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プロミスランド  作者: 独瓈夢
第二部 辛卯の変
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第20章 邂逅

 慶安四年四月十九日。

 (西暦1651年6月7日)


 中甑島(なかこしきしま)調練場


朝、蓮之輔たちが宿舎で起きて、昨日言われていた倉庫の前に行くと数人の男がいた。

すでに顔を知っている、禰寝(ねじめ)右近と彼の配下の伊集院 京四郎、平山 刑部、大山 岩太郎、それに瀬戸山 経久三の五人と後ろ向きで誰だかわからない者たちが三人した。


だが、その中の一人の髪型に見覚えがあった。

「ああ、来たようじゃ」と禰寝(ねじめ)が、蓮之輔たちを見て言うと、月代(さかやき)を剃らずに伸ばした髪を頭の上で束ねた男はふり返って蓮之輔たちを見て微笑んでいた。


「由井先生!」

「由井正雪先生!?」

「先生!」

蓮之輔たちが驚く。



 由井正雪と会うのは、去年の十月に張孔堂(ちょうこうどう)で血判状に署名・捺印し、その後紀州殿の御用人と名乗った那珂(なか)小右衞門(こうえもん)と彼の部下である内藤小兵衛といっしょに座敷で八依(やえ)と会った時以来だ。


 あの日をもって、張孔堂(ちょうこうどう)では二度と講義が行われることもなく、蓮之輔、右馬之丞(うまのじょう)、小太郎たちはそれぞれ那珂(なか)小右衞門(こうえもん)に召し抱えられ、紀州藩中屋敷で定期的に紅龍衆の会合が行われ、剣術道場に毎日通うなどして過ごして来た。


 そして、二月末に内藤小兵衛から『辛卯(かのとう)策』実施のために必要な調練をするので、大阪に向けて立つようにと命じられ、三月の始めに江戸を出立してから一ヶ月半かかって、目的地である 中甑島(なかこしきしま)に来たが、まさかこの島で由井正雪に出合えるとは誰も想像してなかった。


 夢にも思わなかった邂逅に、蓮之輔たちは驚来、感動すると同時に、正雪が無事なのを知って安堵した。

由井正雪は、相変わらず痩身で月代(さかやき)を剃らずに伸ばした髪を頭の上で束ねていた。

中甑島(なかこしきしま)調練場には、昼過ぎとは言え燦々と南国の陽が降りそそぎ、みんな汗をかいていたが、正雪は暑さなどまったく感じないように涼しそうな顔で蓮之輔たちを見ていた。

 正雪の後ろには、いかつい顔をした丸橋忠弥と熊谷三郎兵衛がいた。

丸橋は汗をダラダラ流しており、しきりに手で額を流れる汗をぬぐっていた。      


「先生、いつからここに?」

「なに、十日ほど前に来たばかりですよ」

「由井殿はな、ここでお前たちを使って陣形を試すんだ」

ブスッとした感じで丸橋が言う。


「陣形?なるほど。これだけの広さがあれば、兵を敵味方に分けて調練をすることが出来ますからね」

「その通りです。君たちは紅龍衆の組長、副組長ですから、ここで指揮官としての訓練も徹底的にしていただくことになります」


ババババババババババン!

ババババババババババババン!


突如、凄まじい射撃音が響いた。

みんな一斉に、調練場の方を見る。


ババババババババババン!

ババババババババババババン!

バババババババババババババン!


