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プロミスランド  作者: 独瓈夢
第二部 辛卯の変
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第24章 船中計策

 慶安四年五月三十日。



 湾には、南蛮船が停泊していた。

それも巨大な南蛮船が。桟橋や港に停泊している千石船が玩具の舟に見えるほど巨大な南蛮船が十隻停泊していた。

 蓮之輔たちは、約一ヶ月余にわたる調練が終わり、本土での任務を果たすために船に乗ることになり、 明け六ツ(6時)前に調練場から来た時と同じ山道をもどって港が見下ろせる所まで来て、湾を埋め尽くすほどの南蛮船があるのを見て驚いた。


西班牙(スペイン)国の船団でごわす」

伊集院 京四郎が、さも誇らしげに言う。

「凄いもんだな!」

「こんなにたくさん!?」

「和船が玩具の舟に見えるぞ!」

わいわいがやがやと皆が騒ぐ。


「これほどの南蛮船がここに?」

「さよう。おはんたちを本土に運ぶためでごわす」

「それだけのために、この島に来たと言うのですか?」

「いや、それだけじゃなかと。志那、そいに琉球を通して薩摩ん産物などを呂宋(ルソン)島ん馬尼剌(マニラ)から西班牙(スペイン)塞毘利亜(セビリア)まで運ぶ任務を果たしちょる船団でごわす」

伊集院が蓮之輔の質問に答える。


「西班牙から呂宋島まで?かなり遠いんだろうな」

右馬之丞(うまのじょう)が、当然とも言えることをつぶやく。

「カピタンの話しじゃと、はよう(早くて)て半年。暇がかかる時は九か月から十か月かかるそうでごわす」

港を目指して山道を降りながら伊集院が答える。

「半年から十か月... 想像も出来ないほど長い日数だな」

妻の深雪が転ばないように小太郎が手を握って歩きながらも、眼下に見える港に停泊している巨大な西班牙船の群れから目を離せず、かえって小太郎の方がつまずいて転びそうになり、深雪のおかげで転ばずに済んだ。



       西班牙船

     挿絵(By みてみん)



 山を下りて港に着くと、由井正雪と禰寝(ねじめ)右近たちが、西班牙船の船長らしい恰幅のいい南蛮人二人- 恐らく西班牙人だろう- と話していた。近くには銃をもった西班牙兵が四十人ほど整列していた。

 一見しただけで貴族然とした恰幅のいい西班牙人は、濃い茶色の髪で髷は結ってなく、先をピンと上に曲げた鼻髭と顎を覆うばかりの髭をもった赤ら顔の大きな男だった。


 その西班牙人の服装は、全身黒ずくめで黒いマントを背に羽織り、金糸が織り込まれているらしい見事な帯を肩からかけており、履いている南蛮袴は下の方が膨らんでいた。そして草鞋ではなく、膝の上まである皮で出来たらしい黒色の長靴を履いていた。

 もう一人の西班牙人は、体格がやや細く、同じように黒一色の服装で黒いマントを羽織り、下が膨らんだ南蛮袴と皮の長靴姿だったが、上衣の首のところに蛇腹のような奇妙な襟がある服を着ていた。


「おう、来やったか。こっちゃあ西班牙(スペイン)無敵(アルマダ)艦隊のグズマン・デ・オリベイラ提督とロペス・デ・トレード船長でごわす。今、由井殿(どん)に提督と船長を紹介しちょったところじゃ」

禰寝(ねじめ)が彼の名前を言ったのを聞いたのだろう、提督は蓮之輔たちを一瞥したが、すぐに興味を失くしたようだ。


だが、そんなことより、次に禰寝(ねじめ)右近が言った言葉は蓮之輔たちを驚かせた。

「グズマン・デ・オリベイラ提督は、おはんらを船で江戸まで連れて行くことになちょ」

「え、江戸っ?!」

「南蛮船で江戸まで?!」

「おい、江戸まであのでっかい船で行くのか?」

「すげえことになったぞ!」

わいわいがやがやと皆が騒ぎはじめた。

「そう騒がなくても、船に乗ってからきちんと説明します」

正雪の言葉で、騒ぎは収まった。



港に全員が集合するのに一刻ほどかかった。

「そいでは、みんな伊集院たちん指示ん通りに船に乗りたもんせ」

伊集院の言葉で、平山刑部、大山岩太郎、瀬戸山経久三たちが、乗船者名の書いてある紙を手に口々に名前を呼びはじめた。


(ひのえ)組の神峰小太郎に竹中昭茂、(ひのと)組の保利田権左衛門と小長谷新九郎、(つちのえ)組の柚良(ゆら)蓮之輔(れんのすけ)と花房右馬之丞、以下班長...名、分隊長...名...の百十五人っ!」

