置き土産
次の日の朝、先触れが奥の間の外から維心に告げた。
「王、鳥の宮より、王・炎翔様がお越しでございまする。」
維心は目を開けて、答えた。
「…すぐに参る。東の応接間へ通せ。」
「御意。」
維心は起き上がって、隣の維月を見た。維月も目覚めて維心を見た。
「来られたのですね。」
維心は頷いた。
「報告を聞いて来なければならぬ。主はどうする…?」
維月は、本当は付いて行きたかったが、首を振った。
「私が行っては、炎翔様もお話しづらいこともございましょう。維心様、私はこちらでお帰りをお待ちしておりますわ。」
維心は、本当は一緒に来て欲しかった。あの領黄の記憶を見た後では、精神的負担も大きいと思ったからだ。だが、維月の言っていることは的を射ている。妃を連れて報告を聞く訳にも行かないであろう。
維心は頷いた。
「では、帰ってから話すゆえな。」
維心が寝台から降りると、侍女が着物を持って入って来た。維月も寝台を降り、維心の着物を着替えさせた。
応接間へ入ると、炎翔が座って待っていたが、維心が入って行くと立ち上がった。維心はその重苦しい雰囲気に眉を寄せた。
「待たせたな、炎翔殿。」と、座るように促し、自分も座った。「寝ておらぬのか。」
炎翔の顔には、疲労の色が見える。おそらく今回のことは、炎翔が王となって初めての試練であったのだろう。まだ400歳にもならないのだ。維心は黙って返事を待った。
「維心殿、先日の我が弟、炎覚の件でございまする。」声は、力がなかった。「我は、あれを処罰いたした。維心殿の言う通り、あのような所へ行った事実がわかり、本人もそれを認めた為、昨夜決断し、我が斬り捨て申した。」
維心は頷いた。
「我も、ここへ捕えし王のうち三人は斬り捨てた。話を聞いた結果、王たる資格なしと判断したゆえな。」
炎翔は、憔悴し切って落ち窪んだ目を上げた。
「維心殿、我は間違いを犯したのであろうか。あれは王族であって王ではない。あれの気持ちなど、我にはわかり申さなかった。」
維心は驚いた。炎翔は、同じ王である自分に、こんなことを聞いている。おそらく、父と同じ年で長く王位に就いている維心に、聞かずには居られない何かがあったのであろう。
「…炎翔殿。王とは、全ての権限を持っておるゆえ、確かに一回の判断の誤りで取り返しのつかぬことになることもある、重い責務であるな。まして奪ったのが実の弟の命であるなら尚の事。我も今まで後悔したこともある。だが、その後の対処よ。全てに良いように向かうよう、考えねばならぬわ。」
炎翔は、下を向いて懐に手を入れ、目の前に透き通った玉を出し、維心の前に置いた。維心には、それがなんなのかわかった…つい昨日、領黄から奪った記憶の玉と同じものだ。しかし、それは光って居なかった。持ち主は、もうこの世には居らぬのだ。
「…弟の、記憶の複製でございまする。あれは、我が斬る前にこれを我に示し、もうこの世に居らぬかもしれぬが、領黄という半神に渡して欲しいと頼まれた。我には決してそれを見るなと申して。そして弟を斬った後、我はこれを我慢ならず見た。そして…」と炎翔は涙を流した。「我は、弟の真実を知ってしもうた。なぜ、我に見るなと申したのかもそれで知り申した。我は…取り返しのつかぬことをしてしもうた…。父上が、あちらでなんと思っていらっしゃるか…。」
維心はその玉を手に取った。やはり、炎覚は何か隠して生きておったのだな…。
「炎翔殿よ。領黄は生きておる。我はあやつの記憶を取り、それを見た。これは確かに、領黄に見せようぞ。」
炎翔は、目を見開いた。
「維心殿、では領黄は生きていると申されますか。では我に…一目、会わせて頂けぬか。」
維心はためらったが、頷いて立ち上がった。
