第15章 異心之者
慶安四年 五月七日。
(西暦1651年6月24日)
江戸城本丸―
江戸城の最も奥まった所にある御用部屋。
その御用部屋に老中たちが集まっていた。通常は四人の老中しか執務をとってない御用部屋には、今日は非常勤である御家老や将軍後見人などが集まっていた。
老中・松平信綱が大老・酒井忠勝に由井正雪一味について、新しい情報が入ったので、非常勤の老中まで召集して欲しいと召集をかけたのだ。
御用部屋にいるのは、酒井忠勝、井伊直孝、松平忠明、松平信綱、阿部忠秋、保科正之、松平乗寿、それに酒井忠清の七人。
第三代将軍・徳川家光が四月二十日に亡くなった後、わずか十一歳の家綱が第四代征夷大将軍となったが、まだ年も若く、大老・酒井忠勝、老中・松平信綱、阿部忠秋、酒井忠清など家光時代からの老中たちや 保科正之などの後見人が補佐していた。
徳川家光の喪も開けてない時期に老中に召集をかけるなど、非常事態でなければないことだ。
それゆえ、非常勤の大老と老中たちは“何事?”と急いで登城して来ていた。
「由井正雪の謀議に加わっておりました奥村又左衛門という輩が、南町奉行所の神尾備前守配下の与力に金と交換に一味の陰謀を明かすと申し出ましてござる」
「なにっ、正雪一味の陰謀の内容をか?」
保科正之が思わず膝を乗り出し、少し眠そうな顔をしていた井伊直孝も目を見開いた。
井伊直孝は、慶長十九年の大坂冬の陣では、真田信繁軍の挑発に乗って突撃し、敵の策にはまってしまい五百人の死者を出す大被害を生じさせたという蛮勇の持ち主だが、我儘で気の強い長男の直滋とうまく行ってないとこぼしている還暦を超えた老人に過ぎない。
「確かに正雪の一味なのでござるのか?」
五月雨の季節の蒸し暑さのため、額に汗を浮かべながら酒井忠勝が訊く。
金欲しさのための虚言ではないかと疑っているのだ。
「奉行所で、十分に吟味がされたと神尾備前守から惣目付の井上政重を通して報告がありましてござる」
蒸し暑さなどまったく感じてないような涼しそうな顔で松平信綱が答える。
“奉行所で、十分に吟味がされた”ということは、笞打、石抱などの牢問や釣責や海老責など拷問を行って、自白させたと言うことを言意味する。
「ようやく四ヶ月後に何らかの探索結果が出申したか... それで、その奥村又左衛門とやらが明かした内容とはどんなものでござるか?」
松平忠明が、“勿体つけずに早く話せ”と言外に匂わせながら言う。
「確証はござらんが、薩摩藩や長州藩も加担しておる者がいるようだと奥村は吟味の与力に述べたと神尾備前守は書いておりました」
「薩摩藩や長州藩が加担しておる?では、ほかにも外様大名が加担しておると申すのか?」
「... いかにも」
松平信綱はそう言うと、火箸をとって火鉢に向かった。
老中が合議を行う御用部屋には、季節を問わず火鉢が置かれている。
それは、部外者に聞かれれ困るような重大事を灰に書くためだ。
松平信綱が火箸をとったのを見て、老中たちは“重大な事”だと理解し、みんな火鉢に近寄った。
松平信綱は灰に『紀』と書いた。
「む!」
「!」
「まさか?」
「いや、これは軽々しく口外できぬぞ!」
老中たちが驚くのを見て、松平信綱は言った。
火鉢
「すでに、服部半蔵に命じて、徹底的に探索するように命じており、北町・南町の両奉行所にもさらに探索を徹底するように、 惣目付の井上政重を通して北町奉行所の石谷左近将と南町奉行所の神尾備前守に申しつけております」
「なんともはや。もう、手を打たれていたとは!」
「流石、伊豆の守殿!」
「知恵伊豆の異名は伊達ではありませぬな?」
阿部忠秋や井伊直孝、松平乗寿などが褒める。
「外様大名はそれでいいとして...」
「問題は、それでござるな?」
保科正之 が灰に書かれた文字を目で示す。
「その通りでござる、肥後守殿」
松平信綱が、灰に書かれた字を火箸で混ぜて消す。
奥右筆などが急に入って来てもわからなくするためだ。
事は御三家の一つである紀州藩の事だ。
滅多なことで嫌疑をかけるわけには行かない。
「探索を進めるよりほかあるまいな...」
酒井忠勝の言葉に皆が頷く。
「その他に、直参の中にも少なからずいると奥村は吐いたそうでござる」
「直参の中に?」
「して、名前はわかるのか?」
「どれほどの数か奥村は言ったのか?」
老中たちが色をなした。
旗本が『直参』と呼ばれるのは、大名の家臣である陪臣に対する言葉として使われだしたもので、旗本は徳川将軍直属の家臣として陪臣とは比較にならない高い格式を持ち、徳川幕府を守る軍事的な基盤で、その総数は五千二百人、これに軍装軍役掟書による陪臣数を加えれば所謂〈旗本八万騎〉となり、徳川将軍の直属軍として江戸城および江戸を守る一大軍団なのだ。
