第12章 ジザルディ山の戦い 前編
第12章 モンジザールの戦い
主の年 1177年11月22日 火曜日。
ヴィレ・ドゥ・エルサレム 朝。
「ボードワン王陛下がお話をされる!」
ウード・ドゥ・サン・アマン団長が、いつもにない真剣な顔で言った。
元ボードワン王の宮殿であったテンプル騎士団本部の大ホールには、 テンプル騎士のほか、ホスピタル騎士、十字軍騎士などが召集されていた。
「南からの報告によると、サラーフ・アッ=ディーンは3万の軍を率いて侵略して来た。ガザには二日後には到着するだろう。我々はアスカロンの要塞に向かい、そこでサラーフ・アッ=ディーン軍を迎え撃つ!」
15歳のボードワン王は、決意のこもった目できっぱりと言った。
ボードゥアン4世王はわずか13歳でエルサレム王となった。
主の年1175年、ボードゥアン4世は15歳(成人)になると、ファーティマ朝を受け継いでから勢力を急速に伸ばし、スーダンからユーフラテス川にかけて支配権を拡大する野望を見せつつあったサラーフ・アッ=ディーンを牽制するために初出陣し、サラディンにアレッポから後退させた。
主の年1176年の7月-ローランがエルサレムに到着する2ヵ月前- には、アレッポを包囲しようとしたダマスコ軍を陽動作戦でもってアンジャルで破っている。
ボードゥアンは幼少の時より才能豊かな少年で、その性格は朗らかで活発。
運動神経も良く、10歳の時すでに一人前に馬を乗りこなしたと言われる。頭の回転も素早く、記憶力も優れていて、受けた恩恵はいつまでも忘れないと評判だった。趣味がラテン文学で、歴史にはとりわけ関心があるというので、ローランもいつか機会があったら話したいと思っていたが、一介のテンプル騎士がエルサレム王と話す機会は無限にゼロに近かった。
ボードワン王の両横には、アンティオキア公ルノー・ドゥ・シャティヨン、テンプル騎士団のウード・ドゥ・サン・アマン団長などが控えている。
ルノー・ドゥ・シャティヨンは、ザンギー王朝のヌールッディーンによって、15年間アレッポに幽閉されていたのを身代金を払って解放されたばかりだった。彼も今回の戦いの指揮官の一人として参加するらしい。
ルノーは、第1回十字軍の派遣を呼びかけたウルバヌス2世教皇と同じシャティヨン家の出身という栄えある貴族家の出であり、ルノー自身、1147年の第2回十字軍に参加した経験をもっていた。
白く長いアゴ髭のウード団長の顔を見ていて、ローランはヴァランタンが先日話してくれたことを思い出していた。
8月にボードワン王は、巡礼のためにエルサレムを訪れた従弟のフランドル伯爵-フィリップ・ダルザス- と共同で、ビサンチン帝国と同盟を組んでエジプトを海から攻撃することを計画したが、フランドル伯爵は別の目的をもっていたためエジプト遠征計画は実現しなかった、とテンプル騎士団の幹部会の折りにウード団長は話したそうだ。
しかし、フランドル伯爵はエジプト遠征には関心を示さなかったが、シリア北部ハマーにあるサラセン要塞を攻略するために出陣したトリポリ伯爵レーモン3世の軍に加わることを決めた。
この遠征には多くの十字軍騎士、ホスピタラー騎士、テンプル騎士団が参加したため、エルサレム王国の防衛力は薄くなった。
エルサレム侵攻の機会を狙っていたサラーフ・アッ=ディーンは、エルサレム軍の主戦力がサラセン要塞へ向かったことを知ると、急いで兵を集め3万の兵でもってエルサレム王国へ侵攻した。
「サラーフ・アッ=ディーンは頭の切れる男だ。エルサレム王国の精鋭はシリア北方で戦っているのを知って、攻め込んで来たのさ!」
聖墓教会に集まった時、ヴァランタンはローランに小さな声で言った。
「よく我々の動きをサラーフ・アッ=ディーンは知っている者ですね?」
ローランが疑問を口にした。
「それはな、エルサレムにはかなりのムスリムの奴隷がいるだろう?そいつらが情報をのサラーフ・アッ=ディーンヤツにもたらしているのさ」
忌々しそうにヴァランタンは言ったのをローランは思い出していた。
「我々は、イエス様に縁の深いこの聖地を守るために、この戦いに勝たねばなりません!騎士の皆さん、兵の皆さん、私といっしょに戦ってくれますか!」
オオオオオオ―――――!
