第1章 ピルグリム
主の年 1177年8月12日金曜日。
エルサレム郊外
今日の戦闘も激しかった。
巡礼団が襲われていると砦からの狼煙による知らせに、テンプル騎士を主体とする50騎の騎士と80騎の従者騎兵たちはエルサレムの門を出発した。
聖地エルサレムは、異教徒軍勢による攻撃から防御するために、地中海に面したアンティキア、トリポリ、ベイルートなど主要都市に堅固な城塞を築いていた。
だが、エルサレムからもっとも近い- それゆえに聖地巡礼のためにフランス各地やジェノヴァ、ピサ、シチリアなどから大挙して船でやって来る巡礼団が到着するヤッファの港からエルサレムまでのおよそ70キロメートルの道程は、セルジューク・トルコ兵やファーティマ兵こそ現れないものの、ベドウィンの襲撃にたびたび晒されていた。
ベドウィンほどやっかいな敵はない。
砂漠の遊牧民である彼らは、当然国などは持たず、セルジューク王国領土だろうが、ファティマ王国領だろうが、エルサレム王国領だろうがお構いなしに出たり入ったりするし、集団で盗賊まがいのことも平気でやる。相手が異教徒-キリスト教徒-であれば、なおさらだ。
イスラム教徒であるムスリムにとって、キリスト教徒はアッラーを信じない異教徒であり、多くのアラブ人を殺したなど略奪・殺戮した侵略者なのだ。
そんな連中はいくら殺そうが、略奪しようがも少しも心が咎めない。ましてやロクな武装もしていないエルサレム巡礼団などはベドウィンにとってはいいカモでしかない。
巡礼を守る任務には、速度が最重要だ。
それゆえ、騎士団は大規模な戦い以外では歩兵は使わない。
全員馬に乗って1秒でも早く駆けつけ、襲撃されている巡礼たちを救わなければならないのだ。
灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、乾燥した熱風に砂塵が巻き上げられる中を騎士団は白いマントを翻して走り続けた。
狼煙が上がった砦の場所までは、おおよそ10キロメートル。馬を速足で走らせているが、それでも30分ほどはかかる。
気が気ではないが、全速力で走らせようものなら5分ともたずに馬は死んでしまうので、戦いどころではなくなってしまう。したがって、突撃時にギャロップで走らせる必要がある時以外は、どんなに急いでいても時速13~15キロメートルほどの速足でしか走らせれない。
30分ほど走り続けた時、前方の砂丘の向こう側から怒声と悲鳴が聞こえて来た。
ヴァランタン隊長が、手を上げてテンプル騎士隊を停止させる。
「ギョーム、従者を連れて ローランと砂丘に登って状況を確認しろ!」
「ウイ!」
ギョームは馬から降りると、従者を呼んで背をこごめて砂丘に近づく。
ローランも従者のジャックを呼んでギョームにが続く。
従者は、もし、敵に遭遇して戦いになった時のための盾をもっており、騎士たちの戦いの加勢が出来るほか、砂丘の下で待っているヴァランタンに偵察結果をすぐに知らせることもできる。
ギョームもローランも目のところだけ細く切れ目の入った、頭全体を覆うカスケにマイユという装備で、その上から白地に赤い十字を染め抜いたサーコートと白いマントを羽織っている。
一方、従者たちは、皮製のプラストンとグレーヴェという軽装だ。カスケは、ふつうの頭だけを守るカスケだ。頭全体を覆うカスケは、従者としての任務に視界が狭いのは不都合だだし、値段も高いからだ。
たしかに、目のところだけ細長く切れ込みがあるカスケの視界は悪い。
戦いにおいては、周りの状況をよく確認するために視界が大きい方が優位なのはたしかだが、顔が無防備になるというデメリットがある。
砂丘の稜線に近づくと、ギョームとローランは腹ばいになって、頭だけだけ出して様子を見る。従者たちも盾と槍をもって少し遅れて来て横から見ている。
はたして200人ほどの巡礼たちが見え、それを10騎ほどの騎士が30人ほどの兵と囲むようにして守っており、その周囲を馬に乗ったベドウィンたちが走り回りながら弓で攻撃している。
騎士たちは、ヤッファから巡礼団を護衛して来たらしい。
