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沼での戦闘は17時間にも及んだ。
というのも『短剣』デバイスが中々黒に染まらなかったからだ。
沼のモンスターはバイオレットブロブ、マゼンタフロッグ、イエロービートル、カクタスワームの四種類。
四種共に脅威度はそれ程高くない。しかし4匹まではどうにか戦えるが5匹以上になると経験則から撤退して間引きして倒すという手順を取らざるを得ない。
こうなってくるとユカリの様なある程度信頼出来る戦闘系の仲間が欲しいが我侭も言っていられない。
そもそもこの時点でユカリという生存に誰よりも強欲で利己的な人物が何人もいたら私は生存競争に生き残れない。
正直言えば後数週間は街で引き籠もっていて欲しいのだから色々矛盾している。
そして次来た時には明かりを付けられる道具を持って来ようと誓った。
これには当然というか浅い理由がある。DPOの世界は現実と時間を一緒にしているかは不明だが現実と同じ24時間という刻みで一日が進む。
朝になったら陽が昇り、夜になったら沈む。
当然の事なのだが夜になると辺りは真っ暗になる。
私は現代の日本人なので夜が暗いとは思っていたのだがあの暗さは偽者だった。
現実の夜、電柱や民家の明かり、コンビニの発光で随分と明るいんだと実感した。
辺りは完全に真っ暗で目が慣れたお陰でどうにかモンスターとは戦えるのだけど、方向感覚を失ってモンスターが沸いて現れるのを待つという状況となってしまう。
この状況だとマゼンタフロッグとイエロービートルが脅威だ。
マゼンタフロッグの方は言うまでも無く遠距離から舌を飛ばしてくるし、イエロービートルは暗闇から突然攻撃してくる。どちらも特徴的な音を発声しているので近付いてきたら分かるのだが慣れるまで何度か死に掛けた。
今では舌がスローに見えるし、イエロービートルは羽音が聞こえただけで避けられる。
さすがにHPが100代に入った時は心臓が鳴り止まなかったけど……。
お金を武器に殆ど注ぎ込んだ影響で回復アイテムもユカリから製造の手間賃として受け取っていた少量程度だったので自然回復で500まで回復してやっと安心出来た。
そしてHP100は本当に危険だ。
痛覚があるのは知っていたがHPが500を下回ってからは常に激痛がする。
例えるなら捻挫などだろうか。
捻挫の状態でその患部を常に強く押し付けられている、そんな状態だ。
何度か生きる努力を放棄したくなる衝動に駆られたが、どうにか決意の方が上回ってくれた。
あんなの普通の女の子だったらトラウマになって二度と街から出なくなる。
補足だがHPが100代に入った時、捻挫なんてレベルじゃなかった。骨折? いや、もっと酷い。常に鋭利な刃物で傷口を抉られている様な痛みだ。
私の目元が涙で少し赤く染まっているのはそれが原因なのだが自分でも忘れたい。
ともかくあの痛みは現実では早々味わうはずがない、叫ぶ痛みだ。
しかも、だからと言ってモンスターの攻撃が止まる訳じゃない。
モンスターがいる事を忘れて悶えていたら私は今生きてはいなかっただろう。
唯一の救いは痛みにさえ耐えられれば身体は満足に動いてくれるという事。
痛みを殺意に変えて戦えるのなら死なない。少なくともHPが0になるまでは。
そうして安定した陽のある戦い、紙一重の深夜の戦いを終えて漆黒に染まった『短剣』デバイスの水晶を眺めて街へ帰還した。
「あれ?」
そういえば四日眠っていない。
最初の草原で三日間暴走していたし、昨日も深夜になっても睡魔が来なかった。
街にいた時放心状態で眠っている人がいたので眠りが無い何て事は無いはず。
それにマニュアルで睡眠と食事は一定量取ってくださいという注意もあった。
眠くならないので常に動き続けているし、特に疲労感も空腹感も無い。
怖いのでもう直街だし食事と睡眠を取ろう。切実に。
人体の不思議に思いを馳せていると北門が見えてきた。
17時間の戦闘で得たアイテムも豊富なのでユカリに対して私は便利な存在だという威厳を示せるだろう。
死に掛けて涙目だったのは私だけの秘密だぞっ☆
キャラじゃない事はするもんじゃない、という結論で次から「☆」は絶対に使わないと誓った所で門を潜り抜けた。
