第23章 薩摩拵え
慶安四年五月八日。
中甑島調練場。
「この島での調練も残すところ、あと二十日ばかりとなりもした。諸君らには、精々気張って、それぞれの役割をしっかりと覚えて欲しい。よろしくお頼み申すでごわす!」
由井正雪の講義の終わるころを見計らってやって来た禰寝右近が、今朝の講義を締めくくる形となった。
「「「「「「「「「おう!」」」」」」」」
講義生たちが威勢よく答える。
その声で蓮之輔はハッと我に返った。
「おい、蓮の字。お前、朝、志津ちゃんを抱いたばかりなのに、またぼーっと志津ちゃんのことを考えていたのか?」
右馬之丞が、小さな声でからかう。
「てやんでえ、ウマ!?お前だって、栞代ちゃんと毎日、朝晩しっぽりやっているじゃねえか!」
江戸っ子らしく、蓮之輔が言い返す。
「おい、二人とも少し静かにしろよ!」
神峰小太郎が、注意する。
「小太郎、お前、深雪ちゃんと一緒になってから、痩せたんじゃないか?」
「な、何を言う!?」
右馬之丞のからかいにムキになる小太郎。
「あ~あ!やってられねえな。これだから、新婚の奴等の近くにはいたくないんだ!」
保利田権左衛門が、ジロリと蓮之輔たちを見てボヤく。
そういう権左衛門は、彼のような独り者の食事の世話をしに来る、島の若い娘とねんごろになっているのだから蓮之輔たちの事をとやかく言う資格はない。
講義が終わると訓練だ。
聴講者たちは、ぞろぞろと調練場へ向かう。
「おい、蓮の字。あと二十日だってよ。 桐山たちにみっちり教えてもらわなきゃならんな!」
「おう!家に帰る時間は遅れるが、しかたがない!」
「拙者も稽古時間を増やす!」
小太郎も真剣だ。
ただ、権左衛門だけが、そんな三人をにゃらにゃらと面白そうに笑って見ていた。
蓮之輔たちは、中甑島に来てから、朝早くから夕方の申ノ刻 頃まで、毎日正雪から兵法の講義を受け、そのあとで『辛卯策』におけるそれぞれの任務を問題なく果たせるための調練に明け暮れていた。
銃の射撃訓練、大砲の射撃訓練、雑貨衆を使っての陣形、戦術の訓練などだ。
中でも正雪が力を入れたのが、機敏な大砲の動きとそれに連動した鉄砲隊の動きと攻撃だった。
「大砲は一ヵ所に留まっていては駄目です。戦況に応じて、もっとも敵に損害をあたえれるような場所に素早く移動しなければなりません」
「鉄砲隊は、大砲隊をしっのかりと守りながら、敵の軍を殲滅しなければなりませんが、必要に応じて大砲も操作できなければなりません」
大筒部隊は、保利田権左衛門と小長谷新九郎が組長、副組長である丁組の指揮する掩護攻撃部隊の管轄だが、必要に応じて各戦闘部隊でも使えるように正雪は訓練をさせた。
そして、一日の激しい調練が終わったあとで、蓮之輔、右馬之丞、それに小太郎の三人は、示現流の稽古やっていた。
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『辛卯策』の一環として薩摩に行くことが決まった時、靈瞑新道流の剣術を修行している蓮之輔と右馬之丞は、薩摩では是非とも示現流を見たいと考えていた。
示現流は北薩の剣豪・東郷重位が編み出した独特な剣術で、天真正自顕流に太捨流の技術を組み合わせたものだ。『一の太刀を疑わず』または『二の太刀要らず』と云われ、『雲耀』と呼ばれる、髪の毛一本でも早く打ち下ろせと教える。
初太刀から一撃必殺を掛けて斬りつける先手必勝の鋭い斬撃が特徴と言われているが、藩外不出の剣術なので見たことはないが、当代最強と言う話を聞いていた。
