しがらみMIDNIGHT
「みなと、お待たせ」
ライブハウスの入り口で待っていると、私服姿のなゆちが現れた。
なんら変哲もない黒いダッフルコートとロングスカートの組み合わせだが、アイドルの私服とはどうしてこんなにも眩しいものなのだろうか。おそらくヲタクという人種が、女の子に対して抗体を持っていないからに違いないのだが。
そんな湊人の思いとは裏腹に、なゆちは、
「今日はブルマじゃなくてごめんね」
とニヤニヤしながら言うと、湊人の袖を引いて、早足で歩き始めた。
湊人は抵抗することなく、なゆちに引き摺られていく。
「なゆち、どこ行くの?」
「どこでもいいけど、とりあえずここじゃない場所。だって寒いもん」
結局、2人は駅前のラーメン屋に入った。
カウンターしかない店だったため、湊人となゆちは隣り合わせとなった。
「やっぱり、ライブの後のラーメンは格別だね」
なゆちは女の子らしく、口をわずかに開け、少しずつ麺を啜っていく。
湊人にとってその様子はいつまでも見てられるものであったが、さすがにじっと見ているのは気持ち悪いだろうから、湊人も目の前のラーメンに集中することにした。
黄金に澄んだ色のスープの塩ラーメンである。
「みなと、私のことは気にしないで、お酒頼んでも大丈夫だよ?」
なゆちは、みなとが無類の酒好きであることをよく知っている。湊人は、毎回ライブ終了後に、ヲタク仲間と居酒屋で打ち上げている様子をTwitterにアップしており、なゆちはそれを見ているのだ。
「いや、いいよ」
たしかにラーメンにビールの組み合わせは最強ではあるが。
「なんで? いつもライブハウスでお酒飲んでるじゃん」
「それはそうだけど……」
推しメンと2人きりでいるときにお酒を飲むのは、なんか違う気がした。
「それとも、私も一緒に飲もうか?」
なゆちは、見た目は10代でも通用するが、今年で22歳を迎えていた。お酒もそれなりに好きなようである。
「いや、いいよ。たしかにライブ後のお酒は最高なんだけど、打ち上げるにはまだ早いから」
「それもそうだね。いつきの死の真相が分かってから、一緒に打ち上げよう」
ほぼいないとはいえ、湊人以外にもなゆちのヲタクはいるにはいる。その手前、有料のオフ会ではなく、プライベートでなゆちと飲みに行くことが許されるのだろうか。その観点でいえば、今もラーメン屋に2人でいることも完全にアウトなのだが、湊人にはどこかに守るべき一線があるような気がしていた。
なゆちが、自らの「収穫」を披露したのは、お互いにラーメンを食べ終えた後だった。
「みなと、当日のいつきのセトリが分かったよ!」
セトリとはセットリストの略であり、ライブで披露される曲目のことである。
「私も当日舞台袖からいつきのライブを見てたんだけど、正直、自分の出番の前で緊張してて全然覚えてなくて。だから、ちゃんと後から調べたの」
なゆちはポーチを漁ると、そこから1枚のルーズリーフを取り出した。
そこには、なゆちが書いたと思しき丸文字で、曲目だけではなく、楽曲の演奏時間までもが記されていた。
1 頼みの刹那 4分35秒(4分35秒)
2 Frozen Creature 3分50秒(8分25秒)
3 ポップコーンガール 4分46秒(13分11秒)
〜MC〜 1分30秒(14分41秒)
4 HAPPY STAY 4分29秒(19分10秒)
5 恋の急降下 4分42秒(23分52秒)
6 すれ違いクロスロード 5分22秒(29分18秒)
7 しがらみMIDNIGHT 5分14秒(34分32秒)
8 未来への傷跡 5分30秒(40分02秒)
「なゆち、これ、どうやって調べたんだ?」
「当日マーキュリーでPAやってた人にLINEで訊いたの」
PA(Public Address)とは音響機材のことであり、ライブで音響を担当する人のことを、PAオペレーターとかPAと呼ぶ。
「なるほど。たしかにPAの人なら、いつき本人からCDとともにセトリも受け取ってるだろうね。照明でも使うだろうし」
マーキュリーのような小規模のライブハウスでは、おそらくPAが照明も担当しているだろう。
「まあ、私はCD渡すだけだけどね」
「それはなゆちが雑過ぎるだけであって……」
なお、地下アイドルのライブは、生バンドで演奏されることはほぼなく、大抵がカラオケ形式である。各アイドルは、自分の楽曲のカラオケ音源の入ったCDをPAに渡し、それをライブ本番に流してもらうという仕組みになっている。
