#5
「こっちだ…こっちにおいで…。」
リアムの脳内に響く声。
それは低音でリアムの体の芯を揺らす。
森の中を歩くリアムは、右に左にと体を揺らしながら、声の導くままに進む。
「真実を教えよう…。」
頭の中で、声が話し掛けてくる。
「真実とは…?」
そのリアムの呟きに、脳内の声が答えた。
「お前は悪魔の子として、生まれた。」
「悪魔の…子…。」
「お前の腕に刻まれた痣がそれを示している。」
リアムは自分の腕をぎゅっと掴んだ。
そこにはヴィクトリアから愛された痣がある。
「これは…見せるものではないと…。」
しかし母は、エヴァは、そう言った。
だから、今まで誰にも見せずに生きてきた。
「それは誇り高き、我ら悪魔の印…恥じることはない。」
「しかし…。」
リアムにはエヴァの言葉が全てだった。
幼い頃から、母の様に強い剣士になりたいと願っていた。
その母の言葉は絶対だ。
それを15年間信じてきたのだ。
「お前が愛すべき母は、エヴァではない…。」
その言葉にリアムの足が止まる。
「エヴァはヴィクトリアに絶望を与えたいが為にお前をヴィクトリアから引き離した…お前は、エヴァの欲望を満たすための道具でしかない。」
「…道具…。」
「エヴァがお前に与えたものはなんだ?愛か?希望か?幼き頃から剣士として鍛えられ、強くなるように育てられたのではないか?…そして、実の母を殺すように命じられた…エヴァは、ヴィクトリアを憎むがあまり、お前を利用しているに過ぎない…。」
リアムの記憶に現れるのは、強くなる度に、喜ぶ母、エヴァの顔。
立派になった…。
ヴィクトリアの討伐を、あなたに命じます…。
「そうか…そうだったのか…。」
リアムははっきりとしない意識の中で、エヴァの顔を思い浮かべた。
浮かんでくるのは、リアムが強くなる度、喜ぶエヴァの顔。
そこに母の愛が見えない。
「さぁ、リアム、行こう。…次に討伐すべきは、母エヴァ…。」
頭の中の声が、何度も何度も繰り返す。
「討伐すべきは、母エヴァ…。」
そのフレーズは不思議な力となって、リアムを高揚させた。
「思い出せ…人間を斬った時の気持ち良さを…快感を…血の匂い…味…色…全てがお前を満たしたはずだ…。」
リアムの中に、ヴィクトリアを切り捨てた時の感覚が甦る。
「あれは…良かった…今まで感じたことのない気分だった…。」
リアムを導く声が、リアムを興奮させていく。
「それはお前が悪魔だからだ。悪魔にとって必要なものは、欲望だ。欲望の赴くままに、エヴァを斬るのだ…。」
「慾望の…ままに…。」
リアムはまた体を左右に揺らしながら、歩き始めた。
その表情は獲物を求める狩人の様に…。
間もなく夜が明ける。
エバーグリーンは静けさを取り戻しかけていた。
まだ遠くでは、剣を交える金属音が聞こえているが、ファルツ軍はその数を減らし、エバーグリーン軍の勝利は目に見えていた。
しかし戦いの傷跡は、至るところに残された。
町は焼かれ、建物は壊され、辺りには双方の兵士の亡骸が転がっている。
ただ一つ守られた物。
それはエバーグリーンの経済の源であり、亡き国王が愛した水源地。
その場所は戦いを知らない聖女のように清らかな姿で存在していた。
エヴァは城の前で、乱れた息を整える。
一体何人の兵士を斬っただろうか?
