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盲信

 推しているアイドルがタバコを吸ってたから殺す。

 これ以上シンプルで、なおかつ、これ以上に屈折した動機はほかにないだろう。


 なゆちは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした後、苦笑いをした。



「みなと、冗談でしょ? まさかそんな理由で人を殺すわけなくない?」


「だけど、そのまさか以外には考えられないんだよ。ライブが終わった時間は19時30分前後。おそらく19時31分近くだったと思う。そこから急いで屋上に向かったとして、屋上に到着するのは19時32分頃。そして、いつきが屋上から落ちたのは19時33分。いつきが屋上に着いたわずか1分後なんだ。このわずかな間に口論があったり、たとえば性的暴行を加えようとして抵抗されたりといったということがあったということはありえない」


「それじゃあ、イマックスさんは、最初からいつきを殺す目的だったということ?」


「それも考えにくい。だって、いつきはこっそり喫煙をしていたんだ。いつきがライブ後に一服していたことを知っていたのは、おそらく妹のひなさんだけだったと思う。彼女はいつきのために楽曲のテンポを上げてCDに入れてたからね。それ以外の人はいつきが喫煙していたことは知らず、ライブ後すぐにいつきが屋上に行くであろうことも知らなかったはずなんだ。あくまでも、この日、イマックスさんが屋上でいつきと出会ったのは、偶然だったんだと思う。イマックスさんも喫煙者だから、いつきのライブ後、イマックスさんもタバコを吸うために屋上に行ったんだろう」


 それはイマックスさん、いつきの双方にとって、あまりにも不幸な偶然だったのだ。



「いつきに少し遅れて屋上に到着したイマックスさんは、屋上でタバコをふかしているいつきを発見した。そして、いわば衝動的にいつきを屋上から突き落とし、殺してしまったんだ」


「なんで? アイドルがタバコを吸ってることはそんなにイケナイことなの!? いつきが未成年だったらまだしも、いつきは22歳なんだよ!? しかも、イマックスさんはいつき推しなんだから、いつきに少しダメな部分があったとしても目をつむってあげるべきでしょ!? それが推しへの愛ってもんじゃないの!!??」


 なゆちは涙目になり、躍起になって捲し立てた。自分と同じアイドルが、極めて理不尽な理由で、いとも簡単に命を奪われたことに対する抗議だろう。湊人も、なゆちと同じ気持ちである。もしかすると、イマックスさんも今となっては同じ気持ちであって、ゆえに昨夜自首をしたということなのかもしれない。


 しかし、思いがけず、突然いつきの喫煙シーンを目撃してしまったときのイマックスさんの頭を支配したのは、全く別の感情だったのだ。



「イマックスさんは、いつきを真剣に推していた。それは、いわゆるガチ恋とは違ってたと思う。イマックスさんは、どちらかといえば、一人の女性としてではなく、一人のアーティストとしていつきを推してたんだ」


 イマックスさんの飲み友達である湊人は、イマックスさんがそのように話していることを何度も何度も聞いている。



「イマックスさんは、いつきのダンスと歌声を愛していた。その技量はメジャーでも十分に通用すると考えていた。イマックスさんはいつきに売れて欲しいと心から願っていたんだ。いつきにはどんどんビッグになってもらって、ゆくゆくはメジャーデビュー、武道館、五大ドームツアーとキャリアを大成して欲しい、と考えてたんだよ。本気でね」


 これは湊人の勝手な分析だが、地下アイドルのヲタクには、相反する二つの感情が同居している。アイドルと繋がりたい、恋人になりたいという気持ち(アイドルが近くに来て欲しいという気持ち)と、アイドルに売れて欲しい、有名になって欲しいという気持ち(アイドルが遠くに行って欲しいという気持ち)である。

 イマックスさんの場合には、後者の気持ちが圧倒的に上回っていたのだ。



「地下アイドルの中ではずば抜けていたとしても、いつきが売れるためには、さらにパフォーマンスを磨く必要があったことは間違いない。芸能の世界は猛者ばかりだからね。いつきはもっともっと努力をする必要があったんだ。ただ、その点でも、いつきはイマックスさんのお眼鏡にかなっていた。いつきは、地下アイドルの誰よりも真面目でストイックだったからね。いつきならば腐ることなく努力を積み上げてくれるだろう、とイマックスさんは信じていた」