「私が雑なわけじゃない。単に私には優秀な妹がいないというだけだよ」
「どういう意味?」
「いつきのライブのカラオケCDを作って、PAにセトリとともに渡してたのは、いつき本人じゃなくて、ひななの」
それは知らなかった。ひなの手伝いの範囲は湊人の想像よりもだいぶ広いらしい。
「というか、右に書いてある演奏時間はどうやって調べたんだ? さすがにいつきもここまで詳しい情報をPAに渡してないでしょ?」
「そうだね。私が調べた……」
「おお、なゆち、すごいじゃん。見直したよ」
「と言いたいところだけど、本当はPAの人に調べさせた」
やはりなゆちはなゆちだった。
「……と言っても、そんなに重労働じゃなかったみたいだよ。いつきの楽曲はほぼ全曲音源化されてるから」
「ん? いつきってそんなにCD出してたっけ?」
「ううん。そうじゃなくて、サブスク」
「ああ、なるほど」
地上のアイドルとは違い、地下アイドルは滅多にCDを出さない。出せるだけの予算がないのだ。しかし、時代の変化により、今はダウンロード形式によって、気軽に音源をリリースできる時代となった。いつきは時代の追い風を最大限に利用していたのだ。
「で、MCの時間は、実際にPAの人が当日に聞いてて、だいたいこれくらいじゃないか、と思った時間を書いてもらったの」
「1分30秒。まあ、妥当だろうね」
「それから、カッコの中の数字が、合計時間なんだけど、8曲+MCで40分02秒になってるの」
「ほぼ40分ちょうどか」
このことが意味するのは、やはりいつきは19時00分〜19時40分までの間、目一杯ステージの上でパフォーマンスを行っていたということである。たとえば19時30分とかに早めにライブを切り上げたといったこともないため、やはり19時33分に屋上から飛び降りるなどということはできないのである。
「なゆちの記憶は、このセットリストと矛盾しない? たとえば、このセットリストにあるけど、実際にはやられてない曲はない?」
「……ないと思う」
「なゆち、もしかして、ライブが予定の19時00分よりも早く始まったということはないよね?」
「それはないでしょ。予定より開始時間が遅れるライブはよくあるけど、その逆は普通ないから」
なゆちの言うとおりである。開始時間が早まるライブがあるとすれば、それは開始時間が遅れるライブよりもはるかにタチが悪い。このことは観客の気持ちになれば明らかである。せっかく時間どおりに来たにもかかわらず、パフォーマンスの一部を見逃すことになってしまうからである。「金返せ」と言われても仕方ないだろう。
ゆえに、普通、ライブの開始時間が早まることはない。
「じゃあ、たとえば、ライブハウスの時計がいじられてて、数分早められてたとか……」
「一応そこはPAの人に確認してみたけど、ライブハウスには時計は置いてなくて、PAの人は自分のスマホの時刻表示を使って時間を調整してたんだって」
スマホの時刻表示が分単位でズレるということはありえないだろう。とすると、やはりいつきのライブが19時00分よりも早く始まったということはないということだ。とすると、ライブは19時40分まできっかり行われており、19時33分にいつきが屋上から落ちることはない。
「うーん、だとすると、やっぱり詰みだ。いつきの分身でもいない限り、今回の事件は起こりえないよ」
湊人が冗談で言ったフレーズに、なゆちは、目を見開いて反応した。
「みなと、それだよ! それ! 分身だ!! いつきは分身したんだよ!!」
「……なゆち、どうしたの? 頭おかしくなったの?」
「違う!」と言って、なゆちはみなとの肩をピシャっと叩いた。
「ひなだよ! ひながいつきになりすましてステージに立ってたんだ!!」
なゆちは、湊人が自分と同じように目を見開いて驚くのを期待してようで、湊人の表情の変化をじっと待っていたが、湊人は真顔のままだった。
「なゆち、それはありえないよ。たしかにいつきとひなは姉妹だし、顔も雰囲気も似てるけど、ヲタクの目は騙せないでしょ」
大ホールでのライブならまだしも、地下のライブハウスでは、演者と客の距離は手を伸ばせば触れられそうなほどなのである。そんな至近距離で、その子のことをよく知っているヲタクが、姉妹間の替え玉に気付かないはずがない。
しかし、なゆちは食い下がらなかった。
「ううん。みなと、ありえるよ。いつきならヲタクを騙せるんだよ」
「どういうこと?」
湊人の問い掛けに答える代わりに、なゆちは、みなとに平手を差し出した。
