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4/11

美味しくないビール

 事件当夜にできたことは、ひなの話を聞くことくらいだった。


 湊人がひなに事情聴取している間、調査のパートナーであるなゆちが何をしてたかと言えば、「楽屋に荷物が置きっ放しなんです」というもっともなことを言って、マーキュリーの内部に忍び込み、あわよくば現場の屋上にまで行こうとしていたらしい。

 結果、マーキュリーの内部までは入れたものの、ずっと警察が付き添っていたため、楽屋以外の場所に行くことはできなかったとのことだ。

 それはそうである。





 事件翌日の夜、湊人はある人物と待ち合わせしていた。


 待ち合わせの場所は、低価格が売りのチェーンの居酒屋である。



「乾杯!」


 湊人がメガサイズの重たいジョッキを持ち上げると、目の前に座った相手は、「乾杯どころではない」と言わんばかりに顔をしかめたが、渋々ながらジョッキを持ち上げた。


 今までの登場人物は皆若くて可愛い女の子ばかりであったが、湊人とさかづきを交わした相手は、湊人よりも一回り年上のオジサンである。


 湊人のヲタク友達であり、飲み友達のイマックスさんだ。


 「イマックス」はいわゆるFNファンネームである。本名は知らないが、おそらく今田さんか何かだろうと邪推する。ヲタクのコミュニティーでは、毎日のように顔を合わせる仲の良い相手であっても、お互いの本名を知らないということはザラにある。

 なお、湊人の場合は、Twitterのアカウント名も「みなと」としているため、特に又の名があるわけではない。



 湊人がイマックスさんと知り合ったのは、今からもう3年も前になる。

 当時、湊人はなゆちではない別のアイドル(ユニットアイドル)を推しており、当時のイマックスさんの推しも同じユニットにいたため、現場で知り合った。

 2人とも無類の酒好きであったため、すぐに意気投合し、ときには大人数で、ときに2人で、ライブ後によく居酒屋で飲み明かした。

 その関係は、お互いに推しが変わり、同じユニットを推さなくなってからも続いていた。



 ただ、今日湊人がイマックスさんを飲みに誘ったのは、決して道楽のためではない。

 なゆちとの約束である、いつきの死の真相を究明するためである。



 イマックスさんの現在の推しは、天国にいるいつきだったのだ。



「すみませんね。こんなときに飲みに誘ってしまって」


「いや、いいよ。むしろ何か気晴らしがあった方がいいから」


 ヲタクにとって「推し」の存在は自らの家族、いや、ときにはそれ以上の存在ですらある。いつき推しのイマックスさんがいつきの突然の死に心を痛めていないはずはなく、しばらくそっとしておいて欲しい、と思っても不思議ではない。湊人も今日はダメ元で誘ったのだった。



「こんなに美味しくないビールは初めてです」


 湊人の言葉に、イマックスさんは「そうだな」と相槌を打ったが、実際にはイマックスさんはまだジョッキに一切口を付けていなかった。やはり酒を飲むような気分ではないということだろう。



「みなと、ビールというのは、ライブ後の一杯が最高に美味いんだよな」


「分かります」


 酒飲みのヲタクは皆そう言う。ライブはアイドルとフロアが一緒に作り上げるものであり、ライブが上手くいくと、ヲタクにも達成感があるのだ。その達成感に浸りながら飲む一杯が格別なのである。



「特にいつきのライブは、最高の汗をかけるから、なおさらライブ後の一杯なんだよな」


 ライブではヲタクは「振りコピ」と言って、アイドルのダンスを一部真似して踊る。いつきのダンスは激しかったから、自然とヲタクの運動量も激しくなるのだ。



「でもな、湊人、いつきはもういなくなってしまったんだ。もういつきのライブの余韻に浸りながら飲むこともできない」


「そうですね」


「俺の人生はもうおしまいだよ」


 イマックスさんの言葉は、湊人にはそれほど大げさには聞こえなかった。推しをこんな形で突然失ったヲタクとしては当然の心境だろう。


 そんな境遇のイマックスさんに対し、今日はどうしてもいつきの話をしなければならない。そのために居酒屋という場所をチョイスした。シラフで話せる話題ではないと考えたからである。




 1時間程度とりとめのない話をし、イマックスさんのお酒のペースもそれなりに進んだところで、湊人はついに本題を切り出した。



「最近、いつきに何か変わった様子はありませんでしたか?」


「変わった様子?」


「イマックスさんは誰よりもいつきのことを見てるので、何か違和感みたいなものを感じなかったかな、と思いまして」


 ときにヲタクは、アイドルの家族や友人よりもその子のことを知っていることがある。ひなが気付かなかった変化に、イマックスさんが気付いているということもあるかもしれない



