第1話ニーチェの少年時代
「『この世は生まれたとき混沌に在った。秩序が芽生え、破壊され、また混沌となり。繰り返す。その輪廻の中で混沌に立ち向かう者は英雄と呼ばれた。秩序を破壊する者は巨凶と呼ばれた。どちらが正しいということは重要ではない。どちらが生き残るかということが重要なのだ。』コレはリーザー王国初代国王リーザー・ディンバルトの著書の一部ですね。いくつかの暦を越えて、この世をリーザー暦と区切り、今私たちが生きているのがリーザー暦2548年となるわけですね。」
「もう、何度も聞いた。」
あからさまに嫌そうな顔をする少年に家庭教師のウィック・カスケードはため息をついた。この少年こそ、リーザー王国139代国王候補のニーチェ・ディンバルトその人なのだ。茶色いクルクルのくせっ毛が宮内の女性に物凄く人気がある。漆黒の目に真っ白い肌は病弱を思わせるが、実際は腕白で、外に出る事も少なくない。
「それでは、今日はもう剣の練習にしましょう。表へ出てください。」
ニーチェはその言葉に、表情をパッと明るくして剣を手に取った。「今日はウィックから一本取る!手を抜いたら承知しないからな!?」
ウィックは
「はいはい」
とうなずいて練習場へと向かった。
「たぁぁぁあ!」
ニーチェの気合いの入った声が響く。ビキィという音と共にウィックが木剣をいなす。
「もっと踏み込んで!こう!」
ウィックの木剣がニーチェの喉一寸で止まる。
「はぁ、はぁ。」
息を荒くしてその場にドッと座り込む。
「だぁぁあ!惜しかった!もう一回しよう!!」ウィックは息を整えた。
「今日はこの辺で終わりにしましょう。もう二時間半も続けていますから。」
ニーチェは膨れっ面で練習場を後にした。
ウィックは汗を拭き、ニーチェについて考えた。(はぁ。国王になんと申し訳すればよいのか。勉強はすこぶるできる。剣も15にしては抜きんでている。しかし、あの言葉遣い。言動。いつまで経っても治らない。どうにか王室として恥ずかしくない振る舞いをしてほしいのだが・・・。そもそもどこであの言葉遣いを覚えてくるのだろうか?)
ニーチェは剣の練習を終えたあと、汗を拭きながら練習着のままこっそり裏庭に向かった。木を登り塀に足をのせ、外にある馬小屋の屋根に飛び降りた。さらに飛び降りて、音もなく地面に着地した。そうしていつものように村へと走っていった。
「キート?居るかい?」
ニーチェはあまり立派とは言えない小さめの家のドアをノックした。
「ああ、今出るよ。ニーチェ、今日は家庭教師じゃなかったの?」
すぐに出てきたキートという少年は眼鏡を指で押し上げた。
「今日はもう終わったからどっか行かないか?」
ニーチェが言うと、キートは靴を履きながら言った。
「どこいく?今日は市場に用事があるんだ。一緒に行く?」
市場は沢山の人でごった返していた。
「いつ来てもここは賑やかだな!あ、あれハーレンじゃない?」
ニーチェが指を差したほうを見るとそこには背の高いいくつか年上の男が立っていた。髪は金色の短髪で瞳はグリーンに輝いている。誰が見ても色男だ。
「あっ本当だ!ハーレンさーん!」
キートが呼ぶとハーレンも気付いたらしくこちらに歩いてきた。
「おう。ニーチェとキートか、久しぶりだな。ニーチェ、こんなところにいるとまた兄貴に叱られるぞ。」
ハーレンはウィックの弟で、若くして城下の警備団の団長で、近隣の村の少年達の憧れの的だ。団長のくせに警備団の中では一番陽気な人間だろう。ウィックとは髪の長さと目付き、性格の違いを除けばとても良く似ている。
「大丈夫さ!ハーレンは内緒にしてくれるだろ。ハーレンこそこんなとこで仕事さぼってていいのかよ?」
ハーレンはニーチェの耳に囁いた。
「これでも仕事中でな、この付近で少し妙な噂があってな・・・。いいから他の団員に見つかる前に今日は帰りな。」
ニーチェは渋々とキートに別れを告げ市場から抜け出て、家路に着いた。
いつものように城の塀に上ろうとしたとき、馬小屋の横に見知らぬ男が座っていた。黒いフードを身に纏い顔は隠れて見えない。
「・・・だれだよ?」
ニーチェが恐る恐る聞いてみる。
「ぼくはね、遠い国の皇子なんだ。父上に叱られて、こんなに遠いところまで来ちゃったんだ。」
