逃げない夜
長いっす。
私にしては長いっす。
「推し」のこと考えながら書くの楽しいっす。
それではどうぞ。
一夜明けて、平凡な一日が始まる。
僕は同級生の中でも早起きな方だと思う。牛乳配達のアルバイトでもやっていない限り、4:30に起きる高校生はあんまりいないんじゃないだろうか。もちろん僕はアルバイトなんてしていない。推し活以外に趣味がないし、グッズもほぼ買わない人間だから、月3000円のお小遣いでも金銭的には十分だった。だが、僕には不満があった。
ヨゾラさんのグッズがないのだ。そりゃそうだ。僕の推しの中で、彼女が一番有名じゃないんだから。あの狭いSNSでの活動をやめない限り、有名にはなれない。もちろん、それを責める訳ではない。というか、僕はヨゾラさんが有名になることを望んでいない。だが、少しでもグッズがないのはオタクとして痛手だ。いくら買わないとはいえ、いくら飾らないとはいえ、一応―というのも失礼だが―最推しとして関わっている彼女のグッズは欲しい。どうにかならないのか。
義務教育にて美術に敗北した僕にとって、物理的な創作は地獄でしかない。そのため、自分で作るなんて考えられないし、誰かに作ってもらうなんで以ての外だ。だって僕には「友達」と呼べる人がいないから。
考えても無駄なので、行動に移すことにした。スマホを手に取り、ほぼ反射的に例のSNSのアイコンをクリックする。フォローの欄からヨゾラさんのプロフィールを開くと、可愛らしいアイコンと「闇雲ヨゾラ_Yozora YAMIKUMO」の文字が目に入ってきた。
更新はいつも通りされておらず、次に自分のプロフィールに飛ぶ。フォロワーは1人増え、281人になっていた。さっき見たときにヨゾラさんは786人だったので、まだかなり遠い。かといって追いつくつもりもないし、そもそもヨゾラさんには有名になってほしくないため、できるだけ彼女のフォロワーが増えないことを願っている。
『久しぶりに学校が面倒。爆発しないかな学校』
毎朝やっている投稿を済ませ、僕はできるだけ音を立てないよう、机に向かった。目の前にはノートパソコンが一台。昨日使ったままの位置にぽつんとある。最近はこの光景が物悲しくも思えてきたのだが、これ以上親にわがままは言えない。自分で買うとしても、お年玉などの臨時収入を含めても、10万貯めるのには1年以上かかる。しかもそれは1円も使わなかった場合の話だ。僕にそんなことができるわけない。
お小遣いはほんの一部貯金しているが、大半はクラスメートとのカラオケ代に消える。誘われた、ということは、金を払って行くだけで人間関係が保証される、ということだ。これほど楽にクラス内の地位を確立する方法はない。もちろん、多少人間関係が構築されているほうが高校生活を送る中で便利になる、という考えが僕にあるからやっているだけで、友達付き合いには心底興味がない。メリットが消えるようだったらカラオケになんか行かない。
結局、昔から今までずっと、ノートパソコンとスマートフォンそれぞれ一台ずつが、僕とインターネットとの連絡橋になっている。もちろんそれに文句はないし、十分といえばそうなのだが、推しのグッズすらまともに置かれていない僕の部屋には、あまりにも物悲しい雰囲気が漂っている。
7人いる推しの中で、ヨゾラさんはまた別の次元にいる。信仰、までとはいかないが、僕の中で神格化が進んでいるのは間違いなかった。四年前とは別の感情が芽生えてきているのは明らかで、それがヨゾラさんにばれてしまうのが不安で仕方がない。言動は多少見直したとしても、本心が隠しきれていないことがあるので、それを経由すると驚くほど簡単に見透かされてしまう。怖い。
これまたいつも通り、推したちのSNSを流れるようにチェックしていく。複数のSNSをやっている人ももちろんいるので、いつも通りの順番で確認していく。あまり深く考えてはいなかった。というか、考えられなかった。理由はもちろん、昨日のあの返信だ。
