第6章 エルサレム
主の年 1177年8月12日金曜日。
ヴィレ・ドゥ・エルサレム 午後3時過ぎ。
エルサレムに帰投後、ヴァランタンたちは神殿の丘にあるテンプル騎士団本部で団長に今日の戦いの報告と反省会をした。ヴァランタンはローランの働きが際立ったことを強調し、ギョームもローランのおかげで助かったと付け加えた。
団長のウード・ドゥ・サン・アマンは白いものが混じりはじめた茶色のヒゲを弄って目を細めた。
「そうか。ローマンはもうすっかり一人前だな!」
「一人前じゃなかったら、プリンシパレ《メーン》・シュヴァリエに入れて、俺の横を守らせませんよ、団長!」
「ワッハッハッハ!そうだったな。まあ、ヴァランタンがみっちり剣を教えた甥っ子だ。腕が立つのは当然だな?実戦の経験を重ねれば、じきに隊長になれるだろう!」
「いえいえ。オレなんかより、もっと腕が立ち、経験のある先輩がいます」
「ワッハッハッハ!欲がないのも気にいった」
ローランはまだ新米だ。
ヘタに昇進を受けたりしたら、仲間が嫉妬し、騎士団の中でやって行きにくくなる。
いくらテンプル騎士が、三誓願を立てて入団したとしても、騎士も人間だし、当然、妬みや嫉みといった普通の感情を持っている。そしてテンプル騎士団といえど人間の組織である限り、そのような感情が騎士団の中にも存在するのだ。
ウード・ドゥ・サン・アマンも、それを知っていてローランを試したのだ。
そんな美味い話にすぐ乗るような者は、後先を考えない考えの浅い者だとわかる。
ヴァランタンから、「うまい話にはきをつけろ」といつも教えられていた。
報告が終わったあとで、テンプル騎士たちは装備を武器防具庫で外し、点検してからしまうと騎士団本部から聖墓教会へ向かった。今日の戦いで無事だったことを神に感謝し、亡くなった者たちの冥福を祈るのだ。
祈りを終えたあとでヴァランタンは団長と話があると言って残った。ローランはヴァランタンと別れると聖墓教会を出て坂道を下った。
ヴァランタンなど家族をもたない騎士たちは、これから宿舎にもどって水浴をしたあとで白い長衣とマントに着替えてから本部の食堂で夕食を摂るのだ。
食事は、月曜から木曜まで“お馴染みメニュー”の、肉片が入った野菜入りスープ、オートミールに黒パンにワインという質素なものだ。
テンプル騎士たちは、“Pauvres Chevaliers du Christ et du Temple de Salomon(キリストとソロモン神殿の貧しき友たち)”、もしくは“Ordre du Temple de Salomon(ソロモン神殿の修道会)”と呼ばれる修道士なので、贅沢は禁止されている。
そして食事中は、司祭が聖書を朗読するのを静かに聴きながら、二人ずつテーブルに対面で座って黙って食べる。そは、おたがいをよく知るためと、相手が飽食しないか監視するためだ。
堅苦しい食事のようだが、テンプル騎士は一応修道士なので修道院にいるような食事をするのだが、慣れてしまえばどうということはない。
もっとも、家族のいるローランには修道士のような質素な食事は必要ない。
ためしに1、2度食べたことがあるが、毎日食べるような食事ではないとつくづく感じた。
ローランは坂道を下り、神殿と王宮を囲んでいる城壁の西門を出る。
8月のエルサレムは、午後5時でも30度近い熱さだ。しかし、湿度が低いのであまり蒸し暑さは感じない。
西門を出るとそこは商業街で、かなりの人出がある。人混みの中を通りを過ぎしばらく歩くとと住宅区だ。
住宅区の3つ目の通りを曲がり、少し歩くとかなり大きな白壁の二階建ての家がある。
「ジュ スイ アリーヴェ!」
ドアを開け家に入る。
「ルギャルドゥ キ エラー モンペチ?」
食堂からシャタン・クレールの髪にヴェールの瞳の若い女性が顔を出した。
横に女性と同じシャタン・クレールの髪にブルー瞳の小さな女の子がいる。
「パパ――っ!」
