耀だった。足元はおぼつかず、義心と廉耀の臣下の一人に支えられ、居間ほ入って来る。
廉耀は、床に這いつくばるようにして頭を下げ、詫びた。
「こっ…このような姿で、お目通り、誠に申し訳なく…。しかし、こうするより、ございませなんだ。」
維心は眉を寄せて首を振った。
「構わぬ。申せ。」
廉耀はふらふらのまま頷いた。
「龍の王、我は…ただ今近隣の神、数人に伴われ、神の場所という場所へ行って参りました。金塊を持てとのこと、あのようなもの、何に使うのかも分からず、ただついて参ったのでございます。」
維心は苛立たしげに頷いた。
「それで、主が泥酔しておるのと、何の関係があるのだ。」
廉耀は、必死で頭をはっきりさせようとしていた。
「そこは…見目の良い女が、多数おりました。気に入れば、連れて別の部屋へ参っても良いのだと、囁かれました。そして、それには金塊が要るのだと。そして…その中には、瑶姫殿も居た。」
維心は眉をひそめた。確かに、廉耀は昔、瑤姫の嫁ぎ先候補になったことがある。あの折り目にしたから、顔を知っておるのだな、と思っていると、横で蒼がふらふらとした。眩暈がしたのだ。それは…身売りってことか?!
「まさか…」と蒼は廉耀に詰め寄った。「誰か買ったのでないだろうな?!」
廉耀はその形相に驚き、身を退きながら答えた。
「いえ…他の女は違いますか、瑶姫様や他、格の高そうな女は、皆、とても手持ちの金塊では足りませなんだ。それに、酌をしても、二人きりになるのは、本人次第なので、我らに口説き落とすよう申しておった。」
蒼は少しホッとしたが、それでも危険なのは変わりない。イライラして蒼は呟いた。
「まるで江戸時代の吉原じゃないか。」
廉耀はその言葉に反応した。
「…確かに、そこの責任者らしき者はそう申しておった。吉原…。」
蒼はゾッとした。そのうちにもし、その山のような金塊を持って行く神も現れるのではないか。神にはそんなもの、何の価値もないからだ。
維心はため息を付いた。
「吉原とはなんだ。」
十六夜が呆れたようにそちらを見た。
「ちょっと昔、人の男が女の体目当てに酒飲みに通った遊廓ってヤツだ。金で女が買えたんだよ。その女ってのも、どっかから売られて来て借金背負ってて、しかも回りは高い塀で囲まれてて逃げられねぇ。好きで身売りしてるやつなんていなかったんじゃねぇか。何度も言ってるが、人の世のことも学べよ、維心。」
維心は目の色を変えた。
「では、無理矢理に手籠めにされておったのか!そのような暴挙を、我が世でも行っておるとは!」
廉耀はその剣幕に驚いて後ずさった。
「我は…こんなものを王が知られているはずはないと、わざと酒を煽り、酔い潰れたふりをして、臣下にこちらへ運ばせたのでございまする。でなければ、とても帰れる雰囲気ではなかった。王よ、あれは周到に隠されておりまする!」
維心は怒りで尚もわなわなと震えていたが、言った。
「明日の夜、我もそこへ連れて参れ。」
誰もが目を見張った。
「…おい、維月の前だぞ。」
十六夜は小声で言った。
「何を言っておる。我は女など買わぬ。瑤姫を助け出さねばなんだろうて。」
廉耀は慌てて手を振った。
「しかし、奴らもですが他の王達も、龍の王だけには知られてはならぬと、我らに言うておりました。ですので、お連れすることは無理でございまする。どの辺りか、だいたいなら申し上げることは可能でございまするが…。」
十六夜も言った。
「瑤姫を人質にとられてるようなものだぞ、維心。正面から乗り込んだら、瑤姫の命も危ない。」
維心は苛立っているようだった。
「では、どうすればよいと言うのだ。今こうしている間も、その吉原とやらで何が行われいるのかと思うと、はらわたが煮えくり返るわ。」
維月は維心をなだめた。
「維心様、私が参ります。場所は、それでわかりましょう。瑤姫を逃がすことは出来ないかもしれませんが、私は守ることは出来ます。月の力に守られてますから。」
「…主をそのような所へやることなど出来ぬ。ひと時でも出来ぬ。わかっておろう…絶対に無理だ。」
維心はすがるような目で言った。しかし維月は首を振った。
「維心様こそ、わかっておられるでしょう。私しかおりませぬ。」
十六夜が進み出た。
「オレが守る。お前に印を付けておけば、どんな結界に入ろうと場所はわかるからな。気が届かなくてもそうだ。維心とオレが居れば、間違いなくどんな結界でも突き破れるさ。待って居ろ。」
維月は頷いた。そして、寝室へ向かった。
「では、今日はもう休みまする。明日は早くに、めかし込んで花でも見に、あの花畑へ参りまするゆえ。」
維心はまだ思い詰めたような顔をしていたが、廉耀を振り返ると、言った。
「我が宮の部屋を使えばよい。今日は主もここで休め。」と義心を見た。「義心、空き部屋に案内を。」
そして、自分も奥の部屋へ帰って行った。