あちらでもこちらでも負けじと一斉射撃の音が響く。

広大な調練場では、射撃訓練をしている兵たちが、うつぶせになったり、土塁などから射撃をしている。


さすがに数百人もの兵たちが一斉に撃つ銃の音は凄い。

まるで戦場にいるような錯覚さえ覚える。

調練場の別の場所では、兵たちが陣形をとったり、突撃の訓練などもしていて雄叫びが聞こえて来た。

兵たちは、全員黒づくめの衣装を着ており、指物は一本も見えないのでどこの藩の兵が訓練をしているのか一向に判らない。


「薩摩藩の兵はいないのかな?」

右馬之丞(うまのじょう)がつぶやくと、

「薩摩ん兵もおっどん、あや(あれは)雑貨衆ん連中でごわす!」

伊集院京四郎がそれを聞いて指差した。

「雑貨衆?!」



 雑貨衆は、紀伊国をルーツとする地侍集団だ。

また海運や貿易も盛んに行っていて、財源は豊であり、その財力を使ってこの時期の最新兵器である鉄砲を数千挺所有する恐るべき戦闘集団で、天正四年に織田軍は雑賀衆に敗退を喫しているほどだ。さらに同年7月には織田方の水軍が毛利氏と雑賀衆の水軍と戦い壊滅的な被害を受けているし、元亀元年から天正8年にかけて行われた石山の合戦でも本願寺に荷担した雑貨衆に散々苦しめられている。


 織田信長の跡を継いだ羽柴秀吉は、中央集権化を進める政策上の都合から各地の土豪の勢力を削減する方針を貫き、これに反対する雑賀衆・根来衆との間で起こった小牧・長久手の戦いでは、雑賀衆・根来衆は大坂周辺にまで攻め込んできて尾張に出陣していた羽柴秀吉の背後を脅かしている。。

 それに対して羽柴秀吉は、天正13年に6万の大軍でもって和泉国で本格的な紀州攻めを開始し、紀州勢の拠点であった太田城が3月末に落城し雑賀衆の勢力は一掃されたと聞いていた。



   石山の合戦の図

   挿絵(By みてみん)



 最盛期には、根来衆を合わせて1万人を超えると言われていた雑貨衆は元々紀州をルーツとする。

秀吉軍によって殺された者以外は、各地に逃れて行っていたのを紀州公・徳川頼宣が秘かに集めてこの島に連れて来たのだろう。

 もちろん、由井正雪の世直し策『辛卯(かのとう)』に参加する(ひな)組の有力な一員である、『櫻』と隠語で呼ばれる薩摩藩主・島津久光と謀議の上でだ。

 正雪の世直しは、現政権を転覆させるという大陰謀だ。それ故、この『辛卯(かのとう)策』に関連する者たちは全て隠語で呼ばれていた。


 由井正雪の世直し策が『辛卯(かのとう)策』と名付けられたのは、皇極大王(こうぎょくおおきみ)の時代に起こった乙巳の変(いっしんのへん)― 中大兄(なかのおおえの)皇子(おうじ)藤原(ふじわらの)鎌足(かまたり)らが蘇我(そがの)入鹿(いるか)を宮中にて暗殺して、当時の権力者だった蘇我(そが)氏を滅ぼした乙巳の変 (いっしのへん)にちなんだものだった。

 正雪の策では、世直しをする時期は慶安四年となっており、この年の干支が辛卯(かのとう)であることから正雪が『辛卯(かのとう)策』と名付けたのだ。


 そして『辛卯(かのとう)策』(世直し策)に同意した“外様大名”たちは『(ひな)』の隠語で呼ばれた。

島津藩は櫻島の『櫻』、紀伊藩は特産品の蜜柑を象徴する『柑』、毛利藩は特産品である米・塩・紙・蝋が全て白いことから『白』、浅野藩の特産品である牡蠣をもじった『柿』。『火』は阿蘇の山がある熊本藩、そして『有』は鍋島藩の特産品である有田焼にちなんだ呼び名となっていた。ただ、熊本藩の藩主である細川 綱利(ほそかわつなとし)は、まだ世直し策には加わってない。加わっているのは、加藤家三傑の一人であった庄林一心の息子・一方と孫の一吉だ。



「手前におっとが雑貨衆でごわす。右手におっとが薩摩ん兵たちでごわす。左手に並んじょるのが熊本藩ん、奥ん方に見えっとが、右から毛利家、浅野家、藤堂家三兄弟の衆、そいで左手奥におっとが庄林一方殿んの兵でごわす」