タッタッタと小さな女の子が走って来る。
「やあ、モンペチ!今日もお利口さんしていたかい?」
「ウィ、パパ!」
「そうか、そうか!」
ローランが女の子を抱え上げ、髭面を顔にこすりつける。
「サ フェ マル!パパ!」
ヒゲが痛いと口を尖らせる女の子。
でもすごくうれしそうだ。
可愛い女の子の名前はマリー=フラソソワーズ。
ローランとミレーヌの愛娘で、2歳になる。
「コモン エテー オージュルドゥイ?」
ミレーヌが微笑みながらローランに近寄って、ベーゼをする。
「うん。いつも通りだよ」
「そう。巡礼団がベドウィンに襲撃され、かなりの人が亡くなったってみんな話しているわ」
ローランは、片手でミレーヌの腰を引き寄せてベーゼをしながら、今日の戦いのことがすでにエルサレム中に知れ渡っていることに驚く。
まあ、エルサレムでの噂の伝わる速度は、テンプル騎士団の進撃より速いというのがもっぱらの噂なのだが。
そのまま、ミレーヌにベーゼを続ける。
マリー=フラソソワーズを産んでから、彼女はさらに美しくなった。
サンは二回りほど大きくなり、キュルもさらにふっくらと女らしくなった。
「オゥフ!」
5分ほど熱烈なベーゼが続いたあとで、ミレーヌが息を深く吸った。
「アシス マモン!」
マリー=フラソソワーズがミレーヌの顔を押しのける。
ヤキモチを焼いているのだ。
ベーゼを最初にしたのはマモンなのだが、そのあとずっとミレーヌを離さないでベーゼを続けていたのはローランだったのだが、“パパは悪くない、パパを独り占めにしているのはマモンよ!”という女の目で状況を見ているのだ?
「はい、はい。ディネーにしましょうね!」
ミレーヌが苦笑しながら夕食の支度をするために食堂にもどる。
そのふっくらしたオシリを見ながら、ローランは幸せをかみしめていた。
三人は食堂のテーブルについた。
マリー=フラソソワーズは、子ども用の椅子だ。
「父よ、あなたのいつくしみに感謝してこの食事をいただきます。
ここの用意されたものを祝福し、わたしたちの心と体を支える糧としてください。
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン!」
「アーメン!」
「あ~めん!」
ローランの祈りにミレーヌとマリー=フラソソワーズが斉唱する。
夕食が始まった。
オーツ麦の粥に肉と野菜を煮たシチュー、マトンの焼き肉に濃い色のパンだ。
ミレーヌは、毎日暑い中で過酷な任務を果たさなければならないローランのために、いつもマトンかヤギの肉を調理する。たまには牛肉も買うが、牛肉は高いの10日に1回程度だ。
マリー=フラソソワーズは、自分用の木の皿に入れられたオーツ麦の粥とこれも木のお椀に入れられたシチューを木の匙で上手に掬って食べている。もちろん、まだ2歳の子どもなので服を食べ物で汚さないように子どもエプロンを前にかけているが。
しかし、マリー=フラソソワーズは食べ終わる前に、コックリ、コックリと船をこぎはじめた。
一日中遊び、パパがお仕事から帰って来るのを首を長くして待っていて、パパが帰ったのを見て安心し、夕食を食べて腹がくちくなってと眠気くなったのだ。
「あらあら、もう寝っちゃったの? さあ、ベッドでおネンネしましょうね」
ミレーヌが前掛けをとり、マリー=フラソソワーズの口を拭いてやると抱いて2階の子ども部屋に連れて行く。
「後片付けは、オレがやるよ」
「お願い。助かるわ」
「あ~ん... マモンといっしょに寝る~!」
マリー=フラソソワーズが薄く目を開けて甘える。
「少しマリー=フラソソワーズと添い寝してあげたらいいよ」
「そうするわ」
食器を洗い、料理の入った鍋などを片付けて2階に上がる。
夫婦の部屋のドアが開いていて、ベッドにはミレーヌがマリー=フラソソワーズと添い寝をしいた。
マリー=フラソソワーズは、すでにくーくーと寝息を立てている。