ボードワン王の呼びかけに、大ホールがどよめいた。
その後で、ボードワン王を先頭に騎士と兵たちは聖墓教会へ向かった。
聖墓教会で、オーヴェルニュ大司教の主導で戦いの勝利を神に祈った。
祈りが終わると、ボードワン王は、テンプル騎士団、ホスピタル騎士団、それに歩兵部隊を引き連れて聖墓教会からヤッファ門へ向かった。
馬に乗ってヴァランタンたちといっしょにヤッファ通りを進んでいたローランは、3歳になったマリー=フランソワーズを抱えたミレーヌをボードワン王の出陣を見送る市民たちの中に見つけた。
「パパ――っ、ケガしないで――っ!」
「ローラン、無事で帰って来て!」
ミレーヌとマリー=フランソワーズが叫んでいる。
「安心しろ、無事に帰って来るさ!」
ローランも手をふって笑って答える。
「モナムールっ、私をまた抱きたかったら無事で帰って来るのよーっ!」
「ウィラーム、捕虜になってもムスリムの女を抱いちゃダメよーっ!」
ミレーヌのそばにいるイリニとセシリアがとんでもないことを叫んでいる。
「パパーっ、アタシを抱きたかったら、ブジで帰ってくるのよーっ!ムグムグっ...」
「フラン、そんなこと言っちゃあダメ!」
ミレーヌが真っ赤になってフランの口を塞ぐが、周りの者たちが大笑いしている。
「おう、イリニ。シャッテを洗って待っていろよー!ワッハッハッハ」
ヴァランタンが大声で答えると、騎士たちも群衆も大笑いする。
「おうおう!ヴァランタンもイリニも熱いな!」
ギョームがからかう。
「“鉄は熱いうちに打て”と言うからな!」
「なんだぁ、そりゃあ?」
「女は若いうちにたっぷり楽しめって諺だ。おぼえておけ!」
ヴァランタンが自慢そうに言う。
「ほぅ。いいことを聞いた」
ギョームが感心している。
「おれは... セシリアだけだ...」
ボソッとウィラームが言ってセシリアの前を通り過ぎる。
歓声に送られて、ボードワン軍は王都エルサレムを後にした。
-∞-
ボードワン軍はヴェラクルースを奉じて行軍し、三日後アスカロン要塞に到着した。
アスカロン要塞が放った斥候の報告では、サラーフ・アッ=ディーン軍はすぐ近くまで来ていると言う。
そして、サラーフ・アッ=ディーン軍もやはりエルサレム軍の動向を監視していたようだ。
ボードワン軍がアスカロン要塞に入るのを待っていたかのように、大軍によって要塞は包囲されてしまった。
「クソっ、サラーフ・アッ=ディーンのヤツは、我々をここで足止めしている間にエルサレムを攻め落とすつもりだな!」
ルノー・ドゥ・シャティヨンが、要塞の塔から周りを包囲しているエジプト軍を見て忌々し気に言う。
「ざっと見たところ、2万5千はいますな!」
ウード団長が欠伸をしながら言う。
「何はともあれ、まず兵たちをゆっくり休めさせましょう。行軍疲れでいては、ロクに戦えませんからな。陛下も少しお休みください」
体調がすぐれないボードワン王に言うと、老齢のテンプル騎士団長は大きく腕をふり回しながら石段を降りて行った。
「このままでは、サラーフ・アッ=ディーンはわずか4千しか兵がいないエルサレム城へ何の支障もなく進撃してしまう!」
アンティオキア公が口から泡を飛ばしながら、ドン!とテーブルを叩く。
アスカロン要塞の頑丈な石で囲まれた地下の部屋で作戦会議が開かれていた。
「そうなれば、みすみすサラーフ・アッ=ディーン軍にエルサレム城を包囲されてしまう...」
ウード団長も沈鬱な表情だ。
「わが軍の戦力はいくらですか?」
「陛下、わが軍の戦力は、テンプル騎士80騎、ホスピタル騎士220騎、十字軍騎士155騎、それに歩兵が3千5百人です」
「...... このまま、ここに留まっていても何も起こりません。エルサレム王国は滅亡するだけです。打って出ましょう!」