巡礼の中には、剣や槍などを持っている男もいるが、馬で走り回り矢を射かけるベドウィンたちに勝てるはずもなく、すでに、かなりの人数が倒れているのが見える。
ベドウィンやアユーブ軍の兵たちとの戦闘でやっかいなのが、彼らが使うアーク・コンポジティで、エルサレムの弓兵が使う弓よりも強力で、命中精度を高めるための「ナワーク」と呼ばれるガイドレールのおかげで命中精度は極めて高く、しかも310トワーズも届く。
ベドウィンの数は150騎ほどで、かなり戦いなれている。
その中の50騎ほどが矢で攻撃しており、残りは巡礼団の四方に別れており、逃げ道を塞いでいるようだ。彼らは巡礼たちを矢で散々痛めつけた後で総攻撃して全滅させるつもりなのだろう。
「ふむ... 弓騎兵さえ片付ければ、あとは問題ないな!」
突然ヴァランタンの声が聞こえたので、おどろいて見ると、ローランたちの報告が遅いと思ったのか、ヴァランタンが少し離れたところから状況を見ていた。ヴァランタンは少々せっかちなところがある。
「これは陽動作戦を取った方がいいですね」
ギョームがヴァランタンの顔を見て言う。彼はヴァランタンの副隊長格だ。
「それが良策だな!」
そう言うと、ヴァランタンはさっさと砂丘から降りた。
「ギョーム、おまえは騎士を20騎と従者を半分を率いて、あの弓騎兵どもを蹴散らせてくれるか?」
「おまかせください」
隊にもどったヴァランタンが命令を下すと、ギョームはすぐに別働隊を率いて去っていった。
5分と経たずに、ギョームに率いられた別働隊が砂丘の陰から突撃した。
突然の騎士たちの出現に驚くベドウィンたち目がけて、怒涛のように突撃する騎士隊。
両翼には従者騎兵が横隊になってクロスボウを構えている。
あわてふためくベドウィン弓騎兵たちが、突如現れた騎士隊を迎え撃とうと弓をギョーム隊に向けようとした時-
「撃て――っ!」
ギョームの命令一下、従者たちは狙い定めたクロスボウで一斉に射った。
近距離戦でクロスボウに優る兵器はない。弓ほど大きくないため持ち運びしやすく、矢を装填したままでいられ、いつでも撃つことができるからだ。
ベドウィン弓騎兵たちが、バタバタと倒される。だが、敵もすぐに応戦に移り、矢を放って来る。だが、その時すでに従者騎兵たちは、重武装の騎士隊の後ろに縦列になっていた。重武装の騎士たちに矢は効かないので、軽装備の従者騎兵たちは、騎士を盾代わりにしている。
ベドウィン弓騎兵の中に、赤い十字を染め抜いた白いマントをマイユの上に羽織った騎士隊が長槍を構えて突っこむ。皮製の胸当てなどしかつけてないベドウィン弓騎兵たちは、たちまち串刺しになって落馬する。
騎士たちは、最初の敵を長槍で貫いた後、槍を捨てすぐに剣を抜いて敵を切る。
そして騎士が突破口を開いたあとに、ハルバードや剣をかざした従者騎兵が襲いかかる。
ベドウィンたちは、突然の騎士たちの攻撃におどろいていたが、すぐに体勢を整え、ギョーム隊を反撃しようとする。
その時、ヴァランタンの率いる主力隊が前方の砂丘のから現れた。
ベドウィンたちの退路を防ぐ戦術で、ギョームとは反対の方向からの攻撃だ。
十字軍の旗を翻し、砂塵を巻き上げながら、主力騎士隊が怒涛のようにベドウィンたちに襲いかかった。
慌てふためくベドウィン騎兵たちに従者騎兵隊のクロスボウの矢が降りそそぐ。
ヴァランタン隊は、弓兵を蹴散らしながら歩兵部隊の真っただ中に突入する。
ローランは、ヴァランタンから右側5番目を走っていた。主力隊のプリンシパレ・シュヴァリエの一人だ。
怒涛の如く押し寄せた騎士たちの勢いに、ベドウィンたちの乗った馬が驚き、ベドウィンはロクに応戦も出来ない。ローランは、前からシャムシールを振り上げて向かって来るベドウィンの胸に長槍を突き刺した。ベドウィンは驚愕した顔で、胸に刺さった槍の柄を掴んで落馬する。
ローランはすぐに長剣を抜き、前方から槍を構えて突っこんで来るベドウィン騎兵の左側を通り抜ながら、突き出される槍を長剣で撥ね、その反動を利用してベドウィンの首をはねる。
ガッ!
