咎人の記憶
領黄の母は、人であった。
ゆえに、母は自分を生んですぐに死んだ。自分は母の気を食らったらしい。それも、自分には全く覚えもなく、祖母にに預けられた自分を、確認に来た鳥の神とやらに聞いた。自分も半分はその血を引くのだという。だが、父は自分を引き取るつもりは全くないらしい。
だが、領黄にとって、そんなことはどうでもよかった。人の祖母は、自分を人として育て、そして、自分も人でいいと思っていた。自分は人と何ら変わりはない。人の友も居て、生活もさしてほかと変わっているようには思えなかった。
だから、その時までは、領黄は、これで一生を終えていいと思っていた。
ある日、領黄が仕事から帰って来ると、祖母が、玄関先で変わった格好の男と話していた。ご丁寧に、赤い玉と金で作った飾りが柄から垂れ下がっている、剣まで腰に挿している。領黄は、仮装か何かなのかと思いながら、祖母が心配なのもあり、急いでそこへ向かった。
「領黄!」
祖母が驚いたように言った。領黄は、何気ない風を装って祖母に答えた。
「ただいま」と男を見、「どちら様?」
祖母は押し黙った。領黄は訝しげにそんな祖母を見、また男を見た。若い…と言っても、30代ぐらいだろうか。その男は、領黄を無遠慮に見た。
「領黄か。なるほど、見た目だけは育っておるな。が…」と眉を寄せた。「やはり主は半神よの。」
なんのことかわからなかった。領黄は聞き直した。
「なんですって?」
相手は察しの悪さにうんざりしている、というように手を振った。
「そこよ。我の気を感じぬのだろう。我は主の父よ。」
領黄は、噴き出した。
「何を言ってるんだ。オレとあんたは、さして歳が違わないんじゃないのか。」
相手はフンと横を向いた。
「それが鈍いと申すのよ。我は神だ。見た目に惑わされるのではないわ。」と踵を返した。「もうよい。もしかして、と思った我が愚かであったわ。所詮、主は半分人よ。何のために人の女に生ませたのか…役に立たぬ。」
領黄はその意味がわからなかった。が、なぜか無償に腹が立った。何かを言い返そうとした時、その神は夜空へ飛び上がり、大きな鳥に姿になって去って言った。
領黄は、祖母を見た。
「ばあちゃん、どういうことだよ?オレ…なんか昔言われた気がする。でも、あんなのもう関係ないんじゃなかったのかよ?」
祖母は悲しそうな顔をして、家の中を示した。
「…とにかく、中へ。」と入って行きながら、「私の知ってることは、全部話しておくよ。何しろ、私ももう、そんなに長くはないだろうから…。」
領黄はその言葉に不安になりながら、祖母の後について家へ入って行った。
祖母は、居間に座って話し始めた。
「あんたはね、鳥の神様と人の間に生まれた、半分神様、半分人なんだよ。向こうでは、それを半神と言うんだそうだ。」祖母は辛そうにため息をついた。「あんたの母さんは、あの鳥の神様が人の世に来ていた時に、あの神様に心底惚れてね…相手は、人なんて相手にしないさ、神様だもの。でも、たった一つ神様に気に掛けてもらえること、それは、その神様の子を生むことだったんだよ。」
領黄は驚いた。子供が欲しいって、神様が?そんなの、同じ神に生ませればいいじゃないか。
祖母は続けた。
「なんでもその神様が言うには、人と龍の濃い血が交わると、物凄い力の強い神が生まれて来るらしいんだよ。龍だけは、どんな種族が生んでも生粋の龍を生ませられるのだって。それに成功した例が、たった一つだけあって、その神様は凄まじい力で、神の世界を牛耳ってらっしゃるのだと。」
領黄は首を傾げた。しかし…。
「あれは、鳥の神なんだろ?」
祖母は頷いた。
「そうなんだよ。龍に出来て鳥に出来ないことはないって、試してご覧になりたかったそうなんだけどね…」とため息をついた。「その、相手が見つからなかった。」
領黄は、フンと横を向いた。
「あの外見なら、誰だって騙せたんじゃないのかよ。」
祖母は首を振った。
「神様は嘘つきじゃない。あの神様も、例外じゃなかった。人が神の子を生んだら、死ぬのだと言って相手を探していたんだ。誰が死にたいなんて思うんだよ。」
領黄は、息を飲んだ。
「…母さん、やっぱりオレを生んだから死んだのか。」
祖母は頷いた。
「あの子は本当に死ぬほどあの神様に惚れてた。生むまでの1年間を共に過ごすことを条件に、子を生むことを承諾したんだよ。あの子は、たった1年間のために、自分の命を懸けたんだ。そして、あんたが生まれて…あの子は死んだ。あの神様は無言でその知らせを聞いて、生まれたばかりのあんたを抱くと、その顔を見て一言、言った。『これはだたの半神だ。主が育てよ』とね。言われなくても私はあんたを手放すつもりはなかったし、育ててたんだ。たまにあんたが覚醒しないかとあの神様の部下とやらが見に来たが、あんたは別に人と変わることもなく、普通に過ごしているのを見て、いつしか来なくなってたんだ。それが…さっき、急にね。」
領黄は憤った。それは母さんが望んだとはいえ、本当にオレを生ませるだけのために利用したのか…しかも、実の子だっていうのに、その子が思うような力を持っていないと知ったら、簡単に捨てて行くのか。神ってのは、そんな冷たいものなのか…。
よくよく考えてみると、あの姿は、オレに似ている。間違いなく、あれはオレの父親だ。だが、向こうはただの実験の失敗作でしかない。母さんの命を懸けた実験の、失敗作だ。