「!」
「打って出る!」
アンティオキア公とウード団長がボードワン王の顔を見た。
周りにいた騎士団の幹部たちも、おたがいに顔を見合わせている。
「騎士団を先頭に、血路を開いてサラーフ・アッ=ディーンの後を追うのです!」
静かな口調でボードワン王は言った。
「血路を開くか。ふふふ、面白いですぞ、陛下!」
「よもや、サラーフ・アッ=ディーンも予想していないでしょうからな!それで行きましょう!」
アンティオキア公とウード団長が、立ち上がった。
アスカロン要塞を包囲していたエジプト兵たちは、油断しきっていた。
2万6千もの大軍に包囲されたエルサレム軍は、何も出来ないだろうと高をくくっていたのだ。
「わずか4、5千の戦力で何が出来る?」 誰でもそう思った。
テンプル騎士団の戦い
しかし、突如、アスカロン要塞の門が開かれた。
そして、騎士団を先頭にボードワン軍がエジプト軍の真っただ中に突入して来た!
慌てふためくエジプト兵を片っ端からランスで突き刺し、ランスで突き刺したあとは剣をふるって切り進んで行く。
「ローランっ、ウィラームっ、ギョームっ、王のそばから離れるなっ!」
ヴァランタンがエジプト兵の頭を切り飛ばしながら叫ぶ。
「ウィ、ムッシィエ!」
ガッシュ!
ローランは両手で持った剣で、エジプト弓兵の頭を鉄カスケごと断ち切った。
「何だ、その剣は? でっかいだけかと思ったら、すげえ威力あるじゃないか!」
ギョームも逃げ惑うエジプト兵の背中を切りながら驚いて鉄カスケを切ったローランの大きな剣を見ている。
「おれも同じの作る...」
ウィラームが、剣をエジプト兵の腹に突き刺しながらボソッと言う。
ローランが使っている剣は、エルサレムのフォルジェロン、ユーゴンに特注した、全長0.65トワーズ、重さ50マルクもある長剣だった。
ふつうの剣は、全長約0.50トワーズ、重さ約35マルクほどなのだから、いかにローランの剣が大きいかわかる。
ローランは、長剣のほかに予備にふつうのサイズの剣ももっていた。
ガッ!
ガッ!
エジプト弓兵の放った矢が、カスケに当たり、胸に当たるが、キュイラスを着けているので何も感じない。
ボードニアン王の前を走るヴァランタンやギョーム、ウィラームたちは、マイユを着けてはいるが、やはり矢の衝撃は痛いらしく、
「ムッツ!」
「イテっ!」
「クソ!」
とカスケの下でしかめっ面をしている。
キュイラスもユーゴンに作らせたものだ。
ローランが、騎士団本部に初めてキュイラスをもって行った時-
「そんなモン着けたら動きにくくて戦えんだろ!」
「馬の荷が増えるだけだ」
「装備が重くなる!」
騎士たちからの批判が続出したが...
実戦で、ローランの着眼が正しかったことが証明された。
「おれも同じの作る...」
ウィラームが、剣をエジプト兵の背中に突き刺しながらボソッと言った。
ボードワン王は、騎士団の怒涛のような突撃でエジプト軍の囲いを破り、サラーフ・アッ=ディーンの後を追った。
十字軍騎士などの防御装備は、カスケ、チェンメイル(作品の中ではフランス語発音にしたがってマイユと書いてある)と盾がメーンですが、チェンメイルの防御力についての解説は、日本のサイトで調べる限り、「矢は通す」「矢に対しては防御効果はない」とありますが、英語でサーチすると「矢の攻撃に対して非常に優れた防御力があった」「矢では傷つけることができない」とあります。
意見の分かれるところでもありますが、この作品では遠くからの矢攻撃はチェンメイルを突き通さなかったということにしています。皆さんも、ファンタジー小説を書く場合は、一度、海外の資料などをググって確認されることをお勧めします。