第3章 ミレーヌ
ミレーヌは、主の年1159年4月2日にモンバール近郊のサン=ルミー村で生まれた。
彼女が12歳の時、父親を病気で失ったあと、母親・弟妹たちとともに、モンバールから東南にあるデイジョン郊外に住んでいた叔父家族を頼って移って来た。
サン=ルミー村は、モルタルジから3万6千トワーズ(約71Km)以上の距離にあり、幼い弟妹がいたこともあって、着くのに三日もかかってしまった。
馬を持たない農民にとっては、3万6千トワーズはかなりの距離であり、モンバールしか知らなかったミレーヌにとってもかなりの距離であったのを今でも思い出す。
ミレーヌの叔父一家は、モンバール町の北にあるアユイ村で農家をやっていた。
叔父夫婦には子どもがいず、弟に叔父の家を継がせるということで話が決まった。叔父にとっても、農業で人手が増えることはメリットが大きかった。
サン=ルミー村で農家をやっていたミレーヌの家族は、叔父たちを手伝うことで食べさせてもらうことになった。働かざるもの食べるべからずで、ミレーヌも小さい弟妹たちも、毎日一生懸命に食い扶持分の仕事をした。
そして、日曜日になると、デイジョンの町の教会で行われるミサに行く。
敬虔なカトリック教徒であるフランス人にとって、日曜日はイエス様が復活された記念すべき日であり、この日にお祈りを捧げるのはカトリック教徒の務めなのだ。
そうは言っても、誰にも気兼ねすることなく仕事を休めるということは、仕事をする以外に何の楽しみもない農民にとっては唯一の楽しみであり、それゆえ出来るだけいい服を着て教会に行く。
そしてミサが終わったあとで、農夫たちは今年の農作物の出来具合などについて話し、女たちはうわさ話に花を咲かせ、ペチタミのいる若者は、手をつないで木陰に座ったりして週末デートをし、セリベテールでペチタミのいないギャルソンやフィーレは、ボウ・メーやジョリィ・フィーレを見つけて話しかけようとするのだ。
ミレーヌは母親譲りのシャタン・クレールと父親譲りの白い肌のかわいい娘だった。
なので一張羅のよそ行き服を着て日曜日に教会に行くと、当然ギャルソンたちの注目を引き、ミサが終わって外に出ると、いつも何人ものギャルソンたちから声をかけられた。しかし、ミレーヌはそんな男の子たちには見向きもしなかった。
主の年1171年4月11日 日曜日。
デイジョンの教会。午前9時過ぎ
この日もミレーヌと母と弟妹は、叔父夫婦といっしょにミサに来ていた。
先週の日曜日、ミレーヌたちは初めてデイジョンの教会に来たが、この日は復活祭で、礼拝室は人があふれていて、ミレーヌたちはミサが行われる間、礼拝室の外で立ったまま参加することになった。
アユイ村に来たばかりで、叔母から「デイジョンの司教さまの説教はとてもいいんだよ」と聞かされて、期待をして来ただけに、入口の外からでは司教さまの声もあまりよく聴くことができず、かなり残念だった。
しかし、今日は少し早めに家を出たこともあって、礼拝室の中ほどの長椅子に座ることができた。
さすがにデイジョンの教会は大きく、礼拝室も500人は楽に座れる。サン=ルミー村の教会とは比べものにならない。
母は叔母さんと「とても立派な教会ですわね!」などと話していたが、ミレーヌの関心は前方にある立派な祭壇でもなければ、慈悲深そうな表情をしたイエス様の像でもなかった。
ミレーヌの目は、ミサを執り行う司教を手伝う男の子に釘付けになっていた。白いサープリスを着た男の子は、アコリティらしい。
ミレーヌよりちょっと年上らしい背の高い男の子がテキパキと要領よく司教を手伝う姿を見て、ミレーヌは一目惚れした。
主の年 1171年4月18日 日曜日。
デイジョンの教会。午前9時。
この日、ミレーヌは「司教さまのお話をもっと近くで聴きたいから、前の席に座れるように早く出ましょう!」と母に言って叔父夫婦たちよりも早く家を出て教会に着き、最前列から2列目という特等席に座ることができた。
特等席からは、アコリティの男の子をさらに近くで見ることが出来た。
男の子の髪はシャタン・フォンセでスラリとした長身だった。
そして-
神さまがミレーヌの願いを叶えてくれたのだろうか。
アコリティの男の子は、前の方の長椅子に座っているミレーヌを発見してくれた。
男の子もミレーヌが気になるようで、ちらっちらっと彼女を見るではないか?