その守りの肝心である旗本の中に幕府を倒しかねない陰謀に加わっている者がいると言うのだ。老中として驚かないわけにはいかないだろう。
「誠に由々しいことでござる...」
さすがにいつも落ち着いている酒井忠勝も腕を組んだ。
「御家老殿、あまりご心配召されるな。旗本の件も徹底して探索するように命じておりまするゆえ」
「それで... 探索をする人数を増やすのに要る金などについて、北町奉行も南町奉行も何も申して来ないのか?」
「井上筑後守に奉行所の内情を聞いたところ、石谷左近将も神尾備前守も、少々金を使っているそうでございます、肥後守殿」
「この際、多少の金など問題ではござらん。至急、両奉行所に必要なだけの金を送り、人員を増やして探索を強化すべきでござろう?」
保科正之が酒井忠勝を見て言う。
「無論、それしか方策はないでござろう」
「早速、勘定奉行の大河内久綱に命じて必要なだけの金子を用意させるとします。各々方もそれで宜しいでござるな?」
松平信綱 が、大老が承認したのを見て、老中たちに訊く。
「承知致した」
「何千両でも蔵から出してやるがいい!」
「水戸殿、尾張殿、肥後守殿、井伊殿、下総守、伊豆殿、和泉守殿にも万一に備え、手勢を準備しておいて頂きたい。勿論、拙者も準備しておく!」
酒井忠勝が重々しく告げた。
鰹の生姜醤油漬けと酒の膳
「辰っつあん、おめえさんのおかげで、お奉行さまもご老中に顔が立ったってもんだ!」
仁杉源次郎は、鰹の生姜醤油漬けを箸で口に運びながら、ご機嫌そうに酒を飲んでいた。
「いえ、若旦那。あっしに礼を言うのなら、倅の寅蔵に言ってくだせえ」
彩葉が嬉しそうに源次郎が飲み干した盃に酒を注ぐのを見る。
彼女は、一ヶ月半ぶりに源次郎が来てくれたのが嬉しいのだ。
裏門から入ったらしいが、すぐに彼女を呼ばせたことでも、また抱いて頂けることは確かだ。
辰蔵も笑みを浮かべ、手酌で酒を注いで飲んでいる。
深川町の鷹の辰蔵として知られるこの五十過ぎの渋みのあるこの男。
歳は五十を超えているが、“鷹の辰”と異名で呼ばれるほどの鋭い感と嗅覚をもっており、“ご用聞き”であった時代は大いに奉行所を助けて来た男だ。
「これからは、どうやってあの奥村又左衛門って言う奴に、あの怪しからん連中の名前を吐き出させるかだな!」
「それにしても、寅蔵が手柄を立てれてよろしゅうございました。これも辰蔵親分さんのおかげでございます」
辰蔵の妻の芳が、台所から新たな料理を運んで来ながら笑顔で言う。
寅蔵は、昔、辰蔵が芳を身請けした時に連れていた子どもを自分の子どもようにして育て、物心がつくっようになると香具師の仕事を教え始め、今では辰蔵の片腕として深川一帯の香具師を纏め、辰蔵の後を継いで“ご用聞き”をしている。
その寅蔵が、辰蔵の助言に従って探索を続け、うまく一味の者を捕らえることが出来たのだ。
手柄を立てれば奉行所からの覚えもよくなる。そうなれば、今後、辰蔵の跡継ぎとして女衒業や見世の営業にも目を瞑ってもらうことが出来、それは商売上とても重要なことなのだ。
源次郎は、寅蔵が捕らえた“浪人”が、“怪しからぬ事を謀っている一味”について貴重な情報を自白したと知らせに来ていた。
「いや、あれは仁杉の若旦那が、寅蔵たちが仕事をしやすいように便宜を図ってくださったからだ」
辰蔵が源次郎を持ち上げながら、言外に礼を言う。
「おっ、今度は班魚の刺身かい、女将さん? うめえっ!やっぱし、旬の魚はうめえな!」
辰蔵の言葉には構わずに、辛子醤油をつけた班魚の刺身を二切れ口に入れてから、また盃を干した。
「本当にうめえな!」
顔を綻ばせると箸をおいて、横に置いていた風呂敷包みを開いた。
源之助が見世に来た時に、共をしていた若党に持たせていた物で、かなり重そうだった。
風呂敷の中身は美しい手箱だった。
蓋を取ると、中には小判の切り餅がずらりと並んでいた。
「!」
「まあ!」
流石の辰蔵も目を見開き、彩葉も声を出す。
芳は少し驚いたようだったが、何も言わずに辰蔵に班魚のために刺身を小皿に分けている。
ご老中・松平伊豆の守さまがな、本腰を入れて徹底的に怪しい者を洗い出し、捕らえよ。情報を得るために金子が要るのであれば、いくらでも仕えっておっしゃってるんだとさ!」
「つまり... 聞き込みだけでなく、金をあの辺りの茶屋や商いをやっている者にやって、情報を集めろってことですね、若旦那?」
