第11章 約束の地
その夜は、ウード団長、ウィラーム、 ギョームを招いて、ミレーヌがイリニ、セシリアといっしょに見つけて売買契約を住ませたエルサレムの新居で、ローランのテンプル騎士団入団祝いが行われた。
イリニはヴァランタンの現地妻で、セシリアはウィラームの妻だ。年が近いこともあって、三人はすぐに仲良しになった。
ミレーヌが買ったのは家具付きの二階家で、一階にリビングルーム、ダイニングルーム、キッチンがあり、二階には寝室が4つと物置があるという、ちょっと大きい感じの家だったが、改装してから間もないということでミレーヌが気にいって購入したのだった。
ローランはミレーヌが元の所有者-エルサレムの町に十数軒もの家を持っている金持ちだ-と契約をしたあとで見に行ったが、結構広いので気にいった。二階の物置は武具庫としてローランが使うことにした。
「なんだ、この家は!俺の家より大きくて立派じゃないか?」
家の前に来ると、開口一番、ヴァランタンは家を見上げると目を丸くして驚いた。
「フランスから客が来てもだいじょうぶなように、大きい家を買いなさいってミレーヌに言ったんですよ」
「現金で払ったら、4割もまけてくれたわ」
「ミレーヌは商売上手なのよ、ヴァランタン!」
「まあ、こんな美女に値切られたら、あのお爺ちゃん断り切れないわよね」
イリニとセシリアがミレーヌを褒める。
「いっそ、この町で商売でもやったらどうだ?」
「フランが手がかからなくなったら考えてもいいわ」
「ヴァランタンが、クジンがテンプル騎士団に入るためにフランスからやって来ると言って来た時...」
夕食のテーブルで葡萄酒のグラスを手にしたウード団長が話しはじめた。
「ヌーヴォ・ペチフィです、団長」
「うむ。どっちでもいいのじゃが。ヴァランタンでさえ、ウィラームと練習の時に避けることができないあの鋭い脇突きを避けただけでなく、瞬時にウィラームの金的に一撃を入れたのを見た時は... あれには、さすがの儂も目を見張ったぞ!」
「あれは痛かった...」
ウード団長の言葉にウィラームがボソッと葡萄酒で赤くなった顔で言うと
ガーッハッハッハ
ワッハッハッハ
きゃーはははは
キャハハハハ
みんな大笑いになった。
ローランの家間取り図
午後10時過ぎ-
ローランとミレーヌは、みんなを送り出してから、二階に上がり、寝室のバルコニーに出て満天の星空を見ていた。マリー=フランソワーズ は、すでに自分の部屋で熟睡中だ。
「ここが、フラン王女さまの部屋よ」とマモンから言われたマリー=フランソワーズは、飛び跳ねてよろこんだ。
マリー=フランソワーズは、ミレーヌから、「2歳になったんだから、パパとマモンの王女さまとして、一人で寝なきゃダメよ?」と言われておしゃまなマリー=フランソワーズは大よろこびしたが...
やはり、眠くなるとミレーヌに添い寝して欲しいと駄々をこねていっしょに眠ってやったのだが、まだ子どもなのでしかたがない。
ペガサス座
「あれが、ペガーゼね!」
「ああ。そして、あれがカシオペー、こちらがアンドロメーデだ」
「ヴェルソーもカプリコルネも見えるわ」
「グランウルスも見えるな」
ローランが、北の空を指差す。
「そして、トゥリアングルも見えるわ」
「ああ。上がヴェガー星で、右がアルタイール星...」
「そして左がデネーブね」
「よく知っているね」
「あら。だって、あなた『トレマイケの星座表の本』を旅行に持って来ていたから、私も読んでおぼえたのよ」
ローランは、司教の息子ということで、幼少の頃から両親に読書をほぼ義務づけされていた。
彼自身、興味心旺盛で、教会や父の書斎にある本を片っ端から読んで育った。
一方、ミレーヌも貿易商であった父と商人の娘であった母の影響もあって、読み書きがしっかりでき、本好きの娘として成長していたのだ。
トレミーの星座表
「ねえ、モナムール...」
「うん、どうしたんだい?」
「一つ訊いてみたいことがあったの」
「なんだい?」
「どうして、それほどエルサレムに関心があるの?」
日中はかなり暑いエルサレムも、夜になると結構涼しくなる。
夜風にシャタン・クレールの髪をなびかせながら、ミレーヌはブルー《青い》瞳でローランを見つめた。
旧約聖書
「それはね、エルサレムは『テール・プロミーズ』だからさ」
「『テール・プロミーズ』... 聖書に書いてあることね」
「うん。創世記に、“主はアブラムと契約を結んで言われた、「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで”とあるんだ。さらに、“わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。”とヤコブにもあたえられている」
「さすが司教さまの息子だけあって、よく知っているわね」
-∞-
ローランは、司教の息子に生まれたという理由もあって、4歳になったころから母親のマリー=エルミンから字を習いはじめた。性格的に好奇心が強かったこと、頭も良かったこともあり、ローランはすぐに読み書きを覚えた。
アルファベットはわずか23文字しなかいので覚えやすいということもあったのだが、字を読むことを覚えたローランには、教会の資料室はまさしく宝の山だった。そこには、代々の神父や司教が収集して来た古今東西の神学資料や聖書は、好奇心の強いローランを夢中にさせた。
