第13章 ジザルディ山の戦い 後編
主の年 1177年11月25日 金曜日。
エルサレム王国東部- ジザルディ山。
アスカロン要塞を包囲していたエジプト軍を騎士団の突撃によって突破したボードワン王は、エルサレム城を目指して北へ向かったサラーフ・アッ=ディーンの後を追った。
サラーフ・アッ=ディーンは、ボードワン王は少数の兵で包囲を破って追って来ることはないと考えていた。そして兵たちに兵糧を得るために、広い範囲に散らばらせて村々から略奪を行なわせていた。
アスカロン要塞を出発してから三日目、ボードワン軍はサラーフ・アッ=ディーン軍の遊撃隊に焼き払われた農地をいくつも見ながら行軍を続けた。
そして、炎天の中、長時間行軍したボードワン軍は、サラーフ・アッ=ディーン軍を発見した。
サラーフ・アッ=ディーン軍は、エスサフィの丘の上にある十字軍の要塞を包囲攻撃すべく陣を整えかけていたのだ。
ボードワン王は、川岸の泥土に足を取られているサラーフ・アッ=ディーン軍を見つけると騎士の助けを狩りて馬から降りて、ヴェラクルースの前に跪いて涙ながら祈った。
「おお、神よ!我に聖なる地を守る使命があるならば、奇跡を我にあたえたまえ!」
ボードワン王のその様子を見て、すべての騎士・兵たちは感極まった。
「いいか、この期におよんでは、一歩も引いてはならん!」
アンティオキア公が馬上から、みんなを見回して告げた。
「馬首をめぐらして戦線を離脱する者は、だれであれ裏切り者と見なす!」
ウード・ドゥ・サン・アマン団長も厳しい目で告げた。
「神は我とともにあり。突撃せよ!」
白馬に跨ったボードワン王が剣を抜き号令した。
オオオオオオオ―――――――!
オオオオオオオ―――――――!
ボードワン軍が、雄叫びをあげて突撃した。
突如現れたエルサレム軍を見て、サラーフ・アッ=ディーン軍は驚いた。
サラーフ・アッ=ディーン自身、ボードワン王がまさかこんなに早く現れるとは思ってなかったのだ。
エジプト軍は長い行軍で疲れており、また広範囲にわたってエルサレムの村々の略奪を行うために部隊を四方八方に拡散し過ぎたため、サラーフ・アッ=ディーンの元にはあまり兵が残っておらず、何の防衛態勢もとってなかったので、エジプト軍はパニック状態になった。
しかし、ボードワン王の軍が少人数なのを見て、サラーフ・アッ=ディーンは高をくくった。
今、突然現れたエルサレム軍は騎士がせいぜい400騎くらい歩兵が数千だ。
自分の手元にある兵力は1万2千ほどだが、自軍の半分以下のエルサレム軍など問題ではないと考え、混乱する自軍を急遽立て直させるよう配下の将たちに命令して戦いの準備を急がせた。
「サラーフ・アッ=ディーンの旗を掲げているテントを目標に突っ込め!」
ウード団長がテンプル騎士団に命令を下した。
テンプル騎士が、白地に赤の十字架を染めた旗を翻して楔形隊形でエジプト軍が防衛体制を整えつつあったところに砂塵を巻き上げて怒涛のごとく突進した。この鉄壁のようなテンプル騎士の攻撃を遮れる者は誰もいない。
あとに黒地に赤の十字架を染めたサーコートのテンプル騎士団のセルジャンの隊列、それから黒い上衣に白い十字のホスピタル騎士220騎、十字軍騎士が雄叫びをあげて続く。
まさかと思ったエルサレム軍の先制攻撃に、応戦体制がまだ整ってなかったエジプト軍は大混乱に陥った。エルサレム軍弓兵の矢が雨のように降りそそいだあとに、先陣のテンプル騎士隊の突っこんだ。
「食らえ――っ!」
先陣を切ったヴァランタンが、槍をエジプト兵の胸に力いっぱい突き刺す。
「グエっ」
驚愕で目を大きく見開いたまま、エジプト兵が後ろにひっくり返る。