「そういうこってえ。ここには三百両ある。この間、集めたというご用聞きたちをまた集めてもらって、半分は懐に入れても構いやしないが、残り半分で役に立つ情報を集めろって伝えてくれ」
「ようございます、若旦那。お任せくだせえ」
「親分さん。そろそろあたしたちは、若旦那さまと彩葉だけにして方がいいんじゃありませんか?」
芳が気を利かせる。
「おっと、いけねえ。そん通りだ。じゃあ、あとはよろしくやってくれ」
辰蔵が立ち上がり、蔵を改築して茶室にした離れに向かう。
「彩葉、ちゃんとご満足して頂くんだよ」
「はい。女将さん」
真っ赤になりながらも、表の見世のへ向かう芳に頭を下げる。
「芳、ついでに政を呼んでくれ」
座敷の襖を閉め、廊下を見世の方に向って行く芳に辰蔵が呼びかける。
「わかりました」
政は見世で雑用をこなす若い衆だ。
辰蔵は、早速明日当たりにも、岡っ引きたちを富岡八幡宮の神輿庫に集めるつもりだった。
その知らせを政にさせるために呼ばせたのだ。
その頃、座敷では源次郎が、彩葉の口を吸いながら着物を脱がせていた。
手は動かし、舌も動かしていたが、心はそこにはなく、頭では別の事を考えていた。
源次郎が考えていたのは、どうやって正雪一味の謀をもっと詳しく調べるかだった。
すでに、奥村又左衛門は、小伝馬町の拷問蔵で海老責め、釣責めを受け、吐くことは全て吐いている。
小伝馬町の牢屋敷から日本橋本石町→十軒店→金吹町→本町一丁目→常盤橋を渡り、数寄屋橋御門内の南町奉行へ連れて来られて詮議され、詮議が終わるとまた南松奉行所から小伝馬町の牢屋敷へと江戸の繁華街を引き回されて連れ戻されることは、元武士であった奥村又左衛門にとっては、拷問蔵での責めより耐え難いことだった。
二度目の詮議で南町奉行所の庭に引き出された奥村又左衛門は、
「もう、これ以上恥を晒させるのはやめてくれ!」と哀願し、知っている限りの事を奉行に話した。
その内容は、牛込榎町の張孔堂で由井正雪の講義を聴講していた連中の中で、奥村又左衛門が名前を覚えていた旗本、旗本の子弟、浪人たちの名前だった。
由井一味の探索が全く捗らないのに困っていた南町奉行・神尾備前守は早速、奥村又左衛門の自白の内容を老中に報告した。
老中からは、その日のうちに惣目付・井上政重に命じて、これら旗本を捕らえるべく目付と捕吏を遣わせるのと同時に、北町・南町奉行に命令して両奉行所の捕吏からなる大掛かりな捕物部隊を出動させたのだが―
柚良蓮之輔、花房右馬之丞、神峰小太郎たち、名前のわかっていた旗本の子弟は、すでに紀州藩の藩士として“お抱え”になっており、惣目付が書状にて問い合わせをしたが、紀州藩江戸家老の水野 重良からは-
『そのような戯けた問い合わせに答える理由は一切御座り申さん』
とそっけない返事があっただけだった。
徳川御三家の一員である紀州藩を相手に、確たる証拠もなしにそれ以上詮議をすることも出来ず、その報告を南町奉行・神尾備前守から受けた老中も腕を組んで考えこむしかなかった。
柚良家、花房家、神峰家の当主たちも、弟や息子が“大藩にお抱え”になったということ以外は何も知らず、奉行所からの問い合わせに戸惑うだけだった。
また、三千国取りの高家の旗本である保利田権左衛門も
「松島を見に行ってくる。“ももひきの破れをつづり、笠の緒つけかえ、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて”と芭蕉も申しておるからな!」
と家人に言って、若党二人を連れて江戸を出立したが、越ヶ谷宿に泊まった日の翌日に『思う処あって、この先一人で旅をする。お前たちは、心配せずに屋敷に帰り、妻の郁に“案ずることはない”と伝えてくれ』と若党に書置きを残して消えてしまっていた。
そして、権左衛門が姿を消してから十日後―
権左衛門からの手紙と言うものを使いの者が郁に渡し、それを読んだ郁は数日後、日本橋まで用事に行きますと言って子どもを連れて屋敷を出た切り、二度と屋敷に帰って来なかった。
一方、名前が判った長屋住まいの浪人たちや商人・町人たちは、なぜかそろったようにお伊勢参りのために旅に出ていた。それも家族全員を連れて。
“こりゃ、もう俺たちの手には負えないな...”
「源次郎さま?」
裸にされてしまった彩葉が、考えこんでいる源次郎を不審そうに見上げる。
「おっ、悪い、悪い。ちょっと考え事をしていてな!」
そう言うと、源次郎は素早く裸になった。
手箱
*小判の切り餅は、資料によると「一分銀100枚(小判にして25両相当)を重ね紙で包んだもの」となっていますが、重量が1KG程度と重いし、かさ張るので作品の都合上、小判ということにしています。