「そうだな。俺の目から見て、いつきには特に変化はなかったよ。パフォーマンスの質も相変わらずだし、ファンサの良さも相変わらずだ」


「そうですか……。じゃあ、どうして、こんなことになっちゃったんですかね?」


「……それについては俺も昨夜からずっと考えてるんだけど、全然分からないんだ。狐につままれたような思いだよ。まったく」


 イマックスさんは、ひなの次に期待していた情報源だったが、どうやらこちらも不発らしい。

 湊人の中で、いつきの死の事実は、どんどん現実感を失っている。



「みなと、俺はな、いつきのパフォーマンスが好きだったんだ。あのキレッキレのダンスに、力強い歌声。あんなレベルの高いパフォーマンスができるアイドルは、地下にはまずいない。おそらく、地上にだってそうそういない」


 湊人は何度も頷く。湊人もイマックスさんに負けないほどいつきのパフォーマンスを高く評価している。


 それに、とイマックスさんは語気を強める。



「いつきは誰よりもストイックだった。誰よりも練習熱心で、自分に妥協をしなかった」


 そのことについては、湊人もよく知っている。



「たしかいつきは、自分自身のメンテナンスにも相当気を遣ってましたよね。喉のケアのために、寝る前には必ず自家製のはちみつドリンクを飲んで、寝るときもマスクを付けて寝てて」


「……そうだ。だから、俺は、いつきの今後にはすごく期待していた。いつかはドームを埋めるくらいの逸材になるんじゃないか、と思ってな」


「分かります」


「でもな……。でも……」


 イマックスさんが涙ぐむ。いつきの死が無念で仕方がないのだろう。



「いつきは、こんな形でテレビに取り上げられるべきではないですよね」


「そうだな。朝のニュースじゃなくて、音楽番組で見たかった……」


 いつきの死は、今や朝のニュースや昼のワイドショーの格好のネタであった。アイドルがライブ中に飛び降り自殺、しかも、都心の繁華街で、というのは、如何にも野次馬を惹きつける話題である。

 もっとも、ステージの時間と飛び降りた時間が重なっているという、この事件の最大のミステリーに関しては、さすがにメディアも情報を掴んでいないようであり、一切の言及がなかった。

 このことを知っているのは、もしかすると、捜査関係者を除いては、湊人となゆちだけなのかもしれない。



「俺ももう潮時かもな」


「イマックスさん、もうアイドルの追っかけは辞めるんですか?」


「そうだな。いつきを最後の推しにしたい」


 飲み仲間が減るのは残念であるが、今回の場合は事情が事情なので、湊人がイマックスさんを引き止めることはできなかった。



「実は、この頃、体力の衰えも感じてたんだよ。昔はそうでもなかったんだけど、最近はいつきのライブのたびに疲労困憊で。最後の曲まで振りコピが追いつかないんだ。もう30代後半だし、ライブハウスで無茶できる年齢じゃないのかもな」


 パフォーマンスの激しさゆえに、いつきのライブは疲れる。それは湊人も一緒である。

 他方、たとえばなゆちのライブであれば、パフォーマンスがユルユルであるため、精一杯振りコピをしても疲れることはない。とはいえ、このタイミングでイマックスさんになゆちへの推し変を勧めることはあまりにも無粋であるため、湊人は話題を変えた(もっといえば、イマックスさんはなゆちのようなユルいタイプは好きではないと公言していた気がする)。



「そういえば、イマックスさん、昨日は現場にいたんですか?」


 イマックスさんはいつきの熱心なヲタクである。平日の夜だったとはいえ、昨日のライブにも足を運んでいる可能性が高い。


 イマックスさんは、質問を質問で返した。



「みなとは昨日現場にいたのか?」


「ええ。ただ、遅刻をしたので、僕が着いたときにはすでにライブは中断してて、マーキュリーの前には規制線が張ってあって、入ることすらできなかったんですけど」


「そうか……。そんな状況だったのか……」


「ということは、イマックスさんは現場にいなかったんですね?」


「ああ。行こうと思ってたんだがな。急遽仕事が入っていけなくなったんだ」


「そうなんですね……」


 ということは、イマックスさんは、いつきの最後のライブも、最期に路上に横たわる様子もともに見なかったということだ。

 いつきの最後のライブに行けなかったことが、イマックスさんにとって良いことなのか悪いことなのか、湊人には判断できなかった。




ちょうど今,本作をすべて書き終えてしまいました(4万字弱)。

本作は,1日1話ずつ投稿しようと思っていたのですが,僕の性分は,書き終わるとすぐに全話投稿したくなるというものですので,さすがに今日1日で全話投稿するのはやめようと思いますが,投稿ペースは多分1日2話以上になってしまうと思います。ご了承ください。

そして,この「踊る飛び降り死体」のほかにも,朝野奈柚シリーズのアイデアがまだいくつかありますので,作者は今日中にシリーズ2作目を書き始めようと思います。多分「ジェイソン」か「透明人間」になるかと思います。

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