第一王位継承者
将維が紫月を連れて、自分の部屋に戻っていた蒼の所へやって来た。紫月もこの世に出て二十何年かだったと思うが、今の外見は十代後半ぐらいだった。確かに母の維月によく似ているが、目は維心と同じ色の青だった。
最近では父を追い回すのはやめて、もっぱら兄を追い回しているらしい。将維が困ったように微笑んだ。
「すまぬな、蒼。紫月が来ると言ってきかなんだのよ。」
将維は母が未だに好きなのだと、蒼から見ても分かるので、その母にそっくりな紫月の願いは断れないのだろう。蒼は頷いた。
「別に構わない。それにしても将維、しばらく見ない間に、維心様にまたよく似て来たな。声まで似てるから、びっくりしたよ。」
将維は苦笑した。
「まあ外見はな。中身となると、父には追い付かぬ。最近は臣下も我が声を掛けると慌てて膝を付きよる。前まではあれほど慌てることは無かったというに。」
なんだか面白くないようだ。蒼は不思議だった。
「別に次の王なんだし、いいんじゃないのか?それぐらい威厳がないと、龍族は束ねられないだろう。」
将維はため息を付いた。
「そうであるが、父の威光をかさに着たくない。なぜにこれほど近い姿に生まれたのかと、最近では恨めしいわ。」
「あら、お兄様はそのお姿だから良いのよ。」と紫月が言った。「とても凛々しくていらっしゃると私は思うわ。お母様もいつもそうおっしゃっているでしょう。」
将維は苦笑した。
「主にはわからぬのよ。それより、主もそろそろ親離れせぬか。我に付きまとうのも、父上に似ておるからであろうが。父上が母上にばかり構うので、仕方なく我について回るのであろう。息が詰まるわ。」
紫月はぷうと膨れた。
「よいではありませぬか。お兄様は宮から出ないので、私もついて回りやすいのですわ。訓練場にいらっしゃる時とか、皆の動きが見れて、楽しいのですわ。」
蒼は笑った。
「紫月、誰かに頼るのではなく、自分の世界を持つことだ。母さんはとても強くて、オレ達をたった一人で守り続けたし、命も掛けた。そんなひとだから、今、維心様にあれほど愛されてるんだと思うよ。レベルの高い神を射止めるなら、自分というものにもっと目を向けて、磨く事を考えることだ。まだ、難しいことかもしれないがな。」
紫月は黙った。考え込んでいるようだ。蒼は将維を見た。
「ところで将維、話ってなんだ?」
将維は頷いた。
「我の結婚のことよ。」将維はうんざりしたかのように言った。「知っての通り、我の正妃は生まれる前から決められておる。だがな、それはまだ170年ほど先であるように思うておった。が、最近、婚儀の前に、こちらへ長く滞在して、お互いを知りながら宮のことも知る方が良いのではと、向こうの臣下から話が来た。」
蒼は眉を寄せた。
「…維心様はなんと?」
将維は言った。
「主の好きにすれば良いと。我としては、このように早くから回りをうろうろされとうはない。それがどんなものであるかは、紫月で知った。」と紫月を見た。紫月は将維を睨み付ける。が、何も言わなかった。「我はの、それどころではないのよ。父があまりに強大であるゆえ、追い付くのに必死であるのだ。なのに己の時間もそんな事で取られるのかと思うと、うんざりするのよ。」
蒼は頷いた。
「だったら、何をオレに聞きたいんだ?心は決まってるんだろう。」
将維は途方にくれているような顔をした。
「なんと申して断れば、向こうが納得するのか我にはわからぬのよ。妹がついて来ると申すのもうまく断れぬのに、事は宮と宮の間のことだ。変にこじらせとうはないからの。」
蒼は唸った。それにしても、向こうはえらく積極的だな。早く将維と縁付けさせて、鳥族の安定を図ろうとしているのかもしれない。蒼は言った。
「立場から言えば、今は断然こちらのほうが上だろう。はっきり断ってもいいと思うよ。ようは臣下から言って来る時点で、この話は向こうの安泰を考えてることは明白なんだからな。維心様には誰も逆らえないから、その縁戚になることがどんなに大きなことか、わかるだろう?」