彼と目が合うと、ミレーヌは恥ずかしくて真っ赤になって下を向いた。
俯いたまま10秒ほどして顔を上げると、聖書を読んでいる司教さまの後ろにいる男の子が自分を見続けているのに気づいて、さらに赤くなってまた俯いた。
午前10時半。ミサが終わった。
「そんなに急いでどこに行くの?」
母の声にも答えずに、ミレーヌは出口に向かっていたマリー・ルイーズ叔母さんのそばに駆け寄った。
「マリー・ルイーズ叔母さま。あのアコリティの男の子、何て言う名前か知っていますか?」
「あん? ああ、あの子はローランと言う名前だよ。司教さまのご子息さ!」
「え?... バンジャミン司教さまの... ご子息?」
「ふふふ。ミレーヌ、あんたローランに一目惚れかい?」
「ち、違うわっ! どうもありがとう。あ、マモンを探さなきゃ」
真っ赤になった顔を見られたくないので、母親を探すという言い訳で教会から出て来る人の波に逆らって中に戻った。
母親と弟妹は出口の近くにまで来ていたが、「お姉ちゃん、どこに行っていたの?」と訊く妹の声も耳に入らなかった。なぜなら、ミサに使われた片付けていた道具を手に持ったまま、ローランがフリーズしたように止まってミレーヌを見ているのを見たからだ。
ミレーヌが見ている方をふり返って見た妹が素っ頓狂な声を出した。
「あ、あのボウ・メーなアコリティが、ミレーヌお姉ちゃんを見ているよ!」
「あら、あら!じゃあ、今日はいつもより長い時間、マリー=クロードさんやコリーナさんとおしゃべりしなくちゃね!」
「マモン、じゃあ、あたしもマルティーナちゃんとエディスちゃんともっと遊んでいい?」
「マモン、マモン。ぼくもオズモントやロヒエルやハオルとたくさん遊んで言い?」
「ああ、いいよ!ママは、オークの木の下のベンチにいるからね!」
ワーイ!
やったー!
弟と妹が走って行くのを見ながら、母親はミレーヌの耳元に口を寄せて言った。
「じゃあ、あんたもがんばってローランのハートを射止めるんだよ!」
そして、ポン!と背中をたたいた。
「そ、そんなんじゃないわ!」
真っ赤になった顔が正直にミレーヌの気持ちを表していた。
ミレーヌは、先ほどまで座っていた長椅子のところまでもどった。
今度は壁際の通路側の長椅子の一番端に座る。ここだと外から見えないからだ。
別に悪いことをしているわけではないが、ほかの人に見られるのが恥ずかしかった。
ローランは、ほかの若い神父たちと後片付けをしていた。
やはりちらっ、ちらっとミレーヌを見ている。
後片付けは終わったと見え、ローランは祭壇の横にあるドアに消えていった。
“もう、もどって来ないのかしら?”
そう思った時、サープリスを脱いだローランがドアから現れた。
ドキッ!として、思わず目を反らせてしまった。
カツカツカツ...
靴音が中央の通路を近づいて来る。
ミレーヌの心臓はドクンドクンと鳴り、ローランに聴かれないかと思った。
ローランはミレーヌの座っている長椅子のところまで来た。
ミレーヌはうつむいたままだ。
すると、ローランは中央通路からミレーヌの座っている長椅子の列に入って来た。
「やあ、あまり見ない顔だけど、この町じゃ新しいの?」
何でもないように横にひょいと座ると、ミレーヌの横顔を覗きこむようにして訊いた。
「あ、はい。アユイ村のラウル叔父さんの家に先週からマモンと妹、それに弟といっしょに住んでいます」
「あ、アユイ村のラウルさんか。知っているよ。先週からってことは、どこから来たの?」
ローランは、根掘り葉掘り訊く。
「サン=ルミー村からです」
「ああ、サン=ルミー村か。それでパパは?行商か船乗りでもやっているの」
「パパは... 病気で死にました」
「そうか... きっともう神の御許にいらっしゃるよ!」
司教さまの息子らしく、慰めの言葉を言ってくれた。
「はい。私もそう信じています」
優しい言葉にミレーヌは、涙ぐみそうになった。
「オレ、ローランって言うんだ。君は?」
「ミレーヌです」
「じゃあ、ミレーヌ・ドゥ・サン=ルミーだな!」
この当時、庶民は出身地の名前を性の代わりに使っていた。
「今はミレーヌ・ドゥ・アユイですけど」
「はっはっは!ミレーヌは面白いな。喉乾いてない?」
「少し...」
大好きなローランと話せて、緊張のあまり喉が渇いていた。
「じゃあ、ついておいでよ!」
そう言って、何ということかミレーヌの手をにぎって祭壇の方に向かって歩きはじめた。
ミレーヌは突然手をにぎられて驚いた。
心臓はバクバクして、口から飛び出しそうだったが...
うれしかった。