第9章 再会
主の年 1176年9月23日。
エルサレム王国 ヤーフォの港。
9月のエルサレムは暑かった。
デイジョンの9月の気温より、確実に10度は高い。
アッコからは、馬車を雇ってエルサレムの町に向かう。
馬車はフランスあたりで使うような板製の箱状の車体ではなく、幌馬車だった。
エルサレム王国の地図
「すごく空気が乾いているな!」
「このあたりでは、6月から8月にかけては、雨は全然降らないんですよ。9月になったら、ちょっぴり降るんですが、今月はまだ降ってないんでさぁ!」
ローランが、雇った馬車の御者に話しかけると、男は驚いたことを言った。
「え?そんなに降らないのか?じゃあ、エルサレムの市民は井戸頼みの生活なのか?」
「よく水不足にならないものですね」
ミレーヌも目を丸くしている。
「それはね、エルサレムの町には、ギドロンの谷にあるギホンの泉から湧き出る水をトンネルで町の地下にあるでっかい貯水曹に引いて貯蔵しているからでさぁ!」
御者の男の話では、彼が聞いた話では、エルサレムの町の地下にはいくつかの巨大な貯水槽があり、大きさは長さ27トワーズに幅7トワーズで、深さも3トワーズあるそうだ。
「なんでも、昔、エルサレムを治めていたロワ・ジュイフが作らせたんだそうでさ。そのおかげで、エルサレムは敵から包囲されても長い期間耐えれるんだそうでさ!」
あらためて、デゼールのような黄土色の荒野の真っただ中に作られたエルサレムの町のすごさに驚くローランとミレーヌだった。
馬車はヤーフォの港から山や丘が続く街道を2泊3日かけて走って、エルサレム城の東にあるヤッファ門をくぐり抜け、王都エルサレムに入った。
エルサレム市街図
主の年 1176年9月28日。
ヴィレ・ドゥ・エルサレム 夕刻。
ヴァランタンは、突然ローランたちが家を訪ねて来たのですごく驚いた。
「おお、デュー!無事に来れたのか?あまり着くのが遅いから、俺はてっきり途中でくたばったんじゃないかと心配していたぞ?」
ガッシリとローランを抱きしめ喜んだ。
「私たちの娘、マリー=フランソワーズです。愛称はフランです」
ローランが愛娘をヴァランタンに紹介する。
「おお、ケベーレ・プチプウペー!」
マリー=フランソワーズを腕に抱いていたミレーヌもいっしょに抱きしめ、ミレーヌの頬にベーゼをして、それからマリー=フランソワーズにもベーゼをした。
「サセマーリャ!」
ヒゲ面を擦りつけられて、マリー=フランソワーズが顔をしかめて嫌がる。
「ワーッハッハ!俺のヒゲはパパのより強いからな!」
「ヴォヤージェ・ドゥ・ノースのつもりで、ここに来るまでのあちこちの町で宿泊して見物をして来たので、エルサレムに着くのが予定よりかなり遅れました」
「そんなところだろうと思っていた。ところで俺の愛しのヴェニュー、エルミンさまは元気だったか?」
「はい。大伯父さんのことをとても恋しがっていましたよ」
そう言いながら、ローランはヴァランタンの後ろで微笑んでいる若い女を見た。
黒い髪に黒い瞳。彫の深い顔だち。やや褐色の肌の美しい女だ。
バルカン半島南部あたりの出身かも知れない。
年の頃は二十歳前か。ミレーヌとあまり変わらないみたいだ。
水差し
「これはヴォロス生まれでな。テッサロニキの酒場で働いていたのを連れて来たんだ」
ローランの視線に気づいたヴァランタンが、後ろをふり返って言った。
「イリニです。よろしく!」
冷えた水を持って来た黒髪の女性がニッコリと笑って自己紹介をした。
「... マリー=エルミンさまは、どうするんですか?」
ミレーヌが水を飲みながら、ローランが訊けなかったことを訊いた。
「エルサレムに来いって手紙に書いて送ったんだけどな... モンバールから離れたくないって返事が返って来たよ」
肩をすくめて言ったが、あまり気にしてはないようだ。
「それで、ジャン・ポール・マリウスは元気に育っているかな?」
ジャン・ポール・マリウスは、ヴァランタンとマリー=エルミンの息子で、フランより1ヶ月早く生まれた男の子だ。つまり、ヴァランタンの跡継ぎだ。
