二人
この作品は実在する人物、団体、その他諸々の何かしらとは一切関係は無い。全てフィクション。空想の物です。
「書き出しはこうしよう」
そう決めたのが提出期限の三日前。今から二日前の事である。
明日に迫ったこの文章の〆切に追われる私は文学サークルに身を置く大学生である。
ここまでの事の何処までが「嘘」、「空想」で、どこからが「本当」、「事実」なのか。それを読者に考えさせることがこの文章の狙いとしたい。そんな風に私は考えていた。
背もたれに体重をかけると椅子は耳障りな金切り声を上げた。視線を部屋の天井に這わせ、壁に掛けられた時計を確認。視界の中に逆さまに映った時計は短針は「2」を指し、長針は「9」……もとい「6」を指していた。
午前二時半。もう何時間パソコンとにらめっこしている。ざっと四時間か。いい加減何かしらアイデアは生まれないものかと、自分自身に問う。
「何か無いかねぇ……」
これは自分以外の誰かに聞いた言葉だ。自分以外は誰もいないはずの部屋でそれをしたところで何の意味もない。例え誰かいたとしても、その誰かが自分に対して意思表示をしてくれとは限らない、もしくはその誰かの意見を自分の思考に取り入れる気が無い。ここまで来るとただの独り言だ。まさにその通りだが。
「気分を変えよう」
自らへの提案。いつもしないことをすればいつもは生まれない思考が生まれるかもしれない。
クロゼットから分厚いダウンを取り出し、部屋着の上から袖を通す。ケータイと家の鍵をポケットに突っ込み、玄関に向かう。
……実のところ、これこそが空想なのだが、それこそが今必要とされている「アイデア」なのだ。
寝室で眠っている両親と妹、そしてリビングで寝息を立てているであろう飼い犬に気づかれないように静かに重たい扉を外へ押し開ける。
部屋から玄関までの廊下も十二分に肌寒かったのに、扉を開けるとそれ以上に顔の皮膚を強張らせる冷気が襲ってきた。冬ももう終わるというのに、この寒さだ。外出するのをやめようかと思うがそれでは話が終わってしまう。
仕方なく空想と進めると同時にその情景を文字と言う形で具現化していく。玄関を出て、階段を下りる。私の家は団地の三階なのだ。団地の目の前には公園があり、空間が開けているので見晴らしは悪くないが、この日風が強くてとてもじゃないがそこで景色を堪能する気にはなれなかった。……きっとなれないだろう。今も窓を強い風が押し、時折物音を立てている。
階段を下りるとそこには駐輪所がある。十数台の自転車が置かれた天井付の駐輪場を通りすぎ、小さな公園に対面する。無人の公園に佇む象を模した滑り台。最近気にしたこともなかったそれをよく見るとピンク色をしたペンキの塗装面がつやつやしている。最近塗り直したのか。そんなことを考えてしまうほど、今の自分は空虚だった。
……しかし、考えて見れば今ここで小説を執筆している私がペンキを塗りなおされたことを知っているのは、「最近気にしたこともなかった」という言葉と矛盾しないだろうか。……まぁいい。今は考えないことにする。
「おや、こんな時間に珍しいね」
不意に声をかけられて思わず肩を震わせる。その様子を見られたか、と恥ずかしく思いながらも声のする方を振り向く。
「それとも、珍しくもなんともないのかな? 僕が君のことを知ら無すぎるだけで、君は普段からこの時間に外出しているかもしれない。まぁそうだとしてもこんな時間に君みたいな人が公園でたそがれているなんてことはなかなか巡り合えるものじゃないと思うけどね」
振り向いたそこには長身の男が立っていた。公園の出入り口で、通せんぼするように、立っているのだ。
深夜の公園で、一人でいる人間に話しかけるとは、既に常軌を逸しているが、今の自分は小説のアイデアに飢えていた。丁度いい人物が登場したものだ。いや、いかにも私が登場させたのだが。
