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プロミスランド  作者: 独瓈夢
第二部 辛卯の変
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第2章 出逢い

何となく三人いっしょに茶屋を出ることになってしまった。

出る前に高祖頭巾を被った町人の男と目が合ったが、意外と切れ長な目をした優男だったので蓮之輔はドキッとした。


“俺、男色の気はないんだが…”

蓮之輔は不思議そうに首を傾げた。 


通りに出てから、あらためて紹介をする。

「俺は柚良(ゆら)蓮之輔(れんのすけ)ってんだ」

「柚良さま、本当にかたじけのうございました」

志津がふたたび頭を下げて礼を言う。

襟元から見える白い(うなじ)が美しい。


「お おう。困っている者を助けるのが江戸っ子ってもんだ」

蓮之輔が少しどぎまぎしながらも胸を張る。

「俺は花房(はなぶさ)右馬之丞(うまのじょう)ってんだ。よろしくな!」

「みんなはウマ(右馬)さんって呼んでいるんだ。ウドの大木みたいだけど気は優しくて力持ちみたいな奴だぜ」

「こら、蓮の字、誰がウドの大木だ?」

「いや、ウドの大木みたいな奴だって言ったんだ」

「どっちでも同じことだ!」

「うふふふふ」

志津が堪えきれずに笑い出してしまった。


「俺たちは番町に住んでいるだけど、お志津ちゃんはどこに住んでいるんだい?」

すっかり打ち解けて、娘を名前で呼ぶようになった。

「私は麹町に住んでいます」

「じゃあ、帰り道は同じだな」

「旅は道連れ世は情けと言うからな。俺と蓮の字で護衛をして仕ろう!」

「ご、護衛だなんて」

志津が赤くなって俯いた。


「ところでお志津ちゃんは、何で麹町から榎町に来たんだい?」

「茶道のお師匠さまが榎町に住んでいて、寝冷えでお風邪を召されたのでお見舞いに来たのです」

「ああ。お師匠さんか」

武家の娘は、ふつう習い事は師匠や先生を屋敷に呼んで個人授業を受けさせるのだが、個人授業料金を払うことが出来ない者は、師匠や先生の家に習いに行くのだ。


「ふうん。榎町にまで来るってことは、その茶道のお師匠さん、かなり有名なんだな?」

「それほど有名な方ではないんですけど、月並銭が安いんです」

「あ、なーるほど!」

月並銭は、現在で言う月謝のことで、どの時代でも、財政的に豊かでない家では、出来るだけ月謝の安い塾や家庭教師を求めるのは同じだ。


それから話しは志津が習わされている習い事- 書道、歌道、香道、茶道、それに琴などの話しになった。

志津の家は二百石取りの旗本であまり豊かではないが、当番の日以外は父も母といっしょに内職に精を出して娘の月並銭分を稼いでいるのだと言う。

「あまり習い事ばかりでは、好きなことをする暇もなく可哀想だ」と父が母に言ったらしいが、

「娘の教育は、母親の役目です。甘やかさないでください。しっかりと習い事を覚えさせ、立派なお武家さまの家に嫁入りさせるのが私の務めです」

とビシッと母から言われて以来、口を出さなくなったそうだ。


「ワーッハッハッハ!お志津ちゃんの母ちゃんは、物事がよく分かっているじゃないか!」

右馬之丞が大笑いする。

蓮之輔は苦笑するだけだ。

「そんなに笑わないでください、右馬之丞(うまのじょう)さん」

志津がまた赤くなる。

「いや、そんなに畏まって呼ばなくても、ウマ(右馬)さんでいいぜ?それに年もあまり変わらないだろう?」

「俺も蓮さんでいい」

「私は十六になります」

「俺たちは十七歳だ」


「男の人は... 気楽でいいですね」

てくてくと歩きながらぽそっと志津が言う。


 男は二十歳過ぎて嫁をもらっても別段問題はない。

だが、武家の娘は遅くとも二十五歳くらいまでに嫁がなければならない。

 この時代、町民の娘は、十六、十七でほとんど嫁ぎ、十九になれば(とう)が立ったと言われ、二十歳になると“年増”と呼ばれ(!)、二十代半ばの娘は“中年増”、三十近くになると、何と“大年増”と言われたほどで、娘たちは何としても二十歳までに嫁ぐことに必死であり、親も懸命に習い事をさせて商品()()付加価値をつけ(資格をもたせ)買い得(もらい得)であることをけんめいに2喧伝したのだ。


 武家の息子は武術の稽古をやってない時は遊んでいるし、それは町人の息子も同様で、親や師匠から職を教えてもらう時以外は遊んでばかりいる。それに比べて武家の娘も町人の娘もよい嫁ぎ先が見つかるようにお稽古事に励まなければならない。そのため、志津の母親も懸命に志津に習い事をさせているのだ。


