第8章 鬩ぎ合い
慶安三年霜月十日。
江戸城本丸御殿。
江戸城の最も奥まった所― 本丸表と中奥の境に近い所に御用部屋がある。
御用部屋は、老中たち執務を行ったり、合議などをする江戸幕府の中枢だ。
それゆえ、御用部屋は将軍が大名を謁見する大広間や将軍の住居区などのある、江戸城の中でもっとも重要な本丸御殿の奥にある。
御用部屋には、大老・酒井忠勝、老中・井伊直孝、大政参与・保科正之、大政参与・松平忠明、老中・松平信綱、老中・阿部忠秋、老中・松平乗寿たちが集まっていた。非常勤の大老や保科正之、松平忠明など後見人までが召集されて緊急合議が行われていた。
「して、探らせていた者たちは、消えてしまったという訳じゃな。伊豆守殿?」
「その通りでございます、御家老殿。たぶん、正雪の一味に消されたものと考えておりまする」
松平信綱-伊豆守は、大老酒井忠勝に一枚の紙を見せた。
南町奉行所務め 同心 塩屋甚八 慶安三年八月より 消息知れず
北町奉行所務め 同心 柳坂勘三郎 慶安三年九月より 消息知れず
南町奉行所務め 同心 笹尾喜次郎 慶安三年十月より 消息知れず
北町奉行所務め 同心 佐々木玄次郎 慶安三年十一月初めより 消息知れず
十一月は、もうかなり冷える。
御用部屋には火鉢が置かれていた。
「四名も...!」
「正雪の道場に門人として潜り込ませておった者も、行方不明になっておると壱岐守が申しておった」
松平忠明が苦虫を嚙み潰したような顔で言った。
壱岐守とは、中根正盛のことで、徳川家光の御側衆を長年務めたあとで大目付となった幕臣だが、老中支配の大目付ではなく将軍直属の大目付であるところが別格だった。
寛永十五年(1638年)に、家光は堀田正盛を御側に取り立て、中根正盛と二人して家光の重要な側近となった。中根正盛は諸事の監察をし、堀田正盛の政務参与と合わせて、家光による盤石な幕藩体制の基礎を作るのに大きく貢献して来た。中根正盛は常に“幕府の目”として諸大名を厳しく監視していた。
「誠に残念ながら、それがしが筑後守に命じて張孔堂に潜り込ませていた密偵からも連絡が途絶えたと報告がありましてござる...」
「何と、伊豆殿の密偵までもか!?」
「当方の密偵が二人も始末され、奉行所の同心が四名も... これもたぶん始末されたのであろうが、由々しきことでござる!」
「彼奴は、当方の考え以上に纏まっており、密偵や手練れの刺客ももっておるようです。石谷左近将監にも神尾備前守にも人数を増やして、徹底して調べるように申しつけております」
「行方不明となった四名の同心は、北町奉行所と南町奉行所の隠密廻り同心でござろう?」
「いかにも、肥後守殿」
伊豆守が、自分より十五歳も若い保科正之に対して敬った言葉遣いだ。
それも当然だ。保科正之は、六人衆ではなく、大政参与-いわゆる“御太老”だが、普通の“御太老”ではない。保科正之は先代将軍徳川秀忠の落胤であり、家光の異母弟なのだ。
家光は保科正之をことのほか可愛がり、老中にはすでに優秀な者が揃っていたが、身内の相談役として別格の扱いをしていたので、伊豆守らもそのことをよく知っていた。
「もっと人手を増やして、江戸中を徹底的に調べさせた方がいいのではござらぬか?」
「それがしもそれを考えております、肥後守殿。本日の合議で、皆様方がご了承されれば、北町奉行の石谷左近と南町奉行の神尾備前守に命じて......」
「しかし、あまり大げさにすると、上様がご懸念される」
「それがしも御家老殿のお考えと同じでござる」
豊後守が酒井忠勝に同意する。
「......」
酒井忠勝と阿部忠秋の言葉に伊豆守が黙ってしまった。