将維は頷いて考え込んだ。
「…わかっておる。我が急ぐのは、この婚儀に鳥の宮から王と華鈴殿と、臣下達が来ているからだ。ここではっきりさせぬことには、置いて帰るなんてことになるやもしれぬであろうが。さっきの挨拶でも、その話が出たが、父はあの通り、今日は母ばかりで他は目に入っておらぬし、我がなんとかせねばならぬのよ。」とため息をついた。「ほんに困ったものよ。我はまだ30ぞ。父は1700歳でやっと婚儀であると言うに。」
本当にうんざりしているようだ。テーブルに肘をついて顎を乗せている。その姿があまりにも維心そっくりで、蒼は苦笑した。
「まだ宴席は続いているんだろう?まだ維心様は席に居るのか。」
将維は頷いた。
「今日はなかなか戻れぬであろうよ。父は苛々しておるようだったがな。父の婚儀であるのに、簡単に席を外す訳にもいかぬだろうて。」
蒼は頷いて言った。
「じゃあ、席に戻って維心様にもう一度言ってみろよ。傍には母さんも居るだろう。間違いなく、母さんが何か教えてくれるから。」
将維はしばらく黙ったが、頷いた。
「気は進まぬが、戻るか。」と紫月を見た。「戻るぞ。主はどうする。」
紫月は立ち上がった。
「では、私も。」と蒼を見た。「さっきのお話、私もよく考えてみますわ。確かに蒼の言う通りのような気がするし。」
蒼は笑った。
「そうそう。紫月は母さんにそっくりなんだから、きっと何か一本筋は通っていると思うね。何か見つかるといいな。」
二人は、そこを出て行った。蒼は、その後ろ姿を見送った。
広間では、やはりまだ維心は席に居て、酒を注がれていた。維月は横であくびをかみ殺している。確かに朝が早かったと聞いたから、母はかなり眠いのだろう。将維は笑いを押さえて、そこへ向かった。
将維の姿を見て、維月が言った。
「将維!どこに行ってたの。母を置いて席を離れるなら、連れて行くようにいつも言っているでしょう。」
将維は困ったように笑った。
「母上、今日はそうはいかないと思いまする。母上のご婚儀であるのですよ。」
維月はため息をついた。そして、小声で言った。
「あのね、とても眠いの。将維、ここに座ってちょうだい。そうすれば私は隠れるから、あなたの背中にもたれて眠れるわ。」
将維は言われた通り座ったが、こんな所で枕になる訳にはいかない。慌てて言った。
「母上、お話があって参ったのです。」
維月は、額を将維の背中にドンと付けた。
「なあに?いいわよ、聞いてるから。」
将維は母が転がってはいけないので、その重みを背中に受けながら支え、言った。
「母上、例の華鈴殿がここへ滞在する件なのですが…」
維月はうんうんと首を振る。
「我は、断ろうと思っております。どうように言えば、こじらせずに済みますでしょうか。」
維月は、少し黙ったあと、言った。
「あなたは王になるのよ。王が決めたことは絶対よ。どうしてそんなに自信がなさそうなの?あなたは間違いなく維心様の御子。王位継承者。次の王なの。父があなたに任せたことなら、あなたが父の代わりのようなもの。命じなさい。あなたは地の王の跡継ぎなのよ。自覚しなければならないわ。」
将維はその言葉に重みを感じた。しかし、こんなに眠そうな母から、これほどはっきりとした言葉が聞けるとは思わなかった。しかし、枕になっている王など居るのだろうか。…と、視線を横へ向けると、維心がこちらを見ていた。将維は父と視線が合って思った…父なら、母の枕になっているかもしれない。
維心がこちらへ近寄って来て、言った。
「…聞こえたぞ。母の申す通りよ。主が否と決めたことなら、命ずればよい。逆らう者など、誰も居らぬわ。主はもう少し、王としての自覚を持て。我もいつまでも王座に居る訳ではないぞ。」と維月を見た。「こら維月、いくら息子とはいえ、他の男の背で眠るとは何事ぞ。」