(つちのと)組の仲村彦左衛門と早川六郎座衛門、以下班長...名、分隊長...名...の百三十人!」

(かのえ)組の田村道造、西藤右京、以下班長...名、分隊長...名の百二十四人!」 

(かのと)組の藤林弥六郎以下、班長...名、分隊長...名...の百二十八人だ!」


名前を呼ばれた組長は、それぞれ組の班長、分隊長たちと次々と薩摩藩士に導かれて伝馬船に乗りこみ、満員になった伝馬船は、藩士が櫓を漕いで次から次へと沖に停泊している南蛮船に向かう。

中甑島(なかこしきしま)の湾は、俄かに行き交う伝馬船で賑やかになった。


蓮之輔たちの番が来た。

伝馬船に乗りこみ、西班牙船に近づくにつれて、その巨大さに圧倒された。

西班牙船は木造船だが、大きさは優に二百五十尺(75メートル)は超え、千石船の5倍以上の大きさがある、三本の帆柱をもつ巨大な船だった。


西班牙船の舷側に伝馬船を着け、それから甲板にまで上がるのがまた一苦労だった。

甲板から垂らされた縄梯子を上らなければならなかったからだ。

蓮之輔たち男は問題なかったが― 

問題は志津や栞代(かよ)たち女だった。

伝馬船から縄梯子を上ると、下から()()()()()が丸見えになるのだ。


「先に殿方が上がりなさい。私たちが、ここで奥さま方が上がるのを手助けしますから」

天の助けとでも言うべきだろうか、八依(やえ)たち透波(すっぱ)がいっしょに伝馬船に乗っていて助かった。


 それでも腕に力のない女たちのために綱を下ろし腰に巻きつけさせ、八依たちが志津たちの尻を押し上げ、上からは蓮之輔たちが綱を引っ張ってようやく甲板にまで引き上げることが出来た。

その様子を西班牙人の水夫たちが面白がってピューピューと口笛を吹いて見ていた。

 だが、西班牙人士官の厳しい声で止んでしまった。

恐らく、「ご婦人に対して失礼なことをすると鞭打ちの刑にするぞ!」とでも怒鳴ったのだろう。


 ようやく西班牙船の船上に上がることが出来た志津たちは、恥ずかしさで真っ赤になっていた。

同性とは言え、八依たち女透波(すっぱ)に下から見られたのが堪らなかったらしい。

 八依たちは、鍛えているので腕に力もあり、行動がしやすい例の青碧(せいへき)色の透波(すっぱ)装束姿なので、湯文字の中を下から覗かれると言った心配もなく― もっとも、男たちはすでに先に上らせていたので伝馬船に残っていたのは女透波たちだけだったのだが― ヘタな男たちよりも素早く縄梯子を上って甲板に現れた。


「八依殿、璃依(りえ)殿、それにほかの方々もかたじけのうござった」

「本当に助かった。かたじけない」

「其方たちのおかげで妻が恥をかかずにすんだ」


八依たち透波(すっぱ)に蓮之輔が礼を言うと、右馬之丞(うまのじょう)も小太郎も礼を言った。

「あら。“ほかの方々”とか“其方たち”とか、まだ私の可愛い部下たちの名前を覚えてられないのですか?」

八依がちょっと睨むような顔で言った。


璃依(るい)です」

(かおる)です」

梨花(りか)でございます」

未希(みき)です。よろしく」

舞香(まいか)です」

若く美しい透波(すっぱ)たちがあらためて名乗った。 



「甲板でぐずぐずしちょっても、まだ乗船すっ者ん邪魔になるでごわす。船の中に入った方がよかばい」

先に乗船していた伊集院に言われて、船内に入ることになった。

「瀬戸山、おはん、先にご婦人方とほかん者たちを船室へご案内しもうせ」

「はっ」

船内に入る前に伊集院が甲板にいた瀬戸山 経久三に言った。

「おいどんたちゃ、これから由井殿(どん)禰寝殿(ねじめどん)たちと会議を開くでごわす」


甲板から狭く急な階段を降りると、そこは一面がっしりした造りの床で、船の構造を支える木材や一抱(ひとかか)えもありそうな帆柱があるのが見えたが... 