それすらも分からないまま、エヴァは剣を振るっていた。
夜明けが近い、その時まで。
突如として襲ってきたファルツ軍に対抗するため、エヴァは急いで指揮を取った。
息子のリアムとジャンが抜ける中、苦戦を強いられたが、城と水源地にファルツ軍の侵入を許さず、食い止めることに成功した。
それはエヴァがファルツ国の壊滅を計画していたのが功を奏したいた。
だからこそ、軍備はしっかりとなされ、奇襲に耐えうることが出来たのだ。
しかし、失くした物も多かった。
傷つけられた町を目の前に、エヴァは虚しさに襲われた。
(守れなかった物がこんなに。)
13歳で国王となったエヴァは強さに拘って生きてきた。
自分を守るため、愛する国を守るため、自分が、軍が強くならなくては何も守れない。
そう思い、自身の剣術を磨き、軍の強化に力を入れてきた。
その甲斐あって、様々な国や賊の奇襲から、エバーグリーンを守ってこれた。
「絶対に国内への侵入を阻む!」
その想いを胸に戦いを切り抜け、今まで一度もエバーグリーン内に戦闘を持ち込ませたことはなかった。
そのエバーグリーンにおいて今回初めて、犠牲を伴ってしまった。
それは強さに拘ってきたエヴァにとって、初めての敗北を意味していた。
(強くなるとは…何なのか…?)
守りきれなかった町を眺めながら、エヴァは自問していた。
「お母様。」
ふと、後ろからエヴァを呼ぶ愛しい声がした。
エヴァは思わず振り返る。
「リアム。」
そこには、血にまみれたリアムが微笑んでいた。
きっとヴィクトリアを打ったであろうリアムが目の前にいる。
エヴァの期待に、リアムは答えたのだ。
エヴァはリアムに駆け寄り、抱き締めた。
「良く無事で帰ってきてくれました。」
「お母様こそ、エバーグリーンを守ってくださいました。」
「いえ…私は、守れなかった…。こんなにも犠牲が…。」
エヴァは苦しい思いをリアムに吐露する。
「心が痛みますか?あなたでも。」
その言葉を放ったリアムから、エヴァは強い殺意を感じた。
本能的に、リアムから離れ、距離を取る。
(リアム?)
エヴァは戸惑いを隠せない。
「お母様。なぜ離れていくのです。僕はあなたの願い通り、ヴィクトリアを打ちました。この身に付いた血がその証拠。さぁ、僕をもう一度抱き締めて。そして、よくやったと、誉めて。」
そう言ってリアムは両手をエヴァに向けて広げた。
リアムの瞳は、幼子のように無垢に輝いていた。
しかし、その身からは恐ろしい程の殺意が放たれている。
エヴァは一歩、また一歩と後ずさる。
それは意識して行動しているのではない。
エヴァの中にある、剣士としての感がそうさせていた。
「お母様…。」
エヴァのその姿に、リアムは悲しそうな表情をする。
「なぜ、喜んでくださらない?あなたの望み通りにしたのに…なぜ…。」
悲しみを称えていたリアムの表情は、徐々に憎しみの表情へと変わっていく。
「あなたは誰?リアムではない!」
「僕はリアム。あなたの息子!」
言葉と同時にリアムがエヴァめがけて、飛び出した。
ガシャーン!!!
リアムの剣をエヴァの剣が捕らえた。
二人は剣を交えた状態で、互いの力で押し合う。
「あなたはうちひしがれた振りをして、まだ生きようとするのか!」
リアムのその叫びは、エヴァの心をえぐった。
エヴァとて、無意識に自分を守っていた。
自分に危機が訪れると、その身が反応してしまう。
例え相手が愛息であっても、その力を緩めることなど、エヴァには出来ない。
それくらい、強くなることに拘ってきたのだ。
「ねぇお母様。」
リアムが押し合う剣の向こうから、幼子のような声でエヴァを呼んだ。
その声にエヴァの中にあった母性が反応して、一瞬剣に込める力が緩んだ。
リアムはそれを見逃さず、剣でエヴァを押し返した。
エヴァはそのまま後ろ向きに倒れる。
地面に背中を付けてしまったエヴァに、リアムが剣を突き立てた。
グサッ!