「まあな。俺も蓮の字も四男坊だから、家は継ぐ必要はないし、親や兄たちに迷惑さえかけなければ、好きなことをやっていられるしな!」

「それで、あのお茶屋の娘さんのお尻をつねったりしていたんですか?」

「ああ、お尻つねり代は、心付けに含まれているんだ」

「え?心付けは、たしか蓮之輔さまが...」

「蓮の字は、ほら、これがいないからな」

そう言って右馬之丞は小指を立てた。


「おい、ウマ(右馬)さん、そんなに何でもかんでもお志津ちゃんにバラすなよ!」

今度は蓮之輔が赤くなる。

「つまり、ウマ(右馬)さんは、もう意中の人がいるってことですか?」

「まあな!」

右馬之丞が得意そうだ。

「蓮の字は、この通り二枚目だが、まだいないんだ。ちょっと控えめな性格だからな!」

右馬之丞は蓮之輔と志津を見ていたが、何を思いついたか、突然目を輝かせた。

「そうだ。今日こうして出逢ったのも神田神社の大黒さまの引き合わせだ!」

「ん?何だ、神田神社の大黒さまって?」

「?」

蓮之輔も志津も、右馬之丞が何を言っているのかわからないでいる。


「蓮の字、お志津ちゃんとつき合えよ!」

「えっ?!」

「え?」

蓮之輔と志津が顔を見合わせた。

目が合ったあとたん、蓮之輔は慌てて横を向き、志津は唐辛子のように真っ赤になって俯いた。


「ワーッハッハハ!二人とも初心(うぶ)だな? よし、これで決りだな!」

「ちょ、ちょっと待てよ、ウマ(右馬)、そんなに性急に...」

「なにィ?じゃあ、お前、お志津ちゃんが嫌いなのか?」

「い、いや、嫌いって訳じゃない...」

「嫌いじゃないということは好きってことだ。それにお志津ちゃん、凄く別嬪さんだしな!」

「う、ウマ(右馬)さん...」


志津もどうしていいかわからない。

すっかり歩くのをやめて立ち止まってしまった。

蓮之輔も止まった。そして、後ろになった志津をふり返って見た。

また目が合い、二人とも真っ赤になってしまった。


「よし、善は急げだ。行こう!」

「あ う、うん」

「え? あ はい」

ワーッハッハハ... ひときわ大きな声で笑って先を行く右馬之丞。

道を歩く者たちが怪訝な顔をして見るが、全然気にしていない。




     挿絵(By みてみん)



蓮之輔と志津は、自然に並んで歩くようになった。

ミ―――ン ミ――――ン 

どこかで蝉が鳴いている。


ウマ(右馬)さんの意中の人って... どんな方なんですか?」

志津が気まずい空気を和らげようと蓮之輔に話しかける。

「うん。同じ番町に住んでいる旗本の娘なんだよ。栞代(かよ)って言うんだ。しっかりしている娘さんだよ」

「じゃあ...」

「ああ。向こうも娘が四人いてな。栞代(かよ)ちゃんが一番下だから、ウマ(右馬)さんも栞代(かよ)ちゃんと所帯持ったら仕官するか町人になって商売でもするしかないって言っているんだけどな...」

ウマ(右馬)さんもそれでいいと?」

「ああ。いいんじゃないか?家の格もあまり変わらないし。あいつは少し無茶なところがあるから、しっかりした嫁さんをもらって少し尻に敷かれたらいいんだ」

「まあ... うふふふ」


「おい、おまえたち、何を笑っているんだ?」

「何でもない」

「何でもありませんわ」

「まあ、いい。で、お志津ちゃん、麴町のどこだ?」

「え?何がですか?」

「お志津ちゃんの家だよ」

「私の家?」

「そうだ。ご両親に会って、お父上に蓮の字とつき合うお許しをもらわんとな!」

「「ええ――っ?!」」

二人がいっしょに驚いた。



     江戸時代のお稽古事の様子

       挿絵(By みてみん)



 四半時後-


 蓮之輔と右馬之丞は、麹町の伊桐(いとう)家の座敷にいた。

床の間を背にムスッとした顔で腕を組んで座っているのは、志津の父親の伊桐(いとう)悠左衛門(そうえもん)だ。その前に右馬之丞と蓮之輔が正座しており、母親の塁と志津は右側に座っていた。


悠左衛門の前には、右馬之丞が来る途中で蓮之輔に買わせた練羊羮の包みが置いてある。

塁は、突然志津が蓮之輔と右馬之丞を連れて来たので驚いた。

二人が旗本の息子だと知ると座敷に通し、すぐに内職の写本をやっていた悠左衛門を呼んだ。


「お初にお目にかかります。拙者は三番町に住んでいる花房(はなぶさ)右馬之丞(うまのじょう)と申します。こちらは、同じく三番町に住んでいる柚良(ゆら)蓮之輔(れんのすけ)です」

