序章: カナン
序章はエルサレムの歴史です。作品に関係がありますので挿入しました。
興味のない方はスルーしてください。
第一部 カナンの地
申命記とモーゼ
Chapitre d'introduction カナン
◇ カナンは、神がイスラエルに与えると約束した土地である。
カナンと呼ばれる地域は、地中海とヨルダン川・死海に挟まれた地域一帯の古代の地名である。
聖書で「乳と蜜の流れる場所」と描写され、神がアブラハムの子孫に与えると約束した土地であることから、プロミス・ランド-約束の地-とも呼ばれる。
《申命記1:8~18の記述》
8. あなたたちは、わたしが今日命じるすべての戒めを守りなさい。
こうして、あなたたちは勇ましくなり、川を渡って、得ようとしている土地に首尾よく入り、それを得ることができる。
9. こうして、主があなたたちの先祖に、彼らとその子孫に与えると誓われた土地、すなわち乳と蜜の流れる土地で、あなたたちは長く生きることができる。
10. あなたが入って行って得ようとしている土地は、あなたたちが出て来たエジプトの土地とは違う。そこでは種を蒔くと、野菜畑のように、自分の足で水をやる必要があった。
11. あなたたちが渡って行って得ようとする土地は、山も谷もある土地で、天から降る雨で潤されている。
12. それは、あなたの神、主が御心にかけ、あなたの神、主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる土地である。
申命記(乳と蜜の流れる土地のラテン語記述)
◇ エルサレムの歴史は、激動と血で塗られた歴史だ。
◇ エルサレムの始まりは、紀元前30世紀にカナンのオルフェの丘に集落が作られたのが始まりとされる。
◇ 紀元前10世紀、ユダ王ダヴィデはイェブスを攻略した。イェブスは「ダヴィデの町」と改称され、ダヴィデ王は『神の箱』を安置してヘブライ王国が誕生した。エルサレムはユダ王国の都と定められ、エルサレム神殿が建設された。
◇ それから約300年間、エルサレムはユダ王国の都として繁栄したが、紀元前597年に新バビロニア王国のネブカドネザル2世によって滅ぼされ、神殿も都市も破壊されてしまった。
その後、キュロス2世のペルシャ帝国が新バビロニア王国を滅ぼし、エルサレムは再建され、エルサレム神殿も再建された。
◇ それ以降、エルサレムはアレクサンドロス帝国、次いでアレクサンドロス大王のディアドコイの一人、セレウコス王の支配下になった。紀元前140年頃にはユダヤ人がハスモン朝を建てて自立したものの、ローマ帝国の影響が次第に強まり、紀元前37年にはローマの宗主権のもと、ローマとの協調関係を重視したヘロデ大王によってヘロデ朝が創始され、ローマの支配下におかれた。ヘロデは第二神殿をほぼ完全に改築し、ヘロデ神殿と呼ばれる巨大な神殿を建設した。
◇ 紀元6年。ローマによってユダヤ属州が創設され、州都はカイサリアとなったが、エルサレムは宗教の中心として栄え続けた。
◇ 紀元30年。神の子・イエスキリストがエルサレムに入城され、属州総督ポンティウス・ピラトゥスによってゴルゴオの丘で処刑され、一週間後にご復活された。
◇ 紀元66年にユダヤ戦争が勃発。ユダヤ人はエルサレムに拠って抵抗したが、ローマ皇帝ティトゥスの率いる3つの軍団により、エルサレムは包囲された。ユダヤ人は6ヵ月間持ち堪えたが、とうとうエルサレムは陥落してしまった。
ティトゥス皇帝は、100万人以上のユダヤ人を殺し、エルサレムはファサエルスの塔、ヒッピクスの塔、マリアムネの塔とエルサレムの西を囲んでいた城壁(後の嘆きの壁)を残してすべて破壊された。
木々や庭園に囲まれた偉大な都市エルサレムの全てが破壊されつくされ、美しかった郊外も砂漠のようになってしまった
これ以後、それまでユダヤ人への配慮からカイサリアに置かれていたローマ軍団がエルサレムへと常駐するようになり、エルサレムにはユダヤ人が居住することは禁止となった。
◇ 紀元130年、ハドリアヌス皇帝はユダヤへ巡幸して、荒野と化したエルサレムを見て再建を決意した。しかし、再建なった都市の名がエルサレムではなく「アエリア・カピトリナ」となること、神殿跡地にユピテル神殿が建てられることが決まるとユダヤ人の怒りを呼び、第二次ユダヤ戦争が勃発した。