示現流に興味を持っているので、誰かに手ほどきをしてもらえないかと禰寝右近に聞いたところ、「伊集院 京四郎に頼めば、だいか適当な者を見つけてくるっやろう」と言って、その日のうちに一人の薩摩藩士を連れて来た。
「日置郷の桐山彦斎ちゆ者でごわす。示現流ん腕前は、薩摩藩でも指折りやろう」
伊集院 京四郎の後ろに控えている桐山彦斎は、年の頃は二十四、五くらいで蓮之輔と変わらない背丈だが、少々饒舌な蓮之輔と違い寡黙な藩士のようだった。
「柚良蓮之輔です。よろしくお願い申す」
「花房右馬之丞と申す」
「神峰小太郎と申します」
「桐山彦斎でもす。よろしゅう頼みあげもす」
桐山は、そう答えただけであとは黙ったままだった。
蓮之輔、右馬之丞、小太郎の三人に示現流を手ほどきをする役目を負わされた桐山は、薩摩藩の下級武士らしく、粗末な身なりをしていた。綻びてこそいないものの、くたびれた絣の小袖に裾が擦り切れた袴を見れば、その暮らしのほどが想像できた。
薩摩藩には島津家御一門四家、一所持ちから寄合並などの上級士族上級、それに最下位の下級士族である御小姓与までを含めると3千8百余の士族がいる。
そのさらに下に外城士、または郷士と呼ばれる士族が4万3千家ほどあり、家格こそ御小姓与と同格とされていたが、その実は二本差しの百姓と変わりなかった。
つまり、生活の糧を得るために、毎日刀の代わりに鍬を振るって田畑を耕し、生計を立てなければならない者たちだったのだ。
中甑島で『辛卯策』実行に備えて調練が始まるにあたって、彼ら郷士も数多く動員されており、桐山彦斎もその一人であった。
示現流の手ほどきを受け始めることになった初日、調練が終わった申ノ刻 過ぎになると、伊集院 京四郎に先導されて禰寝右近と平山刑部と大山岩太郎が現れた。
禰寝右近は、蓮之輔たちが示現流の手ほどきを受けたいと言ったことに興味をもち、見に来たらしい。
示現流の型を見せてもらう場所は、毎朝講義が行われる大砲倉庫前の開けた場所だった。
蓮之輔たちが示現流の使い手と試合をすることを聞きつけたのだろう、三十人ほどが見に来ていた。
神峰小太郎の副組長である竹中昭茂は当然として、保利田権左衛門も彼の副組長である小長谷新九郎の顔もあった。
禰寝右近は、陣床几椅子に腰かけ、その後ろに伊集院 京四郎たちが立っており、桐山彦斎もすでに襷掛けをして待機していた。
「禰寝殿もご関心を持たれたのですか?」
会釈した後で蓮之輔が今日の調練で付いた土埃を払いながら訊いた。
蓮之輔たちは、調練に参加していたので陣笠に襷掛けだった。
「貴公らが江戸でやっちょったちゅう、靈瞑新道流とやらを後学のために見ておこうと思っただけでごわす」
「示現流は、無敵でごわす。江戸の何流か知りもさんが、勝つことはなかでしょう。わーっはっはっは!」
大山岩太郎が大笑いした。
「大山!」
禰寝がふり向きもせずに、大山岩太郎の名前を呼んだ。
厳しい口調で、明らかに大山の発言が気に食わなかったことを示している。
「申訳ござらん」
大山が、蓮之輔たちに頭を下げた。
「柚良殿、花房殿、それに神峰殿は、示現流ちゅうもんを良う知らんじゃろう。おはんたちは、薩摩ん侍たちの持っとる刀ば見たことありもすか?」
「いえ、良くは見たことありません」
「柄が長いなと思っておりました」
「鍔もふつうの刀より小さいですよね」
蓮之輔たちが、首を横に振る。
「伊集院、刀ば見せてやりんさい」
「はっ」
伊集院 京四郎が腰から、太刀を抜いて、両手で持って蓮之輔に渡した。
