1.00 死気
あなたを探す 後悔してしまって
∴後悔しなければ あなたはいたのに
レモーニ一行が、トルマンダ王国の東の地アゼレッセンから旅立ってから二日過ぎた。
彼女たちは、アゼレッセンの山沿いの森を南に向かって進んでいた。方向が正しければ、既に隣の地に到着している予定である。
長旅をしたことのないレモーニにとって、旅を供にしている河馬という用心棒屋の一味である女従者たちは、とても頼りになる存在だった。
「ビゼー…お腹がすいたわ…。」
レモーニは前方の黒馬に乗った烏のような色をした女性に訴えかけた。
ビゼーは旅で最低限必要不可欠な物を低コストで備える才能に長けている。その横を歩く金髪のショートカットのエンヴレンは、剣術に長けている。また、レモーニの後方で馬に乗っているカレントは、銃の名手である。そしてまた見えないところには、一人隠密行動をするシュアンナが彼女たちを見守っている。
「お主が先程たらふく食べていたではないか。これ以上はもうないぞ。」
ビゼーは振り向きもしないでそう告げた。
その態度に少し腹を立てたレモーニは、困り顔をしてシュアンナを呼ぶ。
「まだ見えないの!? シュアンナ!」
返事の代わりに、雀の羽がひらひらとビゼーの馬の頭に落ちた。
「何で何も答えないのよー…。」
レモーニが肩を落とすと、前方3メートル先を歩くエンブレンが足を止めた。
続いてビゼーも馬の手綱を引く。
「曲者だ。止まれ、レモーニ嬢。」
まだ陽の差す森の中で、鳥のけたたましい鳴き声が聞こえる。そしてそれは――…。
「シュアンナ!!」
東の方から、木々伝いに血色に染まった衣をまとった忍者が駆けてきて、レモーニの横の東側の木で足を止めた。
「遅くなって済まぬ…、お嬢。」
「その傷は一体どうしたって言うの!」
シュアンナはふっと笑い、背中に縛りつけた大きな雀の羽の一本を抜いた。前方でビゼーも大きな烏の羽を手にしている。
「そなたのご親戚の駒にやられてね…。」
シュアンナは怪我をした腕を、衣を引きちぎって止血した。
そして前方へ駆け出そうと息を整えていた。
「そんなんじゃ止まらないわ!」
レモーニはそれを制そうとして、金切り声をあげる。
「お嬢、我々の本領発揮とやらを…見守ってはくれぬか?」
シュアンナの目は、ギラギラと輝いていた。
シュアンナとビゼーは、従姉妹同士の結婚で知り合った。
生まれも育ちも違う彼女たちだが、年齢と生まれ持ったその戦闘能力においては共通するものがあった。
14歳の夏、彼女らのちょうど旅先の国で、デモによる内戦が行われ始めた。逃げ遅れた二人はそのデモに巻き込まれ、その国の亡命を余儀なくされた。
だが、帝国側とその反対勢力――つまりデモ側のどちら側にも、スパイだと疑惑をかけられてしまった。
そして二人は別々に捉えられ、シュアンナは帝国側に、ビゼーはデモ側に捉えられたのである。
だが彼女たちはめげなかった。トルマンダ王国に帰還するため、各々に忠誠を誓い、シュアンナは帝国のスパイに、ビゼーは参謀にまで昇進した。それで二人一緒に帰る日を夢見て、内通し、とある日チャンスは訪れた。
当時の彼女たちは、とても大人しげな少女であった。それだけじゃなく、彼女たちは強かった。独特の戦法により、敵を蹴散らした。それ故、内戦により気性の荒ぶるか弱き女性たちへ嫌気をさした男らはことごとく彼女たちに惚れてしまう。
唯一中立を掲げていた若き教皇は、その凛とした顔だちのトルマンダ育ちの少女二人に好意を抱くようになった。シュアンナもビゼーも彼の気持ちを利用とした。
とある夜、教皇は屋敷に二人を忍び込ませ、永久の愛を語らい合い、朝が明ける前に国の外へ逃がした。
シュアンナとビゼーは、それ以来強い絆で結ばれている。
木々が風でざわめく。それまで無風と言っても過言ではなかったのに。
それは一人の屍を歩かせていた。
レモーニのよく知る顔である。
「ロッダ!?」
屍は腐った異臭を放ち、破れた制服の隙間の垂れた肌の内側に見える肉は、黒紫色をしている。それでもレモーニが彼だと気付いたのはきっと――…屍の首から上、すなわち生首だけが生きている人間のように活き活きしているからである。
「どうして…置いて行かれたのですか?」
レモーニは愕然と彼を見た。主に、彼の頭だけを。
「僕は…あなたが好きなのに…どうして…。」
屍は、レモーニの瞳をそっと見つめた。哀しげに、彼女を見つめた。