蓮之輔たちを驚かせたのは、舷側にそってずらりと並んでいる大砲だった。

大砲を撃つ窓は閉められているが、一旦戦いとなれば、これらの窓が開けられ、両弦合わせて五十門ほどの大砲が一斉に火を吹くのだろう。


西班牙人水夫たちは、蓮之輔たちが最新式の大砲を見て驚嘆しているのを見ながら自慢そうにして床をせっせと拭いたり、大砲を磨いたりしていた。



        砲列甲板

     挿絵(By みてみん)



 伊集院は、ずんずんと船の後部の方に向かって歩き、行き当たりの扉を開けた。

そこは様式の大きな机と椅子がある会議室だった。

 会議室には、由井正雪、熊谷三郎兵衛、禰寝(ねじめ)右近とグズマン・デ・オリベイラ提督、ロペス・デ・トレード船長、それに十人ほどの西班牙人たちがいた。西班牙人たちは、トレード船長と船長と同じような服装をしているので、たぶんほかの西班牙船の船長なのだろう。


「もう知っちょろうが、おはんたちが、こん島に来てから、ここでん調練を終えた者たちはつっかぁつっ(次々と)本土に帰って行ったことをしっちょっじゃろう(知っているだろう)

それは蓮之輔たちも知っていた。

彼らが中甑島(なかこしきしま)の調練場に到着した時、すでにかなり前からこの島に来て調練をしていたと見られる紀州藩や薩摩藩などの将兵が、調練場を次々に後にしたのを。

家族連れだった者たちも大勢去って行ってしまったので、街はガランとなってしまったのを感じていた。

残ったのは、後から中甑島(なかこしきしま)にやって来た蓮之輔たち江戸の者と雑貨衆、それに八依(やえ)たち透波(すっぱ)だけだった。


「薩摩藩ん者たちは、前之浜から船に乗って佐多岬でこの西班牙艦隊と合流するでごわす」

中甑島(なかこしきしま)で調練に加わっていた薩摩藩の兵たちは、二十日ほど前に島を出て行ったのを蓮之輔たちは知っていた。

殿とは島津光久公のことで、徳川幕府が外様大名に課した将軍謁見のために薩摩を出発したと言うのだ。

薩摩から江戸までは五十日から六十日ほどかかる。この時分に出発すれば六月には江戸に着くだろう。


「島津公の参覲は、毎年二月だったのでは?」

物知りの神峰(かんみね)小太郎が、疑問を口にする。

「おはんは、よう知っちょるの?琉球ん使節団が遅れたちゅう言い訳で、二ヵ月遅れで出発すっちゅうこっになっちょっるでごわす」


薩摩は、慶長十四年(1609年)に徳川家康の許可を得て琉球を征服していた。

以後、江戸に参覲する時は、必ず琉球の使節団を伴うことになっており、島津藩主の参覲は、琉球使節団の薩摩到着に多少左右されるのだ。今回の辛卯(かのとう)策による遅れもそれを言い訳にするらしい。


「オリベイラ提督とは、諸君たち江戸から来た者と紅龍衆と軒猿のきざる衆、それに雑貨衆を大磯まで連れて行く航路を検討していたのです」

「大磯?それは、どこですか?」

「小河原宿の次にある宿です」

「ああ、大磯宿か!」

「大磯宿は海から近い上に、酒匂川を渡る必要がないのだ」

丸橋忠弥が、相変わらずブスッとした顔で言う。

「なるほど。三千もの兵を徒歩渡しを使って、酒匂川を渡るわけには行きませんからね」

小太郎が頷く。

「しかし、これだけの南蛮船が大磯の浜辺に現れたら大騒ぎになるのでは?」


蓮之輔の質問には答えず、正雪はグズマン・デ・オリベイラ提督に向って言った。

「それでは、取り決め通り、みんなを江の島沖まで運んください」

それを禰寝(ねじめ)の後ろにいた通訳が訳す。

ルエーゴ(Luego) セグンロ(según lo) アコルダード(acordado) レヴァーロス(llévalos) |ア エノ・シマ《a Eno Shima》」

通訳の藩士の言葉を聞いた提督は鷹揚に頷き、返事をした。

プーデ(Puede) デシャルノスロ(dejárnoslo) ア ノストロス(a nosotros) セニョール(Señor)ネジメ(Nejime)