僕の快眠を妨げる原因になった「有名になりたい」というワードを反芻する。よく噛んで、嚙み砕いて、飲み込む。少しだけ苦かった。無意識的にグーグルを開いて「有名」と打ち込んでいたので、何事もなかったかのようにタブを消した。僕は何を動揺しているのだろうか。
『人気と知名度は違うってよく言うけど、この場所がそれを物語っているよね』
遅かった。気づいた時にはスマホを握り、投稿を行っていた。このSNS自体をディスっているので、炎上しないか心配になったが、フォロワーが400人にも満たない者のところに文字通り煙は立たない。いいねが20コついたらいい方だ。
僕は、自分の体がまた誤作動を起こさないよう、あらかじめヨゾラさんのプロフィールに移動しておくことにした。彼女が「お絵かき」と題している沢山のイラストの投稿は、指を上に送るだけで無限に出てくる。ふとヨゾラさんをを「イラストレーター」と呼んでもいいのではないか、という考えが浮かんだが、別にヨゾラさんはそれを仕事としているわけではないので、それは否定されることとなった。やっぱり「第三者」として説明するときの適切なワードが思いつかない。
絵が上手い人はやっぱり憧れる。羨ましい。というか、正直妬ましい。上手に絵を描くことができたのなら、あんな絵やこんな絵を自分で描くことだってできる。それはアドバンテージすぎるのだ。おそらくヨゾラさんも同じことを思っているだろう。実行しているかはわからないが、彼女ならやりかねない。あの人はそういう人だ。
今のインターネットを少しも知らない馬鹿な大人たちは、よく「どうせ中身おっさんなんじゃないの?」などという言葉を容赦なく子どもに吐きつけるが、僕は彼らの知能レベルを疑う。もちろん、金銭が関わってくれば話は別だ。ある程度の大御所や企業でない限り保証はつかないが、少なくともヨゾラさんがプロフィールを偽る理由は一切ない。理由はもちろん、どんなに有名になろうと、どんなに人気になろうと、このSNSでは収入を得ることができないからだ。
こんな小規模なSNSを中心に、というかここのみで活動している彼女にとって、インターネットの世界はどう見えているのだろうか。趣味の範囲なのだろうが、それが僕みたいな人間にとってどれほど大きな影響を与えているのか、彼女はきっと分かっていない。僕はそれを彼女に気づかれないように振る舞っているからだ。ヨゾラさんから受けた影響は、僕以外誰も知らない。僕だってはっきりと分かっているわけではないから。
趣味を作ればいいのに、もしくはこんなに早起きしなければいいのに。いつも通り暇な時間が訪れる。大人だって、ブラック企業の社員か豆腐屋さん以外はこんなに早起きしないだろう。起きてから朝食までの2時間は、僕にとって長過ぎる。推したちをゆっくり周回したって40分弱が限度だ。残り時間はいつも虚無感に迫られる。
部屋においてある小さな冷蔵庫。中身はコーヒーしか入っていないが、これはもちろん僕がコーヒー以外を入れていないからだ。ブラックしかないので、適当に選んで一本取り出す。中身はどれも同じ味がする。
まだ苦いが、最近はだんだんと慣れてきた。ちびちび飲みながら、YouTubeのショート動画を流している。だいたいこうやって、時間が過ぎていく。残念ながら僕は、自分の行動を客観的に見返すことができないから、このルーティンがどれだけ無駄な時間になっているかを知ることはできない。
思えば3年前、あの日あの時が全ての元凶だったのだなと思う。もしあの時に出会っていなければ、こんな幸福を得ることはできなかっただろうし、こんな人間に成り下がることもなかっただろう。僕にとってそれは得だが、周りから見ると大損でしかない。だけどもそんなの、ただの評価に過ぎない。僕は僕が幸せであることにしか興味がないから、これでいいんだ。
朝食の6:30まで、あと1時間。ここからが長い。時間を潰すネタが尽きてしまうのだ。この世界には、これくらいの時間ぐらいに起きて活動を始める人も大勢いる。だが、僕に推される人たちはインターネットという海の中で過ごしている人たちだ。彼彼女らはほぼ全員が朝に弱い。