伊集院が、指を差して黒装束の集団を次々と説明する。


島津兵や雑貨衆は、数千人の規模でかなりの人数だ。広島藩は千五百人、長州兵は五百人ほど。藤堂長正の津藩は三百人ほどで、庄林一方の兵は二百人程度だが、庄林家は八千石取りなので石高の割にかなりの兵を送り込んで来ているようだ。


「ほう。各藩そろっているのか。旗がないからわからなかったな!」

「そいが狙いでごわす。もし、幕府ん隠密が潜り込んじょってん、旗や幟がなかればどこん藩かわからんでごわそう?警備は厳しゅうしちょるし、こけは海ん孤島じゃっで、密偵もそう易々とは潜り込めんじゃろうが、旗印は(目に)つっ(つく)で腰紐ん色で分けちょるでごわす。雑貨()むらさっ()で、薩摩は赤色、毛利家は黄色、細川家は緑、浅野家は青、藤堂家はでで()色、庄林一方殿は白でごあんそ」


伊集院が、すでに何十回も説明したであろうことを保利田に説明する。

そう言えば、港に着いてからも警備の薩摩藩士が多いことに気づいていた。

調練場にも、要所要所に警備の藩士がいるし、帽子山のかなり高いところにも見張りがいて監視しているのが見える。


「江戸から来やったおはんたちは、薄浅黄(うすあさぎ)色、そして軒猿(のきざる)おなご()()たちは、紅梅(こうばい)色を使うてもらうことになりもす」

伊集院 京四郎が、蓮之輔たちの後ろを見て言ったので、後ろをふり返ると―


なんと、そこには青緑っぽい地味な色の装束に身を包んだ三十人ほどの軒猿(のきざる)衆の女透波(すっぱ)たちがいた!?

その女透波(すっぱ)たちの一番前で、笑いながら()()()()()()()()の八依の両横には、副頭領なのか五人の若い透波(すっぱ)がいた。八依は朱色の帯を腕につけており、五人は柿色だ。


(ひのえ)組、(ひのと)組、(つちのえ)組ん衆には、鉄砲術、大砲術、火薬ん扱い方、陣形などを覚えてもらうでごわす。軒猿(のきざる)おなご()()たちは、陣形以外のもんすべてでごわす。今日はそろそろ調練も終わっで(わるので)、これから宿舎へもどって夕食を摂って休んでいただきもす。調練は明日からとなるでごえわす」

禰寝(ねじめ)右近がそう言うと、

「では、紅龍衆の諸君は、卯ノ刻(午前6時)に、ここに集まってください。それでは、また明日」

由井正雪は締めくくると軽く頭を下げ、丸橋と熊谷を連れて、禰寝(ねじめ)右近たちともどって行った。



 その後、蓮之輔たちは伊集院に案内されて、調練の様子や、調練場の施設などを見て回った。

蓮之輔は右馬之丞(うまのじょう)といっしょに鉄砲の射撃訓練を見ていたが、八依たちも彼らといっしょに見ていた。

 右馬之丞(うまのじょう)は、しばらくすると調練を見飽きたのか、八依の部下の女透波(すっぱ)たちと話をしはじめた。女透波たちは、装束と同色の青緑っぽい地味な色の頭巾を頭に被っていたが、顔は覆ってないのでよく見えた。いずれもまだ二十歳くらいの若い女で、八依の好みなのか、それともそういう娘を選んで透波に育て上げたのか、いずれも美女ばかりだった。


 知らないうちに、右馬之丞(うまのじょう)は女透波たちを連れて、どこかへ消えてしまった。

訓練所の建物の中にでも入って見てるのだろう。八依は当然のごとく、蓮之輔といっしょだった。

いや、もう一人小柄な女透波たちがいた。目の美しい娘で、八依が蓮之輔に話すのを興味津々で聞いていた。


「その青緑の装束、色がいいな!」

倉庫らしい建物の中に入りながら蓮之輔が八依ともう一人の女透波(すっぱ)の衣装を見て言った。

「これは、青碧(せいへき)色と言います。夜見つかりにくい色なんですよ」

「ふうん」


そう言いながら、目元がキリっとした美しい娘が、なぜ八依といるのか気になった。

“お(かしら)の護衛か?”

