転生
「どうしてもこちらへ戻って来たくての。」相手は、公李の寸足らずの襦袢に、維心の袿を着た状態で、維心の居間に腰掛けて言った。「本当は月の宮へ転生したかったが、あそこは皆若くて死にそうにない。赤子からというと、地が申すには主らか炎翔かどちらかを選べと申すし、維心の子になるのもどうかと思うし、炎翔は頼りないし。それで、ここの重臣が寿命が尽きると聞いて、ここへ来る事にしたのよ。だがまあ、生まれるとはかなり苦しいものであるぞ。赤子が生まれていきなり泣くのも道理よの。」
そして、茶をすすっている。維心はまだ呆然と炎嘉を見ていた。
「しかし、なぜに戻って来ようと思ったのよ。主はあちらで、待っていた人の女と心安くしておったのではないのか。」
炎嘉は、不機嫌に維心を見た。
「…であるがな。あれからしばらくして、正妃が来よったのよ。正妃であった、と言うべきか。」と恨めしげに言った。「なぜにあちらへ行ってまであのようにゴタゴタせねばならぬのだ。確かに人の女も愛しておったが、その後正妃に定めた女も愛しておった。決められる訳はなかろう?」
維心は呆れたように眉を寄せて炎嘉を見た。
「つまりは主、逃げて参ったのか。」
炎嘉は、大袈裟に驚いて見せた。
「我が?冗談を申すな。世の先を憂いて戻ったのだ。」と茶を口に運びながら、「ま、生き直したいと思ったのも確かであるが。」
維心は二の句が継げず、しばし黙って炎嘉を見つめていた。維月も呆気にとられている。炎嘉は維月を見ると、微笑んだ。
「おおそうよ。維月、久しいの。なんと美しゅうなって。前は人が抜けておらんようだったが、また品が出たのう。しかし、主を見ておると、この受ける感じが前と違うような。何とはなしに、惹き付けられる心地がする。前はこれほど、主の気を心地良く感じなんだものだが。」
炎嘉は考え込むような顔をした。維心が憮然として言った。
「主が龍に転生したからよ。我らにはこの気が、なぜだか心地良く感じる。炎嘉、もう懲りたであろう。今生は真面目に生きよ。維月は我の正妃ぞ。余計な事は考えるでない。」
維心の剣幕に、炎嘉は苦笑した。
「あのなあ維心。我も死にとうはない。やっと生まれたというに。主が維月に飽きるまでは、何もせずにおろうぞ。」
維心は眉根を寄せた。
「飽きる事などないわ。やっと正妃に迎えたばかりであるのに。我の居らぬ間に話し掛けるのも禁じておる。主も従うがよい。ここは我の宮ぞ。」
炎嘉は考え込むように表情を変えた。
「そうであるな…このような転生の仕方をしたので、どうするべきか考えあぐねておる。我は今、龍であるし、主の管理下にあるのは確かであるし、主に従うのが道理だ。だが、友であった記憶を持っておるので、それが簡単に出来るのか疑問よ。」と、居間の窓の外を見た。「…ここを出るか。」
維心は気遣わしげに眉を寄せた。
「別にここに居ればよいが…そう、焦らずとも良いのではないか。とにかく、しばらくは我の客として遇そうぞ。ここへ留まるのなら、我の臣下にならねばならぬ。主なら軍であろうな。」
炎嘉は大真面目に頷いた。
「それはわかっておるが、我の気がどれぐらい転生の時に持ち越されておるのかわからぬな。それに、龍として力を使ったこともないゆえ。主が鳥になった時のことを考えてみよ。おそらく飛ぶのもままならぬぞ。」
維心はしばらく考えて、頷いた。
「確かにそうだな。一度試してみるか?我は別に良いぞ。訓練場があいておろう。」と侍女に合図した。侍女は頭を下げて出て行った。空きを確かめに行ったのであろう。「では、まず着物を着替えよ。我のもので充分であろうし、それを貸すほどに。」
