犯人は現場に戻る
犯罪捜査の世界には、「犯人は現場に戻る」という格言がある。
湊人は、犯人になったことがないので、この心理はイマイチよく分からない。現場に戻ったら逮捕される可能性が高くなるから、冷静に考えたら、現場に戻らない方が良いに決まっている。
しかし、犯人には、犯人にしか分からない気持ちや事情があるのだろう。
ラーメン屋での振りコピによって、湊人は、なぜいつきはステージで踊りながらも屋上にいることができたのか、という謎を解き明かすことができた。
しかし、まだ、いつきの死の真相が完全に分かったわけではない。
なぜ、屋上にいたいつきが、落下して命を落とすことになったのか、という経緯が分からないのである。
ひなもイマックスさんも、口を揃えて、いつきには自殺をする動機がなかった、と言っている。なゆちもそう感じているし、湊人だって同感だ。
だとすると、何者かが屋上にいたいつきを突き落とし、殺害したことになる。
しかし、湊人には、その犯人が誰なのか、皆目見当がつかないのである。
そこで、湊人は、平日の夜、事件発生時間とほぼ同じ頃合いである19時30分頃、マーキュリーの入っている雑居ビルに訪れた。
もしかすると格言のとおり、現場に戻って来ている犯人に出会えるかもしれない、と思ったからである。
いつきの事件以来、マーキュリーは臨時休業が続いていたが、雑居ビル自体には入ることができた。
湊人は、エレベーターに乗り、屋上階のボタンを押す。
年季が入っているため、エレベーターは「ギーギー」という音をあげながら上昇する。
「チーン」とベルの音が鳴って、扉が開くと、そこにはいつきがいた。
——否、いつきではない。妹のひなである。
ここ最近の湊人はいつきのことで頭がいっぱいであるため、一瞬、ひなをいつきと見間違えたのだ。
「みなとさん、屋上のドアは閉じてて入れませんよ」
湊人に正対して立っているひなが、無表情のまま言う。いつきが死んでからすでに1週間以上が経っていたが、おそらくひなはその間ずっとこの表情で過ごしていたのだろう。魂が抜けてしまっている。
湊人はエレベーターを降りて、ひなと同じ踊り場に立った。
「ちょうどひなさんと話したいと思ってたところなんだ」
「……私で良ければ」
そう言いつつも、ひなは一歩、二歩と後ずさりをした。
ひなは湊人に警戒心を抱いている。致し方ないだろう。シチュエーションがあまりにも悪い。
「ひなさん、お姉さんが屋上から落ちたタイミングが、ステージでの出番中だったことは知ってるよね?」
「ええ」
ひなはいつきの実の妹であるため、警察が捜査状況を具に報告しているだろうから、報道されていない情報も知っている可能性が高い。
もっとも、湊人の推理が正しければ、ひなは別の理由でこのことを知っていたに違いないのだ。
「ステージの出番中に屋上から落ちる……これは矛盾しているよね?」
「ええ。そう思います」
「でも、ひなさんは、矛盾が矛盾しないことを知ってるよね?」
「……どういう意味ですか?」
「つまり、ひなさんもお姉さんの共犯者ということさ。二人で時間を操ってたんだ」
「時間を操る」という表現が指すものが何かを理解したのかどうかは分からなかったが、ひなは黙りこくった。
湊人は自らの推理を披露することによって、静寂を埋めるしかなかった。
「事件当日、マーキュリーのライブでのお姉さんの出番として用意された枠は、19時00分〜19時40分までの40分間だった」
湊人は、ポケットから紙を取り出す。ラーメン屋でなゆちが示したルーズリーフを、コンビニの複合機でコピーしたものである。
「当日のセトリはこの紙に書かれたとおり。全8曲及びMCで、所要時間は合計40分02秒。このセトリによれば、いつきは40分の枠を目一杯使い切ることになる」
「地下対バンで40分も枠がもらえることは珍しいんですけど、普段20分枠で4曲、30分枠で6曲披露しているので、40分枠なら8曲がちょうどいいかなと思ったんです」
「ライブ披露する曲のセレクトはひなさんがやってるの?」
「ええ。基本的にはそうです。お姉ちゃんがセレクトすると好みで偏りが出るもので」
「曲をセレクトし、そのカラオケ音源をCDに入れ、セトリとともにPAに渡す。それがライブ直前のひなさんの仕事だったんだね」
「ええ」
ひなのセレクトに基づき、いつきは全8曲を披露した。このことは間違いないと思う。それはなゆちの記憶にも合致するし、ひなが言うとおり、40分枠では8〜9曲程度披露するのが相場だろう。曲数が6曲や7曲だとすれば、ヲタクはガッカリし、最悪クレームを付けてくる。
「そうすると、お姉さんは19時00分〜19時40分まで、ずっとステージの上に居続けたことになる。一応確認するけど、ひなさんがいつきになりすましてステージに立っていたなんてことはないよね?」
「……どういう意味ですか?」
ひなのキョトンとした声は演技ではなさそうだ。替え玉説はやはり却下である。