「では、こちらへ炎翔殿。案内しよう。」
炎翔は涙を拭うと、立ち上がって維心に従った。
回廊に出て歩いて行くと、炎翔が言った。
「維心殿は、領黄のことをご存知であったのか?」
維心は首を振った。
「主に炎覚を引き渡した時点では知らなんだ。昨夜、領黄の処分を考えるためにその記憶を根こそぎ取り出し、知ったのよ。だが、あくまで領黄からの視点であった。炎覚のほうでどうなっておったのかは、我は知らぬ。」
炎翔は頷いた。
「これは…おそらく、維心殿にも見て頂いたほうがよろしいかと思う。領黄がしたことは確かに許しがたいことではあるが、罰するに当たり、参考にしていただけるものかと…」
維心は苦笑した。
「それは、領黄の記憶を見た時点でも減刑は考えておる。」と立ち止まった。そこは、地下への入り口であった。「本当は最奥の部屋へ入れておったが、ここへ移動させたのよ。」
入り口を入って横へ少し歩くと、その牢はあった。そこは牢というよりは部屋に格子がついているような状態だった。
領黄は、気が付いており、寝台に座ってこちらを見ていた。
炎翔は、その姿を見て、頷いた。
「間違いない。これが領黄であるな。我の甥になるのよ。」
領黄は、その言葉にじっと炎翔を見た。父と似ている…では、これが鳥の王なのか。領黄は立ち上がってこちらへ慌ててやって来て、格子を掴もうとした。が、維心の封印がなされているので、それに弾き返され、後ろの寝台へ倒れる。それでも領黄は起き上がり、今度は格子に触れないように膝をついて炎翔に言った。
「私は罪を犯しました。ですからどのように扱われようと、命を取られようとかまいませぬ。ですが、他の神達は確かにあの場所で許しがたいことをしておりましたが、炎覚様だけは酒を飲んでおっただけ。どうか、温情を持ってご処分を。」
炎翔はそれを聞いて、首を振った。
「もう、遅いのだ。我は、昨夜我が弟の炎覚を斬った。あんなものを知っておって、我に報告しなかったのもまた罪であるからだ…だが、命までは取らずでもよかったとは思っておる。」
領黄は、愕然としていたが、がっくりと首を垂れた。父は死んだ。神の世を甘く見た、オレのせいだ。父はそれで命を縮めた…確かまだ400歳になっていなかったはず。神の寿命はその倍はあるのに…。
その様子を見た炎翔は、続けた。
「炎覚は死する前、我にその記憶の複製を渡し、主に見せるよう頼んだ。それは維心殿に渡したゆえ、見せてもらうと良い。主の事は、それから維心殿が判断される。」
領黄は維心を見た。維心は黙って前に手を上げ、格子の封印を解く。格子は光って、開いた。
そして、それと共に領黄は自分の手が後ろへ回され、何かの力に縛られるのを感じた。
「…ついて来ると良い。」と炎翔を見た。「主はどうするか?我は蒼も呼び、これを見る。共に来るか?」
炎翔はためらったが、首を振った。
「もう、二度は見たくないゆえ。我は先程の応接間で待たせてもらうゆえに、終わり次第呼んで下されい。」
維心は頷いて、傍の召し使いに合図した。炎翔はその召し使いに伴われて歩いて行く。維心はもう一人の召し使いに言った。
「西の応接間へ、妃と蒼を呼べ。我はそこに居るゆえにの。」
その召し使いは頭を下げて、足早にそこを去った。維心は領黄に背を向けた。
「では、参る。」
領黄は、気に拘束されたまま、維心について歩いた。
領黄は気を失ったままここに運ばれて来たので、この宮を見るのは初めてであった。神の宮とは、これほどに大きく美しいものなのか。
調度品の1つ1つにも細かい細工が施されており、天井は高く、回廊も広かった。
そして、仕えているもの達も、皆良い着物を着て穏やかな表情で歩いていた。皆が王を見て頭を下げる。