 湊人は大きなため息をつく。

 このイマックスさんの信頼こそが、今回の事件を引き起こした「悪魔」だったのである。



「いつきがタバコを吸ってるのを見たとき、イマックスさんは呆然とした。タバコは、呼吸器機能の低下を招き、ダンスに必須のスタミナを削ぐ。さらに、タバコはのどの炎症も引き起こす。歌声に悪影響を与えるんだ。真面目にストイックに売れるための努力をしていると信じていた推しが、逆に自分のパフォーマンスを下げるようなことを積極的にしていたんだ。イマックスさんには、それは堕落に見えたんだ。今までいつきに対して抱いていた信頼がすべて崩れ去った瞬間だった」


 そして——



「いつきへの信頼は、一瞬にして殺意に転化したんだ。イマックスさんはいつきの背後に立ち、そのままいつきを突き落とした。これが今回の事件なんだよ」


 このイマックスさんの感情の動きは、どんなに言葉を尽くしても、アイドルであるなゆちには理解してもらえないかもしれない。案の定、なゆちは、腑に落ちないと言わんばかりに眉をひそめている。

 イマックスさんがいつきに対して抱いていた信頼は、あまりにも一方的なものであり、もはや幻想に近いものだといえる。アイドルだって生身の人間である以上、一旦ステージを離れれば、自分の欲望に従った行動をとる。男と会ったりもするだろうし、タバコを吸ったりもするだろう。

 しかし、ヲタクをしていると、そのあたりが盲目になりがちなのだ。その責任の一端は、なるべく綺麗な部分だけを見せようというアイドル側の普段の努力にあるのだから、なおのことタチが悪い。



 湊人は、ポケットからスマホを取り出すと、LINEの画面を開く。

 そして、イマックスさんが自首をするわずか10分前、湊人に対して送られた長文メッセージを表示する。



………………


みなとへ 突然だけど、俺は今から警察署に行って、自首をしてくる。

いつきを屋上から突き落としたのは俺なんだ。

いつきには本当に申し訳ないことをした思っている。俺はいつきから夢をもらってたのに、俺は恩返しをするどころか、いつきの人生を奪ってしまったんだ。ヲタクとしても人間としても最悪のことをしてしまった。

死をもって償おうか本気で悩んだ。だけど、俺が、いつきと同じ方に行くのは、いつきに対して申し訳なく思った。だから、自首することを決めた。

法律に詳しい友人から聞いたんだが、自首をすると罪が軽くなるらしい。自分から罪を認めるからだ。俺は、いつきを殺しておきながら、自分の罪を軽くしたいとは思わない。だから、俺は自首はするが、警察や検察には何も話さないつもりだ。そうしてれば裁判は長引き、反省していないとみなされ、俺の罪は重くなることだろう。それくらいしないと、いつき殺しの罪は決して償えない。

俺は、大事な推しに対して、恩を仇で返した最悪の人間だ。

余計なお世話かもしれないが、みなとには、絶対に俺と同じようにはなってもらいたくない。

みなとには、くれぐれもなゆちを大切にしてあげて欲しい。なゆちが売れるためにできることは何でもしてあげて欲しい。俺がいつきにできなかったことを、みなとがなゆちにしてあげて欲しい。

重罪人の言うことなんて聞きたくはないかもしれないが、これだけは約束して欲しいんだ。

最後になったが、みなと、今までこんな俺と仲良くしてくれてありがとう。

みなとが許してくれるのであれば、出所後、また飲みたい。


………………



「みなと、イマックスさんはすごく反省してるみたいだね……」


「そうだね。イマックスさんがいつきを突き落としたのは、やっぱり衝動的だったんだと思う。あのとき、イマックスさんがもう少し冷静だったら、こんなことにはならなかったのかもしれないね……」


「いつきも可哀想だけど、イマックスさんも可哀想」


 湊人にスマホを返したなゆちは、衣装の袖で涙を拭いた。



 実は、このとき湊人は全く気付いていなかったのだが、このなゆちの言葉と涙は、すべて表面上のものであった。

 なゆちは、このイマックスさんからのメッセージをあらぬ方向で解釈し、良からぬことを企んでいたのである。



 その「悪企み」の存在を湊人が知ったのは、翌朝であった。

 そして、それは、全世界の人が知るのと、ほぼ同じタイミングであった。


次回最終回です。

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