「じゃあ、オレは身体を洗うから」
「はい。その間にマリー=フラソソワーズを子ども部屋に連れて行くわ」
ローランは、腰から剣を外してベッドの脇に立てかけると、上衣を脱いでブレイ一枚になると階下に降りて行った。
台所のドアから裏庭に出て、トイレの横にある浴室の浴槽を覗く。
浴槽にはすでに水が張られていた。ミレーヌが井戸から水を汲んで入れておいたのだろう。
浴室は横が板壁で、出入口にはリネンのカーテンが張ってあった。
裏庭なので、誰からも覗かれる心配はない。
ブレイを脱いで、頭から水を浴びる。
それからサヴォン塊をとって、頭から首、体中に塗って泡を立てる。
“ピエール ドゥ サヴォン”と生産地の名前をとって呼ばれている「汚れ落とし」は、大変便利なものだ。ベニス人の商売魂は大したものだ。 はるかサヴォーナの地から、エルサレムあたりにも色々と生活必需品などを持って来て売るのだから。
桶で泡を流し、浴槽に入って横になる。
“もっと刃渡りの長い剣の方が戦いには有利だな…”
冷えて気持ちよい水に浸かりながら、今日の戦いのことを考えていた。
ローランが使っている剣は、テンプル騎士の通常装備の剣で、全長5.8トワーズ、刃渡り4.9トワーズほどで、重さは2.60マルクある。
片手で使うのに適した長さと重さの剣だが、ローランは少し打撃力が足りないと感じ、長さがも短いと思っていた。
今日の敵はベドウィンで、それほど硬い防具を使ってなかったからいいようなものの、マイユの上にジョシャンとアラブ人たちが呼ぶアルミュー・ラミエールを装備したサラーフ・アッ=ディーンの正規兵相手だとかなり苦戦することは確実だ。敵も全身鎧の十字軍騎士との戦いで、防具の重要さに気づき、年々装備を改良して来ているのだ。
「あら、何を哲学しているの?」
目を瞑って考えていたら、急に声をかけられた。
「あ、いや、新しい剣をユーゴンに作らせようかって考えていたんだ」
彼女は白いブリオー《ワンピース》姿だった。
ふだんはコーテをブリオーの上に着て、体のラインが見えないようにしているのだが、入浴をするのでコーテを脱いでいた。
リネンのブリオーは体にピッタリしているので、サンの輪郭がよく見える。
「え、新しい剣?もう2本もっているのに?」
ユーゴンは、トゥルーズからやって来た刀鍛冶で、かなり腕がよく、王族や騎士たちもよく剣などを作らせていた。
「うん。今度はちょっと大きいのを作ろうと思っているんだ」
ミレーヌが後ろ向きになってブリオーを脱ぎ、板壁にかける。
マリー=フラソソワーズを産んでから、さらにふっくらとなった尻とキュッと締まったウェストが美しい。
「あなたのエペーよりも大きいのを?」
そう言って、ミレーヌの裸を見て、大きくなったローランのモノを見た。
「こいつ!」
ローランがミレーヌの手を引っぱった。
「キャー!神さま、助けてっ!」
バッシャーン!
派手に水をぶちまけて、ミレーヌが浴槽の中に倒れこんだ。
エルサレムの星空の下で、若い二人は浴槽の中でしばし戯れる。
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「あ~ん、モナムール、ハダカで恥ずかしいわ!」
浴槽の中で、衝動的に夫婦の営みをしたあとで、ローランはミレーヌを裸のままで花嫁のように抱きかかえて家の中にはいり、2階に上がった。
「きゃっ!」
ベッドに投げ出されて、ミレーヌが悲鳴を上げるが、これも若い夫婦のいつもの楽しい芝居だ。
両足を広げてベッドに落ちたので、シャタン・クレールのプワリだけでなく、恥ずかしいところも丸見えだ。もっとも、それもミレーヌの演出なのだが。
「さあ、二人目の子どもを作るために頑張るぞ!」
「モナムール、私への励ましの言葉は?子どもは一人では出来ないのよ?」
「おう、頑張ってやろうぜ!」
「ウィ!」
真夏のエルサレムの夜に、若い二人のデュエットが響いた。