リアムの剣が地面に突き刺さる音がする。
ギリギリのところでエヴァは身を転がし、リアムの剣から逃れていた。
そしてすぐに立ち上がり、再びリアムと距離を取った。
「よけちゃダメだよ、お母様。」
そう言いながらリアムは、エヴァに近付こうとする。
「ねぇ。僕と遊ぼうよ。昔みたいに剣を交えてさ。」
リアムは幼き日を懐かしむような目をした。
しかし、その目はすぐに血に飢えた獣の目になってこう言った。
「僕と遊ぼ。命がけでさ!」
リアムは笑いながら、エヴァに駆け寄ってくる。
その手に握られた剣が、エヴァに振り下ろされる。
しかしエヴァは持ち前の素早さで、リアムの剣をかわしていく。
「ほら。お母様も剣を振るって。楽しいね。命のやり取りはさ。」
リアムは子供のように無邪気に振る舞いながら、剣を向けてくる。
エヴァは、リアムから繰り出される剣筋を見極めながら、その剣を受けることしかできなかった。
リアムが豹変しても、エヴァにとっては愛しい我が子。
エヴァがリアムを育てる中で、リアムへの愛情は確かなものになった。
血の繋がりはなくても、リアムはエヴァの大切な息子なのだ。
「ほら!お母様も戦わないと、死んじゃうよ!そんなのつまらないよ!」
リアムの剣筋はだんだん速さを増していく。
そして押してくる力強さが、エヴァを追い詰めていく。
エヴァの表情は必死なものとなり、リアムの剣から逃れられなくなっていった。
「あははっ!楽しいね!お母様!フラフラだよ!ほら!」
リアムは子供のように無邪気な声を上げながら、エヴァを更に追い詰めた。
(なんなの!この力は!)
もう人間とは思えない力でリアムはエヴァの剣に自身の剣を当ててくる。
「はははっ!お母様!僕の力に飛ばされるよ!ほら!ほら!」
エヴァはもう、剣を自ら振るっていない。
剣を持っているのがやっとだった。
持っていないと、リアムの剣がエヴァの体に届いてしまう。
そして持っている剣の柄にリアムの剣がぶつかる度、エヴァの手は痺れていく。
「ほら!」
リアムが更に力を込めてエヴァに剣でぶつかってきた。
その衝撃の強さからエヴァの剣が手から離れ、宙を舞った。
そして地面に突き刺さる。
エヴァは丸腰になってしまった。
「もう、おしまいかな?お母様。」
そう言ってリアムは微笑んだ。
笑った顔は子供の頃と同じなのに、その面影はない。
今目の前にいるのは、命のやり取りを楽しむ子供。
「さようなら。」
リアムが笑顔で剣を振りかざす。
その剣がエヴァめがけて、振り下ろされた。
ガジャーン!!!
