第19章 調練場
慶安四年四月十七日。
蓮之輔たちは、約一ヶ月半かかって薩摩に着いた。
江戸から薩摩までは四百四十里ある。東海道を三十五日かけて大阪まで下り、そこから船に乗った。船は途中で食料や水の補給で短時間停泊したほかは航行を続け、八日間揺られて薩摩の錦江湾の入口にある山川の港に着いた。
日本橋より大阪までの道程
江戸を出たのは弥生の初旬で、朝夕かなり凌ぎやすくなっていたが、薩摩の暖かさに驚いた。
「さすがに雪が降らない南国と言うだけある!うんうん!」
花房右馬之丞が、手拭いでゴシゴシと首を流れる汗を拭きながら、もくもくと煙を噴き上げる雄大な櫻島を見て言った。
「旦那さま、可笑しなこと言ったら、みんなに笑われますわ」
右馬之丞の妻の栞代が顔を赤くして言う。
「栞代さんの言う通りだ。薩摩は南国と言っても、山間部には少しだが雪は降るし、櫻島も冬になれば頂上に雪が積もるんだ」
「何んと?ここでも雪が降るのか!」
神峰小太郎の言葉に右馬之丞が目を丸くする。
そんな小太郎の物知りぶりを尊敬の目で見ているのは、彼の妻の深雪だ。
神峰小太郎は、蓮之輔と右馬之丞が相次いで所帯を持ったのを見た。
そして彼も蓮之輔と右馬之丞と同じく、由井正雪の世直し策の実行部隊である紅龍衆の一員となったことを考え、身を固めた方が良いと考え、三か月後に同じ千石取りの旗本・梶 勝十郎の娘を嫁として娶っていた。
深雪は五尺に足りない背の娘だったが、愛くるしい目をもっていた。
小太郎も五尺一寸の小男なので、ちょうど釣り合っていた。
しかし、薩摩への道中におけるこの二人の仲睦まじさは、いつも鷹揚で滅多な事では動じない保利田権左衛門をして「こいつらは、我々の薩摩への旅を蜜月遊と勘違いしてるんじゃねえか?」とぼやかせるほどだった。
まあ、それを言えば、所帯を持ってからまだ間もない蓮之輔も右馬之丞も、それぞれ志津、栞代と蜜月遊をしに来たようなものなのだが。
櫻島
蓮之輔たちは、紀州藩の御用人・那珂小右衞門の家来である内藤小兵衛の命によって、紅龍衆の丙組である神峰小太郎と竹中昭茂、丁組である権左衛門と小長谷新九郎、戊組の蓮之輔と右馬之丞が薩摩へ向かう船に乗った。
ほかにも浪人組である乙組と丙組、町人組である壬組と癸組の連中も乗っていたが、張孔堂で顔見知りと言うだけで親しくはなかったし、身分も違うので離しかけるなどといった事もなかったが、蓮之輔たちと同じ調練を受けるのだろうと言うことはわかった。
ただ、彼らも蓮之輔たち同様、妻や家族を連れていた。
恐らく、『辛卯策』が実行に移されて、幕府の追及の手が厳しくなった時に、家族に累が及ばないように紅龍衆の一員である夫や父親といっしょに安全なところに連れて行くのだろう。
辛組と呼ばれる軒猿衆や伊賀流大神氏の配下の者たちも船に乗っていた。
紀州藩の中屋敷で行われていた秘密の集まりに時々顔を出していた透波か乱波だか蓮之輔には見極めることができない連中で、もちろん、八依もその中にいた。それも、何人もの若い女たち-おそらく手下の透波たちなのだろう-にかしずかれていた!