「……何? 何が欲しいの?」
「スマホ。貸して」
たしかに湊人はなゆちのヲタクであり、夢も希望もなゆちに委ねているが、プライバシーまでもをなゆちに委ねた覚えはない。
それでも、なゆちの差し出した手が今度はスマホの入ったポケットの方まで伸びてきていたから、湊人は観念し、大人しくスマホを差し出した。
なゆちは、湊人にスマホのロックを解除させると、アプリでYoutubeを開いた。 Youtubeを見るのであれば、なゆちのスマホでもできるはずであるから、なゆちが湊人からスマホを借りたのは、充電やパケット通信量を節約するためだろう。
なゆちは、検索窓に「夕凪いつき ライブ映像」と打ち込むと、表示された動画の列を一つ一つ精査していった。
「なゆち、何探してるの?」
「しがらみMIDNIGHT」
なるほど。その曲は、先ほどなゆちに見せてもらったセットリストの7曲目であり、ライブ開始後29分18秒から34分33秒にかけて披露されたことになっている。すなわち、いつきが屋上から落ちたとされる19時33分に披露されていたのはまさにこの曲なのである。
「あった。あった」
なゆちが見つけたのは、今から2年前、吉祥寺でのワンマンライブでいつきが披露した「しがらみMIDNIGHT」の動画であった。
最初はかすかに聴こえたシンセサイザーの音色が徐々に大きくなっていき、「しがらみMIDNIGHT」のイントロのフレーズへと変わっていく。ステージの中央では、漆黒のドレスを着たいつきが横たわっている。トラブルがあったわけではない。そういう演出なのだ。
ドラムとベースの音が入ってきた8小節後にいつきは起き上がり、フロアに顔を見せた。前髪と重なった目は、睨みつけるようであり、同時に、助けを求めるようでもあった。さすがいつき、表現力も一級品である。
いつきの顔が見えると、なゆちは、小声で「違うな……」と呟いた。
「なゆち、何が違うの?」
なゆちに問い掛けながらも、湊人の目はスマホの画面に釘付けだった。いつきが踊り始めたのである。いつきのダンスには、見る者の心を捉えて離さない魔力がある。
「仮面がないなって」
「仮面?」
反射的に訊き返したものの、湊人はすぐになゆちの言わんとすることをすぐに理解した。
「ああ、仮面か。それは別の曲だよ。たしか曲名は、『星夜のマスカレードナイト』だったと思う」
「星夜のマスカレードナイト」は、いつきの曲の中では変わり種である。この曲では、いつきは終始真っ白い仮面を被ったままでパフォーマンスをするのだ。そういう演出の曲なのだ。
「ああ、それだ。それ」
「つまり、なゆちは、『しがらみMIDNIGHT』と『星夜のマスカレードナイト』を混同していて、『しがらみMIDNIGHT』でいつきが仮面を被っていると思ったわけか。ゆえに姉妹の替え玉が可能だと思ったわけだね。たしかにあの姉妹なら、仮面をしてれば見分けは付かないだろうね」
「そういうこと」
なゆちの推理は完全に外れていた。事件当日のセットリストには「星夜のマスカレードナイト」は入っていないため、いつきが真っ白い仮面を被ることもなかったわけである。
——待てよ。
このとき、相変わらずスマホの画面に注視していた湊人は、ある違和感に気付いた。
今湊人が見ている、2年前のいつきによる「しがらみMIDNIGHT」と、事件の数日前に湊人が見た「しがらみMIDNIGHT」とでは、何かが違う気がしたのである。
ふいに湊人は立ち上がると、スマホの画面のいつきに合わせて、全身を使って振りコピを始めた。なゆちの冷たい視線、それ以上に冷たいラーメン屋の店主と客の冷たい視線を振り切りながら。
「みなと、どうしたの? 頭おかしくなったの?」
「違う。あと少しで分かりそうなんだ」
湊人は、一心不乱に振りコピを続ける。
そして、1番のサビが終わったところで、グーを天井に突き出したままのポーズで、叫んだ。
「なゆち、分かったよ!! いつきは分身したんじゃない!! 時間を操ったんだ!!」
ここまでがいわゆる【問題パート】になります。次話からは【解決パート】です。
自分で言うのも難ですが,この作品は,ミステリーとしては意外と奥行きのある作品で,メインのハウダニット(ライブパフォーマンス中に屋上から落ちるという矛盾)に負けないくらいに,フーダニット,ワイダニットが重要です。いわゆる「読者への挑戦状」を意図しては作られてないのですが,少しだけ止まって考えてくださると面白いかもしれません。