第11章 与力源次郎
慶安四年春惜月十二日。
仁杉源次郎は湯屋の暖簾をくぐって外へ出た。
時は春惜月。春ももう終わりだ。朝夕はまだ少し冷たさを感じるが、湯上りの身体に心地よい冷たさだ。
表通りに出ると、源次郎は大刀を帯に差して歩き出した。湯屋に近づいて来た町人風の男が、源次郎を見て、「お早くから、ご苦労様でごぜえます」と頭を下げる。
十手
仁杉源次郎は南町奉行所の与力だ。
源次郎は、毎朝、亀島橋を渡って八丁堀の隣りにある南新堀町の湯屋に来る。
それは仁杉の家に風呂がないからではない。与力ともなれば広大な屋敷を拝領する。
仁杉源次郎も三百坪を超える広い屋敷に住んでおり、当然風呂もある。
源次郎が毎朝隣町の湯屋に通うのは、銭湯で交わされる噂話やおしゃべりを聴くためだった。
供揃の草履取り、槍持ち、鋏箱持ちなどは、先に奉行所に行かせている。
高級役人の与力の衣装-高級な黒縞の着物も紋付継裃など- も、町を歩いていて与力であると言う事がわからないように普通の着流しの小袖に羽織り姿になる。
仁科源次郎の日課は、毎日明け六ツに起床すると顔を洗ってから、重さ一貫二百匁ある鉄刀を手に持って庭に出て鋭い気合をこめて三百回素振りすることから始まる。それから軽く朝餉を摂ってから、毎日通って来る髪結いに髪を整えさせ、髭を剃らせてから湯屋へ向かうのだ。
湯屋の暖簾をくぐって入ると、まず最初に二階へ上がって刀掛けに刀を置き、着物を脱いで下に下りる。そこで湯を浴び体を洗ってから石榴口をくぐって風呂に入る。
風呂の中は薄暗い上に湯気が立ちこめていて、誰が誰だか分からない。それが、源次郎の情報収集にとって恰好なのだ。
江戸時代の女湯
しかし、今日の朝風呂も大した情報はなかった。
いつも通り、男衆はどこそこの若後家が別嬪だとか、菱川 師宣の新作の絵がいいだとか、貸本店に入った新しい本が面白いとかなどの話題だ。
女衆は「猿若座」の勘三郎はいい男だとか、芝神明の笠屋三勝の芝居の役者が男前だとか、誰々の娘と誰々の倅を茶屋で引き合わせた(お見合いデート)話など他愛のない話しばかりだった。
湯から上がり、二階へ上がると湯女が持って来た茶を飲みながら、おしゃべりをしたり、将棋を打ったりしている顔見知りの常連客たちの話を聞いていても大した情報はなかった。
湯女に手伝ってもらって着物を着ると刀掛けから脇差を取って帯に差し、十手袋に入った十手を懐に入れると巾着袋から十文を取りだし、湯女に渡した。
「旦那さま、いつも済みませんね」
にっこり笑って心付けを受け取る湯女。
三助にせよ、湯女にせよ、こういう心遣いを日頃から欠かさないことが大事だ。
そうすれば、「見慣れない客が来ていましたよ」などと貴重な情報をもたらしてくれることがあり、それがきっかけとなって大阪あたりから流れて来た窃盗団の頭を捕らえたこともある。
日々の何でもないような事の積み重ねが大事なのだ。
源次郎は打刀を手に持つと階段を下り湯屋から出た。
通りで行き交う町人や商人なども与力・仁杉源次郎の顔を見知っている者が多い。
「お役目ご苦労さんです」
「旦那、お早うございます」
彼らは如才なく挨拶をする。源次郎も一々、丁寧に返事をする。
こうして“親しみやすい与力”という印象をあたえておくことが重要なのだ。
“威張った役人”、“頭の硬い役人”という印象をあたえると貴重な情報も入らなくなる。
若い娘が母親連れですれ違い、源次郎の顔を見て母娘して顔を赤くする。
商人の若女将らしい女、町人の娘など、行き交う女たちは源次郎の顔に見とれ、目が合うと頬を赤くする。
二十八歳の仁杉源次郎は男盛りだ。銀杏髷に黄八丈の着流し、そして黒の巻羽織という粋な身なりは女たちから凄く人気があった。
湯屋でも、源次郎は女たちの注目を浴び、触れなば落ちんといった色目を使う女も少なくない。