領黄は、この誰もが怖れる龍の王を斜め後ろから見つめた。年齢は1700歳を超えると聞くが、見た目には自分とさして変わらぬ歳のように見える。端正な顔立ちが冷たい印象を与えるのだろう。髪は黒く、瞳は深い青色で、何もかも見透かしているような印象を受けた。そして、このように落ち着いている時ですら圧力を感じるほどの強大な気…。昔、祖母に聞いた、龍族で人の女に生ませた強大な力の王とは、この神のことか。領黄はそう思っていた。
しばらく歩くと、維心はある扉の前で立ち止まった。召使い達がその扉を開ける。そこへ足を踏み入れる時、維心はちらりとこちらを振り返った。
「ここで、記憶を見せよう。入るがいい。」
領黄は頭を下げてそれに従った。維心が西の応接間と言っていたその部屋は、とても広い石造りの部屋であった。どこの壁も磨かれて光り、大きな窓からは光が降り注いでいる。そこの椅子の一つを、維心に示された。
「そこへ座れ。月の宮の王も我が妃も来る。」
領黄は、見るもの全てに魅惑されてぼんやりとしていたが、慌てて従って座った。
沈黙の中で、不機嫌そうに中央の大きなソファのような椅子に腰掛けた相手が、こちらを見ているのに気付いた。領黄は、何か言わなければならないような気がして、口を開いた。
「…龍の王、あなたも、人の女から生まれたとお聞きしておりますが、本当でございますか。」
維心は意外な言葉に、片眉を上げた。
「そうだ。我は人の女から生まれた龍よ。主と同じように、母を殺した。それに、父も食い殺した。」
表情一つ変えずそう言い放つ相手に、領黄は恐怖を感じた。やはり穏やかに見えるのは見た目だけなのか。この冷たい印象は、真実のものであるのか…。
領黄が黙っていると、また戸が開き、あの折りさらったあの女と、男が一人入って来た。女の方が言った。
「維心様…遅くなりました。お呼びと聞いてすぐに出ようと致しましたのに、侍女達に留められてあれこれと着せられておりましたら、このように。」
領黄は驚いた。あの冷たい気がスッと消え、この龍族の王の顔に穏やかな笑みが瞬時に出たからだ。
「良い。おお、その着物は初めてであるな。我がもう数か月前に選んでおったのに、主はあまり着物に興味はないようであったので…これからはもう少し、着飾るが良いぞ、維月。」
蒼は苦笑した。
「そうなんですよ。オレが一緒に連れて行こうと居間へ寄って待っているのに、侍女達とああではないこうではないと…」とため息をついた。「こちらが疲れました。」
維心は笑って椅子を示した。
「座るが良い。瑤姫は連れてこなんだのか。」
蒼は頷いた。
「この度は…」と領黄を見た。「いろいろと、つらかったようなので。お顔を直に見て、これ以上思い出させてはと。」
維心は頷いた。
「どちらでもよい。では、始めようぞ。」
蒼はためらいがちに言った。
「実は…十六夜にも言ったのですが、月からでも見えると言って。」
維心はため息をついた。
「では、窓は一つ残しておかねばならぬの。」と片手を上げて、大きな窓のうち一つを残し、他の窓のカーテンを閉めた。「困った奴だ。しかし、気にくわぬことがあれば月に逃げ帰ることが出来るとは、なんとも羨ましい限りよ。」
蒼は、珍しく維心が本心を言っているのだと知って、驚いた。確かにそうだ。オレも、維心様も、逃げるところなどない。十六夜は、いつもこうやって月に戻って、面倒だったり気が向かないと関わらずに済むのだから…。
維心は、懐から玉を出して宙へ浮かべた。
「では、そちらの壁にこの記憶を映し出す。全てではないようだの。複製であるゆえ。」
玉は維心の力を受けて光り輝いた。そして、領黄の時と同じように、それはそこへ映し出された。