とくに気にいったのが、挿絵入りの聖書だった。信者が気安く聖書を読めるように、聖書で記述されているシーンに合わせた挿絵が入っているのだが、カラフルな絵は幼かったローランの想像力をかき立てた。
-∞-
「さらに申命記には“主があなたたちの先祖に、彼らとその子孫に与えると誓われた土地、すなわち乳と蜜の流れる地で、あなたたちは長く生きることができる”とあるんだよ」
「ふうん... でも、“乳と蜜の流れる地”って言われても、あまりピンと来ないわね」
「はっはっは!そうだな。フランス人である我々には、“葡萄とミルクの流れる土地”と言った方が理解しやすそうだけど、このカナンの地と呼ばれる地域では、“乳と蜜の流れる地”って、「豊かな土地」、「潤った肥えた地」を意味するんだよ」
「つまり、安定した暮らしが出来る地ってことね?」
ミレーヌも、“乳と蜜の流れる地”という言葉にかなり興味をもったようだ。
「そう。ユダヤ人は、長いこと自国を持たない「流浪の民」だったからね。誰からも追い出されない、迫害されない安住の地と言うのが、彼らにとっての幸せな地、幸福に暮らせる国なんだよ」
「幸せな地、幸福に暮らせる国... わかりやすいわ。でも、せっかく苦労して手に入れたエルサレムも、今はユダヤ人の国ではないのね...」
「永遠の幸せというのは、手の平の上の砂と同じなのかも知れない。だけど、オレは十字軍やみんなが大へんな苦労をして手に入れた、キリスト様が教えを説き、受難され、そして復活されたこの聖地を守る務めの中に幸せがあると信じているんだ」
「うーん... 私には、モナムールのその考えはあまりよくわからないけど、ローランとフランといっしょに健康で暮らせる場所が“乳と蜜の流れる地”よ」
「たとえがうまいね!」
「あら、だって本当ですもの」
ミレーヌは潤んだようなブルー《青い》の瞳でローランを見た。
「じゃあ、ベッドで天国を見せてあげよう!」
そう言って、ローランはミレーヌを抱きかかえた。
「きゃっ!」
そのままベッドに行き、ミレーヌを降ろし、白いブリオー《ワンピース》を脱がすとベランダからの月明りでヴィーナスのような美しい体が現れた。
「ローラン、たくさん“乳”を頂戴。私は“蜜”をたくさんあげるわ!」
「よおし、覚悟をしろよ!」
「きゃっ!何をされるのかしら!」
ローランは素早くチュニックとブレーを脱いで、ミレーヌの上に覆いかぶさった。
.........
.........
.........
愛するミレーヌと、めくるめくような愛の時間を過ごしたあとで、ローランは天井を見ながら考えていた。
ミレーヌはとなりで満足した顔でスースー寝息を立てて寝ている。
そして、10歳の時に見た『申命記1:8~18』に述べられている“カナンの地”の夢を思い出した。
それは美しい場所だった。
緑豊かな平野、豊富な水... 子ども心にも、家畜や馬がよく育つだろうし、オーツ麦や大麦、エンドウ豆、レンズ豆などもたくさん収穫できるだろうと思った。
奇妙なことに、ローランはその“カナンの地”- そこが聖書に書いてある『約束の地』だと、彼はなぜかわかっていた- をまるで鳥のように好きなところに飛んで見ることができた。
野ウサギや鹿がいて、川にはさまざまな魚がたくさん泳いでいる。
平野には、野生のベリーやイチジク、ブドウの木があり、たわわに実がなっている。
オーツ麦や大麦、それにエンドウ豆やレンズ豆なども、ローランが想像した通り、陽の光に重そうな穂を光らせたり、はち切れんばかりの青々とした莢が下がっている。
(ローラン...)
どこからか、誰かがローランの名前を読んでいる。
「だれ?」
(ローラン あなたは、“乳と蜜の流れる地”へ行かなければなりません)
声の主は、名前を言わずに話しつづける。
「聖書に書いてあるカナンの地に?」
(そうです。“乳と蜜の流れる地”で、あなたは果たすべきことがあります)
「果たすべきこと?それはなんですか?」
(大きくなってたら、美しい女の人と子どもを連れて行くのです...)
「え?大きくなったら、美しい女の人と子どもを連れて行く?」
訊き返したが、名前を名乗らなかった者は、もう何も答えなかった。
「もし。もし、どなたですか?」
自分の声で目覚めた。
あまりにもリアルな夢だったのを今でも思い出す。
“カナンの地に行けば、自分がすることがわかる”。
そう思って、「美しい女の人と子ども」と正体不明の者が言ったのは、「妻」と「子ども」だと子どもなりに理解したのだった。
そして月日は流れ、「美しい女」ミレーヌと出逢い、結婚し、「子ども」マリー=フランソワーズ が生まれた。
それでカナンの地へ出発する条件はそろったと考え、家族を連れてエルサレムにやって来たのだ。
もちろん、そのことはミレーヌにも両親にも言ってない。
誰が信じるだろう?あの時以来、ほぼ毎年のように“乳と蜜の流れる地”の夢を見て、お告げのような声を聴くなど。誰でも頭がおかしいと思うだろう。
そう思って、誰にも口外しなかったのだ。
しかし、今、ローランは“乳と蜜の流れる地”にいる。
この地で果たさなければならない事とは何だろう?
乳と蜜の流れる地