右馬之丞が名乗り、蓮之輔を紹介する。

「うむ。拙者は伊桐(いとう)悠左衛門でござる」

「これは、日ノ本屋の練羊羹です。甘いものがお好きとお志津さんから聞きましたので買って来ました」

右馬之丞は如才なく、練羊羹の包みを悠左衛門の前に置いた。


「して、花房(はなぶさ)右馬之丞(うまのじょう)殿と柚良(ゆら)蓮之輔(れんのすけ)殿は、何用あって拙宅に参られたのかな?」

「お前さま。さっきお話しましたように、志津が巾着切りに遭ってお金を失くしたのを、この二人が立て替えてくださったと...」

悠左衛門の妻の累が説明する。

「それはわかっておる。それはかたじけないが、それだけでこの家に来る理由はないであろう?」

「......」

塁は黙ってしまった。


「悠左衛門殿。実は、この蓮之輔が、お志津さんに一目惚れしましてね。それでお志津さんの方も蓮之輔を悪く思ってないそうなので、ご両親に二人がつき合えるようにお許しを頂きたいと思って参ったのです」

それを言い出す機会を待っていたと言わんばかりに右馬之丞が話した。

「... なにっ 志津と つき合いたい?」

悠左衛門がかっと目を見開いた。

「この蓮之輔、靈瞑(れいめい)新道流(しんどうりゅう)の龍野師範からも認められるほどの剣の達人で、このままいけばあと数年後には師範代は確実。そうなれば、お上から剣術指南役を仰せつけられるやも知れません!」

「ほう...」

剣術指南役と聞いて、悠左衛門の表情が変わった。

「それほどの腕前なのか、蓮之輔殿は?」


「新陰流、二天一流にも決して引けはとらないでしょう!」

「ほほう!柳生但馬守(たじまのかみ)殿の新陰流、それに宮本武蔵の二天一流にも引けはとらんとな?」

悠左衛門が膝を乗り出した。

「新陰流は、蟇肌竹刀(ひきはだしない)を使った稽古がたいへん優れていると聞く」

「たしかに。あの蟇肌竹刀(ひきはだしない)は木剣と違って、稽古相手に怪我をさせることなく打ちこめるため、真剣勝負に近いと言われます」

蓮之輔が、落ち着いて説明をする。

「ふむふむ。して、二天一流は?」

「相手の剣を知って剣を見ず、即ち相手の剣がまだ動かない前に攻撃して勝つ、機前の剣と言われております」

「ほう、機前の剣か!さすが剣聖と賞賛された宮本武蔵が考えだした流派だけあるな!」

「ですから、二天一流と戦う時には、その相手の機前を制する剣術を上回る鋭さをこちらがもっている必要があります」

「なるほど、なるほど。して、二天一流と宝蔵院流槍術では...」


悠左衛門は剣術の話しが好きらしく、次から次へと話題が尽きない。

「お前さま、蓮之輔さまも右馬之丞さまも、ヤットウの話をしに来たのではありませんよ」

剣術の話に熱くなっている二人を見て、塁が話を中断した。

「おう、そうであった。いや、蓮之輔殿は剣術の事がようわかっておる。それに十七歳とは思えんほどしっかりしておる。志津を嫁にもらってくれるという条件付きであれば、つき合うのを許そう」

「かたじけのうございます」

蓮之輔は深々と頭を下げた。

「悠左衛門殿、ご理解頂き、深くお礼を申し上げます」

右馬之丞も頭を下げる。

「お父さま、ありがとうございます」

志津も頭を下げた。



 伊桐(いとう)家を(いとま)する時、志津が「そこまでお送りします」と言って、いっしょに通りに出た。

夕涼みがてら半蔵濠(はんぞうぼり)沿いを二人で歩くことになった。

右馬之丞は、「栞代(かよ)ちゃんに会いに行く」と言ってさっさと先に帰ってしまった。


 さすがに暮六つ(午後6時)になると涼しさを感じる。

志津は頬を少し染めて蓮之輔のよこを歩いている。

半蔵濠(はんぞうぼり)に来ると、さすがに堀沿いだけあって夕涼みの人や屋台で何やら食べている人がたくさんいて、行き交う人も結構多い。


そのような人とぶつからないように避けようとして、志津は蓮之輔に肩をぶつけてしまった。

「申し訳ございません」

志津は赤くなって謝る。

「構いませんよ」

蓮之輔は、そんな志津を可愛いと思う。


堀沿いの道から土手に移る。

そこは柳の枝が地面近くまで垂れさがっていた。

柳の木の下に行くと、蓮之輔は志津の両肩を抱いた。

志津の顔が赤く見えたのは、夕陽のせいだけではなかった。

志津は胸がどきどきと痛むのを感じていた。


蓮之輔は、志津を引き寄せるとそっと唇を重ねた。



江戸時代の武士の結婚は家(親)同士が決めていました。この作品のようなハプニングからデート、そして(親の承認を得たにせよ)交際というようなことは、少なくとも武士では起こりません。

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