仁杉源次郎は、二十五歳の時に妻を娶っていた。
同じ南町奉行所の与力・樋口又左衛門の真穂という娘だ。
娶った時は、まだ十七歳で、背は低いが色白で器量のよい娘だった。
よく出来た妻で家の事は上手にやってくれているし、奉公人の扱いも上手だ。
閨でも結構、源次郎好みの女になっていて、夫婦の営みの時はしがみついて声を上げて悦ぶ。
しかし、若く男前で女好きな源次郎が妻だけで満足するはずもない。
湯屋で源次郎に色目を使う女は、片っ端から抱いた。湯屋ほど“遊ぶ女”を見つけやすい場所はない。
“遊びの誘い”は、女からある場合もあれば、源次郎の方から誘う場合もあった。
女からの場合は、洗い場で色目を使う女などで、“据え膳食わぬは男の恥”の諺通り、源次郎は断らなかった。その反対に、源次郎が気にいった女もほぼ全てモノにして来た。男前で若い与力の魅力に勝てる女などいなかったのだ。
湯屋で知り合った女との逢瀬は、湯屋の三助を介して行う。
双方で合意に達すると出会い茶屋で落ち合う。出会い茶屋は、この種類の店の特徴として、数か所に入口があり、二階へ上がる梯子も三、四か所にあるため、もし、逢瀬をしている時に尋ねて来る者があった場合などは、すぐに逃げられるようになっていた。
また、客が呼ばない限り、茶屋の者はみだりに二階へ上がらず、お茶や煙草盆は男客が自分で運ぶようになっていた。
さらに、逢瀬をしている客が誰なのかわからぬように、男女客が二階へ上ったあとは、履物を隠すなどして逢瀬をしている誰が客なのかわからないようにするなど、万全の秘密保持対策を行っていた。
出会い茶屋で源次郎が抱く女は、年取った大店の妻となったはいいが、夜構ってもらえない若女将とか夫を失くしてから孤閨を託っている若後家、男前の源次郎に抱いてもらいたい町人の娘などなどで、中には相応の身分の旗本の妻や娘もいた。
源次郎は本所に小鶯と言う女を囲っていた。
小鶯は太夫になった時に、源次郎が水揚げをした女だった。
十五歳になってから旗本の遊び仲間とともに吉原に出入りしていた源次郎は、十八の時に〇〇太夫の座敷にいつもついて来る振袖新造を一目見て気に入った。
廓の常連となっていた源次郎は、親しくなっていた楼主の許可を得て、茶屋で何度も小鶯と逢引をした。
といっても、年季奉公の身である小鶯- 当時はわずか十四歳と若く、太夫になる前だったので、「ウメ」と呼ばれていた- を抱くことはできないので、当然床入りすることなどできない。
せいぜいいっしょにお茶を飲み、口を吸うくらいだ。いや、お茶を飲む時間より口吸いの方が長かったのだが。
姐さん女郎である〇〇太夫の具合が悪い時には、ウメと過ごせる時間が増え、その時は柔肌に触れることも出来たが、それだけだった。
そして、ウメが十七になり、一人前の太夫になるための儀式“水揚げ”をして、小鶯という名前の太夫になる時に、源次郎は楼主に頼みこんで、小鶯の初めての男になったのだった。
新造が正式に女郎になる時は、四十歳ほどの“水揚げを専門”とする男に新鉢破りをさせるのだが、源次郎は遊郭に“特別料金”を払うことで、小鶯の初夜権を獲得したのだ。
その“料金”は、遊び仲間の先輩で大身の旗本に立て替えてっ貰ったもので、ある時払いの催促なしという条件でだった。もちろん、その時点では与力見習いの源次郎には、べら棒もない“特別料金”の大金を返すことなど到底出来るはずもなかったのだが。
小鶯に心底惚れ込んだ源次郎は、小鶯に「太夫にならずに格子になる」ことを要求した。格子は最高級女郎の一つ下の格で、俗に格子太夫と呼ばれる女郎で、最高位の「太夫」ほど人気がない。
源次郎としては、惚れこんだ小鶯をほかの男に抱かせたくなかったのだが、それは無理なので、せめて注目度の低い格子太夫になることを望み、同じく“源次郎を思慕していた”小鶯もそれを了承したのだった。