領黄は、立ち上がって無言で居間を出た。母さん、なんだってあんな男に惚れたんだよ。なんで命まで懸けて、オレを生んだんだ。オレは全然、人でもよかったのに。望まれない神の子なんて、誰にも相談も出来ないこの境遇を、オレにどうしろって言うんだよ。
領黄は、次の日、会社を休んだ。
そして、そのまま外へ出ることがなくなった。
暮らしは、楽ではなかった。祖母は年金暮らし、自分は無職。貯金を切り崩して、補てんしていたが、それは尽きない訳ではない。
そんな時に、祖母が体調が悪いと言って受診したまま、入院になり帰って来なかった。緊急に手術が必要だという。末期のガンが進行していた…が、手術は一度きりだった。開けてみれば既に全身に転移していて、無理だと判断されそのまま閉じられたのだ。
金が要る。
領黄は必死で金になる仕事を探した。しょうもないことで引きこもってしまっていた自分を呪った。このままじゃ、ばあちゃんに満足な治療もしてやれないじゃないか…。
日雇いの仕事では、高い治療費は払えなかった。だが、領黄は、ひたすらに昼も夜も働いた。ばあちゃんは日に日に弱って来る。貯金は底を尽きた。それでも、領黄は諦めなかった…自分が諦めたら、ばあちゃんは苦しんで死ななきゃならない。
次の日は、病院の支払いの日だった。だが、前月の分もまだ待ってもらっている状態だ。領黄は、途方に暮れて、夜空に叫んだ。
「親父!オレはどうでもいい、ばあちゃんの事だけ、何とかしてやってくれよ!母さん死なせたんじゃないのか!ばあちゃんはもう、たった一人なんだよ!」
領黄がさして期待もせずに、雑草の上に身を投げ出して泣いていると、何かが目の前に舞い降りた。最初、鳩か何かかと思ったが、今は夜だ。しかも、気配は大きい。領黄は顔を上げた。
父が、そこに立っていた。無表情で、考えは読めない。領黄は慌てて起き上がった。
「…お前の母は、我と取引をしたのだ。死ぬ代わりに、お前の願いを1つ聞けとな。申してみよ。」
領黄は、突然の事に面食らった。そして、我に返ると、迷わず言った。
「ばあちゃんの、治療費が要る。もう助からないけど、せめて痛みを感じないで逝かせてやりたいんだ。」
わからないかと思ったが、父は意外にも頷いた。
「我は人の世で一年過ごした。それが主達の世でどれ程必要かは理解している。」と、懐から袋を出し、領黄の方へ放って寄越した。「金塊だ。我らには何の意味もないが、主らには価値のあるものなのだろう。」
そして、踵を返すと、鳥の姿に戻った。
「…約束は、果たした。」
父は振り返る事もなく、夜空へ消えて行った。
次の日、出来るだけいろいろな所のショップで分散して金塊を換金すると、それは結構な額になった。しかし、怪しまれないようにと考えていろんな場所を回ったので、病院へ着いたのは、お昼を過ぎてしまった。
真っ先に会計のカウンターへ行って、精算を頼むと、奥から慌てた事務長が出て来た。
「ああ!連絡を取ろうとしていたのに、通じなかったんで…今すぐ病棟へ!まだ間に合うかもしれない!」
領黄は察して、血の気が退いた。
エレベーターを待つのももどかしく、階段を一気に駆け上がった。金がないため、携帯も解約してしまっていた自分を責めた。ばあちゃん、オレが行くまで待ってくれ!
ようやく5階のナースステーション前の部屋へ飛び込むと、祖母の寝ている場所はカーテンが閉められ、中で看護婦が動いているようだった。領黄はホッとした。なんだ、静かじゃないか。
そして、カーテンを手で横へ除けると、中の看護婦がびっくりしたようにこちらを向いた。
「まあ!どこにいらしたんですか?…今、処置中です。外でお待ちください。」
看護婦は祖母を隠すように領黄を押した。領黄はその場に踏みとどまった。
「処置?なんの処置なんだ?」
祖母は、手を前で組まされ、そこを柔らかい布の紐で結ばれていた。点滴はない。酸素吸入も外されている。そして、看護婦は祖母の顔に化粧をしている所だった。
そして、領黄は、画面を見た。バイタルは…0どころか、消えていた。
看護婦は、その表情を見て、領黄が知らずにここへ上がって来たことを知った。そしてゆっくりとカーテンの外へ促すと、言った。
「…もう、20分ぐらい前に、先生が死亡を確認されて。診断書はこちらでお預かりしております。お迎えに来られるかたに、ご連絡なさった方がよろしいかと…。」
領黄は、呆然とした。それが、葬儀の関係のことだとわかったからだ。だが、頭の一部はとても冷静だった。領黄は頷いて、トボトボと歩いて、また会計の所へ戻った。
さっきの事務長が出て来た。連絡を受けたのだろう、暗い表情をしている。
「…お手続きは、どうなさいますか?お迎えのほうも、良かったらこちらでお探ししましょうか。」
領黄は、まだ夢の中に居るような気持ちで、首を振った。
「いえ。自分で手続きして来ます。こちらには、長くご迷惑をお掛けした分、お支払を済ませたいので、お願い致します。」
事務長は頷いた。
「では、こちらへどうぞ。」
領黄は、事務的なことを淡々とこなす自分が信じられなかった。心の奥底では、何も考えられなかったのに…こんな時に、妙に優秀に対処出来るなんてな…。
領黄は、真っ青な空を見上げた。




