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迷ったら月に聞け 4~神の吉原  作者:
忘八の事情
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父の記憶 2

「我は物を食さずともよいと申したではないか。」

炎覚は眉を寄せて、人の服装で言った。

目の前には、朝食が並んでいる。美鈴は言った。

「せっかく人の世に居るのですから。学んでおかれて損はないでしょう?」

美鈴は気にする風もなく、隣で箸を進める。その二人の前では、美鈴の母の美子(よしこ)が座っていた。

昨夜、娘はこの神を連れて帰って来た。最初は信じられなかった美子も、空を飛んだり手を使わずに物を動かしたりするのを見て、信じるよりなかった。しかも、美鈴はこの神の子を生むと聞かない。生めば命を落とすと聞いても、頑として譲らなかった。反対するなら家を出るとまで言う娘に、いくら説得しても無理だった。

美子はため息を付いた。

炎覚には、美子の気持ちがわかっていた。美鈴が病のことを美子に言うなと言うから黙っていたが、健康な娘が死ぬのをわかった上で子を生むなんて、反対なのはわかっていたのだ。

なのに、美鈴は必死に話していた。自分は今日この神に助けられた、でなければ死んでいた、そして、自分は命を掛けてもいいぐらいこの神を愛している、と。

人は簡単に嘘がつけるのだろうか。炎覚は不思議だった。

だが、昨夜は共に過ごして、本当にこの女は自分を愛しているのではないか、と思ったのもまた事実だった。

本当に、人はよくわからぬ。

炎覚は思いながら、箸を手にした。


仕事を辞めた美鈴は、炎覚と外出したがった。

子はほどなくして宿り、身重であっても二人はよく一緒にいろいろな所へ出掛けた。

そして、子は成したのだから必要はなかったが、夜も愛し合っていた。そう、確かにそこに、愛情があるのだと、炎覚はためらいながら感じていた。もうすぐ、美鈴は逝く。それは子を生もうと生まないでおこうと変わらない。しかし、その時が来るのを、炎覚は怖くなっていた。生まなければ、もう一年猶予はある。

ある日、炎覚は、窓辺で何かを作る美鈴に言った。

「…美鈴、やはり、子は諦めぬか。」

美鈴は驚いた顔をして、こちらを見た。

「…私が生む子では、ダメですか?」

涙ぐんでいる。炎覚は首を振った。

「そうではない。その子を生まなければ、主はあと一年生きられる。その間に、したいことも出来よう。我はいつなり、その子を消す事は出来るゆえの。」

美鈴は涙を流した。

「私は…愛する方との間に子をなすのが夢でした。他にしたいことなどありません。」

炎覚は下を向いた。

「それは人でも良いだろう。我は神だ。主を殺してしまう…子を抱くことも出来ぬかもしれんぞ。」

美鈴は必死に言った。

「私はあなた以外の子など生みません!だって今では…とても愛しておりますもの…。」

美鈴は泣き崩れた。炎覚は、そんな美鈴を思わず抱き締めていた。

「…我もだ。ゆえに申すのよ。子を諦めれば、あと一年は共に過ごせるではないか。このままでは…あと二ヶ月もない…。」

口に出して、初めて炎覚は実感した。そうだ。美鈴はあと二ヶ月で逝く…我を置いて。子だけ遺して。今さらながらに、自分がどれ程それを怖がっているのか、炎覚にはわかった。我は、美鈴を失いたくないのだ。

「我は愚かであった。父は常、人はダメだと申しておったに。このように早く離れねばならぬとは…人を愛してしまうとは…。」

美鈴は炎覚を抱き締めた。

「炎覚様…私達の子は、残るのですわ。誰の子でもない、私達の。それに、お話してくださったではありませんか。死しても、あちらの世で生きる事が出来る。私はあちらで、何百年でもお待ち致します。だから、この子を生ませてくださいませ。私は今、とても幸せですの…。人の女なのに、あなたに愛されて。」

炎覚は、空を見上げて涙をこらえた。なぜに、普通に出会えなかったのか。なぜに我は、人の世に降りたのか…。

そのまま、二人は抱き合っていた。

机の上には、美鈴が子のために折った折り紙が並んでいた。


美鈴は、予定通りに産気付いた。

病院へ連れて行き、産所へ連れて入られると、炎覚は美子と共に外で座らされていた。美鈴は、子を生むと同時に気を奪われるのに。炎覚は気が気でなく中の様子を探った。

人の世の病院というのは、なんと殺風景なのだろう。人も少なく、宮での出産に比べれば、本当に寂しいものだ。

もしも正式に妃として迎えていれば、我の子の出産にこれほど静かな事はないはず。炎覚は、美鈴を想って心の中で涙した。全て、我の責だ。王族の子を命を掛けて生むのに、神には誰にも知られる事はなく、これほどひっそりと、子を生んで死んで逝かねばならぬとは…。

