第1章 有慶乃謂れ
いよいよ第二章のスタートです。
時代も背景も変わって、日本の慶安時代です。
慶安時代と言えば、あの「○○の変」と呼ばれる事件が有名ですね。
ストリーは、歴史上有名な「○○の変」を中心に展開して行きます。
“IF...”という仮定が現実化したら...
そういう設定でストリーを進めて行きます。
第一章 有慶乃謂れ
慶安三年文月二十八日
(西暦1650年8月25日)
「そもそも、慶安と言う御代の号は、どうしてこの号になったか分かる人はいますか?」
痩身の男は、経机の上に両手を軽く置いて、道場を埋め尽くしている者たちを見渡した。
人が多すぎて道場の中には入りきれず、入口にも縁側にも庭にも多くの人がいる。
昨日、土用の丑の日を迎えたばかりの江戸は蒸し暑く、どこからか聞こえて来る来る蝉の音までが余計に暑さを感じさせる。道場を埋めている者たちの多くは門下生だが、講師の評判を聞いて聴講に来ている者もいる。
隣りも前も後ろも人だらけ。風通しはまったくなく、それどころか聴講生の熱い息さえ感じるほどだ。座っているだけで汗がだらだらと着物の背中や腹を流れるのが感じられる。
痩身で月代を剃らずに伸ばした髪を頭の上で束ねた男は、そんな暑さなどまるで感じないように汗もかかずに涼しそうな目で、彼の前に座っている門下生たちを見る。
前の方に座っているのは、旗本の子弟が多い。横端や中ほどにそれぞれ離れて座っているのは、江戸に屋敷を構える大名の家中の者だ。
それらの中でも筆頭格は紀州様の御家人だ。そして、紀州様の御家人の周囲には島津家、毛利家、藤堂家、浅野家など錚々たる大名の家臣や御家人たち、それに安藤家、長谷川家、鍋島家、土屋家、斎藤家、皆川家、水谷家、藤枝家、一柳家などの大身旗本の当主や子弟たちがいて、それなりに立派な身なりをしている。そして圧倒的に多いのが知行が二百石程度かそれ以下の小身の貧乏旗本と浪人だった。
「神峰君、わかるかね?」
いつも一番前のところから、食い入るように講義を聞いている神峰小太郎が指名された。
「... 先生。申し訳ありません、勉強不足です」
おおおお......
門下生の中で秀才として知られる神峰小太郎がわからないと答えたため、道場がざわついた。
「静かにしなさい。神峰君が知らなくて当然です。慶安という言葉は、今は唐と呼ばれている志那国が周と呼ばれていた時代に、伏羲によって説かれた『易』の中に、“すなわち ついに慶びあり 貞に安んずるの吉は、地の无疆なるに應ず”と記されており、“すなわち ついに慶びあり 心が正しく安定して迷わない境地に満足しておれば めでたさは、限りの無い”ということ”を言っているのです」
「はあ...?」
右馬之丞が、全然分かりませんというような声を出した。
「おい、連の字、おまえ分かったか?」
花房右馬之丞は、横に座っている柚良蓮之輔に訊いた。
「ちんぷんかんぷんだ」
柚良蓮之輔の家は八百石取りで花房右馬之丞の家は五百石取りで、どちらも中くらいの旗本の息子だ。
「花房君、わかりますか?」
「それは、天子様がお決めになられたからでしょう」
「それは、誰でも知っています。私が訊いているのは、なぜ慶安という字が御代の号となったかです」
「わかりません...」
右馬之丞は、そう答えただけで、神峰小太郎のように勉強しますとは言わなかった。右馬之丞は勉強家ではないし、やりもしないことを口先だけでやると言ったりはしないのだ。
「柚良君、わかりますか?」
連之輔に回って来た。
「え?... 心を正しく持ち、何事にも揺るがさなければ幸せになれると言うことでしょうか?」
「まあ、そのような意味ですね。“どんな時も友と仲良くし、助け合えば何事も良くなる”と言っているのです」
「ほぅ!...」
「なるほど、さすが正雪先生だ」
「考えたこともなかったな」
門弟たちが、またざわめく。
「前の御代の号の慶長も、同じ周の時代の詩経の言葉で、“彼の功徳はとても深くて厚いため、福慶(良いこと)がいつまでも続いていく”という意味なのです。ここで“彼”と述べているのは、周の文王のことで、その仁政から聖王-徳があり立派な政を行う王や君主-とまで呼ばれた王です 」
「ほう!」
「志那にはそんな徳のある王がおったのか!」
「慶長にそんな意味があったとは!」
「さすがに歴史の長い国だけある」
門弟たちが、またざわめく。
「天子様が、このように立派な御代の号をお付けられたにも関わらず、上で治める者の不能さのため、民は苦しみ、浪人は増え、天災、飢饉が不断なく起こっています...」