「とても元気ですわ。ヤンチャで手がつけられないってマリー=エルミンさまが、いつもこぼしているくらいです」
「ったく... エルミンのヤツ、石女かと思っていたら、妊娠しているって手紙をもらってビックリしたよ!」
ローランとミレーヌが結婚した時、マリー=エルミンはすでに妊娠していたのをヴァランタンは知らなかったのだ。
「子どもが生まれるって知っていたら、エルサレムには来ませんでしたか?」
「う~ん... 難しい質問だな。だが、結局来ただろう。俺たちが聖地を守らなければ、誰が守ると言うんだ?」
「そうですね。オレたちが聖地を守らないと、ほかには頼れませんからね」
「おうおう!もう、テンプル騎士になったつもりなのか?」
「なりますよ。そのために来たんですから」
「ヘボ腕のヤツは入団試験でハネられるが... おまえ、ずっと鍛え続けているようだな?」
「旅の間でも、欠かさずに鍛錬を続けて来ましたよ」
ヴァランタンは、ローランのチュニックを盛り上げている筋肉を見て言った。
「この人ったら、マイユをつけて馬車から降りて、馬車といっしょに走るんですよ!呆れてものも言えませんでしたわ」
「ワーッハッハ!俺が教えてやった訓練法を続けているとはエラい!」
「パパ、毎日夜になったら、ひとりで木の剣をふるのよ。パパ、強いんだから!」
マリー=フランソワーズがローランに抱きついて自慢する。
「そうか。じゃあ、腕はなまってないようだな?」
「いろいろと訓練して来ましたから、なまってないと思います」
「そうか。じゃあ、今日はここでゆっくり休んで、明日の朝、テンプル騎士団の団長と話しに行こう」
ローランは敢えて言わなかったが、ヴァランタンがエルサレムに向かって旅立ってから、父親に話して腕のいい騎士を何人か師範として雇い、デイジョンで剣の修行を続けていたのだ。
それとともに、剣術の指南書を入手し、色々と研究をしていた。
剣術指南書「I.33」
夕食は、ヴァランタンのテンプル騎士団の友人ウィラームと彼の妻セシリアを招待して行われた。
ウィラームは、テンプル騎士団で隊長を務めるヴァランタンの副隊長格だそうだ。セシリアはクレルモンからエルサレムに家族といっしょに巡礼として来て、ウィラームと知り合い、結婚したのだと言う。
セシリアは早くもミレーヌと打ち解け合って、イリニといっしょに賑やかにおしゃべりをしているが、ウィラームは寡黙な男だった。
「ローラン、たぶん、明日の入団試験では、このウィラームとやることになる。この通り無口だが、すごく強いぞ?三本勝負で一本でも取れたら試験合格ってところだな!」
「わかりました。明日の試験は頑張ります」
「明日が... 楽しみだ」
楽しい夕食が終わり、ウィラームは引き上げる時にガッシリとローランを握手してボソッと言った。
セシリアは、ヴァランタン、イリニ、ローラン、そしてミレーヌの頬にベーゼをして別れを告げた後で、ウィラームの腕に自分の腕を絡ませて言った。
「モナムール、ローランに怪我をさせちゃダメよ?」
「......」
しかし、ウィラームは何も答えずに去って行った。
「大丈夫だ。心配することはない。試合はちゃんと防具を着けてやるし、剣も木剣だからな!」
少し心配そうな顔のミレーヌを見てヴァランタンが笑って言った。
その夜、ローランは裏庭で剣の練習をした。
ヴァランタンは、練習を見ていたが、最後までつき合わずに家に入ったが、かなり満足そうな顔をしていた。
それから水を浴びて汗を流し、着替えてから彼らにあたえられた部屋に行く。
マリー=フランソワーズは夕食後すぐに眠ってしまい、ミレーヌは本を読んでいた。
「ようやく終わったの?」
「ウィ」
「じゃあ、ベッドに入って」
「ウィ」
「あぅ あぅ...」
その時、あえぐような声が聴こえて来た。
となりの部屋のイリニの声だ。
ローランとミレーヌは、思わず顔を見合わせた。
そして、二人はベーゼをして抱き合った。
まだ暑い9月のエルサレムの夜―
街の一角に若いコゥプレたちの悦びの声が響いた。
いや、ヴァランタンはすでに30歳を超しているので、それほど若くはないのだが...