「妹が気になりますか?」

蓮之輔の視線に気づいた八依が訊く。

「妹?」

八依は一度も妹がいるなどと話したことはなかった。


そんな蓮之輔の顔を悪戯っぽく笑って見ている八依。

「妹と言っても母違いの妹なんです。璃依(りえ)と言う名前で、半年前にようやく月のものが来たばかり...」

「姉さまっ!」

それまで一言もしゃべらなかった娘が、顔を真っ赤にして声を出した。

「あら、いいじゃない、璃依(りえ)? あなたも蓮之輔さまに関心があるからいっしょに来たんでしょう?」

「姉さま、嫌いっ!」

璃依は小走りで戸口から出て行った。



その倉庫の中には、布を被せた物が二十ほど置いてあった。

長さは十尺(5m)ほでで布の下に頑丈そうな車輪があるのが見える。


蓮之輔は、近いところにあった物の布をめくった。

布の下には、黒々とした鉄製の大きな筒状の物があった。


「大筒!」

「ここにあるのは、みんな大筒か?」

ほかの物の布を次々と捲ってみるが、みんな大筒だった。


「こんなにたくさん?」

戸口から声がするのでふり返って見ると、璃依だった。

近くにいたらしく、蓮之輔と八依が気になってもどって来たのだろう。

倉庫の壁際には、山ほど砲丸が積まれており、砲弾を運ぶのに使う荷車もある。


「たぶん、ここで大筒の調練をやるんだろう」

「火薬の樽が見当たりませんから、別の蔵に厳重に警備をつけてしまっているのでしょう」

「大筒と弾と火薬があったら、何でもふっ飛ばせますものね、姉さま!」

璃依は機嫌が直ったらしく、八依の近くに来てしゃべっている。

「銃もほかの場所にしまうのでしょうけど、あれだけの数の兵が調練に銃を使っているのだから、少なくても五千丁か、その倍はあるでしょうね」



だい()かち思うたや、江戸ん方たちやったか?」

戸口から太い声がした。

ふり返って見ると、禰寝(ねじめ)右近の部下の一人の大山岩太郎という男だ。

名は体を表すと言うが、身の丈が六尺を超える大男だ。


「そら西班牙(スペイン)製の大筒でごわす。口径は五寸(130ミリ)、 西班牙語では、五(いんち)ちゅうらしいでごわす。二貫二斤(9.1Kg)の鉄ん弾を二里半(10Km)も飛ばすことが出来もす」

西班牙(スペイン)製!」

「二里半と言うと九十丁か!すげえもんだな!」

「当りめんこっだが、火薬はこけはなか(ここにはない)。幕府ん犬は、こん島に入っちょらんとは思うどん、念んためん用心や。銃ん管理も同じごつ厳しゅうしちょりもす。わーっはっはっは!」

愉快そうに大笑いして、大山岩太郎は出て行った。



        大砲

      挿絵(By みてみん)




* 当時の東海道53次の旅は、幕府の決まりで各宿場に泊まらなければならなかったそうですが、各宿場間の距離は8Kmとか10Km未満とかすごく短いので、1日に30Km~40Km歩いたという江戸時代の人は、宿場を三つか四つすっ飛ばして旅をしていたみたいです。

各駅停車ならぬ各宿場宿泊ってすごく宿代がかかりますしね。ちなみに、参勤交代は前述の幕府の決まりにより、各宿場で宿泊したようで、これが各藩の財政をかなり悪化させたとか。これも幕府の狙いだったらしいです。

* 薩摩弁、難しいです。薩摩方言のサイトありますけど、江戸時代に薩摩武士が使っていた薩摩弁とはかなり違うみたいで... かなりおかしいところあるかも知れません(・ω・;)


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