「固有名詞が名字だとかっこいい」という理由だけで名字を「闇雲」にした僕の推しは、例にも漏れずその一人だった。基本的に、というか今まで一度も朝の更新はない。そういうところも可愛いと思っているのだが、べつにおかしいことではないだろう。自分と違う何かを持っている人には興味が湧く。大多数の人が異性に興味を示すのもそういう理由なのだろう。そうでない人を否定する気はさらさらないが。
唐突に推しを接種したくなるのは日常茶飯事。朝はその欲求を最大限満たすことができるので、YouTubeを閉じ、ヨゾラさんのもとへ泳いでいく。指が数cm、数回だけ動くことによって、僕とヨゾラさんはできる最大限の距離まで近づくことができる。そして、躊躇うことなく歌みたを流した。
なぜ神は人間を平等に作らなかったのか、推しを眺めているといつも思う。僕には、客観的に見たら良い頭を持っているのかもしれないが、僕自身はそれを欲していない。むしろ、それ以外の取り柄が基本的にないから、総合的に見ると誰にも勝てないのだ。その点、ヨゾラさんはすごい。
まず、絵が上手い。これは言うまでもない。そして、声が可愛い。歌も上手い。僕たち―わざわざ複数形にするほど人数はいないが―のことを大切に思ってくれている、素晴らしい人。お姉さんらしい、とは例えづらいが、優しく包み込むようなその明るさは、僕の生きる理由だった。
今年で活動が四周年になる天才には、新規のファンが少ない。まあまあの古参である僕にとってはあまり関係のないことだが、彼女はだんだんとそれについて気にし始めている。そりゃそうだろう。僕が言うのもおこがましいが、こういう活動をしている人たちはファンがいるからこそ存在しているのだ。ファンなんて増えなきゃ減る一方だ。
ヨゾラさんのプロフィールに飛ぶと、いつもの癖でスマホの上を親指が何回も下方向に走る。特に目的がなく暇な時間が訪れると、僕は無意識的にやってしまう癖なのだ。画面の中のヨゾラさんは、何度も何度も更新を繰り返す。画面が切り替わる一瞬、ヨゾラさんが画面から消えること以外には、変化はない。
と、思っていた。
油断していたのだろう、「あ」と思わず声が漏れた。
現在5時57分。ヨゾラさんから、投稿があったのだ。
いくら驚いたからとはいえ、スマホを落とすなんて無様なことはしない。ヨゾラさんが映し出されている画面を傷つけることなんて、僕にはできない。
『おはよ!ほぼ初の朝投稿!みんなも早起きしよう!』
これが全文だった。
そんなことはどうでも良かった。
今、ヨゾラさんは起きているのだ。
すぐにダイレクトメールを送る画面が表示される。もちろん僕が操作したからそうなったのだ。
『ヨゾラさん、おはようございます。今日は早起きですね』
文脈は変えない。客観的に見てもおそらく変わっていない。
遥か遠く、何処かに確かに存在しているヨゾラさんに向かって、言葉を送った。
数分で返事が帰ってきた。僕とヨゾラさんは、いつものように会話を始めた。
『サトルさん!サトルさんも早起きですね!いつもこの時間なんですか?』
『はい。僕はこれくらいの時間に起きています』
少し嘘をついた。本当はもっと早く起きている。だけど、あまり正確なことを伝えないのは、いつも通りだ。それに彼女は気づいているのだろうか。
『え〜!早起きできるってすごいですね!( ´∀`)b』
『ヨゾラさんは、なんで今日はこんなに早く?』
『なんだか目が覚めちゃって、寝ていても仕方がないので早く起きたんですよ(´・ωゞ)』
また一つ、ヨゾラさんのことを知れた。少し不気味な喜びを感じる。
『そうだったんですね。まだ眠いですか?』
『いつもより、かなり早く起きたので結構眠いですね〜(=_=)』
半分閉じている目をこすりながら、僕のために時間を使ってくれている。そう考えると、また不気味な喜びを感じた。
ヨゾラさんは、どんな朝食を取るのだろうか。そう思って、僕は朝食の時間を迎えた。