浪人は増え...と正雪が言った時、門下生の半数近くを占めている浪人たちが大きく頷いたり、発言をする。
「その通りだ!」
「まったくだ!」
その時、上座の脇の入口からがっしりした体つきの男が入って来た。
丸橋忠也やだ。ギロリと座っている門下生たち見ると、正雪のそばに来て何か耳打ちした。 丸橋忠也は五尺八寸を超える背の男で、6尺ある右馬之丞より僅かに低いが、横幅は倍ほどある偉丈夫だ。宝蔵院流槍術の遣い手として有名で、ときたま道場で見る。
「諸君、すまないが、ちょっと席を外すので一休みしていてください」
そう言って正雪は立ち上がって、丸橋忠也といっしょに出て行った。
「ワシらは、毎日明日の御飯代を稼がないと、飢え死にするくらいだ!」
「この暑さは、たまったもんじゃないが、万年青や朝顔もよく育つから助かる」
「傘作りは儲かるが、あれは手先が器用じゃないとできないからのう」
「青山の鉄砲百人組の傘張りと提灯張りは、かなり儲かっているそうだ」
「羨ましい限りだな」
「大久保の鉄砲百人組は、躑躅でだいぶ儲けたと聞いておるがな!」
「下谷の御徒組の朝顔は、今、すごく売れているらしいぞ」
貧乏旗本や浪人たちの話題は、景気のいい内職の話になる。
築地八町堀の組屋敷や御徒町などに住んでいる徒士たちの内職は、彼らの間でも持ち切りの話で、中でも築地八町堀で組屋敷通しが共同でやっている内職はかなりの規模だというので評判だった。
「この時期はやはり朝顔だな」
「ワシも育てているが、簡単なような中々難しいものだ」
「そうだな、毎日水さえやりゃ花は咲くが、あれじゃ売り物にはならねえんだよな」
「水は欠かせないが、ほかにも魚肥とか鶏の糞などもいるんだそうだ」
「下肥もいいらしぞ。ただ、ちょっと臭いがな」
「いやあ、庭で下肥など使ったら、カミさんに叱られるぜ!」
「皆の衆、申し訳ないが、正雪先生は急用が出来たので、今日の講義はこれまでとなる」
ずんぐりした男が顔を出して門下生たちに伝えた。
熊谷三郎兵衛という名前の浪人で、丸橋忠也と同じく正雪と親しいらしい。
「えーっ、もう終わりか!」
「でも、今日の講義は面白かったな」
「いや、面白いってもんじゃねえだろ?上がどれだけ無能かって...」
「しっ。あまり大きな声で言うなよ」
門下生たちが、つまらなさそうに立ち上がるが、人でむんむんする蒸し風呂のような道場から解放されるのでみんな嬉しそうだ。
「おい、連の字。鰻崎屋に寄って鰌汁でも食って行くか?」
「鰌汁って、一昨日 食ったばかりだろ?」
「いいじゃねえか。このクソ暑さ、精のつくもん食わないとへたばっちまうよ!」
「精のつくもんって、あまり精がついたらあとが大変だろうが」
蓮之輔の柚良家も右馬之丞の花房家も、元は馬廻衆で関ヶ原の戦いでは大活躍をし、豊臣家を滅ぼした徳川家康が幕府を開いた時に「番方」として江戸城の警護を任せた旗本だ。
右馬之丞の先祖は、天下分け目の関が原の戦いの時に大活躍をした「小姓組」の花房 右馬允で、以来、花房家の男子はすべて“馬”の付く名前が代々つけられているのだそうだ。
右馬四郎は花房家四男で、家督は長男の右馬之助が継ぎ、次男の右馬次郎は別の旗本家に婿入りし、三男の右馬三郎は裕福な商人の家に婿入りして町人となっている。
蓮之輔の家は「書院番」で格式は「小姓組」より上だが、似たようなもので、長男、次男とそれぞれ家督を継いだり、婿養子に行ったりしている。
将軍様のお膝元である江戸の町には旗本が千人もいるが、家督を継ぐのは長男だけ。
次男三男は、運がよければ同程度の知行武家- ほとんどがは旗本- の養子や婿になるか、武士の道を捨てて金持ちの商家の娘と結婚して商人となるかしかない。
そのようないい話も運もない旗本の息子は、親や家督を継いだ長兄の脛かじりとして疎まれながら生きていくしかないのだ。
蓮之輔も右馬之丞も、そんなあぶれた旗本の四男坊だった。
同じ靈瞑新道流の道場に通っていたことから仲良くなり、おたがいに四男であることもあり、すっかり気が合い、“連の字”、“ウマの字”と愛称で呼ぶようになり、毎日道場での稽古が終わったあとでいっしょに遊びに出かけるようになっていた。
結局、神田川沿いの茶屋で心太を食べることになった。
蓮之輔も右馬之丞も若い。たちまち二杯目を平らげ、三杯目を注文した。
「親父っさん、もう一杯お代わりだ!」
「俺もだ!」
「へいよ」
茶屋の親父さんも、若い二人の食欲に目を細め、汗を手拭いで吹きながら心太を押し出し器に入れている。
「それにしても、別嬪だな?」
