第16章 小鶯の事
源次郎は、辰蔵の見世で彩葉を抱いたあと、隅田川沿いを北へ向かった。
川を行き交う船や町の様子を見ながら、ぶらりうらりと歩くのも趣がある。
奉行所には、深川の辰蔵の見世で用を足した(金を届けること)後で、探索をすると言っているので今日はもう戻る必要はない。
隅田川に沿って半刻ほどかけて歩き、一ツ目之橋を渡ると本所に入る。
今度は堅川に沿って東へ百間ほど歩く。このあたりは民家が多い。
狭い路地がいくつもあり、その一つに入ると少し歩いて、何の変哲もない一軒の民家の前で止まった。
その家は、源次郎が借りている家だった。
家は、八畳の居間に六畳、四畳の座敷一つずつ。それに台所、風呂、便所付きと言う手頃な間取りの家だ。場所は両国橋から六つほど東の通りで、南町奉行所までは一里半ほどしかないので便利だ。
大戸を開いて中に入り、奥に向かって声をかける。
「今、帰ったぜ!」
「主さま!」
嬉しそうな声がし、ぱたぱたと音をさせて小鶯が小走りで来た。
源次郎が差し出す刀を押しいただき、大事そうに袖で包んで胸に抱く。
「昼餉前にいらっしゃると思って用意していましたのに...」
少し恨めしそうな目で源次郎を見る。
「すまねえ。お奉行に頼まれてな。ちぃいと深川まで用を足しに行ったら、少し手間どっちまった」
白鼻緒の雪駄を脱ぎながら言い訳をする。
「お仕事でしたら仕方ありませんね。あ、お風呂ちょうどいい湯加減ですわ」
居間に入った源次郎の羽織りを脱がせながら、小鶯が言う。
「おっ、そうか。じゃ、さっさと湯に入るとするか!」
おそらく小鶯は、昼九ツ前から風呂を沸かせているのだろう。
下帯一枚になった源次郎は風呂の方に行く。
「お前もいっしょに入るがいい」
「あい」
小鶯がうれしそうに返事をする。
小鶯
小鶯は、太夫になったばかりの十七歳の時に源次郎が水揚げをした遊女だった。
源次郎は十五歳になってから、遊び仲間の旗本の息子たちと吉原に出入りするようになり、十八歳の時に一人の振袖新造を好きになった。
源次郎は、「ウメ」という名前の振袖新造に夢中になり、彼女が十七になって“水揚げ”をする時に、源次郎は楼主に頼みこんで― 大金を払って― ウメが『小鶯太夫』となってから、初めての男になったほどだった。
小鶯を知ってから三年後に父親の孫右衛門が亡くなり、源次郎は仁杉家当主となり、孫右衛門がの跡を継いで同心支配役となった。
それから三年経って、ようやく小鶯を身請けすることが出来た。
与力の役得である、江戸の諸大名家や豪商、大身の旗本、富裕な商家、大きな寺院などからの付届けなどを懸命に節約をして貯めたおかげだった。
それでも身請けには五百両という、与力分際の源次郎にとっては途方もないような大金を払うことになったのだが。
小鶯は、いわゆる“うさぎ顔”の女だった。
少し大きな目と頬の下の方がぷっくりとした小さな顔、小さな鼻と口。そして白い肌の持ち主だった。
いつもどこか儚げで夢を見ているような女- それが小鶯だった。
源次郎を夢中にさせた顔だたったが、ほかの男客からは「不細工な顔」と言われて、あまり人気がなかったらしい。そんな理由もあって、普通であれば千両ほどはかかる身請け料も半分で済んだのだが。
源次郎が小鶯を身請けしたのは一年ほど前だ。
小鶯のために、源次郎は本所に家を借りてやり、週に二度ほど通っていた。
こじんまりとした家で、広すぎる屋敷に住んでいる源次郎もかなり気にいっていた。