ユダヤ人による反乱計画-「バル・コクバの乱」と呼ばれる- は当初はうまく行き、各地でローマ軍の守備隊を打ち破り、ユダヤの支配権を奪還することに成功した。しかし、ハドリアヌス皇帝は勇将ユリウス・セウェルスを将軍とするローマ軍団をエルサレムに向かわせ、ユダヤ人の抵抗は激しくローマ軍は苦戦したが、セウェルスの見事な指揮で着々とユダヤ各地を再征服していき、ついに135年にエルサレムを陥落させた。
◇ 「バル・コクバの乱」後のユダヤ人の地位は一層厳しくなった。
ハドリアヌス皇帝は、ユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化にあると考え、その根絶を図った。
ユダヤ暦は廃止さられ、ユダヤ教指導者たちは捕らえられ殺害された。律法の書物は神殿の丘に廃棄され、埋められた。さらにエルサレムの名称を廃して「アエリア・カピトリナ」とし、ユダヤ人の立ち入りを禁じた。
ハドリアヌス帝は徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し、属州「ユダヤ」の名を廃して、属州「シリア・パレスティナ」とした。これはユダヤ人の敵対者ペリシテ人の名前からとったものだった。
◇ 紀元313年にはローマ帝国はミラノ勅令によってキリスト教を公認。
◇ 320年にはヘレナ皇后がキリストの足跡をたどるためにエルサレムへ巡礼を行ったことから、エルサレムはキリスト教の聖地となった。
そしてイエスさまが十字架にかけられた「ゴルゴタの丘」には聖墳墓教会が立てられた。
エルサレムはイエスさまにとっても重要な都市で、イエスさまもエルサレムで布教に励まれたと言う。このようにしてエルサレムはローマ帝国公認のキリスト教の聖地として生まれ変わった。
◇ 紀元638年、エルサレムはイスラム軍によって攻略され、イスラム勢力の支配下におかれた。
エルサレムは、イスラム教徒たちにとっては、予言者モハンマドが天使に導かれて連れてこられた町で、ムハンマドは、「聖なる岩」の上に手をついて、そこから天に上がったとされている、“神聖な場所”なのだ。
カリフ・アブドゥルマリクによって作られた「岩のドーム」もあり、エルサレムはイスラームにとって重要な聖地の一つとなっていた。
◇ しかし、エルサレムはユダヤ教徒にとっても重要な聖地である「聖なる岩」があるのだ。
「聖なる岩」は、ユダヤ人の祖先であるアブラハムが、神に一人息子を生贄にするように命じられ、アブラハムは悩んだ末に、丘の上の岩に息子を横たわらせ殺そうとしたところ、「お前の神への信仰心はわかったから、もう殺さなくて良い」という声が聞こえ、アブラハムは息子の代わりに羊を捧げたとされるところで、ユダヤ教はこの岩を「聖なる岩」とし、岩のある場所に神殿を建てた。
◇ この神殿は紀元70年にローマ帝国によって壊されたが、ユダヤ教徒たちにとってエルサレムは、聖なる都の滅亡と神殿の荒廃を嘆き、その回復と復興を祈る“聖地”となっているのだ。
◇ だが、キリスト教徒にとって、イスラームの予言者ムハンマドは“新たな契約を結んだイエスの後に、余計なものを付け加えた者”でしかない。そんな不埒な者の教えを信じるイスラーム教徒たちに、聖地エルサレムを意のままにさせ続けてはならないとキリスト教徒は常に考えていた。
◇ 1098年にファーティマ朝の第4代カリフ・ムイッズはエルサレムを征服した。
しかし、翌年の1099年には第一次十字軍の軍勢がエルサレムになだれ込み、38日間にわたる包囲の末これを陥落した。
城内に入った十字軍の兵士はエルサレム市民の虐殺を行い、イスラム教徒、ユダヤ教徒のみならず東方正教会や東方諸教会のキリスト教徒まで殺害した。
ユダヤ教徒はシナゴーグに集まったが、十字軍は入り口を塞ぎ火を放って焼き殺した。多くのイスラム教徒はソロモン王の神殿跡に逃れたが、十字軍の軍勢は執拗に虐殺を行いそのほとんどを殺害した。
十字軍の従軍記「ゲスタ・フランコルム」によると虐殺の結果、「血がひざの高さに達するほどになった」と書いている。
歴史を見ればわかるように、エルサレムの歴史は、血と殺戮と憎悪によって綴られて来たといっても過言ではない。
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エルサレムは、長さは4キロメートル、高さは12メートル、厚さは2.5メートルの強固な防壁に囲まれた都で、壁には34の監視塔があり、7つのメインゲートを備えた難攻不落の要塞都市だ。
エルサレム地図