ふと、美鈴の声が聞こえたような気がした。炎覚は回りを見回した。美子しかいない。

炎覚は耳をすませた。

《…炎覚様…。》

念だ。腹の子の力なのか、美鈴の念が炎覚に届いた。

《美鈴…。》

炎覚は応えた。美鈴のホッとしたような声がした。

《ああ、聞こえますわ。今しばらくです。もうすぐ生まれますわ。》

炎覚は居たたまれなかった。その時、別れが来るのではないか。

《美鈴…主に会いたい。顔が見たい。せめて最後は共に居たい。》

しばらく応答はなかった。炎覚が不安になっていた頃、また念が飛んだ。

《またお会い出来ます。きっと迎えに参ります。その時を…》

苦痛の念が飛んで来た。痛みが来ているのか。静かだった中が、騒がしくなった。と、子の泣き声が響き渡った。

《美鈴!》

炎覚は立ち上がった。美子も、横で立ち上がる。

《炎覚様…男の子です。おっしゃった通り…名を、領黄と…》と気が薄れて行くのがわかる。《炎覚様…愛しております…お待ちして…》

炎覚は必死に念を飛ばした。

《我もすぐ逝く!待っておれ!妃は主だけだ!》

《…。》

微かに、答えがあったが、聞き取れなかった。

そして、中は一層騒がしくなり、美鈴の気は消えた。


生まれた子を抱いた炎覚は、考えた。これは半神だ。このまま連れ帰りたいが、それはこの子にとって、幸せな道ではないだろう。神の世は厳しい。半神に向けた風当たりは強い。ならば、このまま美子に託し、人として育った方が良いのだ。自分は、それを見守っていよう。

炎覚は、子を美子に渡した。

「…これは半神だ。主が育てよ。」

そして、その場を後にした。


葬式も埋葬も、炎覚は姿を見せずに立ち合った。それはとても寂しいものだった。とても王族の妃が死んだとは思えない。

炎覚は、毎日墓へ通った。愛している。今でも深く。なのに、自分は神で、まだまだ美鈴の所へ行けそうにない。しかし、会いたかった。毎年、領黄が生まれた日には、美鈴が死んだことを昨日の事のように思い出し、そこで泣いた。

気がつくと、領黄は大きく成長していた。ふと、見ると、美子が美鈴と同じ病になっているのが感じられた。このままでは領黄が一人になってしまう。

炎覚は居ても立っても居られず、気がつくと、家の前に立っていた。美子が気付いて出て来たが、病のことを言う訳にもいかない。話あぐねていると、領黄が帰って来た。

人の世で人として生きる我が子を見て、炎覚は決心した。やはり、自分は口出ししない方が良い。

それで、何も言わずにその場を後にした。


しかし領黄は、その日から変わってしまった。炎覚は姿を見せたことを後悔した。しかし、ずっと見守っていた。初めて自分を呼んだ時は、金塊を持って急ぎ向かった。

そして、領黄が居場所を探しているのも見ていた。仙人に拾われた時はホッとしたが…そのあとから、領黄の気配が拾えなくなった。

そんな時、信黎に長く塞ぎ混む自分を案じて、無理に連れ出されたのが、あの楼とかいう所であったのだ。

そして思った…気配が探れなかったのは、この膜のせいであったのだ。そして、ここは、間違いなく龍の王に知られれば、消される。

領黄にやめさせなければ。炎覚はとっさにそう思い、二度目の誘いの時は、その策を練っていたのだ…だが、時は既に遅かった。

炎翔に、龍の王からの打診を受けたと聞かされ、また、全て捕らえられて罰を待つばかりと聞いた時、領黄の命はもうないのだとうなだれた。

炎翔は、もっと憔悴していた。そうか、炎翔なら、我を罰する事が出来る。

炎覚の頭の中には、美鈴が浮かんだ。そうだ。このまま何も言わずにいたら、我は消されるだろう。そうせざるを得ないからだ。もうすぐ会える、美鈴…。

炎覚は、もしも領黄が命を長らえた時のために、自分の記憶の複製を作ろうと考えた。炎翔なら、きっと渡してくれる。

領黄よ。もしもこれを見る事があれば、知っておいてほしい。主は我らの、ただ一人の大切な子であった。そして、我が不幸であったとは思わないで欲しい。我は主の母に会えて、幸福であった。そして、これからその母に、やっと会いに逝ける。その機会をくれたこと、我は感謝しておるぞ。命長らえたなら、主もどうか、幸せであるように…。


維心は、片手を上げた。

閉じられていたカーテンが開かれ、応接間は急に明るくなった。

領黄が、号泣している。維月も泣いていた。維心は、自らの誕生の時を思い出し、父を思い出した。

維心が、立ち上がった。

「では、全員炎翔のいる、東の応接間へ。」

蒼は立ち上がって、まだ泣いている領黄を立ち上がらせて、労りながら歩いた。

維心も維月を立ち上がらせて、腕に抱いて険しい顔付きで東の応接間へ向かった。

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