「うん? 誰が? おスミちゃんのことかい?」
「ちげえよ。おスミちゃんのどこが別嬪なんだい?」
おスミちゃんは、この茶屋で仕事をしている娘で、まあまあの器量良しだった。
「えーっ、蓮さんヒドいっ!」
お代わりの心太の鉢をお盆に乗せて、蓮之輔たちのところに持って来ようとしていたおスミちゃんが、それを聞いてぷーっと頬をふくらませて二人をにらんだ。
「おい、おい。おスミちゃん、言ったのは俺じゃないぜ?」
「馬さんの言ったこと否定しなかったんだから、同罪よ!」
ゴトン、ゴトンと音を立てて心太の鉢をお膳の上に置くと、引きしまった尻をぷりぷりさせて行ってしまった。
「見ろよ、馬の字。おまえのおかげで飛んだとばっとりだ」
「あとで菓子代って言って少し余分に払えばいいんだよ。それより、ほら、あの別嬪だよ!」
「どの別嬪だ?」
「入口の方だよ、入口」
蓮之輔が入口の方をふり返る。
茶屋に入った時は見なかったが、入口に近いところの腰かけに、たしかに綺麗な娘が座っていた。
楚々とした風情の娘は、心太を食べていた。
町人の娘ではないことは一目でわかる。
年の頃は十五、六だろうか。黒茶の少し着古した小袖を着ているが、身なりはいくぶん質素だ。たぶん下級旗本の娘だろう、上品に心太を啜っていた。
「ありがとうございます」
「いつもありがとうさん」
「ありがとうございます。また来てね」
二人いた客が出て行き、親父とおスミちゃんと女将さんが礼を言う。
茶屋に残ったのは、高祖頭巾を頭に被った町人風情の男と蓮之輔、右馬之丞と娘だけになった。
娘は食べ終わったらしく、巾着袋をとって心太の代金を払おうとしたが...
「えっ?」
小さな叫び声を出した。
持ち上げた巾着袋の底が切れている。
「か、紙入れがない...」
娘の顔が真っ青になった。
「娘さん、紙入れがないって...」
「それ、あんた巾着切りにやられたんだよ!」
「この辺にも巾着切りいますからね。ぼーっと歩いていると狙われるのよ」
親父さんたちが驚いているが、そういう被害は別段めずらしくもない。
彼らにとって、問題はその娘がどうやって心太代を払うかの方が気になっているようだ。
常連である蓮之輔たちならまだしも、一見の客である娘にツケで食わせる訳にはいかないのだ。
「親父っさん、その娘の分は俺が払うぜ!」
「おい、蓮の字、俺が払うよ」
「いいから、ここは俺にまかせとけって!」
そう言うと、蓮之輔は胴巻きからジャラジャラと銅貨を出し、彼の分と娘の分を分けた。
「あ... あの 見知らぬ方に、そのようなことをしていただくのは...」
娘が目を見開いて辞退しようとする。
まあ、ふつうの者なら当然のことだ。
「いいってことよ。それともあんた、払う金あるのかい?」
「い、いえ 家にお金を取りに行ってお払いします」
「まあ、それもいいけどさ。ここは素直に“では、お借りします”って言って、あとで俺に返す方がいいんじゃねえか?」
「え... 」
戸惑った顔で蓮之輔と右馬之丞、それに親父さんと女将さんの顔を見た。
「蓮さんもウマさんも、いつもここに寄ってくれるお客さんだから、あとでここに預けておけば、次に来た時に返してあげるよ」
「そうともよ。蓮さんとウマさんは、常連だからな」
女将さんと親父さんの言葉に、ようやく好意を受ける気になったようだ。
「かたじけありません。私は志津と申します。明日、必ずこちらに16文を持って参ります」
「そんなに急がなくてもいいんだぜ?」
「そうともよ。蓮の字は金持ちだからな」
「誰が金持ちだ?」
「おまえだよ。おスミちゃんにもさっきのお詫びに心付けを置くんだろう?」
「え、蓮さん、心付けをくれるの?」
「あ、うん。俺が別嬪じゃないって言ったんじゃねえけどな。まあ、いつも愛想よく給仕してくれているからな!」
そう言って蓮之輔は4文銅貨を2枚余分に置いた。
「わっ、嬉しい!」
目を輝かせて喜ぶ茶屋娘。
右馬之丞が、そのぷりぷりした尻をつねった。
「きゃっ、ウマさんのスケベっ!」
* 敬称の「君」は、吉田松陰(よしだしょういん 1830年ー1859)が使いはじめたと言われていますが、正雪が、本作品では正雪が先取性と平等意識を持っていたという前提で使わせています。
* 「鎖国」という言葉は、江戸時代の蘭学者である志筑忠雄(1760年〜1806年)が、1801年成立の『鎖国論』(写本)において初めて使用したと言われていますが、理解しやすいように、この作品の時代の中で使っています。
* 八町堀 現在は八丁堀となっていますが、昔は「八町堀」と呼ばれていました。