その男はなんとも嫌な雰囲気を漂わせていた。彼の立つ位置からは目に見える悪臭のような、強い嫌悪感を覚える何かが溢れているようであった。匂いではない。だが近づくとこちらがそれに当たられてしまう。そんな気がした。
「おっと。挨拶を忘れていました。私は――――と申します。この近くに住んでいるんですよ」
名前は聞き取れなかった。後で決めることにする。
「……」
こんな怪しげな男には名前なんて教えられない。自分は名を名乗らなかった。それを認める、とでも言うように片手を軽く上げる。
「少しお話をしましょうか」
気づいた瞬間には男との距離は先ほどの半分ほどになっていた。逃げ出したい感情が生まれる。
「どんな話をしましょうか」
すぐ隣から声が聞こえた気がした。このままでは顔を近くで合わせることになる。それだけは避けたかった私は腹にかろうじて入っていた空気に音を添えて吐き出す。
「どうしてサングラスなんてしているんですか」
男はこんな真夜中だというのに真っ黒いサングラスをしていた。
「サングラスは眩しいときに着けるんですよね? 今は眩しいので使い方としては間違ってないですよね?」
同意を求める言い方、にしては強引な言い方だ。むしろ次に続く自分の台詞をすんなりと相手に認めさせるための枕詞のようなものだった。
「夜は暗いものです。こんな明るくちゃどうにも調子が狂う」
「はぁ……」
質問したはいいが、その返答は納得できるものではなかった。しかし安心した節もある。もし相手の目を直視することになれば、蛇に睨まれた蛙の如く、それこそ動けなくなってしまうかもしれなかった。
「さて、今度は私からの質問、いいかな?」
プロの奏者が奏でる弦楽器のような深みのある声。
「……っと、今のは疑問符を付けてみたが質問ではないよ。許可を求めたんだ。質問をしていいか、という質問をしたわけではないよ」
ただ、全く感動を覚えない声に共鳴するように、私の身体は震えあがる。何を聞かれるのだろう。
「君はこんな時間に、何故出歩いているのかな?」
答えにくい質問だ。あまりに曖昧な答えだと男はさらに喰いつき、話が継続されるだろう。できるなら、できる限り、この男から離れたい。そう思った。
「自作の小説のストーリーに行き詰っちゃったんです。気分転換、あわよくばアイデアを拾ってこようか思って」
ここは嘘は吐かないことにした。男を騙せるほど上手い嘘をつける自信がなかった。私は嘘が下手なのだ。
だが、結果から言えば男はそれでは納得しなかった。
「それは矛盾しているな」
「え?」
「アイデアはもう浮かんでいるじゃないか。深夜の公園で、怪しげな男と話す。いかにも男子中学生辺りが考えそうな話だ」
後半の男の台詞に苛立ちを覚えた。いや、確かにそれはそうかもしれない。ちなみに苛立ちを覚えたのは部屋にいる「私」だ。
「今ここには二つの『君』が存在しているね。……本当の君はどこにいるんだ? 部屋か? 公園か?」
寒気が増す。吐き気がしてきた。顔のすぐ横で声がしている気がした。今全力で走り去れば、この質問には答えなくて済む。
私は公園の乾いた土を蹴り、駆け出した。突然の激しい動きに身体は言う事を聞かなかった。腕と足が引きちぎれそうになる。
後ろの方で男が何か言った気がしたが、そんなものは聞こえなかった。あとで何か書き足すか。
「……これは面白い題材だ。……飲み物でも飲もう」
ダイニングへ向かい、冷蔵庫から麦茶を取り出す。食器棚に逆さに置かれたコップに注ぎ、それを飲み干す。渇いたのどは潤わされ、ほっと一息ついた。少し休もうと思い、リビングのソファに腰かけ、テレビのチャンネルを回した。面白い番組はやっていない。
飼い犬が眠たげな眼でこちらを見ていた。
再び自分の部屋に戻ると……誰かが机に座っていた。
相変わらずお題に合わせて書くのが下手な俺です。「小説」というお題で一応書いたわけですが、なんかまた良くわかんない仕上がりに。