小鶯も大へん気にいっている家なので、あと一、二年ほどしたら買おうと考えていた。
源次郎が風呂で座って身体に湯をかけていると、小鶯が入って来た。
すぐに襦袢を脱ぐ。下には浅黄色の湯文字を付けていた。
前回来た時は、桃色、その前は茜色だった。
源次郎が好むと知って色々な色の湯文字を付けるのだ。
小鶯は二十歳になり、すっかり女盛りとなっていた。
乳房はしっかりと張っており、桜の実はきゅっと上を向いている。
しなやかな腹、すらりと伸びた白い手足。
下の毛は、遊女だった頃からの嗜みで、仄かに形がわかる程度に残されている。
小鶯は、糠の入った袋で源次郎の身体を洗いはじめた。
丁寧に糠袋で洗ったあとで、お湯で満遍なく流す。
「さあ、どうぞお風呂にお入りください」
「おう」
ざば――っ
お湯をあふれさせて風呂に浸かる。
「お前もはいれよ」
「あい」
小鶯も手早く湯をかけ、糠袋で洗うと湯槽の中に入って来た。
こんな楽しみのために、源次郎はこの家を借りてからすぐに大きめの檜の風呂に代えさせていた。
その分、水も薪も多く要るが、小鶯は近所の子どもたちにお小遣いをやって、毎日井戸から汲んで換えていた。蕎麦一杯が食えるだけの金なので、近所の子どもたちの間でも人気の小遣い源だった。
ざば―――っ
さらにお湯があふれる。
湯槽の中で向かい側に入った小鶯に「ここへ」と命じる。
小鶯も慣れたもので、すぐに源次郎の膝の上に尻を乗せる。
源次郎は、小鶯の脇の下から手を入れ、張りのある胸を揉みはじめた。
「あ... 主さま...」
早くも感じ、小鶯が色っぽい声を上げる。
源次郎は、両手で小鶯の腿を持ち上げ、逞しくなった物の上に小鶯の尻を降ろした。
湯槽
.........
.........
小一時間ほど風呂で楽しんでから、源次郎は浴衣姿を着せてもらって居間にもどった。
「少し小腹が空いたな」
「お茶漬けでも召し上がりになりますか?」
「うん。それでいい」
台所に行った小鶯は、すぐにお櫃と昼餉の刺身用に買っておいたらしい鯛の切り身を持って来た。小皿に鯛の切り身を分け、その上から胡麻醤油タレを掛け和える。
まだほんのりと暖かいご飯を茶碗に盛り、その上にご飯が見えなくなるほど「鯛の胡麻だれ和え」で覆うと、さらに熱いお茶を掛けた。
「どうぞお召し上がりください」
「おっ、うまそうだな!」
こりっとした歯応えの鯛と風味のある胡麻たれが合って、食欲をそそる旨さだ。
「うめえ!」
美味しい茶漬けに頬をほころばす源次郎を見て、小鶯も嬉しそうだ。
彼女も茶碗に半分ほどご飯を入れ、「鯛の胡麻だれ和え」を数切れ乗せてお茶を掛け、食べはじめる。
「本当においしゅうございますね」
さすが吉原の廓で厳しく躾けられただけあって、食べ方もすごく上品だ。
旨いお茶づけを食ってから、縁側の障子を開けて昼寝をした。
小鶯は、源次郎が寝入るまで団扇で扇いで涼しい風を送ってくれていた。
鯛の茶漬け
六ツ半過ぎ―
源次郎は目を覚ました。
「おっ、いけねえ。家に帰らねえと真穂が心配する」
小鶯がすぐに台所からやって来て、源次郎が着物を着るのを手伝う。
「それでは、次にお帰りになるのをお待ちしています」
上り框に手をついて頭を深く下げて源次郎を送る小鶯。
「おう。また三日後に来るぜ」
さすがに六ツ半になると外もいく分涼しくなっている。
源次郎は夜風に吹かれながら、堅川のそばを歩いていた。
そして、彼の後を付かず離れずつけている者がいることに気づいていた。




