月夜にウサギが跳ねれば
こんにちはこんばんは、遊月奈喩多と申すものでございます! 月夜に現れるのは、心の救いなのか破滅への誘いなのか……?
本編スタートです!
それは、月の光が優しく降り注ぐ夜のことでした。
杏奈が公園のブランコに座っていると、真っ白で可愛らしいウサギのぬいぐるみが目の前に現れたのです。
「ぴょん、ぴょん。杏奈ちゃん、こんな遅くにどうしたの?」
可愛らしく跳ねたぬいぐるみが、鈴を転がすような声で話しかけてきます。どうして杏奈の名前を知っているのでしょう? それはわかりませんでしたが、ウサギが愛くるしい仕草で覗き込んできたので、杏奈はすっかり気を許して「ママがしばらくおうちから出ててって言うの」と答えました。
杏奈のママは、時々遊びに来るお兄さんの言いなりなのです。お兄さんが杏奈のことをよく思っていないことを知ってから、お兄さんが遊びに来るときはいつも外に出ていてと言われます。お気に入りのパンケーキを食べていても、お布団ですやすや眠っていても、お兄さんが遊びに来るという連絡があると家から出されてしまうのです。
お兄さんが帰っていくまで寒くないようにと服をたくさん着せてくれますが、杏奈はなんだかとても寒く感じました。服はあったかいのに、変な感じです。
「えぅ、っく、ひっ、ひっ」
「なんでウサギさんが泣いてるの?」
杏奈が話し終わると、ぬいぐるみが声をあげて泣いていました。ぬいぐるみなので涙は零れていませんが、泣いているのが声でわかります。不思議になった杏奈が尋ねると、ウサギは泣きながら答えました。
「悲しくなっちゃったんだ」
「かなしくなる?」
「うん。杏奈ちゃんの感じてるものは寒さじゃなくて悲しみなんだと思うよ。お母さんからそんなこと言われて悲しかったね、ひとりぼっちにされて悲しかったね。悲しいのに、よく頑張ったね」
ウサギの言葉は、どうしてか杏奈の胸にじんわりと響いてきます。悲しくなんてなかったはずなのに、本当に自分が悲しかったような気がしてきました。
涙をこぼす杏奈を見上げながら、ぬいぐるみは囁きます。
「悲しいなら、僕と一緒に来ないかい?」
「……え?」
真っ白な肌に真っ赤な瞳。
ウサギのぬいぐるみが、杏奈の瞳を覗き込みます。
「ぴょん、ぴょん。僕と一緒に来てくれたら、もう杏奈ちゃんが寂しくなることなんてないよ。楽しいことばかりの不思議の国へ、僕と一緒に行こう?」
ぬいぐるみが、小さなふわふわした手を伸ばしてきます。
愛くるしい赤い瞳で杏奈のことを見つめ、迷うことなんてないんだよと伝えてきます。
ママに家から追い出されることなんてないのでしょう。
寒い中、暑い中でひとりぼっちにされないのでしょう。
お兄さんから嫌な目線を向けられもしないのでしょう。
「でも……」
それでも、ママのことが心配でした。
ママは時々──お兄さんが長い間おうちに来なかったりしたとき、よく杏奈を抱き締めて言っていたのです。やっぱりママには杏奈しかいないよ、って。杏奈だけいたらそれでいいんだ、って。
「それ、本当なのかな?」
ウサギのぬいぐるみは囁いてきます。
本当なのかな……?
そう言っていたってママは、お兄さんが遊びに来たらやっぱり杏奈をひとりぼっちにしてしまいます。時にはそのまま朝になっていることもあるくらいです。お巡りさんに心配されたり、それでママが怒られたりしているくらいです。
本当かなんて……わかりませんでした。
「それじゃあ、おいでよ!」
迷っている杏奈の手を、ふわふわした白い手が掴みます。思いの外強い力に引っ張られて、杏奈は真っ暗な洞穴の中に────
* * * * * * *
待っていたのは、真っ白で真っ赤で真っ青で黄色くて眩しい、それまで見たことのないような不思議な場所でした! もちろん不思議なことはそれだけではありません。
食べたいと思えば甘いお菓子が降ってきて、観たいと思ったら今まで観たこともないような面白い番組が始まります。寂しいこともないし、お腹も空きません。暑くてクラクラすることも、寒くて指が痛くなることもありません。もちろん、心の寒さもなくなりました。
怖いこともありません、ウサギの頭をしたお兄さんたちが杏奈のことを守ってくれます。話し相手にもなってくれるし、遊び相手にもなってくれるし、怖い夢を見たときや寂しくなったときにもギュッ、と抱き締めてくれます。それで杏奈の中にぽっかりと空いた穴みたいなものは簡単に埋まってしまいます。こんなこと、■■と一緒に住んでいた頃ならありえないことでした────あれ?
■■って、何だっけ?
大好きだと思っていた気がしたのに、あれ、あれれ?
「「「どうしたんだい、杏奈ちゃん?」」」
ウサギさんたちが、朗らかに声をかけてきます。
「……? ううん、なんでもない!」
笑って答えたら、また穴が埋まりました。
あれ、何のこと考えてたんだっけ?
杏奈は、またウサギさんたちの中に交ざっていきました。
* * * * * * *
月夜にウサギがハイエース。
ぴょいっと跳ねたらハイエース。
不思議な香りで不思議の国へ。
心も記憶も、ぴょいっと跳ねて。
迷い子は月へ、夢の園まで。
「ぴょん、ぴょん。こんばんは! こんな遅くにどうしたの?」
前書きに引き続き、遊月です。最後まで読んでいただきありがとうございます! お楽しみいただけましたら幸いです♪
童話のようなお話はいくつか思い付きましたが、書いていくうちにぬいぐるみ要素がないことに気付いたりと
試行錯誤をするのもまた楽しい企画でした。
今回出てきたウサギのぬいぐるみは、果たして何者なのか……? ウサギは本当にただの縫いぐるみだったのか…………
別のお話でお会いできることを願っております。
ではではっ!!