侍女達が、維心の着物を持って入って来た。それを見て維月が立ち上がった。着替えの席に同席するのもなんだと思う…。
維心が、手を掴んだ。
「何をしておる。炎嘉の着替えまで主がすることはないぞ。」
眉を寄せている。維月が炎嘉を着替えさせると思ったようだ。維月は首を振った。
「私は奥の間へ戻っておりまする。着替えがお済になったらお呼びください。」
維心はホッとしたように頷くと、手を離した。維月は奥の間へ入って行った。
それを目で追っていた炎嘉は、侍女に手早く着替えさせられながら、維心に言った。
「…相変わらずよの。主は維月をどれほどまでに縛り付けておるのよ。よく息の詰まらないことよ。」
維心は維月を見送っていたが、振り返って炎嘉を睨んだ。
「別に、常識の範囲内でのことだ。主が居ったら余計に神経質になるわ。いったい、維月に本当に興味があるのかないのかどっちなのだ。」
炎嘉は、いつものように笑うことなく、真面目な顔で答えた。
「ある。」維心がますます顔をしかめるのを見て、続けた。「何も昨日今日のことではないぞ。主が妃にする前からよ。我が主を斬ろうとして維月が主を庇った時があったであろう。あの時から興味を持っておったわ。だがしかし、我はそれどころではなかったし、ひと段落した時には主の妃になっておった上、我の老いが始まったしの。機会がなかったというだけよ。」
維心は息を付いて不機嫌に炎嘉を見た。
「主はどうせ、また今生でも妃をたくさん娶るのであろうが。我にはあれしか居らぬのだ。ちょっかいを出すでないぞ。」
炎嘉は頷かなかった。
「…我とて、たった一人居れば良いわ。それを探し当てるのが、前世では難しかっただけよ。」
炎嘉は呟くように言うと、横を向いて庭先に視線を移した。珍しく険しい表情をしている。維心はそれを見て、黙った。本当は問いたかったが、着替えが終わって、刀を差し、侍女が頭を下げたからだ。
侍女が下がるのを待って、維月が隣りから出て来た。
「終わりましたか?」
維心は、自分も刀を差して維月を振り返ると、無理に微笑んで手を差し出した。
「終わった。では、共に参ろうぞ維月。」
維月は緊張感のある空気に驚いたようだったが、微笑んで維心の手を取った。炎嘉は何も言わず、歩いて行く維心の後ろへ付いて歩いた。
訓練場へ着くと、将維が義心と軽く剣を振っていた。こちらを見て父を認めると、慌ててこちらへ来て頭を下げた。
「父上。」
維心は軽く返礼した。
「変わらず精進しておるようだな。」
「はい。」と炎嘉を見た。「そちらは?」
維心は軽く振り返って言った。
「我の友の炎嘉だ。詳しいことはまた話すが、元は鳥であったのがな、龍身で転生しよったのよ。」
将維はその名に覚えがあった。
「前王の炎嘉殿でございまするか?!」
まさかというような気持ちであったが、確かに炎翔に似たところがある。しかし、炎翔よりはるかに気は強く、体格も良かった。だが、その気は龍だった。
炎嘉は苦笑して首を振った。
「前世が何であったかなど、もう関係はない。我は今を生きねばならぬのでな。王でもないぞ。我は龍になったのは初めてであるし、どんなものか確かめに来たのよ。」
維心は頷いて、維月を振り返った。
「離れていよ。」
維月は微笑した。
「私は月でございますので、お気になさらずに。自分で身を守ることは出来まする。」
将維が進み出て、母を促した。
「母上、こちらへ。万が一のことがあってはなりませぬゆえ。」
維月は頷いて素直に従って、端に寄ってそこに持って来られた椅子に座った。
炎嘉は、じっと何かを考えるようにそこに立ち尽くしていたが、ふいに少し浮き上がったかと思うと、視線を上げて飛び上がった。