ローランもヴァランタンの横を走りながら、槍をエジプト兵の顔にぶち込む。
そして、0.65トワーズの長剣を抜くと、背中を見せて逃げるエジプト兵たちの真っただ中に斬りこんだ。初撃で槍を捨てたほかの騎士たちも、長剣を抜いて切りかかる。
逃げまどうエジプト兵の背中が、肩が切り裂かれ、頭が腕が斬り飛ばされ、悲鳴とともに血しぶきがあがり乾いた砂地に吸いこまれてゆく。そのあとに、槍、ハルバード、アックス、グレイブ、メイスで武装した歩兵部隊が突撃する。
歩兵は各自好きな武器を使うが、彼らの役割は、騎兵の攻撃から逃れた敵を一人残さず殲滅することだ。
騎士の攻撃で傷を負ったが、まだ動ける敵、騎兵の突進ルートから外れた敵などに向かってエルサレム兵たちは情け容赦なく襲いかかった。
腕を切り落とされ、切り裂かれた腹から腸をはみ出し、頭を斜め半分に斬られ、脳漿をまき散らしながら、エジプト兵たちは片っ端から殺されて行く。まさしく叫喚地獄、血の池地獄だ。
だが、エジプト兵たちの中にも、勇敢な者もいて、懸命に武器をとって戦っている者もいる。
騎士たちも馬を槍で突かれたり、刀で馬の足を斬られたりして、馬から落ちたり、または馬から降りて白兵戦の中へ飛び込む勇敢なヤツもいる。
大混乱の乱戦の中、ローランも乗っていた馬も足を傷つけられたので、ローランは馬から降りて敵兵と戦っていた。周りには、同じように剣をふるっている騎士が幾人もいる。
重装備をしてない軽装弓兵などは、ローランの長剣の一撃で倒される。
エジプト軍の中にも重装騎兵が200騎ほどいたが、彼らは馬に乗るひまもなく戦いにはいったため、メイスや槍などを持って戦っていた。
さすがに、重装騎兵の装備は軽装歩兵とは違い、膝まである「ディル」と呼ばれるチェイン・メイルの上に「ジョシャン」と呼ばれるスケール・メイルを重ねているため、ちょっとやそっとの攻撃では殺せない。
剣で倒したあとで、騎士たちは常に腰に下げているクトーで、目から脳髄まで突くか、または首を切るか、脇から心臓を突き刺して殺すしかない。
ローランは、すでにエジプト軍の重装騎兵を4人、軽装兵を6人倒していた。
7人目の軽装兵を倒した時、10メートルほどのところに、エルサレム歩兵4、5人に囲まれている見ると、歩兵たちに囲まれている黒装束のエジプト兵が目に入った。
その黒装束の男の近くには、テンプル騎士が2人と歩兵が5人倒れているのが見えた。かなりの腕前の敵のようだ。
黒装束の男は2つのシャムシールを持って、油断なくエルサレム歩兵たちを見ている。
歩兵が右と左から同時に襲いかかった。一人はハルバードで、もう一人はメイスだ。
黒装束の男は、歩兵たちが襲いかかるのと同時に、ハルバードで斬りかかった歩兵の方に跳躍し、左手のシャムシールでハルバードの攻撃を受けると、右手のシャムシールで歩兵の首を切った。
そして、背後から襲って来たメイスを持った歩兵に向かってふり返ると同時に、左手のシャムシールを投げた。シャムシールは歩兵の顔に突き刺さり、歩兵はどうッと砂の上に倒れた。
残った歩兵たちが動揺して数歩後に下がる。
黒装束の男は落ち着いた様子でそれを見ながら、背中に担いでいたメイスを左手に持った。
「そいつはオレにまかせろ!」
ローランは、そう叫ぶとクトーを腰の鞘にしまい、長剣を持って近づいた。
歩兵たちはホッと安堵の顔を見せて距離を開けた。
そこにテンプル騎士団のピエールとレモンドがやって来た。
「こいつ... 仲間のグレゴワールとシュバリエをやりやがった!」
「あのメイスで倒したんだな。レイ、気をつけろよ!」
「ウィ。わかっている!」
黒装束の男に5メートルほどの距離まで近づくと、ローランはアラブ語で名乗った。