東海道の道中では八依たちには会わなかったが、堺の港で薩摩の海運商人の船に乗船した時に、八依たちが船に乗船したのを見て、初めて彼女たち薩摩に向かうのだと知った。
船の中で八依は志津が見てない時に意味ありげな眼差しで蓮之輔をちらちらっと見るのに気づいていた。
山川の港で船を降りてから、蓮之輔たちは陸路を西へ向かった。
薩摩藩主・島津久光の居城である鶴丸城に寄ることもなく、蓮之輔たち一行は薩摩兵に護衛されて移動し、戌ノ刻過ぎに下福元村に到着した。
下福元では慈源寺に一泊し、翌朝早くに出立し、夕方になって薩摩の西海岸に位置する羽島に到着した。羽島には東志那海に面した港があり、港にはかなりの数の舟- それも千石船- が停泊しているのが見えた。羽島には大きな寺はないため、その夜は網本や名主の家などに別れて宿泊することになった。
中甑島の位置
翌朝は、日の出前に起床。
簡単な朝食を摂ると港に向かった。
港には、同じような千石船が十隻以上停泊していた。
蓮之輔たちが乗船するのを待っていたらしく、乗り終わると船は錨を上げ、帆を張って出航した。
残りの千石船も続々と錨を上げ、帆を張って次々と港を出る。
「おいっ、見ろよ、蓮の字!あいつら、俺たちが来るのを待っていたんだぜ?!」
右馬之丞が、“俺たちは、重要な任務を任せられている者なんだ!”と言わんばかりだ。
ばん!と蓮之輔の背中を大きな手で叩いて後から続く千石船の船団を指差す。
「そうじゃないぞ、花房。あの禰寝右近が、この船に乗ったからだ!」
保利田権左衛門が、船尾で部下の者と何やら話している薩摩武士の方を目で示した。
蓮之輔たちが、港に着いた時、彼らが乗船する船が停泊していた桟橋にいた薩摩藩士が、「拙者は禰寝重永でごわす。右近と呼んでくだされ。ご家老・島津図書殿の命で、おはんたちを島へ連れて行くことになりもした」と自己紹介した者だ。
禰寝右近は、三十歳くらいの薩摩藩士だ。精悍な顔つきをしており、常に周りに数名の部下がいることから、かなり格が上の上士らしい。
「禰寝重永は、島津義弘公の八男で、祖父は島津貴久。島津藩主さまの分家で日向国南部に領地をもつ、三万九千石取りの大身分家さ!」
後ろから声がする。ふり返ると、神峰小太郎だった。
妻の深雪が、物知りの小太郎をまた誇らしげに見ている。
「禰寝右近は、ご家老・島津図書の用人として、我々の調練の状況を見るのだろう」
保利田が腕を組んで言った。
今回の薩摩への旅で、蓮之輔たちの仲間の中で唯一、妻を同伴しなかったのは保利田だけだった。
保利田権左衛門は、蓮之輔たちの中ではもっとも年長で、年も三十を過ぎており、子どもも二人いる。
妻は郁と言う名前で、蓮之輔も右馬之丞も何度か会ったことがあるが、万事控えめな女性だったのを覚えている。
保利田権左衛門は二十歳で所帯をもったそうだから、妻を娶って一年にも見たらない蓮之輔や右馬之丞と違って、それほど妻に夢中ではないのだろう。
とは言え、今回の旅では、ほぼ一ヶ月の間、蓮之輔は志津といっしょに寝る機会はごく僅かだった。
それでも東海道の道中では、宿場でそれぞれ一部屋をあたえられたので、声や音を出さないように気をつけて志津を抱いたのだが...
隣りの部屋が右馬之丞と栞代、その隣は小太郎と深雪の部屋なので、志津はとても気にして恥ずかしがった。だが、そんな状況がかえって志津を興奮させたらしく、いつもより燃え、最後には声が出ないように懸命に堪えていたのだが...
右馬之丞の部屋からは、まるで馬が種付けをしているかのように荒い息が聴こえ、どすんどすんと床まで震わせて栞代と目合った。そして最後には、必ず「お栞代、 お栞代っ、 お栞代――っ!」と妻の名前を大声で叫ぶ始末だ。
栞代の声はほとんど聴こえなかったが、やはりせわしない息が聴こえ、最後に「はあ――ん!」と声が聴こえるのだった。
一方、右馬之丞と栞代の部屋の向こう側からは、「はっ はっ はっ」と言う小太郎の息と妻の深雪が、「あなたさま あなたさま あなたさま!」とひっきりなしに名前を呼び、
「しっ!みんなに聴こえるではないか!」と小太郎が低い声でたしなめ
「申し訳ございませぬ... ああ、あなたさま あなたさま... あああ―――――っ!」
見かけによらず、あんな小さな体のどこから、あんな大きな声が出るのかわからない、と隣室の蓮之輔や右馬之丞たちが思うほど、深雪は宿中に響くような声を上げるのだった。
しかし、“旅は道連れ世は情け”で、宿の者も旅する者も若い夫婦の閨事には慣れているのか誰も苦情は言わないし、仲間もからかったりしなかった。
ただ男一人で旅をしていた権左衛門だけが、「ちっ。どいつもこいつも蜜月遊で毎晩お楽しみかよ?」とぶつぶつこぼしていたくらいだ。
