第12章 鷹の辰蔵(前編)
慶安四年三月十四日。
仁杉源次郎は、八ツ半に南町奉行所を出た。
いつも通り、供揃の草履取り、槍持ち、鋏箱持ちなどは先に屋敷に帰らせ、黒縞の着物も紋付継裃も脱いで、普通の着流しの小袖姿となっている。
同僚たちには、少し町をぶらついてから帰宅すると言ってある。
ぶらつくとは彼らの間での隠語で、“町で情報を仕入れて来る”ということだ。
本来、その仕事は与力の部下である同心がご用聞き- いわゆる岡っ引きに命じてさせるのだが、隠密廻り同心が二名消息を絶ったあとで新しく隠密廻り同心となった者は、若すぎて経験不足、加えて下働きをする岡っ引きたちとの間でまだ十分な信頼関係を築けてなく、これと言った働きを見せていなかった。
北町・南町の両奉行所が面子をかけて探索していたのが、『与力失踪』と『ご用聞並び手下殺し』だった。どちらも正雪一味の仕業と思われていたが、証拠がなかった。
正雪一味を捕らえて尋問しようにも、由井正雪が 張孔堂で行っていた謀議に参加していた者たちを見知っていた隠密廻り同心と岡っ引きが相次いで失踪した。
その任務のあとを継いだ北町奉行所と南町奉行所の隠密廻り同心も相次いで行方不明となった。
そこで、奉行所では、管理職の与力を除いて、与力や同心たちも探索に協力することになったのだ。
なので源次郎が八ツ半という早い時間に奉行所を出ても咎める者など一人もいない。
“どうもご苦労さまです”“お疲れだろうが、頑張ってくれ”みたいな顔で送り出してくれる。
喜多川歌麿「深川の雪」
半刻後、源次郎は深川にいた。
永代橋を渡ると右に折れ、ずっと大川沿いに下り、左に曲がると大島川に出る。
そこを左に大島川沿いに歩く。このあたりは小料理屋、料理茶屋、水茶屋が軒を並べており、まだ昼間だというのに、奥の方から三味線の音や唄声が聴こえて来る。そして酔った客のらしい高声や芸者の笑い声も聴こえる。
この一帯は、隣接する木場の材木商やそこで働く川並や木挽などの職人や日本橋に店を持つ商人や番頭、手代などを相手にする廓が密集しているところだ。
深川の廓は非公認であり、公認の吉原に対して「脇」「外」を表す言葉と同じ意味の「傍」を引用して「岡場所」と呼ばれていた。
大島川沿いにしばらく歩く。
女郎屋の朱色の格子窓の中にいた遊女たちが目ざとく源次郎を見て声を上げる。
「あーら、八丁堀の旦那さん、寄って行きなさいよ」
「男前の旦那さん、寄って行って!」
「三分で水揚げできる娘もいるんだよ!」
銀三分で水揚げできるなど、口から出まかせもいいところだ。
しばらく歩くと茂吉の見世がある。
間口五間ほどの小さな見世だ。戸口から中に入る。
「いらっしゃいませ、旦那。どれかお気に召した女はいますかい?」
入口の土間の奥の揚代に座っていた番頭が愛想よく迎える。
一瞥しただけで、源次郎が一見の客ではなく、“十手持ち”と見抜いていた。
“十手持ち”が、何の用あって女郎屋に来たんだよ?