再び、剣と剣が交わる音が、エヴァの頭上から聞こえた。
エヴァは自分ではない誰かの剣によって救われていた。
その人物を見上げるが、朝日で良く見えない。
「邪魔しないでよ。」
リアムの拗ねた声。
「そこまでにしておけ。」
リアムの剣を止めてくれたであろう男の声。
「なんで?!」
リアムがただを捏ねる。
そんなリアムに男が答えた。
「もっと面白くしよう。ショータイムを開いて。」
男の言葉が合図の様に朝日に暗い雲が掛かり始めた。
そのお陰で、エヴァは男を見ることができた。
その姿を見た時、エヴァは戦慄した。
エヴァとリアムの間に立ち、リアムの剣を止めてくれた人物は、頬から首筋、鎖骨辺りまで広がる、黒く大きな痣を持っていた。
その痣は、不気味に笑う悪魔の様に見えた。
「…エトワール…。」
男の名を口にしたとたん、エヴァの意識は遠退いた。
目が覚めると、そこは暗く冷たい場所だった。
壁も天井も石に囲まれている。
目の前には鉄の柵が見えた。
自分の両手足を見ると、重くて冷たい錠がかけられている。
そのお陰で檻の中を自由に歩くことが出来ない。
エヴァは、地下の牢獄に入れられていた。
「お目覚めかい?エヴァ。」
その声はどこまでも優しく、おおらかだった。
エヴァが声のする方へ顔を向けると、その人物は柵の向こう側で微笑む。
いつもと変わらない笑顔でエヴァを見ている。
しかし何かが違う。
「あなたは誰?」
思わず質問してしまう。
それほど、今までとは明らかに違っていた。
「何を言っているんだい?私はお前の夫、エトワールだよ。」
そう答えたエトワールの顔半分は、悪魔の印に覆われている。
「どういうこと?」
「何がだい?」
「あなたの顔に痣などなかった。」
「そう、無かった。この痣は私の意のままに存在させることができるのだよ。」
「リアムと同じ痣…。」
「私達は親子だ。同じ悪魔の血をひいているのだよ。」
「リアムも…悪魔。そして、あなたも…。」
「そうだ。さすがエヴァだ。理解が早い。」
「あなたは、何がしたいの?」
「何がしたい?…そうだな…。」
エトワールは暫く考え、答えた。
「私は私の欲望の赴くままに生きている。今はこの国を私の思うがままにしたいと思っているよ。」
「エバーグリーンをどうするの?」
「ここには豊かな水源がある。それを塞き止めて、周辺各国を従えてみようか。水が欲しければ、私に従うしかなくなるだろう。」
エトワールは面白い遊びを思い付いたかのような言い方をする。
「そして、それぞれの国同士を戦わせてみようか?どの国が一番強いのか見てみるのもいい。」
「そんな事をすれば、世界は破滅するわ。」
「破滅?そうだな。それも面白いな。人間がいなくなる大地も見てみたい。」
エトワールは子供のように目を輝かせた。
その姿は、エヴァに笑いながら戦いを求めてきたリアムと同じだった。
「あなたたちは、どうしてしまったの?」
エヴァにとって愛する二人が、一晩で豹変してしまった。
その事実は受け入れがたいものだった。
「私はもうずっと、私の欲望の赴くままに生きてきたよ。リアムの存在もそうだ。私が望んだ。私以上に力のある悪魔を誕生させてみたくなったんだ。そんな時に、欲と醜い嫉妬にまみれた女を知った。それがヴィクトリアだ。そんな彼女なら、悪魔の集大成を誕生させることが出来る。そう思ったんだ。あれは頭が悪い。だから、私がこのままの姿で現れると、エトワールとは気づかなかった。だから、私はもう一人の男になり、ヴィクトリアにこう告げた。<お前を女王にする>とね。すると、ヴィクトリアは私の思うがままに動いた。あぁ、君の両親が邪魔だと言ったら、殺してくれもした。」
「お父様とお母様が何をしたと言うの!」