「維心よ」と空中から維心を見降ろした。「来い。」
維心は同じように炎嘉に向き合う形で空中へ舞い上がった。二人の間には、30メートルぐらいの距離がある。
「慣れぬ体で我と戦えるのか?将維にしておいた方が良いのではないか。」
炎嘉は不敵に笑った。
「相変わらずふてぶてしいヤツよの。」と手を前に上げた。「遠慮は要らぬ。慣れねばならぬゆえな。」
維心はフフンと笑った。
「では遠慮なくやらせてもらうぞ、炎嘉。」と手を上げた。「我もこのように戦うのは久しぶりよ。」
維心からものすごい速さで気弾が発しられた。炎嘉の反応は早く、それを叩き落とすと共に別の腕で気弾を維心へ飛ばした。それをすり抜けるように飛んだ維心はすぐに何発かの気弾を放ち、炎嘉も負けず気の放流を帯のように回りに配して防御したまま、気を放ち同時に刀を素早く抜いて上から叩きつけるように斬りつけた。維心はそれを同じように刀を抜いて受けていた。それを見ていた将維が思った。父上は、いつ刀を抜いたのだろう。
二人の闘神は、義心や将維ですら付いて行けないようなスピードで動いていた。二人共に闘気は出ていない所を見ると、これは本気の立ち合いではないはず。しかし気弾の速さと規模は今まで見たどの立ち合いよりもすごかった。維月は月であるので、動体視力だけは良い。なので動きは見えたが、どうなっているのかがわからなかった。維心の口元が微かに笑っているのがわかる。炎嘉も同じように唇の端が上がっていた。
刀のぶつかり合う音と、気弾の繰り出される音が激しく響き渡り、そこにはいつの間にか人だかりが出来ていた。宮の軍神達は、食い入るようにそれを見ている。王がこれほどまでに動き回るのを、初めて見たのだ。たまに手合わせをしてもらった時も、ほとんど王は同じ場所に居て、立ち合いと呼べるものになることがない。自分達の不甲斐なさが、この立ち合いでわかって、呆然としているのだ。
突然、維心が叫んだ。
「…油断しおったな、炎嘉!」
キンッという刀の弾かれた音と共に、地上に土埃が立ち上り、そこで音と動きが止まった。
皆が固唾を飲んで土埃が収まるのを待って目を凝らすと、そこには地上に片膝を付いて腕の甲冑で維心の剣を受けている炎嘉と、同じく地上に立って刀を振り下ろしている維心の姿があった。
維心は刀を引いた。
「フン、腕に甲冑を着けておって正解であったな。」
と、刀を鞘に戻した。炎嘉は横を向いた。
「龍身に慣れておらなんだだけよ。次はこうは行かぬぞ。」
炎嘉の頬が少し切れている。維月は慌てて布を懐から出すと、駆け寄って炎嘉の頬に当てた。
「まあ、傷を。」
炎嘉はそちらを見て苦笑した。
「かすり傷よ。」と維月を見下ろした。「主に良い所を見せ損ねてしもうたわ。結局、若い頃から、こやつには勝てぬ。」
維月は微笑んだ。
「充分に立ち合ってらしたわ。維心様のあのように楽しそうに立ち合う様を見るのは初めてでございました。」
「まあ、こやつに渡り合える神は、我だけであったからな。」
炎嘉が維月に微笑み掛けると、維心が横から維月の手を引いた。
「そのような事は侍女にやらせれば良い。主は王妃ぞ。」と侍女に合図した。侍女が駆け寄って来る。「主の部屋へ案内させる。身の振り方は、好きに決めるとよい。我は部屋へ戻る。」
維心はそれだけ言うと、維月の手を引いてその場を後にした。
維心がそこを出ると、炎嘉は回りの軍神達に話し掛けられ、生来の話好きで気さくな炎嘉に皆がなごみ、そこに将維も加わって、しばしそこで話し込んだ。
維心にはそれがわかって、他の事に気を紛らせていてくれた方が良いとホッとしていた。