愛想笑いで隠してはいるが、抜け目のない番頭の目の底に不審の色があるのが見てとれる。
「鷹の辰はいるかい?仁杉と言う者だ」
「へ? 少々お待ちください、旦那」
番頭の顔色が変わり、奥へ引っ込んで行った。
待つこともなく、女郎屋の主人が現れた。
どっしりとして貫録があり、眼つきの鋭い男だ。番頭が手で開けてくれた暖簾をくぐって上り口に来ると式台にひざまずき、両手をそろえて頭を下げた。
「仁科の若旦那さま、ようこそこのような穢苦しいへいらっしゃいました」
「よしてくれよ、辰っつあん。さ、頭上げてくれよ」
「有難うごぜえやす。さ、どうぞ奥へ!」
「うむ。邪魔をする」
辰蔵は腰を低くしたまま、奥へ案内する。
源次郎は打刀を帯から外すと辰蔵に続く。
見世の二階は女郎を買いの客用なので、住居がある奥へ案内するのだ。
間口七間、奥行き十四間の見世は、深川の遊郭としてはそれほど大きくはなく、二階には四部屋しかない。置いている遊女の値段も中くらいなので、それほど金を持ってない職人や町人には手頃だろうが、この規模ではそれほど儲からないだろう。
「それで仁科の若旦那、わざわざこんなところまで足を運ばれた訳は... 例のお役人さま消息不明と岡っ引き殺しの件とのことでござんしょうね」
「さすが鷹の辰っさんだな?」
二十歳前らしい、振袖新造にしては少し遅咲きの感じの娘が、辰蔵の内儀といっしょにお茶を持って来た。新造は、おそらくもうすぐ水揚げをする年齢で、最後の躾を先輩の遊女から教え込まれているのだろう。
「仁杉の若旦那さま、ようこそいらっしゃいました。こうして近くでお顔を拝見しますと、益々先代さまに似ていらっしゃいますね」
辰蔵の内儀の芳が、上品な手つきでお茶を淹れながら微笑む。
出身が出身だけに、何事もソツなくこなし、教養もある女将だ。
色白な新造が、女将が淹れたお茶を源次郎と辰の前に差し出し、頭を深く下げた。
その白く細いうなじを見ると源次郎はなぜか、祝言の後で初床入りをした時の真穂を思い出していた。
岡場所の遊女
樋口又左衛門の娘・真穂を娶ったのは、真穂が十七になったばかりの時だった。
「樋口殿の娘は、晩生だそうですよ」
母親の澄が、ある日、夫の孫右衛門と源次郎にどこからか聞いて来たのか、そんなことを言ったが、孫右衛門も源次郎もまったく気にしなかった。
肝心なのは、跡取りの源次郎が、仁科家を継ぐことのできる子を産める嫁をもらうことであって、晩生だろうが早熟が関係ないのだ。
仁杉家から樋口家へ云納がされ、両家の仲人を通して縁組が進められ、勘定組頭に出した縁組願いも了承され、六か月後に晴れて祝言となった。
婚礼当日、夕方に花嫁一行が仁杉家に到着し、それから仁杉家の主だった縁者たちによって座敷で祝杯を上げ、本膳が提供された。
源次郎と真穂は、座敷で祝杯を飲み、本膳を少し食べてから祝言のしきたりにそって寝室に入り、そこでまた床盃を飲み交わし、湯漬けをそれぞれ一膳食べた。
部屋には燈明が灯され、寝具が敷かれていた。真穂は口吸過ぎのお茶を飲んでから、寝具の足元に近いところに正座した。
「旦那さま。夫婦のことは何も存じませんが、よろしくお情けをくださいませ」
真穂はそう言うと、両手を畳につけ、夫となった源次郎に頭を深く下げた。
「脱ぐがいい」
「はい」
真穂は消え入りそうな声で返事をすると立ち上がった。
色直しで、白無垢の衣装から着替えていた色模様の小袖は、寝室に着いてから侍女に脱がせられていた。
真穂は、腰紐を解き、白襦袢を脱いだ。
白襦袢の下からは、白い身体が現れた。
真穂は湯文字をとるために立ち上がった。
顔から肩にかけて、羞恥のために朱に染まっており、
それが源次郎をすごくそそった。
白い湯文字の紐を解くと、湯文字が畳の上に落ちた。
顔と胸の朱色がさらに濃くなった。
真穂の乳房は、かなり小さかった。
源次郎がこれまで抱いて来た女の中には、真穂と同じ十七歳の遊女もいたが、遊女の方が明らかに乳房は大きかった。
燈明に照らされた下腹部の陰はかなり薄い。
“ふむ。晩生か...”
まじまじと真穂の身体を見てから「布団の上に」と言うと、真穂は布団の上に横たわった。
源次郎は、襦袢を脱ぎ、褌を外し、布団の上に横たわっている真穂を見た。
あまり大きくない乳房、薄い下腹の陰を見ると、まるで十二、三の娘のようだ。
源次郎には、年端も行かない小娘を抱くと言う悪趣味はないが、小娘のような妻となれば話しは別だ。
源次郎の物は、白樫の木のようになっていた。
源次郎は布団の足元にひざまずくと、真穂の両足首を持ち上げ、
自分の方に引き寄せ、両足を開かせると、今度は真穂の尻の下を両手で持ち、さらに自分の方に引き寄せた。
源之助の両膝の間に真穂の尻が乗る恰好となった。
乳房は小さく陰も薄いが、そこはすでに一人前に成長しふっくらとていた。
源次郎が入った時、真穂は「うっ」と呻き、布団を握りしめた。
しかし、そのあとは健気に声も出さずに源次郎のするがままにされていた。
.........
.........
