第1章:残響
すべてを忘れてしまった男・黒峰新太。
目が覚めると、そこには美しい妻と、自分を慕う小さな娘がいた。
完璧な家族。幸せな光景。
けれど、胸の奥に残る「残響」が告げている。
――何かが、違う。
記憶のない男と、秘密を抱えた家族。
切なくも温かい、再生と真実の物語がここから始まります。
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◆ 目覚め
天井は真っ白だった。
薬品と消毒液の混じった匂いが鼻を刺す。
視界の端で揺れる点滴のチューブ――
どこだ、ここは。
いや、それ以前に……俺は、誰だ?
胸の奥に、なにか重いものが沈んでいる。
言葉でも、名前でもない、“感情”に近い何か。
得体の知れない“何か”が、確かにそこに残っていた。
「……目覚められたのですね」
低く落ち着いた声がした。
ベッドの横には、一人の女性が立っていた。
ストレートにまとめられた黒髪と、真っ白な制服。
看護師だろうか。整った顔立ちに似合わず、その瞳は妙に深く、こちらの奥を覗くような光を宿していた。
「あなたは――黒峰 新太さん。記憶を失っていますが……ご家族が、ずっとあなたを待っていました」
彼女は穏やかにそう言った。だが、どこか、表情の裏を隠しているようにも見えた。
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◆ 家族の再会
病室のドアが開いた。
勢いよく、小さな女の子が飛び込んでくる。
「パパっ! ほんとに目が覚めたんだねっ!」
彼女は6歳くらいだろうか。
笑顔で頬を紅潮させ、まっすぐに新太の胸に飛びついてきた。
「私はね、パパの言うこと、なんでも聞くね!」
その目に揺るぎはなかった。
まるで、本当に“父親”であることを疑っていない。
新太の胸の奥に、かすかなざわめきが生まれる。
――この子は、本当に俺の娘なのか?
だが、不思議と拒絶する気持ちはなかった。
温もりが、心に静かに染みこんでいく。
「……月陽。あなたの娘さんです」
さきほどの看護師が告げる。
月陽――月のように澄んだ瞳。どこか、見覚えのある感情が胸を打った。
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◆ “妻”の登場
「失礼します」
次に入ってきたのは、穏やかな雰囲気の女性。
茶色がかったセミロングの髪、薄く笑みをたたえた柔らかな表情。
目元にわずかな疲れをにじませながらも、どこか優しさをまとっていた。
「……あなたの奥様、沙耶さんです」
新太はゆっくり彼女を見つめる。
“妻”だという沙耶は、ごく自然にベッドのそばに座り、新太の手をそっと握った。
――違和感は、ない。
けれど、何かが決定的に欠けている気がした。
彼女の手の温もりも、瞳の奥の優しさも嘘ではない。
だが、そこに“自分の記憶”が寄り添っていない。まるで、他人のアルバムを眺めているような感覚。
それでも、彼女は微笑んで言った。
「……あなたに、もう一度会えて本当に良かった」
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◆ 絵の中の記憶
その夜。
新太のベッドのそばに、1枚の絵が置かれていた。
月陽が描いた“家族”の絵。
そこには、新太、月陽、そして――長い髪の女性が描かれていた。
「この人? 夢で見たの。ママじゃないけど、たぶん……ママだった人」
月陽が無邪気に言ったとき、沙耶の表情が一瞬だけ強張った。
手元を見つめ、何かを確認するように目を伏せる。
後ろに控えていた看護師――白石 灯もまた、無言のまま微笑を保ちつつ、その言葉に確かに反応していた。
月陽の“夢”が、どこまで過去の真実に触れているのか。
今はまだ誰にも分からない。けれど、記憶ではなく、感情だけが知っていることがある――
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◆ 灯の独白
――人は、記憶を失っても、
感情の奥に“残響”のようなものを残している。
名前も過去も消え去っても、
愛した誰かのぬくもりだけは、決して消しきれない。
その残響が、新太の中で、ゆっくりと目覚めようとしていた。
そしてそれは、娘・月陽の中にも――確かに生きていた。
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第1章・完
第1章をお読みいただき、ありがとうございます!
いかがでしたでしょうか。
無事に目覚めた主人公・新太ですが、感動の再会の中に、いくつかの「棘」が隠されています。
• 月陽が描いた「ママだった人」とは誰なのか?
• 妻・沙耶が見せた一瞬の強張り。
• すべてを見透かすような看護師・灯の意味深な言葉。
「記憶」は嘘をつくかもしれませんが、「感情」は嘘をつかないのかもしれません。
新太が感じる違和感の正体は、果たして何なのか。
少しでも「続きが気になる!」「雰囲気が好き」と思っていただけたら、
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どうぞ、新太たちの旅路を見守ってください。