それからはしばらく、炎嘉は宮に滞在し、もっぱら訓練場で過ごす事が多かった。炎嘉は世話好きで、ゆえに鳥の宮でも軍神達があのように育ち、炎嘉を慕っていたのも維心は知っていた。
維心は戦いは己れとの戦いだと思っていたので、訓練にあまり口出しすることはなかった。たまに成果を見て、軍の強さを見る程度であったのだ。皆その時に王の絶対的な力を見て、さらに研鑽するという案配だった。
しかし、炎嘉はいちいち一人一人を見て、その良い所と悪い所を指摘する。そしてまた、いちいち教えるのだ。世話好きでなければ、なかなか出来ない事だった。
「…だから、主は真正直に戦い過ぎるのよ。戦いにはハッタリも必要であるぞ。」
将維は息を切らせながら刀を降ろした。
「それは…我には余裕がございませぬゆえ。」
炎嘉は首を振った。
「なぜに我が維心と互角に戦えると思っておるのか。気は明らかに向こうの方が上ぞ。技術にしたって、あやつには敵うはずがないわ。我は訓練が嫌いであったゆえの。父によくそれで叱られ申した。」
将維は意外な、という顔をした。
「…父相手に、はったりなど通用するとは思えませぬ。」
炎嘉は笑った。
「確かに、ある程度の力はなければならぬが、主ぐらいの力を持っておったら可能であるぞ。維心はまっすぐであるのでな。我はそれを利用して、隙をついておるだけよ。」と眉を寄せた。「ゆえに、この間のように少し気を抜くと負けるのだ。短時間で決せなければ勝てぬな。」
炎嘉はため息をついた。将維は炎嘉の姿を見た。父ぐらいの年頃の容姿であるが、この世に転生したのはついこの間のことであるという。それでもう、このように龍の力を使いこなし、体を使いこなしている炎嘉は、本人がいうよりずっと優秀であることはわかっていた。将維は脇の椅子へ炎嘉を促した。
「炎嘉様は、これからどうするおつもりでありますか?父上は、軍に入るかここを出るか、炎嘉様次第だと申しておりました。」
炎嘉は、維心そっくりの将維を見た。
「…まだ決めておらぬ。だが、維心の臣下になることはないであろうな。ゆえに、ここへ留まるつもりもない。」
将維は見るからに消沈した。維心には見られない表情に、炎嘉はおもしろそうに将維を見た。
「主、維心にそっくりな姿で声であるのに、なんと素直なことよな。それは維月の血であるのか。それとも、維心のように生い立ちに不幸を抱えておらぬゆえか。」
将維は驚いたように炎嘉を見た。
「…おそらく、両方でありましょう。我は人であった母に大切に育てられ、そして母の血もあり父ほど厳格に己を律することが出来ませぬ。良いのか悪いのかわかりませぬが。」
炎嘉は頷いた。
「良いと思うぞ。維心は己で不幸を背負い込むところがあるのでな。まあ生い立ちを知ればそれも致し方ないことであろうが」と空を見上げた。「我は維心を嫌いではないが、やつとは似ていないようでよく似ておる。これはやつも気付いておらぬかもしれぬがの。今度こそ思うように生きたいと願って急ぎ転生して参ったが、それがよかったのか、わからぬな…。」
将維はその姿に、確かに父に似ているかもと思った。炎嘉は、父がほんの時々将維に心の内を話すその時と、本当によく似ている。炎嘉は常に自分を隠すために明るく振る舞い、話す。父は常に自分を隠すために黙して語らず、内にこもる。それだけのことなのだ。
将維は炎嘉に言った。
「もしも宮を出られても、こちらへお寄りください。我も少しは、炎嘉様に立ち合えるようになっておるかもしれませぬ。」
炎嘉は頷いて笑った。
「維心が許せば、そうしようぞ。」と立ち上がった。「ではな、将維。」
将維は最後の言葉が気になったが、炎嘉の背中を黙って見送った。