「拝見させていただきます」
蓮之輔が、恭しく刀を両手で受け取る。刀は武士の魂だ。
いくら戦いの最中とは言え、それを他人である蓮之輔に渡してくれているのだ。
それ相応の敬いを持って受け取るのも同じ武士としての作法だった。
「もう知っちょっち思うどん、おいどんたちの刀は『薩摩拵』ちう戦刀でごわす」
伊集院が、興味深そうに刀を見ている蓮之輔たちに説明する。
薩摩拵
薩摩拵は、無駄な装飾を全て無くし、一撃必殺に特化した剣だった。
葉の長さは2尺4寸5分。柄は両手でしっかりと握れるように太く、約一尺もの長さがあり、柄が刀身から抜けるのを防ぐ目貫もなく、柄の前後にある金具である縁頭も頑丈な鉄製だった。
さらに、帯に差した状態からでも素早く抜けるように、逆角の突起を凸形にすることで、刀身を鞘に収めたまま柄頭で相手を直接攻撃できるようにもなっていた。
あらゆる面で相手を倒せるように、随所にこだわって作られていたのがりが薩摩拵だった。
示現流は、東郷 重位が、太捨流と天真正自顕流の利点を取り入れて立てた流派で、示現流と言う名称は『観世音菩薩普門品』にある「示現神通力」の句に因んだものだ。
創始者の東郷 重位は、礼儀を重んじる武士で、刀をよく研ぎ大事にし、“刀は抜くべからざるもの”と教え、無益な殺生を戒めたが、同時に危急の際は迷わず無念無想に打つ、という剣の極意を伝えたと云われる。
それ故、薩摩拵の刀の鍔には針金を通し栗形と結ぶための穴が二つ開いており、平常では刀を抜かないようにしているが、止むを得ず抜く時には一撃必殺で仕留めれるように返角も極小さなものになっている。
薩摩拵えの鍔
「立派な佩刀を見せて頂き、かたじけのうござった」
「無駄を省いた実戦重視の刀だとわかる。大したものです!」
「かたじけのうござる。見事な刀でございます」
蓮之輔たちが、伊集院に礼を言う。
「礼には及びもはん」
伊集院が、刀を腰に差すのを蓮之輔たちが見ていると、禰寝右近が口を開いた。
「薩摩拵ば、気んいったでごわすか?」
「俺は正に武士に相応しい刀だと思いました」
「このような刀こそ、武士に相応しい!」
「出来れば、一振り欲しいものです」
禰寝は、満足そうに頷いてから言った。
「そいじゃ、そろそろ始めんか」
「はっ。桐山、まず、立木打ばやって見せもうせ」
伊集院が桐山に命じる。
「はっ!」
桐山彦斎は節だらけの枝のような木刀らしい物を手に持つ。
「変わった木刀だな?」
「うん。削らずに木の枝そのものを使っているようだな?」
「あや、柞ん木の木刀でごわんす」
蓮之輔たちの会話を聞いた伊集院が教えてくれた。
地面に根元が埋められた杭は、太さ四寸、高さ五尺ほどだ。
桐山はつつつっと走り寄ると鋭い気合とともに上段から立木の側面を激しく打った。
「は―――あああっ!は―――あああっ!は―――あああっ!」
それも、息をつく間もないほどがないほど激しく立ち木の左右を打った。
ガッガッガッガッ…
ガッガッガッガッ…
立ち木を左右両側、それぞれ三十回ずつほど打っただろうか。
ようやく打ち終えると一礼して元の場所にもどった。
蓮之輔たちは、凄まじい打ちこみに言葉もなく唖然として突っ立ったまま見ていた。
「示現流は、最初の切り込みが凄いと聞いていたが...」
「ありゃ、受け止めるのは難しいな」
「拙者には無理だ」
それぞれ感想を言い合っていると、禰寝右近が面白そうな顔をして言った。
「ついでじゃ。お主たち、桐山たちと手合わせをしてみるがよか!」
