第4章 葡萄酒
主の年 1171年4月18日 日曜日。
デイジョンの教会の事務室。午前10時50分
“イエス様の前でお祈りでもするのかしら?”
ミレーヌは、ローランに手を引かれながら祭壇の方に向かっていた。
心臓はバクバクしていて、足が地につかない感じだ。
ローランは祭壇の前に行かず、先ほどから出入りしていた祭壇の横にあるドアを開けた。
そこはやや広い部屋で事務机と椅子がいくつかあり、教会の事務室のようだった。
部屋には誰もいず、壁にロッカーやギャルデローブなどがいくつかある。
ミサで使う器具などをしまう部屋でもあるらしい。
「あ、椅子に座って」
「はい」
ローランは、事務机の引き出しを開けると、鍵束を出して一つのギャルデローブの鍵穴に差しこんで回した。扉を開くと中の棚には、葡萄酒の瓶が並んでいた。ガラス製のグラスもある。
「これがいいな」
そう言って、まだ封が切られてない瓶を1本とりだした。
グラスも2つとってテーブルに置くと、すぐにロウ瓶を鍵で削り落としコルク栓を開けた。
トクトク...
トクトク...
二つのグラスに注ぐ。
一つをミレーヌに渡すと目の高さに上げて言った。
「さあ、ローランとミレーヌ・ドゥ・サン=ルミーのアミティエにブヴォン!」
「ブヴォン!」
カチン!
ローランはグラスを当てるとゴクゴクと喉を鳴らして飲んだ。
“えっ?ローランにとっては、私はただのアミなの?”
グラスに口をつけながら、まるで水を飲むかのように葡萄酒を飲んでいるローランを見ながらミレーヌは思った。
「甘い!」
「甘いだろ?これは、ソーテルヌで出来る高級葡萄酒なんだ!」
透明な琥珀を薄めたような色の葡萄酒は、甘くて喉ごしがとてもよかった。
あまりのおいしさに、喉が乾いていたこともあってコクコクと飲んでしまった。
「さあ、いくらでもあるぞ!」
トクトク...
トクトク...
また二つのグラスに注ぐ。
しかし、ミレーヌは勘違いをしていた。
目をキラキラさせて美しい色の葡萄酒がグラスに注がれるのを見ているミレーヌを見て、ローランは胸がドキドキしていたのだ!
“本当に可愛いな!こんな可愛い子がいたなんて、何という運命の引き合わせだ!”
今日、いつものように父親のバンジャミン司教を手伝いうために礼拝室に行くと、2列目に座っているシャタン・クレールの髪の少女が目に入った。
その白い肌が目立つ少女は、ヴェールの瞳でローランをじっと見ていた。
ローランは、自他ともに認めるボウ・メーなので、いつも女の子たちから視線を向けられるし、たまには既婚の女性たちからでさえ意味ありげな目で見られるのだが、前の方に座っているシャタン・クレールの髪の少女のヴェールの目と彼の目が合った時、ドキュゥン!と心臓を射貫かれた気がした!
コクコクと2杯目をおいしそうに飲むミレーヌを見ながら、先ほど「アミティエにブヴォン!」と言ったことについて、ミレーヌは何と思っただろうかとローランは考えていた。
“いや、こんなジョリィ・フィーレ。本当はペチタミにしたいよ!”
だが、初対面で「オレのペチタミになって!」など、とてもではないが言う勇気がない。
そこでアミティエにしたのだが、ミレーヌは快く受け入れてくれたようだ。
「それにしても、ミレーヌは畑仕事しているって言ってたけど、その割には日焼けしてないな?」
「私、日焼けしないようにすごく気をつけるんです」
「そうか。だから長袖に手袋だし、ストッキングも長いのを履いているんだな」
そう言って、ローランは鍔の広い帽子の下にスカーフを被り、花柄模様の入った緑色の長いブリオーの下に履いている白いストッキングを見た。
「こうしていると日に焼けないんです」
「だろうね。白馬に乗った王子さまを見つけるまでは、きれいでいなくちゃね!」
「そんなことが目的じゃないんですけど」
そんな他愛ない話をしながら葡萄酒を飲み続けた。
家族のこととか、趣味のこととか、本の話-ミレーヌも本を読むのが好きだった-とか。
「オレは、La Chanson de Rolandが好きだな!」
「私はTristan et Iseutが好き。黄金の髪を持つイゾルデのためにドラゴンを退治ししたトリスタンが、コンウオールとアイルランドの友好のため、イゾルデにマルク王と結婚するようにたのんだんだけど、あやまって媚薬を飲んだ二人は恋人同士になってしまうの。
でも、それがマルク王に見つかってコーンウォールとアイルランドの間に戦争が起こるのをふせぐために、それとやはり嫉妬のためにマルク王はトリスタンを火刑に処し、イゾルデを閉じ込めようとしたんだけど、トリスタンはうまく逃ることができ、イゾルデを助けるの...」
ミレーヌは、ローランが目を瞠るほど、まるで自分がイゾルデになったみたいに手振り身振りで作品の物語のあらすじを熱く、ロマンティックに話した。
トリスタンとイゾルデ
しばらくおしゃべりをしたあとで-
「ふぅ~…」
ミレーヌは椅子にもたれかかった。
頭が少しフワフワし、何だかとても気分がいい。
自分が好きな作品のあらすじを、かなり上手にローランに伝えることが出来たという高揚感もあった。
いや、それは高揚感ではなく葡萄酒にふくまれるアルコールのせいだったのだろう。
ミレーヌは、すでに3杯目を飲み終わっていた。
ミレーヌは知らなかった、だが、葡萄酒は彼女が何度か飲んだことのあるエールよりも、ずっとアルコール度数が高かいのだ。
「だいじょうぶかい?」
ローランが、魅力的なマロンの目で心配そうに覗きこむ。
「ジュテーム!」
突然、ミレーヌが衝撃的な言葉を言った。
「え?」
ローランが、驚いた眼で見ている。
ミレーヌの頬は葡萄酒のせいで紅潮しており、そのヴェールの瞳は潤んでいた。
「ジュテーム アウシー!」
ローランも答えた。
そして、座っているミレーヌにベーゼをした。