源次郎としては、出来ることなら身請け料を払ってでも小鶯を囲いたいところだったが、無給の見習与力の身ではそれも叶わなず、父親からもらう小遣いでは不可能だった。
だが、真穂を娶ってから三年後に、父の孫右衛門が脳卒中で五十歳を前に早逝したことで、源次郎が仁杉家当主となり、孫右衛門の跡を継いで同心支配役になった。
それからは、源次郎は大手を振って吉原通いができるようになった。
与力の俸禄は二百石。それに役料三十石が付くが、そのほかに江戸の諸大名家や豪商、大身の旗本や裕福な商家、大きな寺院などからの付届けなどがあり、それらを合計すると八百石になるため、十分過ぎる生活が出来るようになった。
同心支配役になってから三年後、源次郎は、ようやく小鶯を身請けすることが出来たのだった。
奉行所の表門
南新堀町の湯屋を出てふたたび亀島橋を渡って八丁堀にもどり、そこから楓川を渡って東海道を少し南に下り、京橋を過ぎ、数寄屋橋を渡ると南町奉行所だ。
「お早くから、ご苦労様でございます」
「ご苦労様でございます」
「うむ。ご苦労さまです」
門衛の挨拶に答えて表門をくぐり、奉行所の中へ入るとすぐに右の通路に入り、真っすぐ行くと入口がある。そこが与力番所、同心番所、年番部屋などがある区域だ。
「お早うございます」
「仁杉殿、お役目ご苦労でござった」
義父の樋口又左衛門がにこやかに笑って挨拶をする。
「お早うございます。義父上殿」
又左衛門は源次郎の妻・真穂の父親で、「早く孫の顔が見たいものですのう!」といつも冗談半分・本気半分で言っている。
しかし、又左衛門の妻は知っていたが、真穂は晩生だった。
真穂は十六になるまで経水が通じなかったのだ。十六歳になって、ようやくしもの毛が生えて来て母親を安心させたくらいだった。
その真穂が、どこで聞いたのか、父の同僚である与力の仁杉孫右衛門に男前の倅がいて、見習与力をしていると知り、ある日、又左衛門の弁当を持っ行くという口実で奉行所を訪ね、そこで源次郎を見て一目惚れした。
真穂は、打診があった旗本の息子との縁談を断り、両親を拝み倒して源次郎に嫁いだ。
だが、真穂が晩生だったこともあったので、子どもが出来るまでにはあと数年かかるだろうと真穂の母親は思っていたし、源次郎の方も、子どもが出来ないなら出来ないで養子をとればいいと気楽に考えていた。
「今日も湯屋では収穫はなかったようでござるな?」
「はい。残念ながら、今日も収穫なしです」
総目付の井上清兵衛から北町・南町両奉行所に廻状が送られて来たのは、去年の十一月のことだった。
廻状は、わざわざ総目付の用人・増田兵蔵が持参した。
これは異例なことだった。通常、大目付からの奉書は、使役が届けに来るのだが、総目付は増田兵蔵を遣わせた。
南町奉行・神尾元勝は、総目付からの使者である用人・増田兵蔵を奉行所の奥にある座敷に通した。
「総目付殿は、肥後守(保科正之)殿ならび松平伊豆守殿からのご要望として、正雪一味の探索にもっと人手を増やし、徹底的にやることを望んでおられる。すでに隠居した同心やご用聞きなども総動員するようにとのことです」
床の間を背にした増田兵蔵は下座に控えた神尾元勝にそう伝えた。
神尾元勝は、奉書を開いて読んでから、後ろに控えている吟味方与力たちに回した。増田兵蔵は奉書とともに、袱紗に包んだ金子を奉行の前に置いた。
切り餅二つ。五十両の金だ。これを隠居した同心やご用聞きなどを総動員する糧にせよと言外に言っているのだ。ご用聞きや下っ端は無給で仕事をする。なので、奉行や与力などは“心付け”として金を払って彼らの生活を助けてやるのだが、今回はさらに上の総目付からも“心付け”が届けられたのだ。それも両奉行所を合わせると百両という大金が。どれだけ肥後守、伊豆守、それに総目付が正雪一味のことを懸念しているかわかると言うものだ。