この時点で戦闘禁止エリアとなり、確実な安全が約束される。
相変わらず疲労感も睡魔も無いがなんとなく精神的に楽になった気がする。
そんな私の内心とは裏腹に街並みはそれ程変化していない。
早朝だというのにボーッとしている者、地面に体育座りする者、横になっている者……あ! あの人、私が出掛ける前からあそこで寝ている。
うん、間違いない。つまり私が出かけていた17時間近くをあの人は眠っていたのか、ちょっとショック。
辺りを眺めるがその人以外にも座っていた人達の場所がほとんど変わっていない。どれだけ死に対して怯えているのか。
鬱病とは怖い物だ。現代病の一つになるのも頷けるね。
「お、マナじゃないか。遅せーから死んだと思ったぞ」
すると昨日と同じ場所にユカリが暇そうに座っていた。
周りと比べると瞳や顔色が良いので死に恐怖はしていない様だ。
しかし……私があれだけ必死で戦っていたのにこんな呑気な顔をされるとちょっとイラッとくる。製造デバイスであるユカリはそれが仕事なのだろうけど、不満はあるというか。
よし皮肉の一つでも言って見よう。
「暇そうですね」
「外に行く奴がいねーのに、武器屋が儲かる訳ねーだろ」
「確かに」
言われ見ればそうかと納得する。
周りの様子を眺めても街から出て戦おうという人がそう多くないのは明らかだ。
「ちょっ!? もうデバイス強化かよ!」
「おかげさまで」
「いやいや! あたしは黒が上がり辛い色だって言っただろう!」
「言いましたね」
確認とばかりに昨日と同じ様にデバイスを確認したユカリは驚愕の声を漏らした。
『短剣』デバイスは完全に黒く染まり切っており後は強化するのみとなっている。
「昨日も言ったけどな、混合色は上がりづれーんだよ。分かるか?」
「確かに連戦だったのに時間掛かりました」
深夜もっと戦えていれば早く強化する事も出来たので次はもっと効率的に動きたい。
回復剤や光源、他にも戦闘に有利になるアイテムを使う事も視野に入れるのも検討か。
「そうじゃねーよ。普通+5までは早くても1強化六時間は掛かるんだよ。それが昨日狩り始めたばかりの奴がこの短時間で+2とかどう考えてもおかしいだろ!」
「次で+3ですよ?」
「は?」
二刀流や一刀流などにランクアップするには専用の店に行かなくてはいけないけどデバイス強化は街でなくても可能だ。
狩場で一度黒に染まり強化を施したので『短剣』デバイスは+2だ。
そして現在完全に真っ黒なので+3に強化出来る。
しかし六時間で1強化となると五時間近く損をしている計算だ。
初めて行った狩場とはいえ、少し時間が掛かっている。
まだ沼での戦闘も余裕があるとは言い切れないし、次も同じ狩場に行く予定なので今度は六時間……いや、五時間強化を目指そう。
そうしてもっと早くデバイスを強化出来ればまた一つ強くなれるはずだ。
「これを上げれば+3になるのがそんなに凄いんですか?」
「いや……まあ普通にゲームが始まってたんならベータ組よりは遅いだろうけど」
「なるほど、ではもっと急がなくては」
1万近くも人間がいるのだからベータテスターの全てがユカリの様に引き篭もるとは考え難い。その内の何%かは今も強くなっているに違いない。
「はぁ……あたしはどうやら当たりを引いちまったっぽいな」
「そうなんですか?」
「分かんないなら良いんだ。沼はどうだった?」
「はい、中々に効率的な狩場でしたよ」
「敵の火力が高い代わりに防御が低いからな。ダメージはどうだ」
「HPが700を下回った事は無いですね」
見栄を張った。ここで痛くて泣いたとか言ったら威信に関わるし。
それに私とユカリの関係はあくまで利害の一致。利害が割れれば敵と言わないでも無関係な赤の他人にもなりうるのだから、弱みを見せて後々良い状況にはならない。
それよりもお互い情報交換する方が利益もある。今は誰よりも早く行動するのが一番の近道なのだから。
「こちらはある程度アイテムを集めましたが、ユカリの方は何かありました?」
「あたしには何も、ただマナが街を出てからちょっとした事件が二つあった」
「事件?」
「ああ、一つ目は自殺だ」
私は自分の意思とは無関係に眉をひそめた。