湊人は推理を続ける。
「とすると、当然、お姉さんは19時00分〜19時40分の間にビルの屋上に移動することなどできない。それにもかかわらず、お姉さんは19時33分に屋上から落下している。これはどう考えても矛盾している」
「……そうですね」
「ということは、お姉さんが19時00分〜19時40分までステージの上にいたこと、もしくは、お姉さんが19時33分に落下したこと、このどちらかの事実が正しくないということだ」
思うに、と湊人は続ける。
「お姉さんが19時33分に落下したことについては、複数の通行人の証言があるし、通行人がツイートした時間から、完全に裏付けられている。こちらの事実が間違っているということはないだろう。とすると、間違っているのは、お姉さんが19時00分〜19時40分までステージの上にいた、という事実の方ということになる」
ランプが1つしか灯っていない薄暗い踊り場で、わずかだが、ひなが頷いたように見えた。
「実は、お姉さんは、19時30分頃にはライブを終えていたんだ」
ひなの目線が、湊人が持っている紙の方に向く。
「でも、みなとさん、先ほど言ってたじゃないですか。全8曲とMCのセトリで、ライブの所要時間は40分02秒だって。言っておきますが、ライブが10分も前倒しで始まるなんてことはありえませんよ」
「ひなさん、僕はこう言ったはずだ。ライブの所要『予定』時間は40分02秒だ、って。実際にはライブは約30分で終わっていたんだ」
「というと、お姉ちゃんは、実際には6曲くらいしか披露しなかったと言いたいんですか?」
湊人は大きく首を振る。
「そうじゃない。お姉さんはセトリどおり8曲を披露し、MCもこなしてる」
少し間を空けてから、湊人は言う。
「ただし、1.3倍速でね」
ラーメン屋で、いつきが2年前に披露した「しがらみMIDNIGHT」の動画を見ていて湊人が感じた違和感の正体。それは曲の速さだった。2年前の「しがらみMIDNIGHT」は、普段いつきが披露している「しがらみMIDNIGHT」よりもテンポがゆっくりであると感じられたのである。
そこで、湊人は、実際に振りコピをして検証してみた。そうしたところ、やはり2年前の「しがらみMIDNIGHT」の方が、振りコピしやすかったのである。それは2年前の「しがらみMIDNIGHT」の方がテンポが緩やかだったからに違いなかった。
つまり、いつきは、最近のライブでは、何らかの事情で、原曲よりも曲のテンポを上げてパフォーマンスしていたのである。
仮に1.3倍速にした場合、事件当日のセトリの演奏時間は以下のとおりになる(なお、MCの時間はそのまま)。
1 頼みの刹那 3分31秒(3分31秒)
2 Frozen Creature 2分54秒(6分25秒)
3 ポップコーンガール 3分40秒(10分05秒)
〜MC〜 1分30秒(11分35秒)
4 HAPPY STAY 3分26秒(15分01秒)
5 恋の急降下 3分36秒(18分37秒)
6 すれ違いクロスロード 4分07秒(22分44秒)
7 しがらみMIDNIGHT 4分01秒(26分45秒)
8 未来への傷跡 4分13秒(30分58秒)
つまり、実際の所要時間が、40分02秒から、30分58秒に大幅に縮むのだ。とすると、屋上への移動の時間を考えても、ライブを終えたいつきが、19時33分頃に屋上から落下することは物理的に可能となるのである。
「先ほど、ひなさんは、曲をセレクトし、カラオケ音源をCDに入れ、そのCDをPAに渡す作業は、ひなさんの作業だと認めていたね。とすると、原曲よりもテンポを速めたカラオケ音源をCDに入れていたのも、ひなさんだと思うんだけど、違う?」
「……そうです」
ひなはあっけなく認めた。
「原曲よりもテンポをあげてライブをやってたのはいつからなの?」
「今からおよそ1年前からです。さすがに急に1.3倍にするとファンの人が驚くと思ったので、最初の頃は1.1倍にして、数ヶ月経ったところで1.2倍にして、また数ヶ月経ったところで1.3倍にしました。1.3倍になったのは、ほんの1ヶ月くらい前だったと思います」
なるほど。1年間かけて、徐々にテンポを上げていったということなのか。1倍と1.3倍の違いであれば、ラーメン屋で湊人も違和感を感じたように、ヲタクもすぐ気付くとは思うが、1倍と1.1倍の違いは、よほど注意深くないと気付けないかもしれない。1.1倍で体が慣れさせられたところで1.2倍になれば、その違いにも気付けないだろう。
そもそも、ライブというのは、一種の異空間であり、フロアも独特のテンションに包まれるものである。ほとんどのヲタクが酒も飲んでいる。普段原曲の音源を聴いているヲタクであっても、ライブにおける変化に気付くことはそう容易ではない。そもそも地下アイドルのライブはほぼ毎日のように行われ、そこで生で聴けるため、リリース直後はともかく、ライブに通うヲタクが普段から音源を聴くことはほぼない。