「承知仕りました。総目付殿には、奉行所を挙げて捜索を始めるとお伝え願いたい」
総目付の代理として来た増田兵蔵に神尾元勝は頭を下げた。
小判の切り餅
それから三ヶ月経った。
奉行所の同心二名- 塩屋甚八と笹尾喜次郎を失った南町奉行・神尾元勝は、奉行所の意地をかけてでも下手人を捕らえたかった。それは北町奉行所でも同じだった。
しかし、いくら懸命に捜索をやらしても、手掛かり一切見つけることが出来なかった。
「まったく奇怪なことでござるな、神尾殿?北町奉行所と南町奉行所で総力を上げて同心殺しを探しているのに、鼠一匹見つからんとは!」
南町奉行所の奥にある役宅で北町奉行・神尾元勝と酒を飲んでいると石谷貞清が酒で赤くなった顔で言った。
北町奉行所、南町奉行所と言ってもライバルではない。月によって担当する奉行所が変わるだけで、やっていることは同じだ。そのため、神尾元勝と石谷貞清は情報交換のために月に一度、おたがいに自宅に招きあって馳走を振舞い、酒を飲みながら話をするのが常だった。
八月から十一月にかけて、北・南合わせて四名の同心が消息を絶った。
両奉行所とも、徹底的に何が起こったのか調査させた。しかしどれだけ手を尽くしても行方はわからなかった。分かっていたことは、これら四名の同心は隠密廻り同心であり、由井正雪が張孔堂で行っていた集まりを秘かに探っていたということだった。
しかし、事態はさらに深刻化していた。同心の手先となって探索をしていた御用聞きやその手下たちが、次々と惨殺死体で見つかりはじめたのだ。
すでに総目付には報告しており、それは老中にも伝わっているはずだが、奉行所には三ヶ月前に総目付から正雪一味の捜索を総力を上げてするようにとの命令があったきり、それ以後何の達しもない。
神尾も石谷も、老中に近い筋に情報源をもっていた。
役人は仕事ができるだけでは出世しない。上の方で何が起こっているのかを見極め、上手く対処できてこそ出世できるのだ。
そして、神尾と石谷は、総目付から来た達し『総力を上げて正雪一味を探索せよ』が、老中の票決結果ではなく、肥後守(保科正之)殿と松平伊豆守の独断によるものだと知ったのだ。
御家老酒井忠勝様の意向は、「ご容態の芳しくない上様にいらぬご心配をかけぬように、これまで通りと同じく、目立たぬように捜索を続ける」ということで、松平忠明、松平乗寿、それに阿部忠秋が賛成し、保科正之、と松平伊豆、阿部忠秋が反対し、大掛かりで捜索すべしという意見だったと言うことを。
「こりゃ、御家老様の耳に入ったら、やべえことになりますよ!?」
酒臭い息を吐き出しながら、このわたを箸でとって口に入れると酒をぐいっと飲む石谷。
「たしかに。老中での票決を無視して、独断で捜索を命じるなど、御家老様に知れたら切腹ものすよ」
神尾も田楽を美味しそうに食いながら、酒を呷る。
「そうなりゃ、儂らも切腹間違いなしですぞ? わーっはっはっは!」
ポンポンと腹を叩いて笑う石谷。
「その時はその時! おーい、このわた、もうないのかーい?」
石谷の好物のこのわたがなくなったのを見て、神尾が台所に向かって声をかけた。
「はーい。ただいまー!」
妻のお新の声が聴こえた。
このわた
* 南町奉行所に仁杉という与力は実在しましたが、本作の仁科源次郎は創作キャラです。
実在の与力・仁杉を使いたかったのですが、時代的に合わないので名前だけ借りました。
* 十手は、奉行所の与力ならび同心に、“捕具及び身分を証明するものとしてあたえられたもので、紛失や盗難対策として本物は屋敷にしまっておき、通常は縮小サイズ(20センチほど)を十手袋に入れて懐に持ち歩いたそうです。いざという時に見せる、いわば警察手帳みたいな役割をもっていたそうです。




