第66章:キャンディ・ポップ・ナイトメア
悲しみも後悔も、ボタン一つで消せる世界。
狂気は、ポップな笑顔の仮面を被って日常を侵食していく。
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(悲しみを消すことは、喜びの味を薄めることと同じだ。
だが、世界は「無味」な安らぎを選び始めた。)
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◆【去りゆく喧騒】
沙耶の家の周りから、カメラの砲列が消えた。
「……静かね。」
カーテンの隙間から、誰もいない道路を見下ろし、沙耶は呟く。
腕の中の空人は、無邪気にキャッキャと笑っている。
世間の熱しやすく冷めやすい好奇心は、もう「可哀想な未亡人」には飽きていた。
人々が求めていたのは、悲劇のヒロインではなく、新太が証明した「もっと手軽な救い」だったのだ。
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沙耶は安堵すると同時に、世界から切り離されたような孤独を感じた。
テレビをつける。
そこには、かつての新太の特集ではなく、カラフルでポップなCMが流れていた。
『失恋? 失敗? トラウマなんて、もう流行らない!』
『週末はクリニックで、プチ・リコ(Re-Co)しませんか?』
軽快な音楽と共に、若い女性が笑顔で涙を拭い、次の瞬間には晴れやかな顔で街を歩く映像。
RE:CODE技術の民間転用サービス――通称『リコ』の宣伝だった。
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◆【ファスト・メモリー】
街のカフェや学校、オフィスでは、新しい挨拶が交わされていた。
「ねー、聞いた? ミキの彼氏、浮気したんだって。」
「マジ? 最悪じゃん。落ち込んでる?」
「ううん、昨日クリニック行って『リコ』ってきたって。彼氏との記憶だけピンポイントでボカして、もうスッキリだってさ。」
「いいなー! 私もバイトのミス、リコっちゃおうかな〜。」
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まるで美容院で髪を切るように。
スマホの不要な写真を削除するように。
人々は、自分にとって不都合な記憶、辛い感情を『リコ(Re-Co)』と呼び、安易に消去・修正し始めていた。
結城維人が敷いたレールの上を、世界は無邪気に暴走している。
「犯罪者予備軍の更生」という名目は薄れ、「より快適な人生のためのメンタル・コーディネート」へと変貌を遂げていたのだ。
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◆【賛否の渦】
もちろん、全ての人間がこの流れを歓迎しているわけではなかった。
ニュース番組の街頭インタビューでは、複雑な表情の老人や、渋い顔のサラリーマンが答える。
「……嫌な時代ですよ。辛い経験があるからこそ、人は成長するんじゃないですか? 痛みを知らない人間が増えて、本当に大丈夫なんですかね。」
「亡くなった妻の悲しみも消せるって言われましたけど……断りました。悲しみも含めて、あいつとの思い出ですから。」
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しかし、その横でマイクを向けられた若者は、明るく言い放つ。
「え? なんで苦しまなきゃいけないんすか? タイムパですね、タイムパ。悩んでる時間があったら、リコって楽しく生きた方が生産的でしょ。」
「新太さんだって、記憶変えて幸せだったんでしょ? だったら、みんなそうすれば平和じゃん。」
肯定派の意見が、否定派を「古い考え」として押し流していく。
苦しみも、葛藤も、後悔もない。
常に笑顔で、常に前向き。
そんな「人工的なポジティブ」が、正しい社会のあり方として定着しつつあった。
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◆【透明な侵食】
沙耶は、テレビのリモコンを落とした。
画面の中の笑顔が、怖かった。
みんな、笑っている。
嫌なことを消して、綺麗なものだけを残して。
それはまるで、新太がそうであったように。
そして、今まさに壊れかけている自分がそうであるように。
「……違う……。」
沙耶は空人を強く抱きしめる。
「痛みは……消しちゃいけないのよ……。」
けれど、その言葉は誰にも届かない。
窓の外には、毒々しいほどに鮮やかなネオンサインが輝いている。
『あなたの心、デザインします。Re-Coクリニック』
その光は、沙耶の家の暗がりを嘲笑うかのように、点滅を繰り返していた。
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第66章・完
第66章をお読みいただきありがとうございます。
嫌なことは「リコ」って忘れればいい。
そんな安易な救済が蔓延する世界は、沙耶にとって悪夢でしかありませんでした。
痛みを知らない笑顔が溢れる社会。その歪みは、やがて大きな亀裂を生むことになります。
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