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ひつじ彼女  作者: 白河律
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 「はじめまして……美浜(みはま)ひつじと言います。これから…その、よろしくお願いします……!」

 担任の先生に紹介された後で〝彼女〟は、黒板にチョークで可愛らしい文字で自分の名前を書いた。それから初々しく、少し仰々しく頭を下げた。

 新しいクラスメイトに男子がどよめく。可愛いとか、胸が大きいとか、うんぬん。女子からは男子最低とか、呆れた声が出た。


 その一方で僕は――自分の目を疑っていた。

 いや、目から入ってきた情報を処理するのは脳だった思う。それならば疑うべきは眼球の精度では無く、自分の脳の壊れ具合だろうか?


 何故なら、僕には〝彼女〟が羊に――そう、モコモコの白い毛に覆われた羊に見えていたからだ。


 それでも〝彼女〟と認識したのは、その仕草や黒板に書かれた可愛らしい文字、それから周囲の反応を総合して考えた結果だった。後、耳の傍の傍に結われた緑のリボンも決め手である。

 ひつじという名前の彼女が、先生に促されて空いている席に着く。

 モコモコとした毛を揺らして歩いて、四つん這いで器用に椅子に座る。

 その席は、僕の隣だった。

 驚きの余り凝視していた為か、彼女と目が合った。

 「よろしくお願いします……!」

 「あ……うん、よろしくね。僕は時雨っていうから……」

 ただただ僕は茫然と頭を下げて、挨拶を返した。

 これが僕、時雨良夜(しぐれりょうや)と彼女の出会いだった。


 季節は春。

 学校の教室から見える桜並木から、その花びらが散り始める頃だった。


     ◇


 お昼休み。

 僕はひとり屋上で、購買で買った焼きそばパンを頬張っていた。

 他には誰もいない。それは春とはいえ、まだ肌寒く感じる風が吹いているせいか。その風が校庭の桜の木の花を散らすのを眺める。

 その様がふと、血が流れるようにも見えた。



 血、血、血――赤い血がはらり、はらり。

 突き立てた刃が肉を裂いて流れる。

 それを見て、更に深く突き立てる。

 足らない。まだまだ足りない。もっと。もっと。

 一年前の事を思い出す。

 僕の大切な姉さんを殺したヤツを刺した時の事を。



 クツクツと嗤う。その時の手の感触を思い出して。

 その時、屋上のドアが開く音を聞いた。ドアの方を見ると、そこには白い毛に覆われた羊――もとい、転校生の美浜ひつじさんがいた。

 「あの……お邪魔してもいいですか?」

 美浜さんが体を覆う毛から飛び出ている右足を持ち上げる。そこにはコンビニ袋が下げられていた。

 僕が頷くと彼女は少し離れた所で、四つん這いの姿勢で袋の中から取り出したメロンパンをお祈りの言葉を口にしてから食べ始めた。


 「――世界の平和と、日々の糧に感謝します」


 羊ってメロンパンを食べれるんだ。そんな酷く呑気な感想を抱きながら、彼女がパンを食べる姿を眺める。

 「……おひとりなんですか?」

 僕の視線に気が付いたのか、彼女が僕にそう尋ねてきた。

 「美浜さんこそ、ひとりなんだね。クラスの女の子達が声を掛けていたのに」

 「ええ、まあ……」

 答えづらいのか、美浜さんが曖昧な返事を返した。メロンパンを急ぎ食べ終えてから、僕の方に寄ってくると彼女はこう言った。


 「ひとつ……可笑しな事を聞いてもいいですか?その……時雨さんには、もしかして私が羊に見えていませんか?」


 「そんな事はないよ。現実的に考えて、人間が手触りの良さそうでモコモコの柔らかそうな白い毛に覆われた羊に、見える訳がないじゃないか!」

 午前中の授業を通して自分の眼球と脳の信頼性を試し続けた僕は、爽やかに笑って言い放った。

 「やっぱり見えているんですね……ひとりだけ私をずっと不思議そうな目で見ていたので、気になっていたんですが……」