「この水源を独り占めして、経済力を持った。ファルツが一番の大国であったが、エバーグリーンの様に資源はない。そうすると、周りの国はどうすると思う?エバーグリーンに常に好かれようとする。それが許せないのだ。たかだか人間が収める国が、力ある悪魔の血をひく私の国よりも上にいるのだから。…しかし、国王をなくしたエバーグリーンはすぐに立ち直った。その源が君だと知ったときには、体が震える程、興奮したよ。そんな力のある子供がいるのかと。そこから私は君に興味を持ったんだ。」
エトワールは柵に手を掛けた。
「最初はすぐにでも殺そうと思った。しかし面白そうな話を聞いたんだ。君は、呪いの神だと。」
そう言ったエトワールの手は、強く柵を握っていた。
「まさか、サラが…。」
「君の両親を殺すために送り込んだサラが、ずっと、私に黙っていた。だが、君の両親が死んでサラも必要なくなった時、サラは自分の命を思うがあまり、君の秘密を教えたんだ。」
「サラが、心底恐れていたのは、あなただったのね。」
エヴァは、思い出した。
ファルツの城で、サラがスパイだと分かった時、エヴァの問いに「それだけは、ご勘弁を」と震え、何かをひどく恐れていた。
それが悪魔の痣を持つ、エトワールだった。
「私は呪いの神の力を見てみたくなった。だから、いろんな罠を仕掛けたのだ。しかし君はいつも、私の予想を越えてしまう。それが面白くて仕方なかったよ。」
エトワールは気持ち良さそうに息を吸った。
「国を襲わせれば、倒してしまうし、私が姿を消せば探しだそうとする。」
「あの無印の部隊は、あなたのさしがね?」
「試してみたかったんだよ。呪いの神が目覚めるのか。」
エトワールは目を開いて、興奮気味に語る。
そんなエトワールに、エヴァは怒りさえ覚える。
「賊に襲われたのも、谷底にいたのも、わざとだと言うの?!」
「私は役者になった気分だったよ。賊に襲われ傷付き、王妃に裏切られた哀れな国王を演じられて。」
エヴァは言葉を失った。
精神的にも傷付いていたあの時のエトワールは、演技だったなど、信じられなかった。
「私はそんなあなたに、心を寄せて…。」
エヴァは自分が情けなく思えて仕方なかった。
なぜ、エトワールの本性に気付けなかったのか。
「今回ファルツ軍が襲ってきたのも、あなたが仕向けたのね。」
もうそうとしか思えない。
エヴァの周りで起きる不可解な出来事には全てエトワールが関わっていると分かってしまったから。
所詮エトワールの手のひらで踊らされて、知らぬうちにエトワールを喜ばせていただけだった。
「そして私は気付いたのだ。君は存在そのものが呪いの神なのだ。君がいることで、悪魔の血が騒ぐ。君を追い詰めたくなる。私にそう思わせる君は真の呪いの神だよ。」
そう言いながらエトワールは大声で笑った。
その笑い声が、狭い牢獄に響き渡る。
「もう止めて!もういいわ!」
エヴァは、耳を塞ぐ。
しかし、エトワールの言葉は止まらなかった。
「私はもう十分楽しんだ。私を最後まで楽しませてくれた君に感謝して、とっておきのステージを用意したよ。」
エヴァは耳を塞ぐ手に力を込めるが、エトワールの声は容易に入ってきてしまう。
「数日後に、君の公開処刑を行う。それが君の人生最後の晴れ舞台だ。」
エヴァが処刑を告げられた日、牢獄にアビーが訪れた。
「エヴァ様。なんと言うお姿で。」
鎖に繋がれたエヴァを見るなり、アビーは狼狽し、両膝を地面につけた。
エヴァより高い位置にいるのが辛いのだ。
「アビー。私は平気よ。あなたはここに来て大丈夫なの?」
エヴァの気丈さに、アビーは涙を堪えながら答えた。
「今は真夜中でございます。監視の目を盗んで参りました。」
「危ないことはしないで。もうここに来てはなりません。相手は悪魔なのです。何を仕掛けてくるか。」
「分かっております。ただひとつだけ、エヴァ様にお伝えしたいことがございました。」
アビーはそう言うと、柵に近付き小声で言った。
「私の父、ジャンはリアム様に斬られました。隊も全滅させられております。」