二人の言う事はもっとなのだ。近頃、家光様のご加減はあまり芳しくない。
正雪一味探索の事が上様のお耳に入り- いや、必ず入るであろう- ご心配からご加減がさらに悪くなられては困る。しかし、江戸の治安を守るのも老中の大事な役目の一つなのだ。
ここは、何としても人数を増やして徹底的に探索し、怪しからぬことを謀っている一味を一網打尽にするのが最善策なのだ。
「肥後守殿が申されるように、もっと大掛かりに捜索するか、それとも御家老殿が望まれておらるように、目立たぬように捜索を続けるか。票決をとるしかござらんでしょうな」
松平忠明が折衷案を出した。意見が分かれる場合は、票決が行われる。
「うむ」
「それが宜しいでござろう」
「票決といたすか」
「では、灰に書かれた『諒』と『葦』の下に、各々方の票を火箸で書き入れてくだされ」
松平乗寿が老中たちに票決の用意が整ったことを伝える。
「では、まず拙者から」
伊豆守が、探索を大掛かりにすべしの『諒』の字の下に火箸で線を引く。
井伊直孝も『諒』の字の下に票を入れた。
松平乗寿は『葦』の字の下に線を引く。
松平忠明も『葦』に票を入れた。
これで二対二だ。
保科正之が『諒』の下に線を引いた。
阿部忠秋が『葦』の下に線を入れる。
「むむっ」
低い声が二、三人から発せられた。
三対三でまた引き分けてしまった。
残るは大老・酒井忠勝だけだ。
みんなが固唾を飲んで見守る中、酒井忠勝は『葦』の下に線を入れた。
四対三で、大掛かりな探索をせず、普通の体制で探索が続けられることとなった。
老中たちは、ほっと安堵の息をした者と無表情な者に別れた。
仮にも老中だ。いくら気に食わない結果になったとしても、決して顔に感情を出すようなことはない。
「それでは、これにて合議を終了とする。ご苦労でござった」
大老の言葉で緊急合議は終わった。
「一応、この結果を壱岐守と惣目付の筑後守に伝えておきます」
「相分かった。宜しく頼む伊豆殿」
酒井忠勝は松平伊豆守にそう答えた。
正雪一味の探索は、今まで通り隠密理に行われる。
しかし、保科正之や伊豆守たち強硬派は、このまま手をこまねいていることはない。
必ず何かをするだろう。
“必ず何かを...”
酒井忠勝は、頭の中でそう呟いた。
火鉢
御用部屋での緊急合議が終わり、老中たちは部屋を出て行く。
当番の者も非番の者も下之間に下がって執務をする。老中の仕事の量は膨大で、一日中経机の前で仕事をすることが珍しくなくなった。
酒井忠勝は、上之間から出ると下之間で待機していた石井治兵衛を見た。
石井治兵衛は酒井の家臣で、奥右筆として大老である酒井の秘書官役を務めていた。
合議を終えた後で、大老が何か彼に用事がないかを知るために待っていたのだ。
奥右筆は、単に文武が優れているだけではダメなのだ。
一を聞いて十を知るくらい気が利かなければならない。
「治兵衛、お庭の石が変えられたのを見たか?」
「いえ、まだゆっくりと拝見はしおりません」
「今度、某の屋敷の庭の石も変えてみようか思っておるのだが、参考にお庭を見に行かんか?」
「はっ。只今」
石井がすぐに立ちあがる。
大老が“何か内密で話したい”と理解したのだ。
「少しお庭を見て参ります」
息抜きにお庭などを見るのはよくあることなので、老中たちは頷いて仕事を続ける。
下之間から御入側廊下に出て少し歩き、左に曲がると庭に面した縁側に出る。
踏み石に置いてある草履を履いて庭に出る。
枯山水の庭には、蓬莱石組の石が置かれている。
蓬莱石組は神仙思想を表し、それを構成する石は峻険な様を力強く示す大きな立石が肝心なのだが、どうもその立石が将軍様のお庭にはそぐわないと茶道師範の小堀遠州が言ったらしい。