しかし維月は、ほぼ熟睡状態であった。将維の背中で隠れて、参列者達から維月が見えないのをいいことに、すやすやと寝息を立てていた。将維は思った…母は自分の婚儀でも平気で眠いと寝るのだ…蒼が言っていた、気が強いとはこのことか?しかし、これはどうだろう。
維心はため息をついて、母の肩を抱いた。
「ほんに維月…疲れたのは分かるが、寝てはいかん。さあ、目を覚ませ。」
維月はうーんと唸って薄く目を開けた。
「将維…?母はもう歩けないわ。部屋へ連れて行ってちょうだい。」
維心は憮然と言った。
「夫と息子の区別もつかぬのか。全く。」
将維は苦笑して言った。
「酒に当てられたとか申して、先に我が部屋へお連れしましょうか。」
維心はすぐに首を振った。
「いくら主でも、それは許さぬ。我が妃は我が抱いて連れて行く。」と維心は立ち上がった。「妃が、酒に当てられたようだ。我は先に戻るが、皆はゆるりとしておってくれ。」
皆に向かってそう宣言すると、維心は維月を抱き上げて、部屋へと引き上げて行った。
将維は父と母を見送ると、仕方なくその席で酒を受ける役を代わって引き受けた。我の婚儀ではないのに、なぜに酒を飲まねばならぬのか。
そう思って来賓からの酒を受けていると、炎翔とその臣下がやって来た。またあの話になるな…と将維は思った。
「このたびは維心殿が誠におめでたい限りであるの、将維殿。」炎翔が言った。「ささ、酒を。」
炎翔が言って、華鈴が侍女から酒瓶を受け取ると、将維に注いだ。将維は慎重に杯をあけた。
炎翔は言った。
「我らの申し出、受けてもらえるのか、否か、本日はそれも聞きたいと思うて参ったのよ。維心殿はそれは将維に任せておるとの一点張りであるし、将維殿に直接聞くより、ないと思うての。」
将維は表情を変えなかった。
「…我は、父には遠く及ばぬ。ゆえに、今はそれどころではないとしかお答え出来ぬな。知っての通り、まだ我は30にしかならぬ。力もまだ充分ではないゆえ。」
炎翔はワザとらしく笑った。
「そのような。我などもう50の時から妃がおった。父にはまだ早いと言われたがの、妃は一人に決まったものではないゆえな。それに、婚儀までにお互いがどんな考え方をしておるのか知らねば、婚儀の日の感慨もないであろう。そう思ったゆえのことであるのよ。」
将維は我慢強く言った。
「我はあの父の子ゆえ。本当なら妃は要らぬと思うておったほどよ。主の父と我の父との違いでそれがわかるであろうが。今は、地を平定することを、もっと父より学ばねばならぬ。我はまだ、女にかまけている訳には行かぬのだ。」
炎翔は気を悪くしたように言った。
「別に、女のことばかり考えて居った訳ではないわ。ただ、それも必要と申しておるのよ。」
将維は首を振った。
「我には、今は無理であるな。父の能力を受け継いでおるとはいえ、うまく使えぬことがある。不安を無くしてからでなければ、軽々しいことは出来ぬ。」
炎翔の臣下が、口をはさんだ。
「これはお互いに取り、良い事だと思いまする、将維様。宮と宮の将来の為にも、お早くお二人がお心安くなられた方が、きっとよろしいかと。」
「もう良い。」と将維は杯を置いて立ち上がった。「婚約の取り決めは、亡き炎嘉殿と成されたこと。婚儀のことに関しては200年後、このまま何事も無く過ぎたなら考えようほどに。今はそれに関して何か行うつもりはない。我が決めたこと、異論はあるか。」
将維は、維心そっくりの物言いで、はっきりと言い放った。有無を言わさぬ断定的な声音に、炎翔の臣下は震えあがった…そこに、間違いなく維心を見たからだ。臣下達は額を床に付けて頭を下げた。炎翔は、目を逸らして、渋々ながら頷いた。将維はそれを見てから、言った。
「では、失礼する。」
将維はくるりと踵を返して出て行った。
それを密かに見ていた龍の宮の臣下達は、さすがは将維様よとほくそ笑んでいた。