話によると三日間の鬱屈した死への恐怖が爆発して、こんなのが続く位なら死んだ方がマシだ、という物だ。
ユカリは街で行動するに当たって地理を把握しようと、この四日間歩き回っていて偶然その場を目撃したんだとか。
南門で起きたその事件は南門からも見える位置で痺れを切らした高校生位の女の子が初期に配布された斧、私とは違う適正武器を自分に向けて放った。
「結果は?」
「死んだ」
「具体的に」
「死んだ以外の表現は無い。ただ言えるのはその事件を実際に見た奴は自殺を絶対にしないという事だけだな」
自殺した少女は確実に死ねる様に首に斧を放ったそうなのだが、初期の斧という事もあり、あまり威力がなかったらしい。
結果、動脈の位置で刃が止まった少女は声にならない声を叫びながら大粒の涙を滝の様に流し悶え苦しんで数分にも及ぶ絶望の中で、息を引き取ったらしい。
その後はモンスターと同じく全ての所持品とデバイスをドロップしたそうだ。
「初日から自殺は頻繁に発生してるが、腹にナイフ刺した程度じゃ死なねーからな、痛い痛いって転げまわって結局今でも生きてる奴が大半だ。今回の例は本当に自殺した例だが……あたしはオススメしないな」
「ごもっともで」
お腹にナイフを刺したらどの程度のダメージを受けるんだろうか、とか考えたのは無粋だろうか。
元からする気は無いし故人には悪いけれどこれで自殺が苦しい物だという実証が取れた。
「二つ目は生存を目指した10人パーティーが西門から外に出ていった」
「予想以上に早いですね。もう少し行動に出るのが遅いと思っていたのですが」
「安心しろ、そいつ等はライバルですらない」
「……どういう事ですか?」
想像しても意図が分からなかったので尋ねて見たが納得する答えが返ってきた。
彼等10人は自分達だけは生き残ってやると息巻いて出発した。
10人全てが体感系ネットゲーム経験者で、培った知識に裏打ちされる自身強化欲求と生存欲求からくるネットゲームプレイヤー気質の高い人達だったらしい。
なんでも他のゲームでは上位に属するプレイヤー群だそうだ。
そんな頼りになりそうで、尚且つ敵にもなりえそうな人達がライバルでないとユカリに言わせたのは私としては酷く納得出来る答えだったので彼等の気持ちも理解出来る。
「攻撃されて死ぬ程痛かったんだってよ」
「気持ちは分かりますけど、最初から分かっていた事なんじゃ……」
「そいつ等の話だとHPが700下回るともう戦う事なんて出来ないって話だ」
「いくらなんでも700以下で痛いというのは増長じゃないですか? 700位というと常に擦り傷の痛みが体中にある位ですよ」
「いや、それ十分痛いだろ!」
100以下の痛みに比べたら擦り傷なんて気にならない位なんだけど、ユカリはデスペインオンラインでの戦闘経験が無いので分からないのだろう。態々無駄な言い合いも意味が無いのでこの話は打ち切っておく。
「つまり彼等は……」
「もう二度と街から出ないってよ。場合によってはマナを捨ててそっちに乗り換えようと思ってたからな、がっかりだ」
「本人の前で良く言えますね!」
「マナの場合隠したら何するかわかんねーだろ!」
「た、確かに!」
言われて見ればユカリがそういった隠し事をしたらまず100%疑うはずだ。
やはりユカリは良く人を見ている。仲間として悪くない人材だ。
ちょっと口が悪い所とか、他人を利用する所とか、演技で近付いてくる所とか、暇そうに座っていた所とかを除けばね。
「まあそいつ等の所為で結果的に生存競争は遅れそうだ」
「でしょうね。やはり痛覚の情報は広まっているんでしょうか」
「そいつ等がかなり広めたな。西区画の方ではかなり有名になってる」
「こっちとしては万々歳ですが」
「あたし的にはもっと沢山外に出てって欲しいけどな」
今ユカリは具体的な顧客を私しか所持していないらしい。
被害者の殆どがゲーマーなのも問題だとユカリは話す。というのも大多数の体感系ネットゲームに痛覚は実装されていないんだとか。
精々物に触れた感触、食べ物の味、風の靡き、水の流れる感触など世界を体感させる物に限った事でモンスターに攻撃されて激痛が走るゲームはクソゲーだとか。
キャラクターが攻撃を受けたら自分も痛いなんて普通やらないよね。