「リアムが…。」
アビーは静に頷く。
「しかしジャンは生きております。助けられかくまわれております。」
「そう。」
ジャンの無事を知り、安堵の息が漏れる。
「ジャンは必ずエヴァ様を助け出して見せると申しております。ですので、どうか耐え抜いて欲しいと。」
ジャンの無事に安堵したエヴァだが、助けて欲しいとは思わなかった。
「アビー、ジャンに伝えて。あなたがエバーグリーンを背負って欲しいと。悪魔に耐えうるだけの力と戦力を集めなさい。今はそれだけを考えるようにと。」
エヴァは、ジャンに全てを託したいと思った。
自分の側にいつもいたジャンなら、エバーグリーンを救えるのだと確信していた。
「悪魔を甘く見てはいけません。あらゆる事象に目を凝らし、耳を澄まして真実を見抜かなくてはなりません。ジャンにはその力が備わっている。なにせ、呪いの神と言われた私についてきていたのだから。」
そう言ってエヴァは微笑んだ。
「お願い。私を救うことなど考えないで。もしも私を救おうとするならば、私はすぐに舌を噛みきる。」
「エヴァ様。」
真剣なエヴァの瞳。
エヴァが思うのはエバーグリーンの未来。
それがアビーの胸に響いていた。
「アビー、これは命令です。さぁ、行きなさい。ジャンの元へ。」
いつもと変わらぬエヴァの気迫にアビーは思わず、立ち上がりエヴァに敬礼をした。
そしてエヴァの思いを現実にしなければと強く感じていた。
アビーにより、もたらされたジャンの無事は、エヴァに希望を与えた。
(私がいなくても大丈夫。ジャンなら悪魔にも勝てる軍を作れる。そして、エバーグリーンを再建できる。)
自分が守れなかったエバーグリーンを託せる相手がいるだけでエヴァは幸せを感じられ、心穏やかでいられた。
そして、数日が過ぎた頃、エヴァは地下牢を出された。
ついにその日が訪れたのだ。
エヴァは、暗闇から出され、明るい日の元に晒された。
目に入る光が眩しすぎて、辺りが見えない。
しかし暫くすると目が慣れ始め、周囲を見ることができた。
エヴァは城の中にある、広場に出されていた。
目の前に階段があり、その上には大きな刃物を添えた、死刑台が用意されていた。
(これが私の晴れ舞台。)
エヴァは、クスリと笑った。
「どうした?エヴァ。君には少し大袈裟すぎたかな?」
微笑みを浮かべたエトワールがエヴァに近づきそう言った。
「いいえ。物足りない位よ。」
エヴァのその言葉に、悪魔の印をつけたエトワールが不機嫌そうな顔をした。
そして、エヴァの胸ぐらを掴んだ。
「どこまでも私をイラつかせる女だ。」
「あら。そうだったの?私の人生にチャチャを入れて、満足していたものだと思っていたわ。」
エヴァは、余裕のある微笑みを浮かべる。
そしてすぐに、真剣な眼差しをエトワールに向けた。
「あなたは所詮、悪魔。人間の本当の力がわかっていない。あなたはいつか、人間の手によって滅ぼされる。」
エヴァがそう言いきるとエトワールの平手がエヴァの頬を赤く傷付けた。
「今からお前に絶望を見せてやる。」
エトワールはそう告げ、エヴァを引っ張り階段を登っていった。
階段を登りきると、死刑台を見上げるエバーグリーンの民衆の姿が見えた。
その民衆に向かって、エトワールが演説を始めた。
「民よ。とうとう、この時が来た!このエバーグリーンに住み着いていた疫病神を成敗する日が!」
するとエトワールの声に答えるように、民衆の賛同の声が響き渡った。
「数日前に起きた突然の戦闘。それは、国王であったエヴァが、引き寄せた。今一度思い起こして欲しい。エヴァが国王になってからと言うもの、戦闘行為が増えていたのではないか。そして、もともと安全であったこの国において、エヴァは軍を強化した。なぜか!それは、エヴァが戦いを求めているからだ。もしこれが前国王であれば、このような事は起きていないはず。エバーグリーンが傷つけられた原因はエヴァにある!よって、今日この時に、エヴァの処刑を執り行う!」