そこで、庭師に石を取り換えるように命じたのだ。
「どうやら肥後守と伊豆守は、例の正雪一味の探索を強化するつもりらしい。儂が探索強化に反対票を入れ、火鉢票決で四対三で今まで通りに探索を続けると決まったにも関わらず」
「なるほど。いかにも肥後守と伊豆守らしいですね。伊豆守一人だけならまだしも、肥後守様が伊豆守を後ろ楯なされるとなると厄介です」
「うむ。一応、二人が何を始めるか、事細かく調べてくれ」
「承知いたしました」
二人は蓬莱石組の石が絶妙に置かれている庭を見ながら歩いて、様々な事を話した。
庭
その頃、保科正之は松平信綱と別室で話していた。
「ご家老の言うことは尤もであると思っておる。しかし、内密で探らせていた伊賀者と甲賀者が、すでに十名以上も行方が分からぬとは一大事だ」
「確かに尋常ではございません。ここは事があまり表に出ないように惣目付の筑後の守井上政重に言いつけて、ご用聞きを増やして怪しい者は片っ端から捕らえて厳しく取り調べるようにさせましょう」
「そうしてくれ、伊豆守。もし、上様の耳に入るようなことがあれば、それがしがうまく話しておこう」
「これで大船に乗ったも同じです。すでに隠居している同心やご用聞きも駆り出し、総力を挙げて探索させます。上様のお膝元で怪しいことは一切させません!」
「しっかりと頼んだぞ」
「お任せください」
伊豆守が頭を下げ、保科正之は部屋から出て行った。
しばらく後、松平信綱は惣目付の井上政重を呼んだ。
惣目付は大名、高家及び朝廷を監視するが、北町・南町の両奉行所も監督していた。
「京の公家や諸国の大名に変わったことはないか?」
最初は当り障りのない話しから始まる。
とくに変わったことなどないのは、定期的に井上から提出されてくる報告書で承知している。
「はっ。京でも諸国でも、特に変わったことはございません」
「そうか。大名どもも、公儀の力を思い知ったであろうからな」
「外様大名たちは震えあがっております」
徳川家康による天下統一後、幕府は外様大名への締め付けが厳しした。
幕藩体制の強化と存続のために、少しでも不穏と見なされる動きや不義を行なえば、たちまちにして御家の取り潰しになり、改易された。
正保二年(1645年)以降だけでも、九藩が改易・お取り潰しに遭っていた。
正保2年 皆川成郷常陸府中藩1.3万石
正保4年 真田信重信濃埴科藩1.7万石
正保4年 松平憲良信濃小諸藩5万石
正保4年 菅沼定昭丹波亀山藩3.8万石
正保4年 寺沢堅高肥前唐津藩8.3万石
慶安元年 古田重恒石見浜田藩5.4万石
慶安元年 稲葉紀通丹波福知山藩4.5万石
慶安三年 織田信勝丹波柏原藩3.6万石
慶安三年 本多勝行大和国内4万石
古くから松平氏に仕えた三河の譜代の家臣であった本多勝行でさえも、改易の憂き目に遭っているのだ。
いくら関が原の戦いや大坂夏の陣で徳川側に加勢した大名だとしても、明日は路頭に迷うかも知れないのだ。外様大名にとっては、まさに戦々恐々の時期だった。
「正雪一味の事については、其方も聞き及んでおろう」
声を低めて松平信綱が本題に入った。
「はい。不面目ながら、奉行所では同心が四名も行方不明になっておりますが... たぶん、正雪一味に殺されたものと考えて間違いないと考えております」
「違いあるまい」
「石谷左近将監と神尾備前守には、取り敢えず、隠居している同心どもを一時凌ぎに雇っておけと申しつけましたが」
「そのことについてだが... 肥後守殿と先ほど話をしてな...」
「肥後守殿と?」
「肥後守殿のお考えは、隠居している同心やご用聞きも全て駆り出し、総力を挙げて探索させるべしとのお考えであった」
