第22章 白い激流
主の年1180年 5月14日 夜。
エルサレムの》・エルサレム
あの夜、ローランは夢の声にしたがって、アリックスとザフィーラの手引きで宮殿に忍びこんだ。
誰にも見つかることなく、宮殿の奥にあるシビーユの寝室までたどり着くことが出来た。
しかし、あまりにも無防備で寝ているシビーユを見て、ローランは鞘から抜いたクトーを手に持ったまま躊躇した。
“なぜ、こんなイノサンを殺さなければならないんだ?”
寝室を出る前に、もう一度薄いシェーンズ越しに見ることができる、シビーユの豊かな胸と丸っこいオシリのシリョンを見た。
“こんなベレファメを殺すなんてもったいないぜ?!”
最後に考えた言葉は、夢のオーダーを果たすことが出来なかった自分への言い訳だった。
その年にボードワン王はサラーフ・アッ=ディーンと停戦協定を結び、ローランにはウーゴが生まれ、戦がなくなり、かわいい子ども二人と若く美しい妻と一家4人で平和を享受しながら暮らし、夢の中の声にしたがってシビーユを殺さなかったのは正しい判断だったと思い、あの夢のことは忘れてしまった。
アリックスもザフィーラも、ローランが何も言わなかったので、宮殿侵入の件はそれっきりになってしまった。
しかし、主の年の1185年3月にボードワン4世が死んでしまった。
病状が悪いとは聞いていたが、まさか亡くなるとは想像もしなかった。
“あれだけ聖地を守るために粉骨砕身して戦っておられるボードワン王だ。必ずや神も王の寿命を伸ばしてくださるだろう”
神の奇跡を信じていた。
だが、ロウソクの火が消えるように、突然ボードワン王は亡くなってしまった。
そして、何と言うことかシビーユが女王になり、顔がいいだけの無能という前夫のギー・ド・リュジニャンをエルサレム王にしてしまったのだ。それも、常にボードワン王の力になり、後見人とも言うべきトリポリ伯レーモン3世たち反対派を欺く形で。
-∞-
十字軍は二日間に渡ってサラーフ・アッ=ディーン軍に苦しめられた。
日中は水不足で脱水症状や熱中症で死ぬ兵士が続出し、夜になると十字軍の野営地の周囲より夜通し弓矢で攻撃し、夜通し勝鬨を上げ、太鼓を叩きラッパを鳴らして十字軍兵士に休息をあたえなかった。
サラーフ・アッ=ディーン軍は周囲を囲み、鼠一匹逃げ出せないようにした。さらに敵は乾いた草原に火を放ち、十字軍をさらに困惑させた。
主の年 1187年7月4日 土曜日。
ヒッティーンの戦いにおける両軍の進撃ルートと決戦場
7月4日の朝、サラーフ・アッ=ディーン軍は本格的な攻撃を開始した。
サラーフ・アッ=ディーン軍によって燃やされた草原の煙のため視界がない中で敵の弓騎兵は一斉に矢を射かけた。
「敵は3万人を超す戦力だ。そして、我々を囲むように布陣している。ケホッ、ケホッ...」
ジェラール・ドゥ・リデフォール団長が煙にむせながら言う。
「だが、ここにじっと留まっていても死ぬだけだ。 ケホッ、ケホッ ならば、テンプル騎士として潔く突撃して花を散らそうではないか!ケホッ、ケホッ...」
「シュヴァリエス・タンピエー、アタッケ・フォルマーション!」
ジェラール団長が、煙のため目から涙を流しながら命令を下した。
「「「「「「「「「ウイ ムッシュ―!!」」」」」」」」」
ザザザザーっとテンプル騎士がアタッケ・フォルマーションをとった。
すでに騎士の中には敵の矢や脱水症状のためにすべての馬をなくした者もいる。
セルジャンたちは、ほとんど全員馬を失くしている。従者もほとんどが倒され、生き残った者はわずかだ。
「ポルラ・グロリエ・エテルニテー・デテール・サン! ケホッ、ケホッ...」
最後になるかも知れない命令でも団長はむせった。
「シュヴァリエス・タンピエー、アタ――ッケっ!」
ジェラール団長が、剣を前に向けて命令を下した。
「「「「「「「「「ウイ ムッシュ―!!」」」」」」」」」
ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ......
ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ ドッ......
常勝戦法『くさび形隊形』でランスを持って進みはじめるテンプル騎士隊。
敵までの距離は、500トワーズを超える。来は焦るが、最初からガロッペで走らせては250トワーズも行かないうちに馬はくたばってしまう。
テンプル騎士隊との戦いに慣れた敵も、そのことはよく知っており、遠方から矢を射かけて来るばかりでテンプル騎士隊が近づくと逃げてしまう。
しかし、その間も矢は降り続き、従者が倒れ、馬が射られ騎士が放りだされる。
だが、ようやく敵の歩兵部隊と騎馬隊が見えて来た。
距離は150トワーズほどだ。
ギョームが馬をパスからトロッに変える。
ドッドッドッドッドッドッ......