エトワールの演説に民衆が拳を上げ、声を上げ、賛同する。
その様子はエヴァには耐え難かった。
自身が愛してきた国民たちが、みなエヴァに牙を剥いている。
しかしその事に反論する気にはなれなかった。
それは、エバーグリーンを守れなかった事実があるから。
国を守れない国王は国王ではない。
エヴァはそう思うのだ。
(ジャン、アビー、ヘンリー、あとは頼みます。)
エヴァは心の中でそう唱え、死刑台に自身の首を捧げた。
エヴァのその姿に民衆が歓喜の声を上げるのが分かった。
(国民よ。今まで私についてきてくれて、ありがとう。
)
エヴァは最後に力一杯叫んだ。
「エバーグリーンに!栄光あれ!」
その言葉を最後にエヴァの人生は終わった。
命が燃え尽きる瞬間、エヴァは不思議な体験をしていた。
白い世界にエヴァがフワフワと浮いている。
「エヴァ。」
懐かしいその声にエヴァは、答えた。
「叶恵」
二人は手を取り合い、見つめあった。
「前にもこんなことがあったわね。」
エヴァが微笑む。
「そうね。あなたと私が初めて会話をした日。」
叶恵も笑顔で返す。
「叶恵、私はあなたがずっと気掛かりだった。なぜ急に姿を見せなくなったの?」
そのエヴァの問いに、叶え恵は瞳を曇らせた。
「ごめんなさい。私の思いは悪魔により封印されていたの。」
「エトワールに?」
叶恵は頷く。
「私もエトワールには騙されていた。まさかあなたをおとしめる悪魔だったなんて。」
「仕方がないわ。私も気付けなかった。」
「ねぇ、エヴァ。」
叶恵が強くエヴァの手を握る。
「私と一緒に願いましょう。」
「願う?」
「私はあなたに辛い思いをさせてきた。だから、次の人生では幸せになって欲しいの。あなたは、どんな人生を希望する?」
そう言われ、エヴァは考えてみた。
自分にとっての幸せとは何か。
「私は、私の人生を歩みたい。辛いことも悲しい事も、乗り越えて見せるから。誰にも定められていない、私の人生を。」
それは、呪いの神として定められた人生を歩んできたエヴァの思いと、弱い心から、障害を乗り越えるだけの力を持てなかった叶恵の人生をやり直したいと願ったエヴァの思い。
エヴァは叶恵を抱き締めた。
「叶恵。あなたも一緒に…。」
エヴァが続きを言い掛けた時、二人を眩しい光が包んだ。
2045年、東京のとある大学病院に、一人の少女が入院していた。
彼女は幼い頃から心臓病を患い、入院していたのだが、ある腕のある医師によりその命を助けられた。
「先生。私もう退院出来るの?」
「あぁ、大丈夫だよ。」
すると、少女は瞳を輝かせた。
「でも、僕は少し寂しいな。」
「え?」
「だって、君の不思議な夢の話が聞けなくなるだもん。」
「あっ!今朝も見たわ。」
「どんな夢だった?」
「私は強い剣士で、もう一人の私と話をするの。」
「どんな話?」
「それがね、ちょっと難しくてね。…あなたはどんな人生を歩みたいって二人で話をしてるのよ。」
「それはすごいね。哲学的だ。」
少女の夢の話について二人で話をしていると、少女の家族が挨拶に訪れた。
「先生、本当にありがとうございました。先生のような腕のいいお医者様がいらっしゃるなんて、ほんとうに奇跡です。」
少女の母親は、深く礼をする。
「いえ。そんな事はありません。りこちゃんがよく頑張ったんです。」
そう言って医師は微笑んだ。
その姿を見ていたりこが医師に言った。
「先生の笑った顔、私の夢の中に出てくる叶恵って人に似てるわ。」
「叶恵?」
医師は、その名前に驚いていた。
なぜなら、その名前は医師の生みの親の女性と同じ名前だったから…。
おわり。
なかなか更新出来ないなか、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。