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なゆちの関与

「みなとの言うとおりだったね」


 なぜかなゆちは満面の笑顔だった。


 このとき、この笑顔の意味に気付けていれば、「悲劇」は防げたかもしれないのだが、湊人は「いつものあたおかなゆち」と捉え、スルーしてしまった。もしもこのときのなゆちの頭の中を覗ければ、湊人は、そのあたおかさが「いつも」以上で、決して看過してはならないものだったことを知れたのに。




 2人は今、下手すると1人用なのではないかというサイズのソファに腰掛けていた。

 狭いスペースの中、湊人は、精一杯紳士であろうと、なるべくなゆちと距離を取るために端の方で縮こまっていた。しかし、なゆちは意識していないのか、むしろ逆に意識をしてやっているのか、湊人に密着して座っていた。なゆちの、おそらく他の女の子よりも柔らかいであろう感触が、湊人の左腕から、直接的に脳を熱し、心臓の鼓動を速めた。



 ここは南池袋のとある一軒家である。


 いつの間に、なゆちと湊人が繋がり、恋人となり、同棲にまで至ったのか、と、この小説の急展開に目を回している読者の方もいるかもしれないが、安心して欲しい。ラーメン屋で話してからまだ1週間も経っていないし、別に1年経とうが2年経とうが、なゆちと湊人の関係はアイドルとヲタクとの関係のままだと思う(ただし、作者はそのあたりの展開に関しては現段階で何も考えていない)。



 では、なぜ2人はこのようなシチュエーションに置かれているのか。


 実は、これは個別撮影会という歴としたイベントなのである。


 ただし、湊人はカメラに興味がないし、なゆちも被写体となることに興味がない。ゆえに「撮影会」というのは有名無実で、実際にはただのお話し会になっている。撮影スタジオも今回の場所のように民家を改装しただけのスタジオが多い。ゆえに、なゆちの撮影会は実質「1時間のおうちデート」なのである。



「みなと、名推理だったね!!」


「本当は外れて欲しかったんだけど……」


 昨夜、「イマックスさん」こと今泉岳志いまいずみたけしが、都内の警察署に自首し、逮捕された。

 屋上からいつきを突き落とし、殺害した容疑である。

 


 そのさらに2日前、ライブ後の並行物販で、湊人は、なゆちに耳打ちしていた。「いつきを殺したのはイマックスさんだ」と。


 ポカンとした表情のなゆちに、湊人は、「詳細は撮影会で話すね」と伝えた。



 その撮影会が今日ということになる。



「みなと、約束どおり説明してよ」


「どうしてイマックスさんが犯人か分かったか、を?」


「ううん。それだけじゃない。全部。だって、一緒にいつきの死の真相を突き止めてくれるって約束したでしょ?」


「そうだったね」


 約束というか、強制に近いものではあったが。


 犯人が湊人のヲタ友であったため、正直、積極的に推理をひけらかすような気持ちにはなれなかった。

 とはいえ、すべてを話すまではなゆちに帰らせてもらえず、1時間1万円の撮影料金が無限にかさんでいくこととなりかねない。


 そこで、湊人は意を決し、事件の真相を包み隠さずに明かした。


——明かしてしまったのである。



 湊人はまず、ひなに披露した推理、そして、ひなと話した内容についてなゆちに説明した。ライブでのいつきの楽曲の再生速度が1.3倍となっていたことについては、対バンでよく共演しているなゆちも全く気付いていなかったようだった。なゆちは驚き、「どおりでいつきは楽屋での支度も早いわけだ!!」などと、的外れなことを言っていた。