ドッドッドッドッドッドッ......
カツン カツン
矢がローランの防具に当たるが、鉄製の防具のおかげでみんな撥ね返す。
「メルデっ!」
アルマンの馬が矢で射られてドウっと倒れた。
馬は前ひざを折って崩れたので、アルマンは怪我もせずに歩いて隊列の後をついてくる。
「オオ、ノン!」
「ズッ-!」
あちこちで馬が倒され、騎士たちの罵り声や叫び声が聴こえる。
距離が80トワーズを切った。
「シュヴァリエス・タンピエー、アタ――ッケっ!」
ギョームが槍を構えて叫んだ。
「「「「「「「「「ウイ ムッシュ―!!」」」」」」」」」
テンプル騎士隊が槍を構え、一斉に答える。
ドドドドドドドドド.........
ドドドドドドドドド.........
ギャロップで突進するテンプル騎士隊の前方に位置していた敵の歩兵部隊が槍を構えるのが見える。その両脇に配置されていた騎兵部隊が歩兵部隊の両側から突進して来た。
「アッラーフ・アクバ―――っ!」
「「「「「「「「「「アッラーフ・アクバ―――っ!」」」」」」」」」」
サラーフ・アッ=ディーン軍のサラセン騎兵たちが鬨の声を上げながら急速に迫ってくる。
「ユーグ、レモンドっ、左を頼むっ!俺とピーターは右だ――っ!」
「ギョーム、まかせろ!」
「わかったー!」
先陣を切るギョームが後ろをふり返って叫ぶと、間髪を入れずに第二陣のユーグと第三陣のレモンドが叫び返す。
「ジェラール団長ーっ、歩兵部隊をぶっ潰してください――っ!」
「まかせとけ――!」
後続のテンプル騎士団の主力を率いたジェラール団長が大声で答える。
「シュヴァリエス・タンピエー、アヴォーン!」
「「「「「ウ――イ!」」」」」
ジェラール団長が、剣を抜いて号令すると、後から続くテンプル騎士隊の隊長たちが大声で答える。
ユーグとレモンドの2隊は、左から来る敵の騎兵部隊へ向かう。
ドドドドドドドドド.........
ドドドドドドドドド.........
ギョームとピーターの2隊は、右に転進して右から向かって来るサラセン騎兵隊の方に馬首を向けた。
ドドドドドドドドド.........
ドドドドドドドドド.........
そして、ジェラール団長を先頭にしたテンプル騎士団の主力部隊が、サラーフ・アッ=ディーン軍の歩兵部隊を目がけて突撃する。
ドドドドドドドドド.........
ドドドドドドドドド.........
ドドドドドドドドド.........
ドドドドドドドドド.........
敵の騎兵隊は弓で攻撃していたが、テンプル騎士隊が間近に接近すると、剣や槍、メイスを手にして向かって来た。
「アッラーフ・アクバ―――っ!」
「「「「「「「「「「アッラーフ・アクバ―――っ!」」」」」」」」」」
騎兵隊との距離が約15トワーズになった時、ギョームが叫んだ。
「プレパレ――っ!」
そして、距離が10トワーズになった時にギョームは槍を投げると同時に叫んだ。
「ランセールっ!」
「「「「「「「「「「ウオオオオオ―――っ!」」」」」」」」」」
その瞬間を待っていたテンプル騎士たちも一斉に槍を投げる。
長さ1.30トワーズの槍が数十本、宙を飛ぶ。
槍は狙いたがわず、サラセン騎兵たちの胸板を貫き、穂先が背中に突き抜ける。
最前列のサラディン騎兵たちが、バタバタと倒され落馬したため、後続の騎兵たちの騎乗する馬が倒れた馬につまづいて転倒したり、避けようとして急に方向転換し、ほかのサラディン騎兵にぶっつかたりと大混乱を引き起こす。
「シュヴァリエス・タンピエー、アタ――ッケっ!」
ギョームが長剣を抜いて叫び、混乱するサラディン騎兵たちの中に突入する。
「「「「「「「「「ウイ ムッシュ―!!」」」」」」」」」
テンプル騎士隊たちも一斉に長剣を抜いて答え、サラディン騎兵たちに切りこむ。
ローランはギョームの左側を走っていた。
右は無口なウィラームだ。
ローランもウィラームも、テンプル騎士団の中では一、二位の剣技の持ち主として知られていた。
さらに二人はシャルルに作らせた鉄製の防具を装着しており、その剣の腕前もあいまって、テンプル騎士団の双璧と呼ばれるほどだった。
その二人がいるギョーム隊は、テンプル騎士団最強の隊だった。
テンプル騎士団は、白いトレントのようにサラセン騎兵部隊の中に突入して行った。
トレントがすべてを飲み込みあとには破壊の後しか残さないように、テンプル騎士団はサラセン騎兵部隊を割って行った。
しかし、敵はあまりにも多すぎた。
そして、トレントはあまりにも量が少なかった。
白いトレント-テンプル騎士団-は、より大きな濁流に押し包まれて行った...