「何処までも…追いかけます。それで…僕を…――」
風が屍を運ぶ。従者たちをすり抜けて、レモーニの元へと。
「――…愛して。」
一瞬、屍の体が、肉が肌が、破けた服までも、元のロッダへと再生した。しかし、すぐに、その心臓を鈍色の物体が貫き屍の姿に戻した。
カレントの銃が命中した。前方ではシュアンナとビゼーがつまらなさそうに悪態をついた。エンヴレンだけは、いつもの無表情でその様子を傍観していた。
「案じてはいけない。そいつは、死気だ。今の男が、お前にフラれたあまりに精神を崩壊させてしまったのだろう。その暗い感情がそんな屍を作り出してしまったんだよ。悪気はないだろう。ただ、お前に伝えたかったんだよ。」
カレントは続いてぼそっと“愛してるとな”と呟いた。
レモーニは忘れようとしていた人を思い出して、涙を流した。泣いていることに気付いて、感傷に浸るように涙があふれ出た。
そんなレモーニを元気づけようと、ゼジーが南を指した。
「見ろ、森が開けるぞ。」
陽が落ちかけた森の先に、火の明かりと煙が見えた。
シュアンナがレモーニの前に乗り込み、馬を走らせた。
山と海と森に囲まれた地のクォンツでは、自然の幸の料理が豊富だった。
落ち込んだレモーニを気遣ってか、ビゼーがクォンツ最高級のレストランのオーナーに頼んで、割安でご馳走してもらうように交渉した。
その味と言えば、無口な女剣士のエンヴレンが口を開くほどだった。
「こんな美味しい料理は何年ぶりかしら?」
ビゼーもシュアンナもそれに続けた。
「ヒッポは安月給だからな。いつも割に合わぬし…。」
「だが、お嬢のこの仕事が回ってきて悪いことはないな。」
カレントがもごもごしながら口を挟む。
「シュアンナ、あんたその腕は平気なのか?」
「あぁ、お嬢に手当てしてもらったからな。」
レモーニはその和やかな光景を、ただ不思議そうに見つめていた。
まるで、屍などと遭遇していないかとでも言うかのようだから。
「そういえば、クォンツには温泉があると聞いたけど。」
ひとり早々と平らげたカレントが言った。
「あぁ、そうだ。旅館の者に案内を頼むといいぞ。」
「一人で行けと言うのか、お前。」
「お主、その年で何を申すか。」
エンヴレンがクククッと笑った。
「お前まで笑うな! 別にいいだろう!」
シュアンナはそれを収めるように、手でカレントを制した。
「いいぞ、三人で行って来ればよかろう。お嬢は某がお守り致す。」
エンヴレンも皿を重ねて言った。
「早風呂…だけど温泉ならいいかもね。」
「それもそうかもしれぬ。」
ビゼーは飯を掻き込んで飲み込んだ。
三人がレストランを出た後、レモーニとシュアンナはゆっくりと食事を続けた。
「お嬢、お嬢も愛しているんだろう。」
シュアンナは唐突に切り出した。二人がデザートを口にする前だった。
「男の未来について行かぬと決断したお嬢は偉いのだぞ。」
レモーニは目をパチクリさせた。
「どういうこと?」
「愛などは決して永久ではない。先刻の屍…死気ですら、本物が死んでしまえば消滅するし、形成することはないからな。死んでしまえば…愛など無意味だ。」
「気持ちは生きるわ? 例えどちらかが死んだとしても。」
「いいや…お嬢にはまだ分からぬだろう。愛しても死んでしまった男を探す死気の気持ちなど…。」
「…それは、誰の話?」
シュアンナはフフッと笑った。
「某の話だ。昔、愛していた人がいた。慈愛に満ち溢れていた優しい男だった。そやつは…死んでしまったけどな。若き某は、男を求めて毎日負の感情を高めて死気を作った。死気を、何体も何体も至る地に送り込んだ。しかし男は見つからぬ。そればかりか、某の男を慕う気持ちは少しずつ薄れて行った。ヒッポの経営主が、ヒッポを各地に派遣して幾つもの死気を倒してくれたらしい。死気とは元々負の感情故、それを斬って消滅させてくれたおかげで、某の恋心とやらも、悲しい感情も、無くなってしまったのだろう。お嬢の想い主も、幾度となく死気を作り出し探し出そうとするだろう。もしもまた彼が来るときには、お嬢が斬ってやれ。お嬢の手で彼の心を救ってやるがよい。」
レモーニは話を聞き終える頃、両手で顔を覆っていた。ただただ、頷いて。ロッダを思い浮かべて。
――私のこと…忘れてしまっても…あなたが楽になるのなら。
レモーニは、死ぬ前には絶対彼には一度会おうと思った。そしてこう言いたいと願った。“愛してるわ”と。
ようやく2章へ。
読了お疲れさまです。