 どうやら眼球と脳の精度は、実は問題なかったらしい。

 いや、本当か?だとしたら、何故――


 「――君は本当は羊なんだね、他のひとにはそうは見えないけれど。良かった、僕は自分のドコカが壊れてしまったかと思ったよ。でも、どうして君は羊の姿に?」


 どうして僕にだけそう見えているのかとか、君は本当は女の子なのか羊なのかとか、色々と不可解な事はあったが、それらをすっ飛ばして取り合えずその事を聞いてみた。


 「それは……その、答えられません」


 彼女は俯いてそう答えた。

 不可思議な彼女には彼女なりに色々とあるらしい。

 「それなら仕方ないね。でも、ひとつだけ確認してもいいかな?」

 「何ですか?」

 「君が本当に羊なのか、触れて確かめてみてもいいかな?」

 「うええええ――⁉」

 美浜さんが素っ頓狂な声を上げた。

 「ダメかな?」

 「それはその……私も一応、女の子ですし……」

 美浜さんが顔を染めて、もじもじと体を落ち着きなく揺する。

 そう言われて気が付く。羊が女の子なのか、女の子が羊なのかは分からないけれど彼女も女の子。些か無神経だっただろうか。

 「無理にとは言わないよ」

 「いえ、私。恥ずかしいけれど頑張ります!時雨さんは、初めて本当の姿に気付いてくれた人ですし……!」

 拳を握って、美浜さんが変な気合を見せた。

 「では……」

 「はい……お願いします!」

 彼女が僕の手が届くほど傍に寄った後で、僕は彼女に触れることにした。

 モコモコの毛の羊。角の生えていない羊。つぶらな瞳をした愛くるしい羊。触れるなら、背中か喉の下か。それとも意表を突いて脇腹か。さて、どこに触るか?

 そこで気が付いた。彼女って他の人から見れば、女の子に見えている筈。

 つまりもし迂闊な所に触ってしまったら、あるいはそんな所を誰かに見られたら。それこそクラスの男子曰く、ふくよからしいおっぱいに触っている所なんて見られたら。

 高校に入学してから、ひとりでご飯を食べるぐらいには友達がいない僕だが、きっと社会的に抹殺されるに違いない、主に女の子達から。それは困る。

 よくよく考えて、異性に触れられる恥ずかしさに体を震わせている美浜さんの頬の辺りに触れる事にした。この辺りなら女の子の体だとしても、顔の辺りという事で間違いはないだろう。

手を伸ばして触れてみると、見かけ通りの手触りのいいモコモコの毛の感触がした。

 「ふあ……」

 耳の傍の傍に結われた緑のリボンの下の辺りに触れて、撫で続けると美浜さんが心地良さそうな声を出した。そのまま調子にのって首筋から肩口の方まで手を滑らしていくと、うっとりとした表情で目を閉じて、これまで以上に気持ち良さそうに体を揺らす。

 ところが突然、ハッとなって慌てた声を出した。その顔はリンゴのように真っ赤だ。

 「すとっぷ、すとっぷです!これ以上は胸の方に……じゃなくて乙女の秘密の領域です!領海侵犯です!領空侵犯です!」

 なんの事やらと思いつつ手を引っ込めた。取り合えず、僕から見えている通り彼女は羊の体だった。

 「これで…私が羊だって事……分かってもらえましたか?」

 僕は頷く。

 「その……ふつつか者の羊ですがこれからよろしくお願いします、時雨さん」

 丁寧に頭を下げて、僕から離れるとコンビニ袋を拾い、そのまま前足でどうやってか屋上の扉を開けて言った。

 「よろしくね」

 朝の自己紹介の時のように返事を返した。

 去り際に、羊の彼女は僕にこう言った。


 「……私が羊に見えるって事は時雨さんは、きっとドコカが壊れていると思います。もう、コワレテしまった私と同じように。そういう事らしいです」


 会釈をして彼女は去った。

 その言葉を僕は静かに受け入れていた。

 屋上の床に仰向けになると、青い空を見上げてクツクツと嗤った。

 知っている。そんな事はとっくの昔に知っていた。

 ふと、歌が歌いたくなって口ずさむ。

 『ゆるやかな風』だ。


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