肥後守のお考えと聞いた時、井上政重は伊豆守が“六人衆”の合議結果を無視して、独断で探索を強化しようとしているということを理解した。
「かしこまりました。早速、その旨を北町奉行所の石谷左近将監と南町奉行所の神尾備前守に伝えます」
「うむ。頼んだぞ」
「はっ」
その夜。
井上政重は、帰宅してから自宅の庭を見ていた。
五千石取りの大身の旗本である井上政重は、広大な屋敷を拝領していた。
井上政重は、縁側に座って朧月が池や庭石を照らするのを風流を楽しむかのように見ているようだったが、心はそこにはなかった。
彼の心の中には、今日伊豆守が言ったことが渦巻いていた。
彼の後方には二人の侍が正座して控えていた。用人の増田兵蔵と只野虎之介だ。
増田兵蔵は痩身の四十を過ぎた寡黙な男で、只野虎之介は三十代半ばの壮健な男。どちらも鹿島新當流の遣い手だ。
鹿島新當流は、剣聖塚原卜傳が興した剣術流派で、甲冑武道を基礎として編み出された実戦的剣術だ。道流では、甲冑の弱点である小手、喉、頸動脈、上帯通し等を突くことを主眼を置いており、相手をするとなればかなり手強い流派だ。
「今日、伊豆守から正雪一味の探索にもっと人手を増やし、徹底的にやるようにと内密に指示があった」
後ろを向かずに庭の方を見ながら話しはじめた。
「すでに隠居した同心やご用聞きを出来るだけ搔き集めてやれとのことだ」
「奴等は、奉行所の同心を四人殺っているようですので、当然かと」
只野虎之介が大きく頷きながら答える。
「それだけではない。下総守(松平忠明)の話しでは、伊賀者、甲賀者合わせて十名以上も消えてしまったとのことだ」
「伊賀者と甲賀者まで殺るとは、正雪一味にも隠密がかなりの数いると言う事でございますね?」
相変わらず相打ちを打つのは只野虎之介だけだ。
「早速、奉書を認めましょう。それで、いくらほど包みますか?」
増田兵蔵が、惣目付がしなければならない事を理解して、井上政重に確認する。
「五十両ずつほど包んでやれ。そうすれば北町の石谷も南町の神尾も自腹を切るのが減るであろう」
「畏まりました」
「今日はもういい。二人とも休め」
「はっ」
「はっ」
二人が去って行ったあとで、井上政重は雲間に隠れた朧月を見ながら昨夜の夢のことを考えていた。
を巡らせていた。
そこは、見たこともない広い野だった。
澄み切った青い空が広がり、名も知らない鮮やかな花が咲いていた。
蝶が色とりどりの花の間を舞い、鳥が鳴きながら空を飛び交っている。
水田には刈入れを待つばかりの稲が、黄金色の重そうな穂を風に揺らし、小川のそばでは女と子どもたちが孔雀と戯れていた。よく見ると、女は嫁いでいる清兵衛の娘たちで子どもは孫たちだった。
清兵衛は、ここが“樂園”だと分かった。
思わず胸に手を当てようとして、もう十字念数を胸に下げてないのを思い出した。
だが... 着物の下にそれはあった。
公儀による伴天連取り締まりが厳しくなり、切支丹大名たちは改宗したり悲惨な最後を終えたりした。それを見て、内々で切支丹を信仰していた清兵衛は持っていた十字念数を焼き捨て、外面的にはもう信仰をしてないかのように装っていたのだ。
だが、イエス様への信仰を忘れたことは一度もなかった。
その十字念数が夢の中では、しっかりと清兵衛の首にかかっていた。
(清兵衛... 死して後 “樂園”に行くためには 正雪に加勢しなければ なりません)
どこからか声が聞こえて来た。
「正雪を!?」
(そうです 正雪を 生かして 世直しを 成功させるのです)
ロザリオ
* 対武装強盗団向けの火付盗賊改方は1665年に創設されたもので、この時代にはまだありません。




