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ステージの出番中に、屋上から飛び降りる。屋上にステージがあるならまだしも、ライブハウスがあるのは10階建ての雑居ビルの5階であるから、そんなことはありえない話である。
しかし、なゆちが、そのような奇想天外なことを言うには理由があった。
なゆちが湊人に語った内容は次のとおりである。
今日「マーキュリー」で予定されていたライブは、女性ソロアイドル4組(つまり4人)が出演する対バンであった。「対バン」という言葉を聞き慣れない人もいるかもしれないが、複数のバンド(アーティスト・アイドル)が1つのライブに出演し、タイムテーブルに従って順番にパフォーマンスをする形式のライブのことである。地下アイドルのライブのほとんどがこの対バン形式で行われる。単体のアイドルでは集客が少なく、ライブハウスを借りるだけの費用が賄えないからだ。
お客を折半、費用も折半という話である。
この日の対バンのタイムテーブルは以下のとおり。
18時30分開場 19時00分開演
19時00分〜19時40分 夕凪いつき
19時40分〜20時20分 朝野奈柚
20時20分〜21時00分 流川風華
21時00分〜21時40分 SHARON
いずれの出演者も世間的には全く知られていないが、なゆちがよく対バンで一緒になるソロアイドルばかりであり、湊人からすればよく見知ったアイドルばかりである。
なゆち曰く、特に開演時間が遅れたということもなかったとのことだから、いつきは、トップバッターとして、19時00分ちょうどにステージに立ったものと思われる。各演者の持ち時間は40分。いつきは19時00分〜19時40分までの間、ステージでパフォーマンスを行っていたということである。
「地下アイドル」と一括りに言っても、幅広いバリュエーションがある。歌唱力で勝負している子、激しいダンスを売りにしてる子、とにかくルックスで全てを凌駕する子、千差万別である。
その中でも、いつきは、ダンスパフォーマンスに優れた子だった。小学生の頃にはキッズダンサーとして、某誰でも知っているダンスボーカルグループのバックダンサーを務めたこともあるという。抜群のリズム感と弾ける躍動感。ダンスの技量はメジャー級である。
そして、ソロアイドルとして合格点以上の歌唱力も備えている。顔もなかなか可愛い。地下のライブハウスで埋もれさせるにはあまりにも勿体無い逸材だ(湊人評)。
閑話休題。
とにかく、いつきは19時00分〜19時40分までの間、ステージで踊っていたのだ。無論、証人には困らない。ステージの上には、常時、フロアから熱い視線が注がれているのである。フロアにはおそらく30人前後のヲタクがいたに違いない。
……え? 30人前後というのはあまりにも少ないんじゃないかって? それはあまりにも地下アイドルの実情に疎過ぎである。むしろソロでフロアに30人前後も動員できるだけの実力があるアイドルは一握りである。いつきはどちらかというと上澄みに位置している。
また話が逸れかけたが、大事なことは、19時00分〜19時40分の間、いつきには「アリバイ」があるということだ。仮に、犯人だけではなく、死んだ人間の存在証明までを「アリバイ」と呼ぶのだとすれば。
そして、いつきが屋上から飛び降りたのは、19時33分頃である。
なぜ特定できるのかといえば、こちらにも複数の目撃者がいるからである。当然である。現場は繁華街なのである。いつきが飛び降りた瞬間を目撃していた者は、それこそ30人前後、いやもっといるかもしれない。
そして、その目撃者のうちの何人かは、いつきが飛び降りた直後にTwitterでツイートをしている。
「今、目の前で人が飛び降りた」「女の子が飛び降り自殺」等々。
中にはいつきの死体の画像ないし動画を添付している悪趣味な者もいた。
それらのツイートが集中的になされたのが、19時33分〜34分頃の間なのである。そのため、いつきが屋上に飛び降りた時間が19時33分頃だと特定できる。
なお、飛び降りた場所も屋上で間違いなさそうだ。不用心なことに,当時,屋上に至るドアの鍵は開いていた。屋上には柵があったものの、子どもでも飛び越えられそうな高さしかなく、落下防止策はほぼないに等しい。極め付けとして、屋上には、いつきの衣装の一部であるリボンが落ちていたのである。