つまり同一タイプのゲーム経験者だからこそ、想像を絶する痛みを発するDPOを受け入れられない。爽快に戦う感覚に慣れていれば慣れている程、受けたダメージからくる痛みに耐えられない。
今回の事件で別のゲームとはいえ上位プレイヤーが事実上の脱落宣言をした事で一部のプレイヤーは更に深い死の恐怖を味わっているとユカリはこの街を見て話した。
それだけ現在のDPOは恐怖の象徴となっているという事だ。
「そういうユカリは随分と落ち着いていますよね」
「絶望したって死ぬんだ。なら死なない努力をした方が何倍もましだろ」
「ユカリは強いですね」
「まるで自分は違うみたいな言い方だな」
私は違う。
少なくとも私はユカリの様に心が強くない。
一度死んでいるから死の受容が出来ているだけだ。
昔の私は無実への希望と冤罪の絶望の中で震えていた。
あの子が救ってくれなかったら、きっと今でも死に怯えていたはずだ。
「取り敢えず今回の収入です」
誤魔化す様に話題を利益に向ける。
私は変わったんだ。自由に生きて、自分の最後の場所を探す。
何の為に生まれたのかを他人に決めさせない。私が決める。
その日までこの死の世界で戦う。
「結構あるなって……何時間狩りしてんだよ。+3な訳だ、時間的に夜も狩ってんだろ」
「ええ、少々厳しかったので次は明かりが欲しいですね」
得意気な表情で告げるとユカリが凄く嫌そうな顔をした。
なんというのか残念な物を見る様な、そんな目。
「なんというドヤ顔……あそこは不意打ちが怖いから夜は危険なんだぞ」
「ドヤ顔ってなんですか?」
「そこからかよ……」
なんでも昔から使われる俗語らしく、調子に乗った顔という意味。
ええ、ごめんなさないですね。世間に疎くてすみませんね。
なんでマナみたいのがDPOやってるんだとか愚痴られた……。
そんな冗談はどこか遠くに置いておくとして真面目な話。
「今は市場が安定してないからな。もう一本ダガーを作って後はNPC売りするのが良いと思う。武器作り過ぎても金は増えないしな」
「それではユカリのデバイスが強化されないのでは?」
「もちろんあたしも強化したい所だが現在一人しかいない収入源が失う方が痛いんでね。マナには十分な防具と回復剤を持って沢山狩りをしてもらった方が後々得なんだよ」
ユカリは腕輪型の武器製造デバイスを撫でながら語る。
少し水晶が黒いのは黒系武器を作成しているからだろう。
私としてはそれで問題は無いが不満が溜まると仲違いの可能性もある。
本音を言わなくてもユカリはかなり使える人物だ。外に出ないという制限を付けても私がDPOで生きて行く上で必要な情報を何個も唱えてくれている。
現状、私はユカリに依存しつつある。これは非常に不味い。
本人は収入源として私を見ていると言っているがユカリからの情報が無ければ私は今ほど楽な状況にいない。私がユカリなら今不満に思わなくても後で不満に思う。
恩を返せ、てね。
「市場が安定するまで取り分を半々にしましょう」
「……なに言ってんだ?」
唖然とした表情をされた。
確かにユカリの話では6:4でもユカリが取り過ぎているという。
それでも私はユカリに依存しているという状況が気に入らない。
ユカリがいなくなってもやっていける能力を身に付けるまではユカリが優位者でなければならない。
でないと私はユカリを信用出来ない。良い金づる程度に思われていないと安心出来ない。
「私はユカリに依存したくないので」
「おいおい、依存してるのはあたしの方だろ」
「あなたは顧客に対して当然の事をしているだけです。ならば私は現状打破の為、顧客でなければならない」
ユカリは一度目線を横に向け、30秒程考えこんだ後。
「…………まあ、マナがそれでいいならいいけどさ」
こうして金銭取引は半々になった。
その代わり私はユカリから満遍なく情報を貰うつもりだ。
ベータ経験者の知識を吸い上げる為に。
「ただし! さっきも言った通り今マナに死なれたらあたしが困るんだ。防具一式と回復剤は借金をしてでも購入してもらうぜ」
「ええ、よろしくおねがいしますね、ユカリ」
「こっちこそな、マナ」
物語の様な友情では無いけど、この死の世界では打算と利己の関係で良い。
それでも私とユカリの中には最低限の協力関係が結ばれた。