「桐山、田野川以助、川下半兵衛。おはんたち、この三人と手合わせをしてみやんせ」
「はっ」
「はっ」
「はっ」
桐山とその近くにいた二人の下士が頭を下げ返事をして前に出て来た。
「柞ん木の木刀じゃ怪我をすっで、蟇肌撓ば使うとよか」
伊集院の言葉に、近くにいた藩士たちが、何か皺だらけの皮で包まれたような剣術の稽古刀らしいものを持って来た。
蓮之輔たちが、興味深そうに見ていると、伊集院が説明してくれた。
「蟇肌撓は、八つの竹板を牛ん皮の袋で包んだもんでごわす」
蟇肌撓の表面は漆が塗り固められており、柄にも皮が巻きつけられている。
素振りをして見ると、以外と弾力性もあり、これだと打たれても怪我をすることはなさそうだが、痣が出来ることは確実だ。
「じゃ、最初は、靈瞑新道流の柚良蓮之輔殿と桐山彦斎でやってみやんせ」
「はっ」
「よろしゅうお願い申す」
四間ほど距離をとり、おたがい一礼して蟇肌撓を構える。
桐山彦斎は、自然にすっと蟇肌撓を上にあげた。
ちょど、蟇肌撓の柄が右肩の位置になる。桐山は柄の上部を右手で持ち、左手は柄の下部に添えている。
“これが噂に聞く示現流の『蜻蛉』という構えか”
桐山を見据えながら、蓮之輔も中段の構えをする。
中段の構えは剣の切っ先が相手に向くので、そこから突きや足払いといった攻撃もできる構えで対峙した。
何より、先ほどの立木打ちで見た、示現流のあの激しい斬撃を防がなければならない。
距離は四間。
跳躍しても一撃できない距離なので、桐山は数歩駆けて斬撃を加えるだろう。
夕七つと言えど、南国の夕方は暑い。桐山も蓮之輔もだらだらと汗を流している。
桐山が、仕掛けるために身体を動かそうとした瞬間、それを見逃さずに蓮之輔が機先を制して動いた。
蓮之輔は、辷るような滑らかさで桐山の身体の右側へ飛び、桐山の胴を払った。
蓮之輔は、桐山が彼の左肩を狙って打ちこんで来るだろうと考え、桐山が打ちにくい右側へ飛び攻撃したのだ。一瞬遅れて、桐山の蟇肌撓が蓮之輔の臀部を打った。
「それまで!柚良殿ん勝ちでごわす!」
伊集院がすかさず判定をする。
「いえ、伊集院殿、相打ちです」
蓮之輔が尻をさすりながら言う。
「いや、面目ござもさんが、柚良殿の勝ちでごわす」
それを桐山が、やはり脇腹をさすりながら否定する。
「わっはっはっは!相打ちでよか。どちらも見事でごわした!」
禰寝右近が、膝を叩いて最終的な判定を下した。
「それにしてん、あん飛び違いは見事じゃった!」
「たしかに。江戸の流派も大したもんでごわす」
禰寝の言葉に伊集院も同意する。
「示現流も油断はできんちゅうことでもす」
大山岩太郎が感心した顔だ。
「とにかっ、三番勝負で続けてみやんせ。花房殿も神峰も田野川以助、川下半兵衛と始めやんせ」
禰寝の言葉で、蓮之輔はふたたび桐山と、そして右馬之丞と小太郎は、それぞれ田野川、川下と三番勝負をすることになった。
結果は―
蓮之輔は、その後二敗。
右馬之丞も一勝二敗、小太郎は三敗で手も足も出なかった。
その日から、蓮之輔たちは、桐山たち三人と毎夕剣術の稽古をすることになった。
示現流 蜻蛉の構え
「まあ!旦那さまっ?」
宿舎の家に帰り、風呂を浴びる時に着物を脱がせてくれた志津が目を丸くして驚くほどの痣が尻と肩についていた。
* 示現流については、示現流東郷財団WEBより引用させていただきました。
* 桐山彦斎 田野川以助 川下半兵衛の三人の名前は、桐野利秋、河上彦斎、岡田以蔵、田中新兵衛を元にした架空の人物名です。




