探していた道
炎嘉は、庭をぶらぶらと歩いていた。
龍の宮は勝手知ったる場所だ。若い頃から父に連れられて訪問した宮で、王位に就いてからは維心を訪ねてよく通った。維心は毎回不機嫌に出迎えてくれた。それから無理矢理に自分の宮へ連れて帰って、宴席で共に飲んで、こっちから一方的に話していたものだ。それでも維心は、不機嫌な顔を崩すことはなく、いつ見ても面白く無さそうだった。だが、自分が行けば迎えてくれるし、無理矢理にでも自分の宮まで付いて来ていたので、友としてこれでいいと思っていたのだった。
炎嘉は、維心があまりにも楽しみを知らずにいたので、なんとかしてやりたいと常に思っていたのだ。
それは、死してからも変わることはなかった。
ただ一人、やっと迎えた妃が己を封じて出て来なかった時も、あの世へ行く前に、迎えに来た父に無理を言って封印を解きに行った。
そして、あの世からも、ずっと維心のことを気に掛けていた。
思った通り、維心は自分を門の前まで、死しても呼んでは話したがった。やはり一人きりで置いて来てしまったことに、炎嘉は罪悪感を持っていた。
転生の話が出た時も、そのまま転生してもよかった。しかし、すると維心の話相手がなくなってしまう。自分は炎嘉であったことを忘れ、別の命として生きて行くことになるからだ。やつはまだ、死ねぬのに。そう思うと、難しいと言われても、記憶を残したまま他人の器で生きて行くことを選ぶより他なかったのだ。
炎嘉は、いつもここへ来たら立ち寄っていた池へ向かって我知らず歩いていた。
そこの淵に腰掛けると、じっと水面を見つめて、今後のことを考えた。
本当は、まるで傭兵部隊の集まりのような、月の宮へ転生することを考えていたのに、寄り寄って龍の宮へ転生してしまった。そして、龍身を持ってしまった。これでは、維心に重荷がひとつ増えただけではないか。炎嘉は悩んだ。それに…思ったより維月は自分に強烈な印象を与える。維心が言うように龍として転生したせいかもしれないが、自分は元々人の性質が好みであったのだ。
鯉が池の中から顔を出してパクパクと口を開けている。炎嘉はそれを見て、つぶやいた。
「…主らにやるような物は持ち合わせておらぬぞ。」
後ろから、くすくすという笑い声が聞こえた。炎嘉は急いで振り返った。
維月が、小さな袋を持って立っていた。
「…それは、私が来たから出て参ったのです。餌の時間でございますの。」
維月は袋から何かを取り出すと、池に向かって投げ入れた。鯉達は我先にと争ってそれを口にしている。維月はそれを、楽しそうに見ていた。
「主…このようなことまでしておるのか?王妃であるのに。」
炎嘉が不思議そうに言うと、維月は頷いた。
「はい。毎日ではございませんけれど、たまに侍女から餌をもらってこうしてここで。これは私の道楽でございますわ。」
炎嘉は水面を見つめた。
「人の女とは、変わっておるよの…。」と維月を見た。「少し話さぬか。」
維月はびっくりしたように炎嘉を見た。維心が何を言うかわからないと思っているようだ。炎嘉はため息をついた。
「確かに維心は怒るであろうの。が、我はもうすぐここを出る。主と話す機会も、もうそうないであろうて。」
維月は少し考えていたが、頷いて炎嘉の横へ腰かけた。
「維心様は只今会合に出ていらっしゃいます。少しなら、きっとお怒りになりませんわ。」
炎嘉は頷いた。王とは、まことに不便なものであるな、維心よ。炎嘉は心の中で思った。今頃、会合の間で気を探ってでもおったら、維月の横に男の気がするだけでイライラしておることだろう。しかし、いくら維心でもそうそう頻繁に維月の気を探っておる訳でもなかろうて。
「…主達は、子を生んだ辺りから見ると実に仲睦まじくなったものよな。あの折りは、主が維心を想うておるのはわかったが、まだまだ維心の方が一方的な感じがしたものよ。ゆえにわざわざ我は主に頼んだのであるしな。」
維月は少し頬を赤らめた。
「確かに…今はとても維心様を愛しております。あの頃よりもずっと。炎嘉様は、本当によくお分かりになりまする。」
炎嘉はそれを見て苦笑した。
「我は維心が羨ましい。実はずっと羨ましいと思っておった。」首を傾げる維月を見て、炎嘉は続けた。「我には前世で21人の妃がおった。しかしな、別に女好きであったためではないぞ。我は…探しておったのよ。たった一人の、大切に出来る妃をな。」
維月は驚いた。
「でも…皆妃でありましたよね?」
炎嘉は頷いた。
「王とは不便であってな。一度でも関係を持ったり、そう、一晩中ただ二人で話しておっただけでも、手が付いたとされて妃だと言われる。我は、真に自分が求める女を探しておった。それに早く出逢いたかった。ゆえに女のたくさん居るところに出掛けて行っては、気の合いそうな女と話して、そしてそれが運命ではないかと確かめようとさらに話していたりすると、妃だとか言われ、いつも間にか宮へ召されておる。向こうも我が王だと分かると、猫をかぶっておって真実の姿がわからぬ。それに妃になりたがる。そんなこんなで気が付くとあの数であった。なので妃になってから関係を持つまでに一年以上かかった者がおったほどよ。我もそうそう、毎日好きでもない女の相手を出来るほど女好きではないゆえな。しかし、あれらにも人生があろうと思い、順番を決めさせて毎日それぞれに通っておった。名を間違えたほど、あれらに執着はなかったの…ゆえに子も、あの数の妃にしては少なかったのよ。」