すべてが終わった時、布団には血の染みが残った。
源次郎は鼻紙台から、延鼻紙を取って真穂に渡した。
「旦那さま、畏れ多うございます」
真穂はそう言って、頭を下げてチリ紙を押し頂いた。
その姿が初々しくて、源次郎はその細い手を引っぱった。
「旦那さま?」
自分の方に倒れ掛かった真穂を抱きとめ、その口を吸った。
そして、早くも雄々しくなった物でまた真穂を愛でた。
その夜は、明け方近くまで飽きることなく真穂を抱いた。
源次郎は、若く初心で晩生な真穂の躰に溺れた。
十五歳から、吉原や深川で女遊びをして来た源次郎にとっては、自分でも驚くことだった。
だが、真穂は源次郎の妻となってから、月を追うごとに女になって行ったのだ。
それほど大きくもなかった乳房は、真穂が十八歳、十九歳と年を取るごとに大きくなり、尻もさらにふっくらとなり、その上、腰のくびれもさらに細くなった。
若妻・真穂の女への変貌は、源次郎を悦ばせた。
“真穂を自分好みの女”にしつつあるという満足感と男の甲斐性を感じさせ、男として仕合せな数年を真穂と過ごした。そう、小鶯に会うまでは。
武家の本膳料理
「若旦那?」
しばし、真穂のことを思い巡らせていた源次郎は、辰の声で我に返った。
「お、おう。すまん、辰っつあん」
「あの新造が、お気に召したんなら、水揚げしていただいても構いやせんぜ?」
「いや、それが目的で辰っつあんの所に来たんじゃねえんだがな」
源次郎は二百石取りの与力と言えど、江戸っ子だ。
畏まらなくていい相手には、べらんめえ口調で話す。
「そうでござんしたね。...... お役人さま行方不明と岡っ引き殺しの件は、ありゃあ駄目ですぜ。みんな命惜しいですからね」
すでに引退したご用聞きを総動員してまで探索を強化し事件だったが、奉行所から百両という臨時給金が出たにもかかわらず、まったく進展はなかった。
と言うか、同心の手先となって探索をするご用聞き(岡っ引き)たちがびびっていると言うのは、奉行所の誰もが知っていた。それを辰が歯に衣を着せないで、与力の源次郎に言ったのだ。
「そりゃわかるがよ。お上も“はい、そうですか!”と言って後に引くわけにゃあ行かねえんだよな」
「そりゃそうでしょう、若旦那。ここは、お上にもうひと踏ん張りしてもらうしかねえでしょうな」
「もうひと踏ん張り... いくらくらいを言っているんだい?」
「将軍さまのお膝元のこの江戸にゃあ、三千人を超える岡っ引きや下っ引がいますからねェ。百両と言っても、これだけの岡っ引きと下っ引に分けるとなると、一人頭当たり百文にもなりやせん」
もちろん、岡っ引きたちが手下である下っ引たちに、公平に一人当たり百文を配分するわけはなく、親分である岡っ引きが臨時給金の半分かそれ以上を自分が取り、残りを分けるので、下っ引一人当たりが手にする金は百文程度にしかならず、これでは長屋の家賃にも足りない額にしかならない。
辰が言った“命惜しい”という言葉は、下っ引が命を懸けるに値すると思うだけの金を払えば、少しは進展があるかも知れないと言外に言っているのだ。
「... ふむ。で、いくらあれば、ご用聞きたちは動いてくれるんだい?」
「そうですね。まあ、一人当たり十両ほどが妥当じゃねえんですかい?」
「前の臨時給金の十倍か... こりゃ、お奉行に掛けあうしかねえだろうな...」
源次郎は、すっかりぬるくなってしまったお茶を啜りながら、煙管煙草をふかしている好々爺然とした辰を見た。
“深川町の鷹の辰”こと辰蔵。
歳は五十を超えているが、“鷹”と異名で呼ばれるほどの鋭い感と嗅覚をもっており、現役の“ご用聞き”時代には大いに奉行所の与力・同心たちを助けて来た。源次郎の父・ 孫右衛門もかなり辰蔵の助けを借りたと聞いている。
“深川町の鷹の辰”という名前が示す通り、深川の香具師として働きはじめたが、三十年の間に築地、日本橋、神田、本所あたりまでの縁日や祭りを取り仕切る香具師たちの元締となっていた。
香具師たちは、その職業の性格上、縁日に行われる興行や露天商たちの安全を守り、お祭りの日の治安を守る仕事もやっていたこともあって、自然に奉行所の仕事を補佐するようになり、奉行所も香具師の元締を“ご用聞き”として利用するようになった。