「心得ました、禰寝(ねじめ)殿。安心してお任せくださいちゅうとります」

「“ぐらっしゃす”と伝えてください」

「はっ。グラッシャス!」


打ち合わせが終わったらしく、提督が立ち上がると、ガタガタとほかの船長たちも立ち上がった。

由井正雪も禰寝(ねじめ)右近も立ち上がる。

西班牙人たちは軽く一礼するとぞろぞろと会議室から出て行った。

ドアが閉められると正雪たちはふたたび椅子に座った。

「さあ、みんなも座ってくれ」

瀬戸山経久三がはいって来たのを見て、禰寝(ねじめ)が言った。



        仕官会議室

     挿絵(By みてみん)



 会議室に集まったのは―


 由井正雪、熊谷三郎兵衛

 薩摩藩 家老・島津図書の御用人 禰寝(ねじめ)右近

      御小姓組 伊集院京四郎、平山刑部、大山岩太郎、瀬戸山経久三


 紅龍衆

 (ひのえ)組の組長・神峰小太郎と副組長・竹中昭茂

 (ひのと)組の組長・保利田権左衛門と副組長・小長谷新九郎

 (つちのえ)組の組長・柚良(ゆら)蓮之輔と副組長・花房右馬之丞

 (かのえ)組の組長・田村道造と副組長・西藤右京

 (かのと)組の頭領・藤林弥六郎と副頭領・藤林源七郎

 雑賀衆の頭領・鈴木孫三郎と副頭領・平井嘉門

 軒猿(のきざる)衆・女透波(すっぱ)の頭領・望月八依(やえ)

全員が座る椅子がないので、半分以上は立ったまま聞くことになった。


「大磯までは、六日もあれば着きます。そこから江戸城まではわずか十六里(64Km)の距離です」

そこまで言って正雪は、みんなを見渡した。

「... 決行日は、六月十五日。山王祭の日です」

「山王祭!」

「将軍さまがご上覧されるという山王祭!」


山王祭は、日枝神社(ひえじんじゃ)で毎年六月十五日に行われる祭りで、江戸城築城当時は城内にあったのをその後城外に移されたが、日枝神社は江戸城を守護する神社として将軍家から格別扱いされ、山王祭の日には、山車や神輿が江戸城内に入ることを許されていた。


「その通りです。江戸城の内外で呼応して立ち上がり、将軍・徳川家綱殿のお身柄を確保し、サンタマリア・デ・ラ・イザベル号にまで連れて来て匿い、事態が収着すれば隠居していただくことになります」

「!」

「!」

「!」


みんな、由井正雪の“世直し”に身命を賭ける覚悟でいたが、実際にそれがどういう事をもたらすのかと言うことを聞かされ衝撃を受けて黙ってしまった。


「まあ、隠居なら、関白豊臣秀次公よりまだ良いですね」

八依のあっけらかんとした声に、みんなは「うむ。その通りだ」「間違いない」「切腹よりずっといい」などと呟いて納得した。

豊臣秀次は豊臣秀吉の甥だったが、秀吉の長男鶴松が3歳で病死した後、秀吉の養子となり関白にまでなったが、秀吉に対し謀反を企てたとして秀次は切腹、その係累である妻妾、若君と姫君、側室、侍女、乳母など40数名全員が斬首されたことは、知らない者がいないほど有名な事件だった。


「紅龍衆の(ひのえ)組、(ひのと)組、(つちのえ)組は、雑貨衆三千人を引き連れて江の島まで行って...」

正雪は、机の上に広げられていた大きな日本地図の一か所、九州の南端― 薩摩の左側を指で差し― 地図には描かれてないが、西班牙人たちが掻きいれたらしい中甑島(なかこしきしま)を表す丸印を示し、そこから江戸までの経路を指でたどった。


早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)から瀬戸内(せとうち)の海に入らず、南海を通るのですか?」

「四国の島の南を?遠回りになるのではござらんか?」

神峰(かんみね)小太郎と保利田権左衛門が、疑問を口にする。



   中甑島から大磯への航路

    挿絵(By みてみん)



「それは、瀬戸内(せとうち)の海には船が多すぎるからでごわす」

伊集院が疑問に答える。

「どちらにせよ、こん船は早か。五日もあれば大磯に到着もうす。そこから江戸を目指すっと」

禰寝(ねじめ)右近が補足する。


それから、正雪が説明し、熊谷、禰寝(ねじめ)伊集院が適切に補足する形で明かされた計策は、蓮之輔たちを唖然とさせた。

それは、藤沢宿に入る前に紅龍衆の江戸攻略部隊三千人は、島津光久公の参覲行列に加わわり、そのまま江戸に入り、『辛卯(かのとう)策』を実行すると言う途方もない計策だった!




* 地図は17世紀にイタリアで作られた日本地図をベースにしていますので、現在使われている地図とはかなり異なります。

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