維月は初めて聞く話に、耳を疑った。神の王って本当に大変なんだ…。維月が言葉を失っているので、炎嘉は続けた。
「我も維心のように、出逢わぬなら一生独り身であると決めて女を寄せ付けねば、このようなことにはならなかったのよ。我が愛していたと思えるのは、正妃に決めた一人だけ、だがな、その正妃とも、どこか違うという思いから、別の女を妃に迎え、それがまたしゃしゃり出てくるタイプの女であったので、うまく行かなくなってしまった…自業自得であるがな。」と自嘲気味に笑った。「しかし、我はいつの時もたった一人を探しておった。その一人が居れば、ほかは必要なかったのだ。ゆえに、維心を見ていて思う。羨ましいと。やつは間違っていなかったのよ。」と維月を見た。「縁があるのなら、どんなに気強くしておっても出逢う。そのただ一人にの。要はその時に、己が相手に受け入れてもらえる生き方をしておったかが問題であるのだ。あやつがあれだけ内に篭って待ち続けた甲斐あって、そのただ一人を手に入れることが出来、我があれほど望んでも探しても手に入れられなかったものを、やつは手にしている。どれほどにそれが羨ましいか。だがら我は、今生でこそ、じっと待って、その一人を手に入れるつもりでおる。それで生涯独り身であっても、悔いはなかろうぞ。」
維月は、炎嘉が維心と似ていると思った。維心はこんなに話すことはないけれど、性格的に考え方や感じ方が似ている気がする。だから、きっと炎嘉様は維心様が気になるし、維心様も炎嘉様が気になって仕方がないのだ。
「良いご選択だと思いますわ。私も、もしも維心様に他に妃がおられたら、例え正妃にすると言われても、こちらには来なかったと思います。私は人であったので、そういう考え方が出来ないからでございます。」
炎嘉は頷いたが、下を向いた。
「…しかしの、我は龍に生まれ変わって、後悔しておる。」と維月をじっと見た。「維心の言うように、主の気は龍の身には酷ぞ。まして鳥であった我ですら主に興味を持ったのだ。それがこのように龍の身まで付いて来て、維心の正妃だと思うのに、我は主がその一人ではないかと思ってしまう。だが、維心から奪おうなとど考えてはおらぬ。主は不死であるし、維心の寿命が尽きるまで待ってもよいと思ってもおる。」
維月は目をそらした。それは、義心も言っていた…私の持つ気が、心を揺らすと。
「では、それは本当の気持ちではないのですわ。」維月は言った。「運命なんて、そんなに近くにあるものではありません。私も、ここまでたどり着くのに、一度死なねばならなかった。死んだからこそ維心様に巡り合い、求められるようになりましたの。私の気持ちは生涯変わることはありません。月はまるで肉親のように心の奥底に常に居りますが、維心様は夫として愛しております。維心様の寿命が尽きる時、私も共に参ります。ですから、お待ちいただいても、炎嘉様に嫁ぐことは出来ません…。」
維月は無意識に、左手の指輪に触れていた。維心を愛している。十六夜も愛しているけど、それでも愛してしまったのが維心様なのだから。ずっと、死んでも傍に居ると、約束したのだもの…。
炎嘉は、悲しげにこちらを見た。維月はその目に、どうしても視線を逸らせなかった。
「炎嘉様…申し訳ございませぬ。」
「謝る必要はない。」と座ったまま維月を抱き寄せた。「それでも、我は待つ。そう決めて転生した世であるから。」
維月が炎嘉の胸を押して、離れようとした。嫌だったのではない。応えられないのだから、抱きしめるぐらい、いくらでもさせてあげてもよかった。だけど、維心様に見られたら、炎嘉様が大変なことになる。
「炎嘉様、大変なことになります…お離しください!」
小声で維月が言う。炎嘉は、そのまま維月を押し倒すと、深く口付けた。そして、ふと唇を離すと、言った。
「…やはり気を読んでおったな。維心が来る。」
炎嘉がそう言って立ち上がると、維月が身を起こすより前に、維心が激昂して宙に浮いていた。瞬時に飛んで来たのだ。そして、維月が慌てて身を起こして見上げると、維心は維月を小脇に抱えて、食いしばった歯の間から言った。
「…主、何をした。」目が青く光っている。「我の妃と知っておって何をしたのだ!」
炎嘉はさびしげに笑った。
「知っておるだろうて。」と維心を見上げる。「会合の途中だろうと常に気を読んで居場所を探るほど大事な妃であるのだろう。…我は去る。」
炎嘉は最後に維月と目を合わせると目を伏せ、そのままその場からすーっと消え去って行った。