「ただ、なゆち、僕には1つ大きな疑問があるんだ」


「何?」


「いつきが死んだ日、いつきの次の出番はなゆちだったでしょ? いつきの出番が19時00〜19時40分で、なゆちの出番が19時40分〜20時20分だったはず」


「そうだけど」


「いつきが1.3倍速でライブを行ってたんだから、実際にはいつきのステージは19時30分頃に終わってるはずなんだ」


「そういうことだね」


「なゆちがそのことに気付かないのはおかしくないか?」


「え?」


「だって、いつきのライブとなゆちのライブとの間に、本来ならばあるはずのない10分間の空白の時間が生じるわけだからさ」


 なゆちは、神妙な面持ちで、「うーん」と唸る。



「まさか、なゆちはその空白の10分間に気付かないまま、自分の出番よりも10分早い19時30分頃からステージに上がったわけではないよね?」


「……そのまさかだね」


 湊人はなゆちの天然ぶりに呆れてため息をついたが、なゆちにはなゆちなりの言い分があった。



「だって、その日、舞台袖の私は、トトロのことで頭がいっぱいだったんだもん」


「……トトロ??」



 なゆちが、お馴染みのあのメロディーを口ずさむ。



「みなと、この曲は知ってるでしょ?」


「もちろん」


 この国に生まれて、この名曲を知らない人はおそらくいない。



「みなとは大遅刻をしてた知らないんだけど、私はあの日、鍵盤ハーモニカで『となりのトトロ』を演奏したの」


 湊人は、雑居ビルの前にいたなゆちの格好を思い出す。自分の名前が書かれたワッペンを貼った体操着に、ブルマ。そして、たしかに脇には鍵盤ハーモニカを抱えていた。



「まさか、ステージ上で、あの格好でそんなことをしてたの?」


「うん。そのまさか」


「……どうして?」


「だって、普段のライブの時間って大体20分とか30分とかだから。その日は持ち時間が40分もあったでしょ? 私、40分ももらっても何をしていいか分からなくて」


 なゆちの思考回路は、複雑に絡み合っているのか、そもそも最初からプツンと切れてしまっているのかよく分からない。

 いや、おそらく後者だ。30分だろうが40分だろうが、ライブはライブであり、決してお遊戯会ではないはずだ。体操着で「となりのトトロ」というのは、一体どこに需要があるのか。もしかしたらそういう小児愛者マニアもいるかもしれないが、湊人には決して理解のできる世界ではなかった。



「それで、普段とは違う慣れないことをするから、極度に緊張してて、出番前に時計を一切確認してなかったってこと?」


「そういうこと! さすがみなとは私のことがよく分かってるね!」


 なゆちは腕を上げ、手のひらを差し出してきたが、湊人はハイタッチには応じなかった。



「なるほど……。となると、もう1つの疑問も解けるわけだ」


「どういう疑問?」


「なぜ、警察に対して、いつきのライブが予定よりも早く終わったことを申告したヲタクがいなかったか、だよ。なゆちはともかく、フロアの中にはいつきのライブが10分早く終わったことに気付いたヲタクがいると思っていたんだけど、なゆちのせいで、そういうヲタクはあまりいなかったんだ」


「私のせい?」


「そうだよ。考えてみてよ。いつきのライブが終わるや否や、短いブルマを履いた体操着姿の女の子が突然ステージに現れて、いきなり鍵盤ハーモニカで『となりのトトロ』を演奏し出す。いくら自由度の高い地下のライブハウスだからといって、こんな奇妙な光景は滅多に見られない。フロアのヲタクは、皆ステージに釘付けになって、時計を確認するどころじゃないだろね」


 なお、厳密に言えば、ヲタクの中にはいつきのライブが早く終わったことに気付いた人もいたかもしれない。ただ、少なくとも警察にはそのような証言は届かなかったようだ。警察の捜査の主眼は「誰が殺したか」であるため、いつきの死んだタイミングについてはそれほど真剣に捜査されていなかった可能性が高い。



「たしかに。あのときの私は史上最高級にフロアの視線を集められてた気がする!!」

 

「ただし、すべて冷ややかな視線」


 「踊る飛び降り死体」の謎には、我が推しメンもしっかりと関わっていたのだ。

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