実の妹
「いつきの死の真相を突き止める」ことを約束したものの、一体何から手を付けていいのか分からなかった。
捜査の常道としては、「まずは現場から」ということになろうか。とすると、いつきが歌って踊っていたマーキュリーの中、そして、いつきが飛び降りたビルの屋上に繰り出すべきなのだろうが、捜査のプロである警察が規制線を張っていて、中に入ることはできない。
真相究明が早速暗礁に乗り上げようとしていたとき、湊人は、雑居ビル前の人集りの中に、見慣れた少女を発見した。
「ひなさん」
湊人は、背後に近付くと、その少女の名前を呼んだ。ひなはトリートメントでサラサラの黒い長髪をなびかせ、こちらに振り向く。
ひなの顔は、なゆち以上に、涙で崩れていた。
当然である。ひなはいつきの実の妹なのだ。
つまり、遺族という立場になる。
いつきの実妹であるひなは、ソロアイドル「夕凪いつき」のサポートを務めていた。現役女子高生である彼女は、学業に差し支えのない範囲で、いつきのライブへと足を運び、ライブの片付け、準備、物販の受付などを手伝っていたのである。
いつきには別にマネージャーが付いていたから、ひなは単なる「お手伝い」というポジションとなる。おそらく賃金ももらわずに、姉のためにボランティアでやっていたのだろう。
もっとも、ひなの存在は絶大なものがあった。ステージには立たない裏方ではあったが、容姿は5歳離れた姉とそっくりであり、むしろあどけなさが残っている分、ヲタク受けはひなの方だったかもしれない。いつきの物販に訪れるヲタクの中には「ひな推し」を公言している者もいた。
こんなタイミングで故人について聞くことは忍びなかったものの、いつきの死の真相を突き止める上では、ひなは欠かせない存在である。湊人は、「このたびはご愁傷様です」と小さな声で述べた後、ひなに質問をした。
「ひなさん、今日もお姉さんのライブを手伝ってたんだよね?」
「……はい。そうです」
普段の快活な声とは180度違う沈んだ声である。
「ライブは見れた?」
「はい。今日はお姉ちゃんと駅で待ち合わせして、一緒にマーキュリーまで来ましたから」
そこまで言うと、ひなは俯いた。路上にポタポタと雫が落ちる。まさしく死の直前まで、ひなはずっといつきのそばにいたのだ。つい数十分前に自分のすぐ隣を歩いていたいつきの姿が、ひなの脳裏には鮮明に焼き付いているのだろう。
「今日のお姉さんのライブには何か異常はなかったの?」
「……異常、というと?」
「たとえば、中断したとか」
「いいえ。そんなことはありません」
「全曲やりきる前に終わったとか」
「お姉ちゃんは予定された曲を全曲やり切りました」
ひなは咽びながらも、強くはっきりと言った。
特になゆちも、いつきのライブ中に何かトラブルが発生したということは言っていなかったから、この点は間違いなさそうだ。
「予定された曲を全曲やりきったということは、持ち時間の40分を使い切ったということだよね?」
「もちろん」
「MCもちゃんとやった?」
「ええ」
とすると、やはりいつきは19時00分〜19時40分までの間、ずっとステージの上にいたということになる。屋上から飛び降りたとされる19時33分にも、当然ステージの上にいたということだ。
「ライブの後は、物販の予定だったんだよね?」
「ええ。そうです」
ライブや舞台を普段見に行かない人からすると「物販」という言葉の意味するところが伝わらないかもしれないので、解説する。
「物販」とは読んで字の如く、グッズを販売することを言うのだが、売っているのは物というよりは、演者とのコミュニケーションである。代表的な売り物はチェキ。演者と2ショットでチェキが取れ、さらにそのチェキにサインをしてもらえるというものである。演者がサインを書いている間、ヲタクは演者と話すことができる。大手アイドルで「握手会」というのがあるが、地下アイドルの「物販」はそれをさらに濃密にしたものだと言える(言わずもがな、演者の身体に触れることは地下現場でも禁止だが)。
地下アイドルの対バンでは、並行物販と言って、自分の出番の後、他のアイドルの出番中に、ライブハウスの廊下などのスペースを利用し、物販が行われるのが通常だ。今日のいつきもその予定だったのである。。
「19時45分から並行物販開始の予定でした」
19時45分というと、ライブ終了後のわずか5分後である。もっとも、このようなタイトなスケジュールは地下対バンでは決して珍しくはない。
「そこにはお姉さんはいたのかな?」
ひなは再び俯くと、大きく首を振った。
「お姉さんは物販には現れなかったのか……」
「……そうです。私とマネージャーの哲平さんで待ってましたが、一向に来なくて、LINEも既読が付かなくて、そうしたら外が騒がしくなって……」
その後のことは聞くに忍びない。湊人は、話の矛先を少し変える。
「今日駅から一緒に来てて、お姉さんに変わった様子はなかった?」
「特にありませんでした。いつもどおり元気で、やる気に満ちていて。そんな姉が数時間後に飛び降り自殺だなんて、信じられません」
「今日だけじゃなくて、たとえばここ数週間とか数ヶ月とか、何か変わった様子はなかった?」
「一切ありません」
「たとえば、不審者に尾けられてたとか」
ひなは少しだけ考えた後、
「ありません」
と答えた。
ステージ中に屋上から飛び降りるという矛盾を一旦措くにしても、自殺をするからには何らかの動機があるはずである。ただ、死の直前まで一緒にいた実の妹ですら、その動機に心当たりが全くないようである。とすると、自殺ではなく、誰かが屋上から突き落とした可能性も検討しなければならないが、少なくとも、いつきが不審者による被害をひなに相談していたということはないようだ。
では、なぜいつきは死ななければならなかったのか。
そもそも、いつきは本当に屋上から落ちたのか。
ひなの話を聞いたことの収穫は、いつきの死の真相には近づくことはそう簡単ではない、ということが分かったことくらいだった。