ゆえに、なゆちの言う通り、「いつきはステージでの出番中、屋上から飛び降りた」のである。
19時00分〜19時40分までの間、ステージで踊っていたいつきは、19時33分に、屋上から飛び降りた、ということだ。
「そういえば、なゆち、どうして知ってるの?」
体操着姿のなゆちがキョトン顏をする。ブルマから伸びる長い脚には鳥肌が立っていて寒々しい。それはそうである。今は12月なのだ。冬真っ只中である。
「知ってるのって何が?」
「いつきが19時33分に飛び降りたということを」
「だから、今説明したとおり、目撃者がいて……」
「そうじゃなくて。まさか、なゆちが目撃者に話を聞いて、証言を集めたわけではないよね? それとも、Twitterで『飛び降り』をワード検索したの? いつきの死亡時刻を特定するために」
それは刑事の仕事である。現場に居合わせた地下アイドルの仕事ではない。
なゆちは、案の定、
「刑事から聞いたの」
と素っ気なく言った。
「刑事が教えてくれたの?」
「ううん」
「じゃあ、盗み聴きしたの?」
「うん」
やはりか。おそらくそういう情報は、捜査機密というやつで、外に漏れてはいけない情報なのだろう。それを平然と盗み聴きし、さらにそれを自分のヲタクに事細かに話している。なゆちにはそういうところがある。無邪気というか、善悪の区別がないというか。
「でも、しょうがなくない。だって、いつきは私の同業者であって、私の友だちなんだよ。私には、いつきの死の真相を知る権利があるでしょ?」
「……うん、そうだね」
正直、そこまで首肯はできないが、なゆちの気持ちは分からなくもない。
「だから、みなと、私と一緒にいつきの死の真相を突き止めてくれるよね?」
「……うん、そうだね……って、え!?」
勢いで相槌を打ってしまったが、なゆちは今とんでもないことを言わなかったか??
「ありがとう。みなと、大好き!!」
「……いや、待て待て。今、なんて言った!?」
「みなと、大好き!!って」
「いや、そうじゃなくて」
その発言も間違いなく大切なものであるし、その発言を2回言わせたことで悦に浸りそうな自分もいるのだが、今に限ってはそっちではない。
「なゆち、今、こう言わなかった? 『みなと、私と一緒にいつきの死の真相を突き止めてくれるよね?』って」
「うん。だって、いつきは強い子で、簡単に自殺するような子じゃないと思うの。何か裏があるはずだよ。だから、真相を知りたいの」
なゆちのまっすぐな目からは悪気は少しも感じられない。やはりこの子はどこまでも無邪気である。
「そんなの無理だよ!! だって、僕は刑事でもないし探偵でもないし」
「ただのヲタクだもんね」
「……そうだよ」
これは認めざるを得ない。湊人は無職であるから、あえて肩書きを付すのであれば「ヲタク」でしかない。ただのなゆちのヲタクだ。
「ただのヲタクが、そんな、死の真相を突き止めるだなんて、大それたことができるわけがないだろ!?」
「でもさ、みなと」
なゆちがニヤリと白い歯を見せる。嫌な予感がする。
「ただのヲタクが、アイドルからのお願いを拒否するなんて、そんな大それたこともできないよね?」
「うぐ……」
さすが、なゆち、痛いところを突いてくる。
「ねえ、みなと、お願い。一生のお願い」
湊人よりも10センチほど背の低いなゆちが、潤んだ目で、上目遣いで湊人の目を見る。こいつ、完全に分かってやがる。
「私、頼れる人がみなとしかいないの」
これも完全に殺し文句である。ヲタクは、こういう、アイドルからの「特別扱い」にめっぽう弱い。
「みなと、私と『一緒』にやってくれるよね?」
なゆちは、露骨に「一緒に」の部分を強調した。
湊人にはもはや断る道は残されていなかった。
「分かったよ」
「本当!??」
「ただし、実際に死の真相を突き止められるかどうかは分からないけどね」
「突き止めてくれるんだね!! みなと大好き!!」
「ただし」以下はなゆちには届かなかったようだが、3回目の「みなと大好き!!」に、湊人はまんざらでもない気持ちになった。
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自分は恵まれているな,と心から思います。
昨日,今日と仕事が忙し過ぎてほぼ執筆できていませんが,少しでも創作に時間が割けるよう頑張ります。