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お父さんはヒーロー

掲載日:2026/05/28

誰かを守るために、

頑張ることは間違いじゃない。

でも、

頑張る方向を間違えた時。

人は、

大切なものを守ったつもりで、

壊してしまうのかもしれない。

夜中だった。

 リビングの電気だけが点いている。

 机の上。  冷めたコーヒー。  開いたままのノートパソコン。  散らかった書類。

 男は、そこに座っていた。

「……はぁ」

 小さく息を吐く。

 時刻は二時を回っている。

 でも、まだ終わらない。

 資料。  電話。  メール。  明日の予定。

 全部が積み重なる。

 眠い。  疲れた。  帰りたい。

 けれど。

「お父さん」

 小さな声。

 振り向く。

 廊下の向こう。  眠そうな目をした娘が立っていた。

「……どうした」

「お水」

「ああ」

 立ち上がる。  コップに水を入れる。

 娘は両手で受け取った。

「ありがと」

「もう寝ろ」

「うん」

 娘は少しだけ迷ってから言った。

「お父さん、またお仕事?」

「……そうだな」

「そっか」

 娘は少し笑う。

「頑張ってね」

 その言葉だけで、疲れが少し消えた気がした。

 頭を撫でる。

「お前たちのためだからな」

 娘は嬉しそうに笑って、部屋へ戻っていった。

 静かになる。

 男は、また椅子へ座った。

 キーボードを叩く。

 働かなければならない。

 稼がなければならない。

 家族を守らなければならない。

 それがお父さんだ。

「最近、帰り遅くない?」

 朝。  妻が言った。

「仕方ないだろ」

 ネクタイを締めながら返す。

「今忙しいんだ」

「でも子供達、寂しそうだよ」

「その分、生活は安定してる」

 少し強く言ってしまった。

 妻は黙る。

「……悪い」

「別に責めたいわけじゃないの」

 でも、その顔は少し疲れていた。

「いってきます」

 返事は、小さかった。

 数ヶ月後。

 男の仕事はさらに増えていた。

 昇進。

 責任。

 給料も上がった。

 周囲は祝福した。

「家族も喜んでるだろ」

「いい父親だな」

 そう言われるたびに、誇らしかった。

 自分は頑張っている。

 家族のために。

 間違っていない。

 ある日。

 珍しく早く帰れた。

「ただいま」

 返事がない。

 リビングは静かだった。

 妻はいない。

 娘の部屋を見る。

 机に向かったまま、動いていない。

「……おい」

「ん」

 反応が遅い。

「大丈夫か」

「別に」

 声に感情がなかった。

 少し、引っかかる。

「学校は?」

「普通」

「友達は?」

「普通」

 会話が続かない。

 違和感。

 でも、疲れているだけかもしれない。

「……無理するなよ」

「うん」

 娘は、こちらを見なかった。

 息子の学校から電話が来たのは、その翌週だった。

「……いじめ?」

 耳を疑った。

『はい』

 教師の声は重い。

『複数人への暴言、暴力が確認されています』

「そんなはずない!」

 思わず声が大きくなる。

「あいつは優しい子で——」

『ですが、事実です』

 言葉が止まる。

 夜。

 息子と向き合う。

「なんでそんなことした」

 息子は黙っていた。

「答えろ!」

「……うるさい」

「何?」

 初めてだった。

 息子が、そんな目をしたのは。

「父さんに何が分かるんだよ」

「……は?」

「いつもいないくせに」

 胸が止まる。

「母さんも、妹も、ずっと変だった」

「でも父さんいなかったじゃん」

「働いてたんだぞ!」

「俺たちのために!」

 叫ぶ。

 息子は笑った。

 乾いた笑いだった。

「それ、父さんが勝手に思ってるだけだろ」

 その夜。

 妻はいなかった。

 机の上。

 一枚の紙。

 離婚届。

 頭が真っ白になる。

 震える手でスマホを取る。

 メッセージ。

 短かった。

『ごめんなさい』

『もう限界でした』

 その下。

 見知らぬ男との写真。

 息が止まる。

 静かな家だった。

 娘は部屋に閉じこもっている。

 息子は何も話さない。

 男は、リビングに一人座っていた。

 考える。

 何が悪かった。

 働いた。

 頑張った。

 全部、家族のためだった。

 なのに。

「……違うのか」

 ぽつりと漏れる。

 静かな部屋。

 返事はない。

 その時。

 娘の部屋の前を通る。

 扉が少し開いていた。

 中を見る。

 娘は、座っていた。

 暗い部屋で。

 ぼうっと前を見ている。

「……おい」

 反応がない。

「大丈夫か」

 ゆっくり顔が向く。

 でも。

 そこには、何もなかった。

 怒りも。  悲しみも。  嬉しさも。

 空っぽだった。

 その瞬間。

 男は理解した。

 自分は。

 家族を守れていなかった。

 守ったつもりだった。

 ヒーローになったつもりだった。

 でも本当に必要だったのは。

 金でも、  仕事でも、  理想でもない。

 ——隣にいることだった。

 娘の前で、男は崩れる。

「……ごめん」

 声が震える。

「ごめんな……」

 娘は、何も言わなかった。

 ただ。

 空っぽの目で、父親を見ていた。

「家族のため」

その言葉は、とても正しい。

でも、

正しいからこそ難しい。

この父親は、

きっと本気で家族を愛していました。

ただ、

愛し方を間違えた。

そんな話です。

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