2
2
僕は壊れている、きっと壊れている。
そう、血の繋がらない姉さんに恋をした時から。
きっとそれは幼い頃に両親を亡くして、別の家族に引き取られて、初めて出会った時からだった。
「初めまして、これからよろしくね!」
僕よりも七歳ほど年上だったその女の子は、屈託なく僕に微笑み掛ける。
桜の舞い散る春風の中で、微かに揺れる髪を押さえながら。
その笑顔が、その仕草が、僕には眩しくて大人びて見えた。
姉さんは、新しく家族になった僕にいつでも優しかった。
普段から明るくて、誰にでも優しくて。その癖、変な所でおっちょこちょいで。
洗濯物を干す時なんかはエプロン姿で、舌足らずな声で歌を口ずさんだりもする。
古いギタ―の音色のレトロな曲、『ゆるやかな風』を――
ぼくは、ここにいる。
ぼくらは、ここにいる。
ゆるやかな風の中を、歩き続けているよ。
――と続いていく歌詞を。
そんな彼女が、時を経て女の子から女性になるのを間近くで見続けてきた。
緩やかな曲線を描くようになった柔らかな体つきや、髪をかき上げたりする時の一瞬の仕草。
それは僕の幼かった恋心を、異性を求めるものにするには十分過ぎた。
いや、そんなものでは足りなかった。
僕は姉さんの全てが欲しかった。
彼女を誰の手も届かない場所に閉じ込めて、僕だけのものにして、その笑顔を僕の他には向けさせないようにしてしまいたかった程だった。
それはとても〝家族〟に向けてもいいような感情ではなかった。
だから、その想いを僕は押し隠す事にした。
自分の心を絞め殺すように。
姉さんに、男が出来た時だってそうだ。
自分の心を必死に殺した、鋭い刃物でメッタ刺しにするように。
そうしなければ、僕は狂っていただろう。
姉さんが他の誰かのものになってしまう事なんて、酷い悪夢でしかなかった。
それでも僕は男の事を、仄かに頬を染めて話す姉さんを祝福して笑った。
それなのに……それなのに!
姉さんは死んでしまった。大学生になって初めて付き合い始めた男に殺されて。
男は元々、姉さんの他にも何人もの女と付き合っているようなヤツだった。
何故、そんな男が姉さんを殺したのか?
裁判で男は言った、姉さんが鬱陶しかったと。自分の浮気を知りながらも、変わらず自分に笑い掛けようとする姉さんが堪らなく鬱陶しかったと。
その答えを聞いて――僕は男を刺した。
隠し持っていたナイフで。
誰かが僕を力づくで押さえ付けるまで、何度も何度も刺し続けた。止めてくれと、懇願する男の声を聞きながら。
血、血、血――赤い血がはらり、はらり。
突き立てた刃が肉を裂いて流れる。
それを見て、更に深く突き立てる。
足らない。まだまだ足りない。もっと。もっと。
本当はもっと早くこうしたかった。姉さんと付き合い始めたその日から。
この男は僕の大切な人を奪った、永久に。心だけでなく、その命さえ。
僕は歓喜に震えて嗤って、泣きながら刺し続けた。
……携帯のアラ―ム音が聞こえた。
目を開けると、アパ―トの自室の天井が目に入った。もう、朝かと思う。眠気と倦怠感を覚える。見ていた夢の内容が良くなかったのだ。姉さんの事と、あの男を刺した時の夢。
「もう一年になるのか……」
ベッドの上で独りごちに呟く。
姉さんが死んでから一年。僕は実家を出て、一人暮らしをしている。一人で暮らすと言い出した時、両親は何も言わなかった。いやむしろ、両親としては安堵したのかもしれない。情状酌量されたとはいえ、殺人未遂を犯した血の繋がらない息子が傍からいなくなるのだから。
ふと、視界が曇った。目蓋に手をやると濡れた。
ああ、そうか。僕は泣いていたのか。
「姉さん…どうして……」
呟いた言葉は、微かな音になって消える。
この想いは、もうどこにも届かない。
ただ、ただ『ゆるやかな風』を口ずさんだ。