現に、湊人も1年以上前からいつきのパフォーマンスを生で見続けているが、ラーメン屋で2年前の動画を見るまで、全く気付かなかった。巧妙である、と言わざるをえない。
それと同時に褒めなければならないのは、いつきの類稀なる歌とダンスのスキルだろう。いつきの楽曲は、原曲テンポの段階ですでに激しいものばかりだ。1.3倍速となれば尚更だろう。それを涼しい顔でこなすのであるから、やはりいつきの能力は一枚も二枚も上手なのだ。
「こうやってじっくりと時間をかけて少しずつテンポを上げていけば、ファンの人に気付かれないと思っていました。もっとも、別にファンの人にバレたところで、笑って種明かしすればいいだけなんですけどね。曲のテンポが早くて怒るファンもそんなにいないと思うので」
そのとおりだと思う。むしろ、曲のテンポが早まっていったここ1年間、いつきの評価は上がり、ヲタクも増えてきているように思う。テンポが上がることにより、いつきのダンスはさらに磨かれ、振りコピをするヲタクも良い汗をかけるようになり、顧客満足度は増したということだろう。
イマックスさんのように、ライブのたびに疲労困憊となり、体力が衰えたと錯覚するヲタクもいるにはいるが。
ひながどのようにして1.3倍速のライブを作り出したのかは分かった。
問題は、なぜそのようなことをしたのか、である。
「ライブのテンポを速めたのはひなさんの独断ではないよね?」
「ええ。もちろん」
仮にひながこっそりと楽曲のテンポを速めたとすれば、踊っている張本人であるいつきは即座に気付くはずである。とすると、ひなだけの判断でテンポを上げることはできず、いつき本人が同意をしている必要がある。
——否、いつきとひなの立場を考えれば、むしろ主導したのはいつきの方だろう。
「ひなさんは、お姉さんの指示で、楽曲のテンポを上げていったんだね?」
「そうです。すべてお姉ちゃんの指示でした」
「どうして? どうしてお姉さんは楽曲のテンポを上げるようにひなさんに頼んだの?」
少し黙ったあと、ひなは、先ほどまでと比べてはるかに小さな声で、「分かりません」と述べ、下を向いた。
ひなが嘘をついていることは明らかであったが、湊人は、あえて追及しないことにした。
これまでに集めた情報から、湊人は、いつきが楽曲のテンポを上げた理由について、ある推測を持っていた。もしもその推測が事実であれば、そのことをひなに話させることは、あまりにも酷であるような気がしたからだ。死者の名誉を守ることは大事だし、遺族に死者の名誉を守らせてあげることはもっと大事である。
「そういえば、ひなさん、どうしてここにいるの?」
ひなからすると、それはこっちの台詞だ、と言いたいところだっただろうが、今までのやりとりから、湊人は味方側の人間なのだと判断したのだろう、
「お姉ちゃんを殺した犯人を探しに来ました。『犯人は現場に戻る』と言うので」
とおそらく正直に答えた。
「実は僕も同じ理由でここに来たんだ。……あ、もちろん僕が犯人だという意味ではないんだけど」
「分かってます」
「ひなさんには、犯人が誰か心当たりはあるの?」
「……ありません。ただ……」
ひなはポケットの中から、八つ折りに小さくたたまれた紙片を取り出し、丁寧にそれを広げた。
表面に書かれていたのは、ライブの予約表だった。
「これ、お姉ちゃんが死んだ日のマーキュリーの予約表なんです。ライブハウスに頼んでコピーを入手しました」
そこには、ファンネームがおよそ80個くらい羅列されていた。
普段ライブハウスに行かない人のために仕組みを説明すると、規模の小さいライブでは、基本的にチケットが発行されることはなく、客は、直接出演者にコンタクト取って、ライブの予約をする。このことを「チケットの取り置き」などともいう。この予約をすることにより、客は、少し高い当日券料金ではなく、前売り券料金でライブに入ることができ、出演者は、この予約数が多ければ、ライブに貢献したことになり、以降のライブに呼んでもらいやすくなる。
予約は、基本的に本名ではなく、ファンネームで行う。そして、予約をした客は、ライブハウスの入り口で自分のファンネームを言い、予約していることを証明するのだ。そのために、予約をした人のファンネームをリスト化した予約表というものが、ライブハウスの受付に置いてあり、当日来た人の名前にはチェックをするのだ。
「ファンの人を疑いたいわけではないんですが、お姉ちゃんを屋上から突き落とした犯人がいるとすれば、それはファンの人の可能性が高いんだと思います。だとすれば、当日ライブに来ていたファンの人、つまり、チェックが付いているファンの人が『犯人候補』になります」
湊人は、ひなが示した予約表を見て、唖然とした。
その予約表は、いつきを殺害した犯人が誰であるかを、湊人に対して明確に示していたからである。