それが東海道の旅が終わって、船旅になってからは十日間は、さすがに狭い船内では蜜月遊を楽しむことも出来なかった。なので、女たちはともかく、蓮之輔、右馬之丞、小太郎たちはかなり溜まっていた。
昨晩宿泊した名主の家でも、男と女は別々に寝たので何もできなかった。
蓮之輔や小太郎はともかく、右馬之丞は、栞代としたくてしたくて堪らないようで、みんなの目につかないように栞代の尻をさわったり、胸をさわったりしていた。
もちろん、着物の上から触っているのだが、みんなはウドの木ではないのでちゃんと見えていた。
弁才船
翌朝の昼過ぎに船団は甑島諸島の島の一つである中甑島に到着した。
港に上陸後、禰寝右近が、みんなに彼の配下を紹介した。
伊集院 京四郎、平山 刑部、大山 岩太郎、それに瀬戸山 経久三の四名で、伊集院 京四郎は羽島の港で禰寝右近に付き添っていた藩士で、ほかの三名は島にいたらしい。
「これから、こん四人が、おはんたちん世話をすっことになるでごわす」
と言ったあとで、島についての説明をした。
中甑島の南に位置する下甑島では、金山海岸で銅・金・銀などが産出されており、薩摩藩の南蛮貿易の重要な港であることもあり、厳重な警戒が行われていること。さらに幕府の伴天連取り締まりが、島津藩を通してここの島にも行われ、寛永十五年には甑島諸島に隠れ住んでいた『島原の乱』の残党三十数人が処刑されたことなどについて話してから、
「中甑島は、周囲が二十里ありもす。ここから羽島の港までは十三里離れてありもす。つまり、ここから薩摩までは、泳いではいけんちゅうことでごわす」
と絶海の孤島であることを強調した。
「ふうむ。幕府の隠密に見つからないために遠く離れた島に秘密調練場を作ったと言う訳か...」
右馬之丞が、周りを見渡してつぶやいた。
「見てん通り、こけは漁村があり、山には村もあったが、村んもんたちは、みんな上甑島と下甑島に移らもした。あとで、おはんたちが泊まっことになっ家に連れて行っで、夫婦は、そこでだいにも気兼ねせんで住むっことになりもす。もう、すでにかなりん所帯持ちが住んじょっで、仲良うしたもんせ」
「ほっ」
「よかったわ!」
「これで夫婦水入らずで...」
「そうか。もう家族で住んでいる者もいるんだな!」
右近の説明に、わいわいがやがやとみんなが小声で話しはじめた。
「ちょっと遅うなったが、飯と茶を用意しちょっで、そいを食べてから男衆は調練場に向い、おなごんしたちには、かつがつん住んことになっ家を見てもろうたり、炊飯場を見てもらうことになっちょっ。おなごんしたちには、炊事を手伝うてもらうことになっちょっで!」
禰寝右近に先導され、港から七十丈ほどある山を超え、かなり広い山道を百町歩くと、まるで城下町のような街並みが目前に広がっていた!
小規模な大名の城下町も顔負けの規模の町だ。もっとも、城はないので城下町ではなく、長屋ばかりなのでまるで江戸の下町のようだった。
町の中に入ると、子どもたちが珍しそうに蓮之輔たちを見てぞろぞろと後をついて来る。その人数を見るとかなりの家族連れが住んでいるようだ。
やがて一行は、茅葺で壁のない大きな家に入った。
そこには、たすき掛けの女衆たちが大勢、忙しそうに飯の用意をしていた。
「調練場ん者たちは、ここで朝飯と昼飯を食ぶっとじゃ。独り者は三食ここで食ぶっことになっ」
禰寝右近の言葉で、志津たち女は、明日からここで飯作りを手伝うのだと忙しそうに動き回る女衆たちを見て思った。
「さあ、長旅で腹も減ったやろう。ご馳走はなかどん、腹よかひこ食べたもんせ!」
みんな、茣蓙の敷かれた地面に座って、唐芋と麦入りの握り飯を食った。
麦入り飯はめずらしくはないが、干し大根の刻み醤油漬がすごくおいしかった。
「べったら漬けとは、違った旨さだな!」
右馬之丞が、一口で握り飯を頬張り、茶色っぽい漬物を手でつかんでポリポリと食う。
「甘酸っぱく柔らかい京のかぶらの千枚漬けも美味しいですけど、これも美味しゅうございます」
志津も初めて食べる薩摩の漬物を褒めている。
「山川|漬と言うのか?味に深みがあるし、歯ごたえも結構いいな!」
保利田は、唐芋と漬物を食っていた。
「こいは、山川漬とゆもんが」
熱いお茶を持って来た女中らしい女が漬物の名前を教えてくれた。
街並み
女たちは、そのまま残り、住むことになる家に連れて行ってもらい、一休みしたあとで夕飯の手伝いをすることになった。男たちは、禰寝に連れられて調練場へ向かった。
調練場は、長屋町から五町ほど離れたところにあり、帽子山という山を迂回したところにあった。
右馬之丞も小太郎も保利田もほかの連中も、調練場の大きさに目を瞠った。
「漸く来られましたか」
後ろから静かな- 聞き覚えの声がした。
ふり返ると、そこには端正な顔の男がいた。