かく言う辰蔵も二十年ほど奉行所に協力をして来たが、四十歳になった時に“ご用聞き”を引退し、息子の寅蔵に後を継がせたのだった。
辰蔵は香具師の元締めをしているほか、手下に田舎の貧農巡りをさせて、にっちもさっちも行かなくなっている農家の娘を買い取り、それを吉原や深川に廓に売り飛ばす女衒業を行っている。
女買いの手下は十人ほどいるが、それぞれ東海道、東山道、北陸道、畿内、山陰道などで地元の女衒たちといっしょに女探しをしている。
お上の方も、辰蔵が“ご用聞き”をやっていることもあって、多少は“大目”見ていた。
女衒と言う商売は、常に上玉が見つかるわけでもない。しかし、武家の娘は、器量さえよければ上玉として高く売れる。それは、読み書きができるし、一定の教養もあるからだ。
しかし、多くは並玉、下玉の娘だが、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるではないが、娘を売る農家は多いことから、かなり儲かる商売だった。
辰蔵は、香具師の元締め、女衒業と深川の遊女屋のほかに、深川一帯の香具師の元締めもやっており、悠々自適とまでは行かないかも知れないが、金には困らない暮らしをしていた。
何を好んで、刺客に殺されるかも知れない危ない事件に首を突っ込まなければならないのだ?辰蔵の要求は当然と言えば当然だ。
しかし、辰蔵は十両貰えるのなら、“自分は動く”と言っている。
辰蔵は、源次郎の父・仁杉孫右衛門に借りと言うか恩を感じており、それを息子の源次郎に返そうとしているのだと源次郎はわかっていた。
辰蔵は、侠気 を持つ男なのだ。単なる損得勘定だけで動くのはない。
「辰っつあん。数百両は無理かも知んねえが、少しばかりは融通するぜ。そうだな、明日明後日にでも金は持って来させる。彩葉の水揚げ代金も含めてな!」
「おう、彩葉の水揚げもしてくださるんですか?さすが、孫右衛門さまの倅殿だけありますな!」
倅殿云々はおだて言葉だとしても、新造を水揚げすると源次郎が言ったのがうれしかったのだろう。
この世は、すべて持ちつ持たれつだ。
辰蔵に探索に協力してもらう金を払うだけでは十分ではない。源次郎が彩葉の水揚げをしてやることで、“持ちつ持たれつ”の均衡がとれるくらいなのだ。
二日後、辰蔵は源次郎が遣わせた用人から百両の金を受け取った。
さらに同日午後、南町奉行所からは五十両が届けられた。金といっしょに届けられた、与力・樋口又左衛門の手紙には、『此の度の探索につき、奉行殿は、長く奉行所に貢献して来たご用聞きを選んで二度目の臨時給金を支払うことに致した。ついては、深川の辰蔵には、江戸の酉の方面の探索を任せたく候』と書かれてあった。
つまり、江戸にいる五百人のご用聞き全員に臨時給金を払うのではなく、奉行所は、選んだ限られた人数の岡っ引きに重点的に払うことにし、江戸の西側地域の探索は辰蔵に仕切って欲しいという事だと辰蔵は合点した。
千両の金を奉行が調達し― もちろん、そんな大金を奉行が調達できるわけはないが― 五百人の岡っ引きにばら撒いたとしても、一人頭当たりわずか二両にしかならず、その半分かそれ以上を岡っ引きが取れば、子分の下っ引きの手に渡るのは長屋の家賃数ヶ月分にしかならない。
つまり、そんな中途半端な金を、それも調達さえ困難な千両と言う大金を苦労して調達し、配るよりも、経験深く、信用のおける優秀な岡っ引きだけに絞って千両配った場合の十倍に相当する金を配った方がいいと奉行は判断したに違いない。
辰蔵は、南町奉行所からの使いに少し待ってもらって、すぐに『金五拾両、確かに受け取りました。ご依頼の件、承知致しました』と返事を認め持たせた。
その後で奥の座敷に座り、目を瞑ってしばらく煙管を薫らせていたが―
「さあて、こりゃ少し腰を入れてやらなきゃならねえな!」
ポンと煙管を火鉢に打ちつけて煙草の灰を落とすと、辰蔵は立ち上がった。
「政っ、政はいねえか」
若い衆を呼んだ。
「へい、親分。何でござんしょうか?」
「お前、今から、本所の藤兵衛と日本橋の孫助と御徒町の弥六、それと寅彦たちに、三日後の暮六つに富岡八幡宮に集まってるように伝えてくれ!」
「えっ、本所の藤兵衛と日本橋の孫助もですかい?」
「ああ。実入りのいい仕事だって伝えろ!」
「わかりやした!」




