第53章:白い嘘、黒い真実
完璧な幸福と、泥だらけの真実。
彼女が選んだのは、険しくも温かい「夜」だった。
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(汚れのない白衣は、
時に、どんな闇よりも恐ろしい。)
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◆【深夜の琥珀】
地下室の時計の針が、午前2時を回っていた。
月陽はようやく興奮が冷め、紋之丞が用意した簡易ベッドで、小さな寝息を立てている。
灯は、その寝顔をしばらく見つめた後、そっと毛布を掛け直した。
眠れない。
体が疲れているはずなのに、脳裏にはまだ、昼間の「眩しすぎる光景」が焼き付いていた。
ふらりとカウンターへ向かうと、闇の中で紫煙が揺れていた。
透也だ。
彼は灯の気配に気づくと、無言でボトルと新しいグラスを差し出した。
「……眠れないか。」
「ええ。……少しだけ。」
灯は隣に座り、琥珀色の液体を注がれるままに見つめた。
地下特有の、湿った空気とタバコの匂い。
それが今は、消毒液の匂いよりもずっと落ち着く。
◆【観察者の告白】
「……聞いてもいいか。」
グラスの氷がカランと鳴った後、透也が静かに口を開いた。
「お前なら、もっと早く俺たちに接触できたはずだ。……なぜ、半年もあそこにいた?」
責める口調ではない。純粋な疑問だった。
灯は、グラスを両手で包み込むように持ち、しばらく沈黙した後、ぽつりと答えた。
「……見たかったんです。」
「見たかった?」
「ええ。……『RE:CODE』が作り出した世界を。そして、罪を忘れた人間が、本当に生まれ変われるのかどうかを。」
灯の脳裏に、この半年間の日々が蘇る。
記憶を消され、新しい人格を植え付けられた黒峰新太。
彼は、驚くほど「完璧」だった。
「新太さんは……本当に良い人でした。看護師である私を気遣い、沙耶さんを愛し、道ゆく子供に微笑みかける。……そこには、かつての『翔真』のような暴力性も、狂気も、微塵もありませんでした。」
灯の声がわずかに震える。
「私、怖くなったんです。……もし、人間が記憶を書き換えるだけで、こんなにも幸せになれるなら。私たちがやっていることは、ただ彼らの『更生』を邪魔しているだけなんじゃないかって。」
罪人が、罪を忘れて善人になり、社会に貢献する。
それはある意味、理想的な結末だ。
誰も傷つかず、誰も悲しまない。
「正直、揺らぎました。……このまま彼を見守り続けるのも、一つの『正義』なのかもしれないって。」
◆【砂上の楼閣】
「……だが、戻ってきた。」
透也の言葉に、灯は強く頷いた。
その瞳に、強い意志の光が宿る。
「はい。……気づいてしまったからです。」
あの日々の中で、灯だけが気づいていた違和感。
新太がふとした瞬間に見せる、焦点の合わない瞳。
そして、何か大切なものを探すように、無意識に胸を押さえる仕草。
「あの方の幸せは、嘘で塗り固められた『真っ白な部屋』のようなものです。綺麗で、温かいけれど……そこには『出口』がない。」
灯は、眠っている月陽の方へ視線を向けた。
「それに……あの方の光は、月陽ちゃんという『影』を切り捨てることで成り立っています。……過去をなかったことにして、娘の存在すら忘れて手に入れた笑顔なんて……。」
灯はグラスを強く握りしめた。
「そんなものは、幸せとは呼びません。……ただの『逃避』です。」
どんなに辛くても、どんなに汚れていても、ここには「真実」がある。
月陽という、確かに愛し、愛された証拠がある。
その「痛み」から目を背けて生きる新太の姿は、灯にとって、もはや救いではなく、空虚な「砂の城」にしか見えなくなっていたのだ。
「だから、私は選びました。……綺麗な嘘よりも、泥だらけの真実を。」
◆【共犯者の夜】
灯が一気にグラスを煽ると、喉が熱く焼けた。
それは、生きている実感の味だった。
透也はふっと短く息を吐き、タバコを灰皿に押し付けた。
「……そうか。」
多くは語らない。
だが、その一言には、深い納得と共感が込められていた。
彼もまた、妹を殺した男が「善人」として生きる欺瞞に、誰よりも怒りを覚えていたのだから。
「おかえり。灯。」
「……はい。ただいま戻りました。」
灯は小さく微笑んだ。
その笑顔は、もう迷いのない、NOISEの一員としての顔だった。
二人のグラスが、カチンと小さく音を立てる。
それは、これから始まる「偽りの世界」への、静かなる宣戦布告の音だった。
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第53章・完
第53章をお読みいただきありがとうございます。
綺麗な嘘よりも、痛みを伴う真実を選んだ灯。
彼女の強さと、透也との静かな共鳴が描かれた夜でした。
新太の「幸せ」を否定する覚悟を決めた彼らは、次にどう動くのか。
灯の選択を支持したい!続きが気になる!と思っていただけたら、
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