不自然なしゃべり方で、どこかのなまりがある。
「ふ〜ん。俺も皇子だけど、君みたいに一人で遠くには行けないよ。君ってすごいな。」
ニーチェは探り探り話し掛ける。
「そうかな?」
意外そうに言った後、照れ笑いする。
「でも、実は一人じゃないんだ。今にみんなで迎えにくるんだ。君も危ないから逃げたほうがいいよ。あいつら乱暴なんだ。」
ニーチェは一瞬彼が何を言ってるのかわからなかった。
「逃げたほうがいい?そっか!確かに家出した皇子の近くにいたら誘拐犯だと思われちゃうかもな。じゃあ、もう帰るから。」
黒いフードの少年は突然フードを脱ぎ捨てた。
「僕はジェィル。君は?」
黒いフードの下は黒い肌に赤い入れ墨のような模様が刻まれていた。
「・・・俺はニーチェ。」
あまりの驚きに口が強ばった。見たことのない肌の色。よく見ると美しさすら覚える赤い模様・・・。
「君に会えてよかったよ。また会おう。僕の友達になってよ。」
ニーチェがコクリと頷くと、にっこり笑ってまたフードを被って城下の方へ消えてしまった。
その晩、夜中とも言っていい時間。ニーチェは宮内が騒がしいことに気が付いた。
「王子!お逃げください!」
突然ウィックが部屋に入ってきた。額から血が流れ服にも血がべっとりと付いていた。
「ウィック!どうしたんだ!?血塗れじゃないか!」ニーチェがそう言い終わるところで、ウィックは遮った。
「テラスから行きます。あなたは剣だけ持ってください。」
ニーチェは剣だけ渡され、次の瞬間にはウィックに担がれ地面に向かって落ちていくところだった。
「わあぁぁぁぁぁぁぁ?お、落ちるぅぅぅぅ!?」あ―――。ぶつかる。五階からでも死ぬかなぁ―――。
「王子、情けないですよ。」
ニーチェは一瞬気を失っていたが、気が付くと無事着地し、ウィックに負ぶさっている状態にあった。
「ウィック!降ろせ!何があったんだ?何で飛び降りたのに無事なんだ?」
ウィックはほほ笑み、ゆっくりと口を開いた。
「今からハーレンが迎えに、来ます。ここで待っていて、ください。質問は、ハーレンが、答えて、く、れるで、しょう。」
ウィックの腹部からは血が染みだして、やがて地面に滴るほどの血液が流れだした。
「ウィック・・・?まさか・・・。」
「あ、なた、は本当に、手のか、かる教え、子でした。でも、あなたは、き、きっ、と、いい、王に・・・。」
呼吸が短い。体温が低い。顔色も非道い。
「も、もしかして、飛び降りたときに傷が開いたのか?」
また、唇の両端を持ち上げ、ほほ笑む。
「あ、なたの所為、では、ないです。私の意、志で、す。ほら、ハーレンが・・・来る。私とは、さ、さよなら、です。」
確かに蹄の音が聞こえる。城の中から、悲鳴、建物の崩れる音、炎の音、つまり、王国の終わる音が聞こえる。しかし、ニーチェにはどの音も聞こえなかった。自分の泣き声以外は。
親友が、死んだ。
ハーレンはニーチェを馬に乗せ日が出るまで百数十キロも休まず馬をとばした。東から太陽が出ると、馬を止め、川辺で休憩した。
「ハーレン、ウィックは死んじゃったのかな?」
半分泣きながらニーチェはつぶやいた。
「さあな。」
ハーレンは川を見つめながら、他に考えていることがあるような素振りで答えた。
「キートたちは、大丈夫かな?」
二人ともぼんやりと川を見つめている。
「さあな。」
「親父とかあさんは?」
「さあな。」
「俺どうしたらいいんだろう?」
「自分で考えろ。」
「俺、きっと、いい王に成れるって。ウィックが言ってたんだ。」
「そうか。」
「俺、だから、もう少ししたら、あの国取り返すよ。」
「そうか。」
「ハーレンは手伝ってくれるか?」
「もちろんさ。」
少しの沈黙後。ハーレンはニーチェが眠っていることに気付いた。頬に涙の跡が付いていた。
「きっと、成れるさ。いい王に。」
リーザー暦2548年。リーザー王国滅亡。国王女王含む15900000人以上が死亡。突然王国を襲ったのは、数百の魔物と呼ばれていた旧時代の化け物達。率いていたのは魔界の第六王子と称する黒い肌を持つ少年だった。なお、リーザー王国王子ニーチェ・ディンバルト、城下警備団団長ハーレン・カスケードの二名は四年間姿を消すことになる。