どこからか飛んで来た矢が、ローランに当たったが、マイユのおかげでサーコートに穴を開けただけで済んだ。ローランは、近くで別の騎士と戦っていたベドウィンに近寄ると、両手で持った長剣で後ろから袈裟斬りする。ベドウィンが肩から血しぶきを噴出させ、絶叫を上げて落馬する。
「おっ、すまんな。ローラン!」
仲間のギョームが礼を言う。
「どういたしまして!」
さらに敵を求めて馬首をめぐらせる。
あたりは、矢が飛び交い、金属と金属がぶっつかる音、骨を肉を断ち切る音がし、血しぶきが飛び散り、怒号や悲鳴がいたるところで上がっている。
騎士たちに串刺しにされ、首を腕を切り落とされ、背中を切り裂かれ、悲鳴を上げるベドウィンたち。
すでに、半数ほどのベドウィンが倒されており、包囲され苦戦していた騎士たちや巡礼団の男たちも、援軍が軍が来たのを見て勢いづき、果敢に反撃している。
壮絶な戦いは30分ほど続いた。
ベドウィンたちは、援軍が来たことで勝ち目がないと見て、四方八方へと遁走した。
ベドウィンは攻撃をして来るのも突如だが、逃げるのも早い。さらに彼らの乗るアラブ馬は、騎士たちの馬より体格が小さいが、足が速く、とてもではないが追いつけない。
森も川もない砂漠地帯では、どの方角にでも逃げることができるというメリットがある。
ヴァランタンが騎士たちに「ベドウィンどもを追うなー!」と叫んでいる。
あとには70人ほどのベドウィンの死体が残された。
巡礼団の犠牲者は34人、負傷者が40ほど。騎士は負傷者が7名、従者は12名負傷。巡礼団を護衛していた兵は13名死亡、負傷者18名。やはり、軽装備の兵と巡礼団の死者が圧倒的に多い。騎士に戦死者がいないのは、重武装のおかげだ。
ヴァランタンはエルサレムに従者を使いを走らせ、遺体と負傷者を運ぶための馬車を持って来るように伝えさせる。
ローランは、ベドウィンたちが逃げて行ってしまったあとで、巡礼たちがベドウィンたちの死体に群がり、彼らが所持していたものを漁り始めたのを見て眉を曇らせた。金目になる半月刀や槍、弓矢、それに所持金やハムサなど金目になるものを奪っているのだ。
「やつら... まるでハゲワシだ!」
戦いで亡くなった者たちを馬車に積みやすいように、兵たちや巡礼団の者たちが一か所に集めるのを見ながら、ギョームが吐き出すように言った。
「イエスさまは、『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を建てるな、父と母を敬え』と教えられたが、ベドウィンはムスリムは異教徒なので“人”ではないと思っているのですよ」
ローランが言うが、ギョームはまだブツブツ言っている。
エルサレムの騎士たちにとっては、エルサレムの兵たちや、カトリック教徒たちによるムスリム住民への略奪行為や殺戮、暴行などはめずらしいことではない。
彼らは機会さえあれば、ムスリムの村や町を襲って暴虐の限りを尽くしている。
ムスリムにとっては、十字軍もカトリック教徒も“侵略者”であり、イスラムの敵なのだ。
彼らが、フランク人である十字軍将兵やカトリック教徒たちを目の敵にしているのは当然であり、排斥しようとするのも当然と言えば当然だ。
テンプル騎士隊は、やがてやって来た馬車に歩けない負傷者や遺体を積みこんで、三分の二ほどに減った巡礼団を護衛してエルサレムにもどった。
*【トワーズ】 当時のフランスの距離の単位で約195センチです。
*【フランク人】 当時のイスラム教徒(トルコ人、アラブ人、エジプト人)は、西洋人はどの地方出身でもフランク人と呼んでいた。一方、ビサンチン帝国の領民であるギリシア人はローマ人と呼んでいました。それは、ビサンチン帝国が公式にはローマ帝国と称し続けていたからです。フランク人という呼称は、大雑把のように見えますが、そうではありません。そもそも、この時代は「ヨーロッパ」という概念が広く使われていなかったのです。それに加えて、中世のヨーロッパでは、近世以降のように、フランス、イギリス、ドイツ、イタリア、スペインと分かれてなかったので、それぞれの国名で国民を呼ぶこともなかったのです