「オレはテンプル騎士のローラン・ドゥ・ディジョンだ!」
「私はラシード・ウッディーン・ムハンマドだ」
落ち着いた声で男は名乗った。
ラシードと名乗った男は、黒のトーブの上に黄色の地に華麗な刺繍入りのスケール・メイルを着ており、下は赤のサルワールとかなり派手な服装だが、膝まであるチェイン・メイル「ディル」を着用していた。
頭には黒地に深緑と赤を織り混ぜたチェック模様入りのシュマーグを被っていて、それを黒のアガールで固定していた。
“何っ、こいつはニザリティの戦士なのか…”
ニザリティの戦士は、凄腕の者が多いと聞く。
ラシードはレンとの間を保ったまま、ジリジリと円を描くように動き、たった今倒した歩兵の頭からシャムシールを引き抜くと、メイスをふたたび背負った。
メイスよりシャムシールの方が近接戦では戦いやすいのだろう。
ローランはいつでも長剣を力いっぱい振り下ろせるように、柄が肩の高さにくるようにして垂直に長剣を構えていた。
「用意はいいのか?」
ふたたびアラブ語で訊く。
「悪いな。この方が慣れていてな!」
ラシードが答え、ヒュンヒュンと曲芸のようにシャムシールを右に左にふり回す。
2刀使いは危険だ。どの角度から、どちらの剣で斬りこんで来るかわからない。
しかし、ラシードもレンが並みの騎士でないと言うことをすでに分かったようだ。
先ほどのラシードの戦いぶりを見ていると、彼は相手に攻撃させ、それを防ぎながら攻撃を同時に行っている。だとすれば、ラシードはローランの攻撃を待っていることになる。
ローランの近くでは戦いはすでに終わり、味方の軍は逃走したアイユーブ軍の追跡に移ったようだ。
ローランとラシードの周囲には、さらに多くの騎士たちと歩兵たちが集まっていた。
その中にはウード団長とヴァランタンの顔も見える。
だが、ラシードは少しも臆することなく、シュマーグの下から冷えた目でレンを見ている。
レンのもつ長剣は重さが50マルクもあるもある。
長時間構えているには重すぎる剣だ。
しかし、長さ0.65トワーズの剣のリーチは、腕の長さ約0.30トワーズとプラスすれば、約0.90トワーズになる。
1トワーズ跳躍して一撃を加えるとすれば、攻撃範囲は2トワーズ近くになる!
ラシードもそれを読んだのだろう。だから迂闊に先制して来ないのだ。
冷酷で頭のいい奴に違いない。だが、いつまでも睨み合ったままでは日が暮れてしまう。
問題は、ローランが長剣を振り下ろした時のラシードの動きだ。
先ほどハルバードの攻撃を受けた時は、左手のシャムシールでハルバードの柄を受け、右手のシャムシールで歩兵の首を切った。
ハルバードは長さ2,5メートル程の長さだが、柄の部分で受けるとそれほどの衝撃はかからない。
だが、刃渡り0.46トワーズ90センチ、重量50マルクの長剣の衝撃は、ハルバードの比ではない。
「キエ―――っ!」
ローランはラシード目がけて突進すると、思いっきり長剣を突き出した。
「!」
初めてラシードの眼に驚きが浮かんだ。
ガツン!
長剣による突きの直撃を胸に受けて、ラシードが受けようもなく後ろにひっくり返った。
すかさず長剣を捨て、腰のクトーを抜いくと馬乗りになり、ディルの隙間から首を差すべく振り上げたが…
ラシードの澄んだ眼を見て思いとどまった。
「オオオ――――っ!」
周りの騎士たちや歩兵たちが喚声を上げる。
「立て。おまえは捕虜だ!」
ローランがラシ―ドの上から立ち上がると、バラバラバラっと騎士たちや歩兵たちが駆け寄って来た。
ローランがラシードを殺さなかったのを見て、捕虜にするのだと分かった兵たちが、ラシードの武器を取り上げ、両手を後ろで縛った。